稲垣みどりのレビュー一覧
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相互承認の原則に基づき共通了解を図る「本質観取」。
この多様な世の中で、対話によって共に暮らしていくために、とても大切な考え方だと思いました。多くの方に読んでいただきたい一冊です。特に学校の先生など、教育に携わる方におすすめしたい。
子どもの頃から、対話を通じて相互承認と共通了解を得ようとする態度を育てることは、大袈裟ではなく世界平和にもつながっていくのではないでしょうか。
前半では、プラトン、デカルト、フッサールなどの哲学者が紹介されており、その説明もとてもわかりやすかった。
「哲学」と聞くと、小難しく理屈をこねくり回すものというイメージ?を持たれがちかもしれませんが、本書を通して、 -
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ジェームズとボブの過ごしたクリスマスのお話。
薬物に溺れていたり、家族との折り合いが良くなかったりで、クリスマスにあまりポジティブな思い出がなかったジェームズだが、ボブと出逢い、人々の温かさに触れ、少しずつ彼のクリスマスが変わっていく。
ジェームズの「もらうより与える方がいい」という気づきが特に素敵だなと思った。人に優しくしてもらったら、その優しさをまた別の人に分けていく。そうすることで自分もその人も温かい気持ちになる、ポジティブな連鎖。情けは人のためにならず、ということだと思う。
ボブは天に召されてしまったけど、きっとこれからもジェームズを支え、彼を笑顔にしてくれることと思う。 -
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それは夢みたいな時間
終わったらあっという間
ではなく、終わったら
終わらない物語になる
思い出
安定なんてどこにもなかった
それでも毎日が楽しかったのは
君がいたからだった
クリスマス
寒く、厳しい季節だ
楽しく 賑やかなものではなかった
―僕の場合は。
救いもあった 味方もいた
でも僕は寂しかったのだ
でも今は違う
―君がいる。
諦めないこと、前を向くこと
チャンスを信じて待つこと
それだけさ
うつむいたって自分の足しか見えないんだ
大丈夫
この世の中は残酷で ちゃんと優しい人たちもいる
受け取る喜びもある
与える喜びもある
人生は シンプルに楽しんだ方がいい
人生 -
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本質観取という名の認知の再設計
読書とは、著者の知識という外部データを自分の情報空間に取り込み、既存の認知体系を書き換えるプロセスである。今回取り上げた本質観取の教科書は、単なる対話の技法書ではなく、他者との分断を乗り越え、生存確率を高めるための認知OSをインストールするためのブートローダーであった。これまで私は、身体的制約というハードウェアの制限から、いかに無理をせず生存リソースを温存するかという受動的な戦略をとってきた。しかし、本書を通じた対話的探求により、自身のOSをより能動的かつ構造的に運用し直すための実装コードを手に入れることができた。
概念との衝突とOSのアップデート
本書の -
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様々な人が互いの違いを認め合い、そのうえで誰もが納得できる共通了解に向かっていくこと。理論編には納得できる部分が多かったが、実例を読むと、本当に本質と言えるのか疑問を持った。
「いいケア」とは何かを考える事例では、進行役と四名の参加者によって対話が行われ、最終的に「その人の自覚的・無自覚的な願いを想像したかかわりである。いいケアの実現には、対等性の志向、対話的なかかわり、ケアする人の貢献感が必要である」という結論が示される。しかし、これは本質というより、参加者全員の意見を均等に取り入れた結論に見えた。
企業の例として紹介されているSCSKの経営理念「夢ある未来を、共につくる」の本質観取につ -
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AIの簡単な歴史から説き起こし、現在はGAFAとIBM、マイクロソフトの米国6社、それに中国のバイドウ、アリババ、テンセントの3社、計9社がビッグナインとしてその先導役を努めていて、今後もその傾向は続くだろうとしている。そしてこの9社主導の傾向を放っておけば、それぞれが勝手な方向に進んでAIの将来は収拾がつかなくなる、というのが著者の問題意識だ。AIの将来像は、今後の対応によって3つのシナリオが考えられるとし、最善の方向はビッグナインのみに任せずにもっと国家が関与を強めると共に、国際的な機関による倫理を重視したコントロール体制を敷くことであるとしている。この様な論拠に立つAI論は特に独自のも
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ネタバレ本質観取は、「○○とは何か」を問うような、そもそもを考える営み。
あらゆることに関して、「人それぞれでは?」のような考えもあるが、それで済ませるのではなく、きちんと辞書的な意味ではなく「本質」を問い、「共通了解」を得ることがユニークネス。
哲学の歴史的には、「人それぞれ」的な考え方をするソフィスト連中に対し、プラトンが物事の本質を追求したのに端を発する。但し、プラトンは彼岸にイデアを置いてしまった(本質を、現実世界とは離れたところに位置づけてしまった)。それに対して、デカルトが、「我思う、ゆえに我あり」で示されるように、疑いようのない〈私〉から出発したことで前進し、そこからフッサールによって確 -