あらすじ
日本が農業中心社会だったというイメージはなぜ作られたのか。商工業者や芸能民はどうして賤視されるようになっていったのか。現代社会の祖型を形づくった、文明史的大転換期・中世。そこに新しい光をあて農村を中心とした均質な日本社会像に疑義を呈してきた著者が、貨幣経済、階級と差別、権力と信仰、女性の地位、多様な民族社会にたいする文字・資料の有りようなど、日本中世の真実とその多彩な横顔をいきいきと平明に語る。
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Posted by ブクログ
サクサク読めた。
自分の中には、時代が進めば進むほど社会はよりリベラル寄りになっていくはずだという感覚がどうしてもある。だが、実際にはそう単純ではない。
例えば、女性の社会的な位置づけ。律令制度以前は、資産を所有する女性もいれば、貴族階層であれば政治に関わることもあった。それが室町以降になると、女性が表舞台に出ることなはなくなる。
とか。
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日本は島国だから閉鎖的でずっと農業が中心だった、という教科書の概念がいかに間違っているか。
百姓と言う言葉がイコール農民でない、いままでの常識が覆される
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これまで漠然と持っていた昔の日本社会のイメージが実際とはかなり違う可能性があるということが、いろいろな分野について書かれていてとても面白かった。1990年代に刊行されたものの合冊のようだが、私にとっては新しく知る情報が多くて楽しかったし、もっと新しい研究についても知りたくなった。
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「非人」とされたひとをとりまく変化や「百姓」の扱いなど、年号をみているだけではわからない視点から歴史をみていく本。
へぇーと思うことがたくさんで楽しかったです。日本史の授業でこういう話をたくさん聞きたかった。
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学校で習う歴史の授業では知ることが出来ない、日本の中世について、文献や絵画から人々の地位や職業や文化を探る本である。興味深かった。
いろいろな考察があるが、名前や女性や天皇の地位について時代とともにどう変化したかが書かれていた。一番意外だったのは、えた・非人として習った身分制度の最下位にいるとされる人たちの仕事や立場である。目からウロコだった。
室町時代以前は、非人と言われた人たちは、穢れを扱う特別な職能として天皇制度とじかにつながっていたというのだ。イメージ的に被差別民というか、乞食のような印象だったのだが、遊女も同様な特別な(必要とされる)職業としてある種の地位を得ていたということも書いてあった。文献を深く研究すると、現在からは想像できない社会構造が見えてくると筆者は書いている。
天皇の位置づけも面白い。政治家たちにお飾りとして祀られているだけではなく、節目節目でそれなりに重要な役割があり、特に後醍醐天皇や北朝・南朝時代にどういう動きがあったかなど、忘れかけていたことを思い出すことが出来た。
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中世史の専門家網野先生の本。講演ベースのものが編集されているので非常に読みやすいが中身は充実。日本の農本主義のイメージが大きく変わります。交易主体の水呑百姓の生業なんかは教科書で固められてたイメージとまったく違って面白い。貨幣や交易の発展の捉え方も斬新なようでむしろ現代の学説にも近しいのでは。性別や身分の社会的・文化的な捉え方や宗教との関わりもなるほどと感じる部分が多い。特に鎌倉仏教の革新性は色んな切り口を知る度に面白さが増していくのでがっつり学びたくなってきました。
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中国に行くと、そのだだっ広さに驚きます。新幹線も四方八方に伸びてる。中国で農業が可能と思える地域は、国土の面積比25倍なんてレベルとはとても見えない。軽く50倍はありそうに思える。弥生時代以降、凡そ日本の10~20倍の人口が中国に常にいるとして、土地の生産性が時代毎に同じとして計算すると、中国は、同じ農地の広さで2倍の人々を養っていた事になる。そんなことはないのでは? これまでの百姓の定義とか、農産物以外の収入、食糧の社会における役割等々見落としているとの指摘は、(自分の見た中国比較からも)最もだと感じました。
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中世以降の日本の歴史を、農業のみで語ってはいけないという視点で描かれています。中世日本の商業、工業、金融、流通などについて実例を元に詳しく述べられています。学校の授業では必ずしも触れられていない話題が多く、興味深い内容でした。貧しいと思われていた地方の山村、沿岸地域がむしろ鉱工業、流通の拠点、都市して機能していたのではないかという主張は大変新鮮でした。
