ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
6pt
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的名著。解説=笠松宏至
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
80年代頃の著作ということもあり、多少唯物史観的な観点はありつつも、一次史料を丹念に読み込み、中世世界の容貌を描き出している点で非常に素晴らしい。 特に面白いところは、無縁的な世界を為政者が取り込み自身の統治メカニズムに利用しようとしてきた経緯
宗教史の先生から必読と勧められて読みました。 中世の世界観を知る上でとても役に立った濃厚な一冊でした。 ただし一般向けに書かれた本ではないので文章は難しいです。 繰り返し何度も読みましたが読むたびにのめり込んでしまいます。
網野善彦は、間違いなく歴史学の天才でした。 この本は寺院と俗世、僧侶とその他の人々などの「縁切り状態」、つまり無縁を中心に、それが権力に取り込まれながらも形を変えて生き延びていく姿を文献資料を使って明らかにしています。 寺院に寄進された荘園もまた公権力の手の及ばないものになり、遍歴の芸能民も、一方で...続きを読むは差別されながら、もう一方では力強く自由を持って生きていたことが分かります。 そして「無縁」は仏教的に肯定された語であることも網野氏によって証明されていく、歴史学の様々な前提を覆した名著です。
都市が村落との差異を持ちうる要因、市・盛り場などの都市のハレの場となりえた要因、これらは近世以降の概念では説明しえない、無縁の原理によって規定されている。
「公権力もしくは社会的関係が及ばない世界」でいいのだろうか。無縁の話で引き合いにだされるのが「縁切寺」で、ここに入ると夫婦関係(社会的関係)はナシになるし、「楽市楽座」の制は<座>の縁を無くした場所と説明できる。
私が卒論を書く上で、凄く影響を受けた本。現代の闇の部分、アウトサイダー、差別問題をこの本に書かれている中世を通じて見ることが出来る。
本やさんで見かけて手にとり、あとがきを読んでそのまま購入した本。380ページのうち、初版についての批判を受けた「補註」と「補論」が108ページ。「無縁」という概念から主に中世の日本の社会を捉え直している、という理解でいいのかな。具体的な事例が次々と挙げられ、「無縁」の視点で語られていく。それが真実か...続きを読むどうかは置いておいて、純粋に面白い。
歴史書というよりも、思想、文化論。 西洋の自由、平等、平和に対して、日本文化としての「無縁、公界、楽」を対置しているわけで、生物学で言えばドーキンスに対するグールドの論を読んでいるような感覚を覚えた。 読みどころは本文よりも補注である。
暴力のシステムが、ある程度の力を持つとき、それは少数者の保護を約束する。 道々の輩、異形異類と言われる特殊な技能を持つ人々が、かつては職農民同士で国のようなものを作り、他の組織あるいは国と交流していたと説く。
従来の、天皇と幕府の二重権力と農本主義に貫かれている日本史観を覆したというだけで、網野史観はスリリングだし、それだけで面白い。 その上、それぞれの時代のアウトローな存在たちに光を当てているのだから、学術書でありながらエンターテイメントの要素をはらんでいて、活劇を読むようにわくわくして読み進めた。 ...続きを読むそれが学術であれ、エンタメであれ、人の魂を揺さぶるものには、いつも無縁の原理が働いているという。 「無縁」というのは、現代的な意味での無縁とはちょっとちがう。 現代では「無縁仏」とか「無縁社会」とか、個人が社会の中で孤立している状態を指すのだが、網野史観による「無縁」の概念とは、「有縁」「有主」の対立物として浮かび上がる。 定住に対して移動。 国家に対して宗教。 …といった具合に。 しかもそれらは対立ばかりしているわけではなく、常に背中合わせで、密着しながら拮抗している。 具体的な無縁の原理というのは、 場としての市場、境界、社寺、山林、自治都市、関渡津泊、橋、河原、中洲などなど。 人々しての、供御人、職人、手工業人、海民、遊女、聖、山伏、巫女、勝負師、芸能民などなど。 それらは異界と異界の境界に発生し、異界と異界を行き来する人々によってもたらされる。 大阪に現れた最大の自治都市「堺」はまぎれもなく「境」だったのだ。 異界と異界の境とは、この世とあの世の境でもあった。 市には必ず死者が現れる。河原も中洲も浜も山野も、それらは神々と関わる聖域であり、交易芸能の広場であり、平和領域であり、葬送の地であり、刑場でもあった。 「無縁」の原理は階級社会に対しての自由・平和・平等の理想への本源的な希求が貫かれている。これはなにも日本に限ったことではない。 寺院に飛び込むと娑婆世界での縁が断ち切られる。 祭では日常社会の階級が解消される。 でも、このような無縁の原理は、国家(有縁の原理)の台頭によって衰弱してしまう。江戸時代の身分政策や寺請制度、明治以降の近代化によって人々はより権力の管理下に置かれ、無縁の原理は有縁の原理に取り込まれる。 60年代の学生運動などはこうした無縁の原理の希求がその根底に流れているのだろうし、この本が1978年に初出でベストセラーになったというのも興味深い。左翼やリベラルたちの支持を得たのは想像に容易い。 そしてインターネットの登場。 誰もが発信できる双方向のコミュニケーション空間は、それこそ有縁の原理がすみずみまで立ち入ることが困難な、無縁の世界の登場だったのだが、これもまたいつか有縁に取り込まれることになるのだろうか…。 ******************** 文学・芸能・美術・宗教等々、人々の魂を揺るがす文化は、みな、この「無縁」の場に生まれ、「無縁」に人々によって担われていると言ってもよかろう。 ********************
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
増補 無縁・公界・楽
新刊情報をお知らせします。
網野善彦
フォロー機能について
「平凡社ライブラリー」の最新刊一覧へ
「雑学・エンタメ」無料一覧へ
「雑学・エンタメ」ランキングの一覧へ
異形の王権
海と列島の中世
海民と日本社会
米・百姓・天皇 ──日本史の虚像のゆくえ
対談 中世の再発見
中世再考 列島の地域と社会
中世荘園の様相
試し読み
中世の罪と罰
「網野善彦」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲増補 無縁・公界・楽 ページトップヘ