網野善彦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
江戸時代、夫と別れたい妻は縁切り寺に駆け込んだということは高校の日本史でも習う事実である。著者、網野善彦氏はこの縁切り寺のような世俗から断絶したアジール(=聖域)は日本に昔から存在したことを証明していく。そのような場は、タイトルである「無縁」「公界」「楽」などと呼ばれていた。そこでは例えば、世俗の身分から切り離されていた、犯罪者の駆込場となっていた、税金の徴収を免れていたなどの特徴を有していたことが示される。わたしたちは「自由」や「平等」といった西欧的価値観を深く深く内面化している。わたしはそれらヨーロッパ(もっといえばヨーロッパ近代)の価値観がどれほど普遍性を持っているのか、西欧と接触する以
-
Posted by ブクログ
最初に「えんがちょ」とか「すいらいほうらい」という自分が育った藤枝でやっていた、子供の時の遊びから始まったので、簡単なエッセイかと思ったら、全然違う。
駆け込み寺のような公の権力の及ばない、世界、無縁・公界・楽などの視点から、日本の中世史を分析している。
(1)堺などの自由都市というのも、むしろ公の権力の及ばないところ、無縁の世界と考えることもできるらしい。
(2)市場、網野さんは市庭というのも、無縁性があった区域らしい。
(3)河原の中州、山林、寺院、墓所など、一種のけがれの空間から無縁の世界、人々が始まったという考え方は、おもしろい。
白川静先生が、孔子伝で、孔子は葬祭をあ -
Posted by ブクログ
もののけ姫のタネ本と聞いて手に取った。内容は、日本中世(鎌倉〜室町)において、「無縁」「公界(くがい)」「楽」と呼ばれるアジール(世俗権力や権利義務関係から絶縁している場所)が存在し、そこでは有縁の関係から離れた無縁の人々が活発に生きていた、という事を資料に基づき説いていくというもの(読み込めてないので正しくないかも)。
自分は日本史にまったく明るくないので読むのには苦労したが、興味深い内容も多かったので楽しめた。
本書は著者が学生から発せられた「天皇はなぜ滅びなかったのか?」「なぜ平安末・鎌倉時代にのみ優れた宗教家が輩出したのか?」という問いに対するひとつの試論として書かれている(pp. -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
現代の日本人・日本国は、いかなる経緯をへて形成されたのか―。
周辺諸地域との海を通じた切り離しがたい関係のなかで、列島に展開した地域性豊かな社会と「国家」とのせめぎあいの歴史を、社会の側からとらえなおす。
十数年にわたる学問的営為の結実した本格的通史。
上巻は列島の形成から九世紀(平安時代初期)まで。
[ 目次 ]
第1章 原始の列島と人類社会
第2章 首長たちの時代
第3章 国家形成への道
第4章 「日本国」の成立と列島社会
第5章 古代小帝国日本国の矛盾と発展
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ スト -
Posted by ブクログ
こんにち子どもたちのあいだに残っている「エンガチョ」、江戸時代に妻が尼となり強制的に離婚するために駆け込んだ「縁切寺」、罪人がそこに逃げ込めば基本的に罪科を逃れられるという「駈込寺」などと列挙していき、主に戦国時代の「無縁所」という、世間との縁をいったん断ち切って内部での平和を保証する一種の聖域=アジールを浮かび上がらせる。
そしてこの無縁所は「公界」ともつながって、その場所の平和を土台として「市」=「楽市」が成立する。
タイトルだけだとなんだかよくわからないこの本は、知的興奮をよびさます名著である。
さらに「アジール」=「無縁性」は、どの文明・未開社会においても、普遍的に見られるものであると -
Posted by ブクログ
海にまつわる膨大な資料に現れる”海人”、”網人”・・・という表記を見ていると、11世紀前後に南西諸島以南を”鬼界ヶ島”と認識しているのに、同時期の「小右記」に現れる”奄美島”(p96/p212)を現在の奄美と認識するのに大きな疑問がわいてきます。
また、”十四世紀までの西日本の社会に広くみられる女性の公的な地位への「進出」”を”卑弥呼のような女性の首長を積極的に認める社会的な背景、伝統が生きていた、と推測”する部分も、奄美のウナリ神信仰に繋がるような気がしました。