関係ないかも知れませんが、この本を読むともののけ姫の世界観がわかるかも。
Posted by ブクログ
農民=百姓
授業ではそういうふうに習ったと思います。
いや区別しないで習ったというべきでしょうか。
ただ本書を読むとそうではないことがわかります。
百姓=武士や商人でない人
塩を作ってたり漁業や水運業をする人もみんなはいってるんですよね。
コレは目から鱗でした。
日本は農本主義で農業が国の基本で租税の中心と思ってました。
でも戦国時代や幕末もそうですが交易が日本を動かしてますよね。
楽市楽座もそうですし亀山社中や海援隊もそうですよね。
僕の今の仕事で考えるとやりたいことをやるためにはお金が必要です。
それは今も昔も同じですよね。
そのお金をどう増やすか。
やっぱり交易が大切なんですよ。
無いところにあるところから持っていく。
無いものを魅せる。
それができれば消費が増えるのでお金が動きます。
歴史に学ぶことはやっぱり多いです。
Posted by ブクログ
昔の人は素朴で、効率や利益を考えず、のほほんと暮らしていた、という意識がわたしたちにはあるのだと思う。
でもちがうよね。いつの時代の人たちだって、よりよく生きたいと願ったはずだし、それゆえのしたたかさや、過ちの犯し方は、わたしたちのそれと、本当によく似ている。
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百姓≠農民,という大発見をもとに展開される中世日本論.公文書は「農本主義」という政権が設定した建前にしたがい記述され,後世の我々もそれを信じて過去の日本の姿を想像してきたが,実際はそれよりはるかに商業活動に負うところが大きく,その記録は私文書であるために現代の我々の目には届きにくかった.
非人の成り立ち(元々畏怖の対象だったものが,時代が下るとともに穢れに)も興味深い.
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神に近い生き物であった牛や犬やらの動物が、畜生に見えてくる、そういう自然との関係の変化が、神に近い生き物を取り扱う人たちがある畏れをもって見られていたのに、それがケガレとみなされるようになって差別の感覚が産まれる、っちゅうような変化っちゅうようなことは考えたこともなかったです
面白い目が明く
久々に気軽に歴史に触れる
インターネット上の都市伝説との境のない噂レベルの情報ではなく、かと言って教科書を読み返すでもない、気軽に新しい視点を得る事になかなか心地よさを感じた。
特殊な視点というよりは、よく考えるとこうじゃないかという無理のない視点が読みやすいと感じた。
Posted by ブクログ
前半と後半でまったく評価が変わると思う。前半に関して言えば、中世の風俗についての豊富な記事については読むべき価値はあるが、著者の考えはあまりに理想に偏りにすぎていて賛同できかねる。女性や近世以降苛烈な差別の対象となった人々が、一種の聖性をもって迎えられていたとのことだったが、はっきりと好意的に接していたことがわかる資料が仏教関係からしか提示されていない。また、庸調が各地の農民主導で定められたような書き方をしているが、米が豊富にとれない地域もあるために朝廷側が調整した説が主流な上、参考資料の提示もない。かなり注意して読まなければならない資料である。
後半の「続」編については、まさに「日本の歴史を読み直し」た名著だと言える。よくよく考えてみれば農耕地の少ない日本列島において、そこまで多くの農民がいるわけがないのに、ステレオタイプのイメージから百姓=農民であるという先入観を持ってしまっていた。様々な職能民の活躍するこの国を見つめ直す良い機会となった。
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日本の歴史を学び直すために
百姓イコール農民ではない
一神教が日本で根付かなかった理由
日本の起こり
婚姻関係、誤解されてきた女性の立ち位置
非人として蔑視されてだと思っていた人たちは近世以前はそこまで差別されていなかった
Posted by ブクログ
その名の通り、教科書で学んだ日本史を読み直す本。
というよりも、やはり教科書で学ぶと、うまく納得いくように辻褄合わせなくてはならず、「日本は農業社会だ」と思う方が理解が楽になってしまうんだろうね、と。
以下、簡単にまとめ
文字→日本の識字率は高い。そこに国家が上から被さるように文書至上主義を貫いた。だからこそ今の漢字中心の文体がある。
貨幣と経済→物々交換で成り立っていた社会とは別の文脈。商業者は神の直属民だった。
畏怖と差別→職能としての畏怖。しかし、人間がコントロールできる範囲が増えたことで、差別へ。
女性→律令とは離れた文脈の存在。実は商業者として、大きな存在だったケースもある?
