あらすじ
自分とは異なる立場や考えの人と、いかに対話し、合意形成していけばよいのか分からない。それどころか、深刻な信念対立を目の当たりにし、対話への希望を失ってしまう。そんな人は多いのではないだろうか。本書は、「本質観取」と呼ばれる哲学の思考法・対話法を、誰もが実践できるようになるための入門書である。「言いっぱなし」でも「論破!」でもない。分断をのりこえ、真に生産的な対話をもたらし、民主主義を成熟させるための対話の極意、奥義とは? 実践で活用できるワークシートや、ファシリテーションのコツなども収録。
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Posted by ブクログ
相互承認の原則に基づき共通了解を図る「本質観取」。
この多様な世の中で、対話によって共に暮らしていくために、とても大切な考え方だと思いました。多くの方に読んでいただきたい一冊です。特に学校の先生など、教育に携わる方におすすめしたい。
子どもの頃から、対話を通じて相互承認と共通了解を得ようとする態度を育てることは、大袈裟ではなく世界平和にもつながっていくのではないでしょうか。
前半では、プラトン、デカルト、フッサールなどの哲学者が紹介されており、その説明もとてもわかりやすかった。
「哲学」と聞くと、小難しく理屈をこねくり回すものというイメージ?を持たれがちかもしれませんが、本書を通して、哲学が民主的な合意形成にも役立つものであることを実感しました。
本書の続編として本質観取の実践集をぜひ出版してほしい!
Posted by ブクログ
実践編はやはり面白かったし、哲学の歴史についてあらためて理解できたのも良かった。
自由とは、美しいとは、といった内容を教師として子どもたちと語るのはなかなか楽しそう。
そして、この本質観取のファシリテーターの在り方はまさに、学校における教員のあるべき姿の縮小図なのではないか?と思った。
共通了解、合意形成、沈黙を許し、考えを止めない…そんな時間を学校で少しずつ増やしていけたらと思う。
Posted by ブクログ
仕事で志向などの違いでほんのり派閥が出来ることがあり、なんかいい対処法ないかなぁ〜
で読み始めた。
という前提だと、なるほどこれは使えるかも、と感じた。「テーマに対する体験や考えを、対話の場にいる人たちの共通項で抽象化したもの、が本質観取である」ように私には読み取れたから。
本当に本質か?は何とも言えないけれど、これで解決することも多いのでは?
Posted by ブクログ
こういう感じが良いよなぁと思っていた話し合い?に名前がついていて大事なポイントも決まってるのかとこの本を読んで知れて輪郭が定まってきたのが良かった。
子供の頃から きちんと本質観取の機会が広まってるのは希望だなと思う。
なぜ対話篇なのか、饗宴なのか、なんだろなーと思っていたのがなるほど!とわかったのも嬉しかった。
本質観取っぽい会話ができる友達が何人かいるので大事にしてこれからも色んなこと話したいなと思えた。
Posted by ブクログ
様々な人が互いの違いを認め合い、そのうえで誰もが納得できる共通了解に向かっていくこと。理論編には納得できる部分が多かったが、実例を読むと、本当に本質と言えるのか疑問を持った。
「いいケア」とは何かを考える事例では、進行役と四名の参加者によって対話が行われ、最終的に「その人の自覚的・無自覚的な願いを想像したかかわりである。いいケアの実現には、対等性の志向、対話的なかかわり、ケアする人の貢献感が必要である」という結論が示される。しかし、これは本質というより、参加者全員の意見を均等に取り入れた結論に見えた。
企業の例として紹介されているSCSKの経営理念「夢ある未来を、共につくる」の本質観取についても同様で、最終的な共通了解は「不可能が可能になる未来を、私たちはみんなで実現する」というものだった。これは元の理念を言い換えただけに近く、前後でどのような理解の深化があったのか分かりにくい。「理念の本質を言葉にできれば、目指す方向が明確になる」と説明されているが、著者が想定する成果の細かさと私が期待したものとの間にずれがあるように感じた。
この二つの例からは、進行役の限界も見えてくる。役割の性質上、意見の選別や切り捨てが難しく、最終的な結論が当たり障りのないものになりやすいように思われる。
「本質観取」は、宮本常一が記録した「寄りあい」と似ている。村で取り決めを行う際、人々が時間をかけて納得するまで話し合い、地域ごとに意見をまとめ、折り合わなければ持ち帰って再度話し合うという過程は、「本質観取」の集団的な理解形成に通じる。語り手が自分たちの体験に基づいて語ることで、他の参加者にも伝わりやすくなり、意見の対立があっても時間を置きながら考え合う点も共通している。
異なるのは、最終的な責任の所在にある。「本質観取」では結論の責任を参加者全体に分散するのに対し、「寄りあい」では最終的に最高責任者が決定する。この違いが、結論の性質にも影響しているように感じた。
Posted by ブクログ
哲学対話の一種の「本質観取」について。哲学対話自体のそもそものあり方がどういったものであるか、それからの発展形としてのテーマの立ち位置など、実践しようとは思わないが話に聞いていたそれらの具体例がわかるように編まれている。
Posted by ブクログ
本質観取は、「○○とは何か」を問うような、そもそもを考える営み。
あらゆることに関して、「人それぞれでは?」のような考えもあるが、それで済ませるのではなく、きちんと辞書的な意味ではなく「本質」を問い、「共通了解」を得ることがユニークネス。
哲学の歴史的には、「人それぞれ」的な考え方をするソフィスト連中に対し、プラトンが物事の本質を追求したのに端を発する。但し、プラトンは彼岸にイデアを置いてしまった(本質を、現実世界とは離れたところに位置づけてしまった)。それに対して、デカルトが、「我思う、ゆえに我あり」で示されるように、疑いようのない〈私〉から出発したことで前進し、そこからフッサールによって確立。具体的には、まず客観的な正解があることを疑い、〈私〉が物事をどう「確信」しているかを問う、というところから、それを積み重ね、〈私たち〉の間に普遍的な確信を見出すアプローチとして成立した。
以下は、具体的な手法となる。
0.テーマ決め。ポイントは、「答えを得られる問い」として設定すること。(→論点設定!!)形而上学的な問いは不適。
1.問題意識の確認と目線合わせ
2.体験例や具体例の出し合い
3.キーワードを見つける
4.本質を言葉にする
5.見つけた本質と、問いなどとの整合性のチェック
何もかもビジネス文脈に結びつけるのは好きではないが、とはいえ本書の発想は、ビジネスと哲学の交差点として、山口周などが訴える領域としてエントリーになりうるのでは、と思った。ハウツー的に映るが、哲学的に物事を考えるきっかけにはなるのではなかろうか。