網野善彦のレビュー一覧

  • 増補 無縁・公界・楽

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    従来の、天皇と幕府の二重権力と農本主義に貫かれている日本史観を覆したというだけで、網野史観はスリリングだし、それだけで面白い。
    その上、それぞれの時代のアウトローな存在たちに光を当てているのだから、学術書でありながらエンターテイメントの要素をはらんでいて、活劇を読むようにわくわくして読み進めた。

    それが学術であれ、エンタメであれ、人の魂を揺さぶるものには、いつも無縁の原理が働いているという。


    「無縁」というのは、現代的な意味での無縁とはちょっとちがう。

    現代では「無縁仏」とか「無縁社会」とか、個人が社会の中で孤立している状態を指すのだが、網野史観による「無縁」の概念とは、「有縁」「有主

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    2016年09月18日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    ネットで見かけて。

    面白かったし、読みやすかった。
    中世に寄進関係や主従関係で結ばれていない
    「無縁」のエリア、人々がいたらしいことは
    納得できた。

    その無縁所は
    ただ神聖な場所ということではなく、
    芸能に関係し、婚姻の無効に、借金の棒引きに有効なのはまだしも、
    犯罪をも帳消しにできるエリアだということが、
    今一つピンと来ない。
    納得できないというか。
    現代人の感覚なのか。

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    2015年11月23日
  • 日本中世の民衆像 平民と職人

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    網野先生はやはり偉大です。しかし日本人の歴史認識は五十年経っても進歩がないんだなぁ。別のIT関連(?)は凄い進歩しているのに。
    昔何があったか興味ない民族。忘れていく民族。今と先の進歩の方が大事な民族。それが日本人なのかも。思えば装飾されているとはいえ、中国人の方がその点両方(進歩も過去も)持っている。

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    2015年10月02日
  • 日本中世都市の世界

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    「素人目でみて、宗教、思想、文学、芸能等々は、みなそこ(無縁)に生まれ、そこから人間の魂をゆるがすに足る生命力を得ているように思われるのである。諸民族の農民反乱が、つねに、原始への復帰を根拠にもつ、宗教的な力を支柱にしていること、江戸時代の新宗教の教祖の多くが女性であること等々、こうした視角から、一つの解答をひき出しうる問題は、案外、多いのではあるまいか」中世とはむき出しの初源が近代社会を前に断末魔をあげた時代だったのではないかと思う。その断末魔をどうすくい取るのか、この本が示唆するところは大きい。

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    2014年01月04日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    【読んだきっかけ】網野善彦氏の研究に興味があった。古本屋にあったので買ってみた。
    【内容】縁切寺、中世の市、遍歴する職人や芸能民など、歴史の表舞台に登場しない場や人々のうちに、所有や支配とは別の関係原理、〈無縁〉の原理の展開と衰微を跡づける、日本の歴史学を一変させた書物。(カバー説明引用一部改)
    【感想】網野氏の本はこれまで中世の遊女や非人について書かれたものなどを読んでいた。これまでの日本の歴史と呼ばれるものとは違う部分にフォーカスしており大変興味深かったが、この『無縁・公界くがい・楽』も期待を裏切らない内容だった。著者は大名や家臣の縁に繋がる場や人々ではなく、そこから逃避する者や逃げ込む

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    2014年01月04日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    初めての網野本
    知らなかった分野なので割にためになる
    結論への飛び付き方は留保
    とりあえず他にもいろんな作品よんでから

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    2013年01月08日
  • 中世の非人と遊女

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    網野善彦さんの本は面白くて好きだが、これはちょっと難しめだった。収められた論文はほとんど専門誌に投稿されたもので、つまり本職の歴史学研究者を対象としており、歴史上の用語はどんどん出てくるし、いちいちそれの解説なんて付いてない。
    私はこれまで非人に関する本も、網野さんの本も、中世あたりに関する歴史の本も数冊読んできたので、かろうじてまあまあ理解できた。漢文は読めなかったけれど。もしそれらの本を読んでいなかったら、この書物にはお手上げだったかもしれない。
    しかし内容はなかなか面白く、死体処理などを任され、年貢を免除されていた「非人」は中世(鎌倉時代)初期にはその「穢」が、穢を清める装置として機能し