日本の農業社会→実はそうではない。経済的な側面が大きい。様々な海上交通などのネットワークを駆使して、経済社会を作っていた。百姓=農民ではなく、様々な経済活動を担っていた存在だった。
以下、感想
教科書だけでは学べない日本の歴史を読み直すことができた。教科書に習うように組み上げた自分の日本史観を丁寧に解きほぐすことができた。確かに、一つの国家として経済的側面がないとおかしいよね、というのはおっしゃる通り。大学入試で経済史は確かにやったが、流石に古代まではカバーしきれてない。
この本の感想に書くのが適切なのかはどうかはわからないが、巷に流れる、「実は日本はこうだった」みたいななんちゃって歴史本とは一線を画さないといけない。(いや、当然この筆者だから、画すのは当然なんだけど)
何となく自分がそのなんちゃって歴史本とこの本の区別がつけられるような見識、基礎知識(?)を持ち合わせていないから、正直このような文脈でなんちゃって歴史本も面白いと言ってしまいそうで、怖くなってしまった。なんか、純粋に楽しめばいいのに、頭の裏に陰謀論めいた日本史のワードが流れてきて懐疑的になってしまって、、、今の日本の社会が私をこうさせたのでしょうか、、
Posted by ブクログ
中世の社会の在り方に焦点を当てたエッセイ。百姓と農民はイコールではないというのが目うろこ。コメを中心とした制度建てになってんだけど、実際には商工業や海運業で生計を立てていた人が相当数いたんだね。
Posted by ブクログ
「穢れ」というキーワードは民族学っぽい文脈の本ではよく出てくるが、ここで描かれるケガレ、差別のとらえ方がとても腹落ちする。
他文字や商業、女性、天皇という視点を見ると、その多くが(この本が出版されてかなり経つにも関わらず)一般的な理解とは離れている現実に少し驚く。
後段では、百姓=農民、というなんとなくの積み重ねで漠然と持っているイメージが覆った。
深く考える機会も少なく、なんとなくとらえていた過去の日本人の庶民像の解像度が上がった。
よく考えれば、百姓という言葉の漢字を一つ見ても、農民に限定してしまうことの方が不自然だなあと感じたり。
Posted by ブクログ
市場や河原、畏れや穢れの話、非人の話、女性の話、都市の話、河海を通した流通の話、百姓に持たれるイメージからくる5回の話。
いずれもこれまでに学んだ歴史の中にはなく、興味を持って読むことができた。
Posted by ブクログ
網野史観の入門書として相応しい一冊。
網野さんの歴史観の捉え方は様々だが、一般の読者には日本史への多様な視点を与えてくれることは確かだ。
百姓と呼ばれる人々の実態、室町時代の商業発展などをつぶさに見ていくことで、非農業国家としての日本を描きだす。
また、差別階級と認識されがちな非人は、天皇や寺社に使える聖なる存在であったことなど、マイノリティに新たな視点を提供してくれる。
歴史に多様な視点を持つことは、皇国史観やマルクス史観など画一的カルト的歴史観に陥らないために極めて有益である。
そして、また、多様性が尊ばれる現代にも相応しいだろう。
Posted by ブクログ
「ちくまプリマ―ブックス」から刊行された二冊の本をまとめて収録したもので、若い読者に向けて日本の歴史の新しい見かたをわかりやすく解説しています。いわゆる「網野史学」の入門書として読むことのできる本です。
著者は、「非人」と呼ばれて蔑視されてきた人びとについて、神の「奴婢」という見かたがあったことを掘り起こし、彼らが社会のなかで果たしてきた役割について考察をおこなっています。また、「百姓」を農民とみなす理解が、これまでの歴史研究のなかで抜きがたく存在していたことを批判し、彼らのなかに非農耕民が多く含まれていたことに注目しながら、農村を中心に置いて日本社会を均質的なものとしてとらえる常識的な見かたをくつがえす試みがなされています。
非農耕民、賤民、女性といった、従来の歴史研究のなかでアウトサイダーに位置づけられてきた人びとの視点から、日本の社会の新しい見かたを示しており、おもしろく読みました。
Posted by ブクログ
戦国時代の印象しかなかった中世史は、まだわからないことが多く教科書に載っていない事柄に溢れているらしい。職能民、海民、山民などが"百姓"として制度に組み込まれていくなかで、表には見えづらいけれど当時の歴史像としては重要な役割を果たしていたことが、史料から丁寧に読み解かれている。今までの先入観が覆るというか、違和感の正体がさまざまな躍動感とともに立ち上ってくるようで、もっと読んでいたかった。