急ぎ足で読みましたが、「日本論の視座」(同著)も一緒にもう一度読み直す必要があるようです。 -
Posted by ブクログ
冒頭で筆者は、子供時代のエンガチョの遊びや、江戸時代の縁切寺などの「縁切り」の例を挙げ、縁切り=自由、縁切り寺=アジール(避難所)という捉え方を提示する。そしてそのような「自由」の原理が以前にはもっと生き生きと活動していたのではないか、という問題意識の下で、中世、古代、さらには未開社会における「自由」のあり方を探っていく。
その結果明らかにされるのが、本書の表題でもある無縁・公界・楽と呼ばれる原理である。それは無主・無所有の思想が貫徹されているという意味でアジール、さらには一種の理想郷であり、未開・文明を問わず、世界の諸民族に共通して見られる。そのようなアジールの形態には3段階の変遷がある -
Posted by ブクログ
今年(2004年)2月27日に亡くなった網野善彦の代表作。縁切寺や子どもたちの「エーンガチョ!」に見られるような「無縁」の原理は、原始のかなたから生きつづけているものだという、人類学的な拡がりを見せる日本中世史の本。普通は「縁」こそが日本独自の共同体の論理だと思われているが、「無縁」もまた「公界」という公共の領域を作り、「楽」と言われるように一種の自由を享受していた。しかし、その自由は近世になるにつれて「縁」の論理のうちに取り込まれていき、差別として固定化されていく(つまりエタ・ヒニン)。網野善彦がこの「無縁」の論理に一種の「希望」を見出し「自由」と形容したことに、抵抗と共感の両方を感じる。つ
-
Posted by ブクログ
もとは、川端康成などの小説に出てくる社会からはみ出た女性たちの存在に興味をもち、こういった女性はどこから出てきたどうゆう身分の人たちなのか不思議に思ったのがきっかけ。だから本書を読むにあたって一番期待したのは非人ではなく遊女だったが、読み終わってみて、主題は非人、遊女はどちらかというとオマケだと気づいた。
近現代で差別の対象となった/なっている人たちの根源をさぐろうとするのが狙いなのか何なのか、とにかく種々の被差別民が登場する。今の被差別民は古代、すくなくとも中世までは職能民であり、その身分は天皇大王によって保障されていた、つまり元は被差別民どころか神聖な身分ですらあったが、室町戦国を境に天皇 -
Posted by ブクログ
-国史なんていっていると、いかに精密にやったって、国家と国旗が日常生活と連動しちゃうんです。そこが困るんですね。日常生活には国家の支配しきれない領域がある(鶴見)。
国家の支配しきれない領域の存在を、海民や職能民の歴史を通じて解き明かそうとした網野善彦。本書は、哲学者・鶴見俊輔との対談。
網野史学(と呼ばれるのを本書では拒否しているが)の仕事を、思想家の立場から解析すると何が見えてくるのか、というところが読みどころ。
少々、年寄りの繰り言のようなページも目立つのだが、現代は「戦前、戦中にはなかった特別の鎖国状態にある」という指摘は頷ける。 -
Posted by ブクログ
1979年に岩波市民講座でおこなわれた講演をもとにした本です。日本の中世史に社会史的な視点をとりいれた著者の関心の中心であったテーマについて、わかりやすく解説がなされています。
著者は、「百姓」ということばが、中世以前には農民だけでなく平民身分の者を広く意味していることに注意をうながし、「日本人」という民族は稲作を中心とする歴史をあゆんできたという理解をくつがえします。そのうえで、中世の平民たちの負っていたいた年貢・公事にかんする事実を明らかにして、彼らの生活の実態にせまっています。
さらに職人の多彩なすがたについてもとりあげられており、東国と西国の職人のありかたのちがいや、差別とのつなが -
Posted by ブクログ
中巻では、平安時代から鎌倉時代の終わりまでがとりあげられています。
平将門の反乱から源氏の台頭を経て、鎌倉幕府が成立するにいたる歴史を一貫したものとしてあつかい、京都を中心とする「西の王権」に対して鎌倉幕府を「東の王権」と位置づけるなど、著者特有の視点が示されています。同時に、この東西にならびたつ二つの王権がたがいにせめぎあいをおこなっていくことで、そのときどきの日本の歴史の局面が生みだされていったことが鮮明にえがかれており、単一の「日本史」という枠組みが解体されていくスリリングな体験をあじわうことができました。
また、非農耕民の営みや芸能にたずさわる人びとの動向、あるいは中世における女性