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    2012年11月23日
  • 異形の王権

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    小論集。江戸時代の「かぶき者」の前身とも言える「婆娑羅」を「異形」としてとらえ、なかなか興味深い考察をしている。
    この網野善彦さんは、もちろん第一線の歴史学者なのだけれど、考え方や論じ方が並の歴史学者とは異次元に属するかのような面白さ。どうやら彼は民俗学の動向に通暁していたらしく、歴史学と民俗学は協力しあって新たな知を発見していくべきだ、というようなことを本書の中で言っている。
    甥の中沢新一はこの網野善彦の影響をかなり受けていると思う。中沢さんの理論は、ちょっと問題を単純化しすぎている嫌いがあるが。

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    2012年11月15日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    江戸時代、夫と別れたい妻は縁切り寺に駆け込んだということは高校の日本史でも習う事実である。著者、網野善彦氏はこの縁切り寺のような世俗から断絶したアジール(=聖域)は日本に昔から存在したことを証明していく。そのような場は、タイトルである「無縁」「公界」「楽」などと呼ばれていた。そこでは例えば、世俗の身分から切り離されていた、犯罪者の駆込場となっていた、税金の徴収を免れていたなどの特徴を有していたことが示される。わたしたちは「自由」や「平等」といった西欧的価値観を深く深く内面化している。わたしはそれらヨーロッパ(もっといえばヨーロッパ近代)の価値観がどれほど普遍性を持っているのか、西欧と接触する以

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    2012年08月16日
  • 対談 中世の再発見

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    ネタバレ

    網野善彦、阿部謹也という日本史、西洋史の中世史を代表する研究家による対談集。

    二人とも対談を生き生きと行っているのが伝わる。
    「石を投げる」ことにここまで意味を見いだして、議論できるとは。

    中世史を研究するならば、ぜひ読んでおきたい。

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    2012年04月30日
  • 増補 無縁・公界・楽

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     最初に「えんがちょ」とか「すいらいほうらい」という自分が育った藤枝でやっていた、子供の時の遊びから始まったので、簡単なエッセイかと思ったら、全然違う。

     駆け込み寺のような公の権力の及ばない、世界、無縁・公界・楽などの視点から、日本の中世史を分析している。

    (1)堺などの自由都市というのも、むしろ公の権力の及ばないところ、無縁の世界と考えることもできるらしい。

    (2)市場、網野さんは市庭というのも、無縁性があった区域らしい。

    (3)河原の中州、山林、寺院、墓所など、一種のけがれの空間から無縁の世界、人々が始まったという考え方は、おもしろい。

     白川静先生が、孔子伝で、孔子は葬祭をあ

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    2012年04月07日
  • 中世の非人と遊女

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     非人・遊女は中世前期において、天皇、神仏の直属民であった。また非人は、その職能が「穢」の清目という呪術的色彩を濃厚に持っていたため、供御人、犬神人、寄人とともに、いわば「聖別」された存在として畏れられてもいたのである。この畏れの意識は人々の差別の意識に容易に転化されることになる。中世後期、天皇・神仏の権威は著しく低下したため、同時に彼ら彼女らの職能民としての社会的地位も同時に低下することになったのである。こうした転換が文明の流れの中で大きく作用していったが、聖から賤へと転落しながらも文化形成の重要な一要素の役割を担ってきたのである。

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    2012年02月15日
  • 米・百姓・天皇 ──日本史の虚像のゆくえ

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    網野氏と石井氏の対談集。

    後半に出てくる網野氏の江戸時代と明治政府についての見解は、これまでもやもやとしていた胸の内をすっきり晴らしてくれるようなものでした。

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    2013年07月28日
  • 異形の王権

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    「異類異形」といわれる人々が中世社会でどう位置づけられてきたのかを,絵巻に描かれた人々の服装やしぐさなどの分析を通じて興味深く考察されている。