Posted by ブクログ
いわゆる教科書に書いてある歴史とは違って、実際の人々の生活、宗教観などをテーマに日本の歴史を紐解いていて面白い。
特に後半の百姓=農業従事者という訳ではないとのくだりが面白かった。
貧農と言われていた人達の中には実は漁業をメインに営んでいて、実際は裕福な生活を送っていた人達もいたとか。
日本の昔の人々をリアルに感じられた。
Posted by ブクログ
まさに日本の歴史の読み直し。知的好奇心が刺激されまくった。
「百姓イコール農民ではない」という指摘は、自分が学んできた歴史感覚を覆すもの。たしかに百姓っていう言葉自体からは直接農業を連想できないものな…
また、たびたび応仁の乱以前と以降で日本は結構変わるみたいなことを言われてるのだけど、それが何故なのか?はこの本では触れられてなくて気になる。紹介されていた「異形の王権」「室町の王権」を読めば分かるだろうか。
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日本の歴史ついて、新しい考え方を教えてくれた良書。タイトルに「全」とあるように、本書は「日本の歴史をよみなおす」と「続・日本の歴史をよみなおす」の二本立てになっている。特に続編の内容が、驚きの連続である。網野氏の考察が色濃く出ており、なるほどそういう見方もあったのか、と開眼が止まらない。歴史をもう少し勉強してから読み直すと、さらに面白く読めそうだ。
Posted by ブクログ
網野善彦氏(1928~2004年)は、日本中世史を専門とする歴史学者。文献史学を基礎として展開した独自の歴史観は「網野史観」とも呼ばれ、学術的には賛否両論があるものの、日本中世史研究に多大な影響を与えた。
本書は、1991年刊行の『日本の歴史をよみなおす』と1996年刊行の『続・日本の歴史をよみなおす』を併せて、2005年に文庫化されたもの。
網野中世史のポイントのひとつは「非人」である。日本の古代においては、奴隷と良民の区別と、ケガレに関わる人びととそれ以外の人びとの区別があった。「ケガレ」とは、人間と自然の均衡が崩れたときに、それによって人間社会の内部に起こる畏れや不安と結びついたもので、具体的には人の死や誕生などの際に発生するといい、京都の貴族たちの間にケガレに対する畏怖が広がってきた11世紀頃に、「非人」と呼ばれる集団がクローズアップされるようになってきたという。そうした非人たちは、ケガレをキヨメる特異な力を持っていると見られ、神仏の「奴婢」として、その中の少なくとも主だった人びとは、神人・寄人、神仏の直属民という地位を、社会の中で明確に与えられていたのである。その後時代が下るにしたがい、人びとのケガレに対する畏れの意識が消えて、これを忌避・嫌悪する意識が強まり、ケガレを清める仕事に携わる人びとに対する忌避・差別観・賤視の方向が表に現れてくるようになったのではないかという。
また、網野史観のキーワードのひとつに「無縁」がある。古代において、モノは必ず人間と結びついていたが、中世に入り、河原、川の中州、(海と陸の境である)浜、(山と平地の境である)坂などに市場が立ち、モノの交換が行われるようになる。それは、そうした場所を、神の世界と人間の世界、聖なる世界と俗界の世界の境として、そこに入ると、モノも人も世俗の縁から切れた無縁の状態になり、モノとモノとを、モノそのものとして交換することが可能になったからだという。
更に、日本の社会が、少なくとも江戸時代までは農業社会だったという常識が、広く日本人にゆきわたっているのは、「百姓」=「農民」という思い込みの結果に過ぎず、「百姓」とは、文字通りたくさんの姓を持った一般の人びとという意味以上でも以下でもなく、農業以外の生業を主として営む人びとを含んだ言葉であり、そうしてみると、江戸時代以前の日本社会のまったく違った実態が浮かび上がってくるという。
そのほか、文字、貨幣、女性たち、天皇と「日本」の国号、日本列島、荘園・公領、海賊・悪党などにテーマは及び、極めて示唆に富む内容である。
出版元の編集者を相手にした話をまとめたもので大変わかりやすく、かつ、「網野史観」のエッセンスが網羅された良書と思う。
(2019年12月了)
Posted by ブクログ
歴史本=睡眠導入薬の私であるが、この本は私たちが社会の授業で習ってきた日本史的常識に一石を投じるものでした。日本人の自然との関係性の変化、また、水上交通とそれを前提とした交易や商業等の発達、と言ったことが本書の視点だったように思います。へえ、そういう見方もありうるよなあ、と歴史学の面白さみたいなものを垣間見、興味を持ちながら読むことができました。
…それでも途中で何度も眠たくなりましたが。(笑)
Posted by ブクログ
日本史を過去から遡って学びなおそうと思って購入したが、史実について順を追って触れていくのではなく、我々の歴史に対する思い違いについて文化的背景への考察をふまえて語るような内容だった。
中でも、百姓=農民、ゆえに農業社会が日本の根源という思い違いについては興味深かった。
Posted by ブクログ
この人の言いたいことは
「伝統的な日本社会=農村社会 というような単純で均質的な社会ではなく、日本とはもっと重層的である!」
というかんじです。
「百姓」は土をいじって作物育てる農民だけを指すのではないということは興味深かった。
商人や職人、海の民や山の民もいっぱいいたんだね。
そういう結論の部分は面白いけど、歴史学の論拠論証はあまり面白くない。そういうこまごました物証を並べられてもあまり関心は持てない。
Posted by ブクログ
中学・高校の教科書で習った事を根底からくつがえすような話題がいっぱいで、かなり日本史観を変えさせられた本だった。もうほとんど全編が、これまで常識とされてきたことと違う視点からの語り口と言っていい。
たとえば、
・江戸時代まで、女性の権利はかなり制限されて抑圧されていたものとされていたが、実際にはかなりの自由があった。
・百姓といえば農民のことという固定観念があるが、実際には漁や商業に従事していた人など、様々な職業をさしていた。
・鎌倉時代は、武士の時代として天皇不執政の時代といわれたが、実際にはその当時も、京では強い権力を持っていた
などなど。
この本は、「穢れ」の概念や、「天皇制」「女性の権利」「農業以外の視点からの日本経済」など、従来の日本史学では触れることを避けてきたテーマについて、かなり深く切り込んでいっている内容だと思った。
それだけに、どの章の話題もとても斬新で、今まで教科書に書いてあったことをそのまま鵜呑みにしてきた内容を一度疑って、すべて一から自分の頭で考え直してみることが重要なのだということを教えてくれた本だった。
従来、江戸時代は家父長制が確立しており、女性は無権利できびしく抑圧されていたと考えられていたのですが、実態はかなりちがっていたといわなくてはなりません。さらにさかのぼって14世紀以前の女性のあり方を史料にそくして見てみますと、女性たちは江戸時代よりもはるかに広い社会的な活動をしていたことがはっきりとわかります。(p.157)
戦後の歴史学が、戦前、戦中の皇国史観に対する反発もあって、鎌倉時代になると、教科書にはほとんど武士の歴史しか書いていないのです。たしかに皇国史観に対抗するために、在地領主、武士の果たした役割を強調したことには明らかに大きな意味があったのですが、これが裏目に出て、鎌倉時代以降の天皇、公家側の歴史の研究に、ブランクができた時期がありました。
いまでも教科書の叙述は、後鳥羽天皇が承久の乱で幕府に負けたあとの天皇は、後醍醐まではでてこないのです。ところが、じつは鎌倉時代の天皇、上皇は、王朝国家の中ではあきらかに権力を持っています。(p.208)
現代を歴史的な時代区分の中でどこに位置づけるかということですが、社会構成史的な次元での区分、古代・中世・近世・近代という区分の中で、現代を明治以降の近代の連続と考えるか、戦後に新たに出発した、近代社会とは異なる現代社会と位置づけるかによって、当然、現代に対する認識は大きく変わってくるわけです。
戦後歴史学の主流は、敗戦と新憲法に非常に大きな比重を与えており、どちらかといえば後者の見方が主流だと思うのですが、私は多少戦前を知っているせいかもしれませんが、現代は明治以降の近代社会のある一段階であり、現在はその、局面ととらえたほうがよいのではないかと思っています。(p,219)
現代は社会構成史的にも、また民族史的、文明史的にも、大きな転換期にはいっていることになるので、天皇も否応なしにこの転換期に直面していることになります。おそらくこの二つの転換期をこえる過程で、日本人の意志によって、天皇が消える条件は、そう遠からず生まれるといってよいと思います。
しかしその時は、必ずや日本という国号自体をわれわれが再検討する時期となるに相違ありません。それはいわば「日本」という国家そのものをわれわれが正面から問題にする時期になるのだと思います。(p.221)