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    2011年09月24日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    もののけ姫のタネ本と聞いて手に取った。内容は、日本中世(鎌倉〜室町)において、「無縁」「公界(くがい)」「楽」と呼ばれるアジール(世俗権力や権利義務関係から絶縁している場所)が存在し、そこでは有縁の関係から離れた無縁の人々が活発に生きていた、という事を資料に基づき説いていくというもの(読み込めてないので正しくないかも)。

    自分は日本史にまったく明るくないので読むのには苦労したが、興味深い内容も多かったので楽しめた。

    本書は著者が学生から発せられた「天皇はなぜ滅びなかったのか?」「なぜ平安末・鎌倉時代にのみ優れた宗教家が輩出したのか?」という問いに対するひとつの試論として書かれている(pp.

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    2011年07月17日
  • 増補 無縁・公界・楽

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    こんにち子どもたちのあいだに残っている「エンガチョ」、江戸時代に妻が尼となり強制的に離婚するために駆け込んだ「縁切寺」、罪人がそこに逃げ込めば基本的に罪科を逃れられるという「駈込寺」などと列挙していき、主に戦国時代の「無縁所」という、世間との縁をいったん断ち切って内部での平和を保証する一種の聖域=アジールを浮かび上がらせる。
    そしてこの無縁所は「公界」ともつながって、その場所の平和を土台として「市」=「楽市」が成立する。
    タイトルだけだとなんだかよくわからないこの本は、知的興奮をよびさます名著である。
    さらに「アジール」=「無縁性」は、どの文明・未開社会においても、普遍的に見られるものであると

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    2011年02月19日
  • 日本社会再考海からみた列島文化

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    海にまつわる膨大な資料に現れる”海人”、”網人”・・・という表記を見ていると、11世紀前後に南西諸島以南を”鬼界ヶ島”と認識しているのに、同時期の「小右記」に現れる”奄美島”(p96/p212)を現在の奄美と認識するのに大きな疑問がわいてきます。
    また、”十四世紀までの西日本の社会に広くみられる女性の公的な地位への「進出」”を”卑弥呼のような女性の首長を積極的に認める社会的な背景、伝統が生きていた、と推測”する部分も、奄美のウナリ神信仰に繋がるような気がしました。
    急ぎ足で読みましたが、「日本論の視座」(同著)も一緒にもう一度読み直す必要があるようです。

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    2011年01月11日
  • 中世の非人と遊女

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    ちょっと興味があったので、買って見ました。
    当時の遊女というか、芸能関係者について、知りたいなと。

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    2009年10月04日
  • 増補 無縁・公界・楽

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     冒頭で筆者は、子供時代のエンガチョの遊びや、江戸時代の縁切寺などの「縁切り」の例を挙げ、縁切り=自由、縁切り寺=アジール(避難所)という捉え方を提示する。そしてそのような「自由」の原理が以前にはもっと生き生きと活動していたのではないか、という問題意識の下で、中世、古代、さらには未開社会における「自由」のあり方を探っていく。
     その結果明らかにされるのが、本書の表題でもある無縁・公界・楽と呼ばれる原理である。それは無主・無所有の思想が貫徹されているという意味でアジール、さらには一種の理想郷であり、未開・文明を問わず、世界の諸民族に共通して見られる。そのようなアジールの形態には3段階の変遷がある

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    2009年10月04日
  • 異形の王権

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    鎌倉幕府を倒し「建武の新政」をおこなった後醍醐天皇を、旧来の天皇支持基盤(専ら貴族)を解体・再構築し、武士や楠木正成のような悪党までを取り込もうとした「異形の王者」としてえがく。世界歴史でも摩訶不思議な「天皇」という存在とはなんなのか、ここに謎のヒントがありそう。

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    2009年10月04日