開沼博のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2011年3月11日の巨大地震→巨大津波→原発事故の巨大複合災害に見舞われた福島県。あれから四年経っていま何が違うのかといえば、それは事実に基づいた福島県のデータが出揃い、複合災害前と後とで比較をできるようになったことである。本書ではそういった前と後の事実をいまわかっている範囲内、復興、人口、農業、漁業・林業、第二次・三次産業、雇用・労働、家族こども、これからの福島という項目で詳細に、でも分かりやすく解説した本である。
まずそもそも福島という単県のことをここまで知る機会はなかったし、語り口があらゆる意味で面白い。その意味では純粋な研究成果というよりかはそこを踏まえ、作者が実際に経験した様々な -
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Posted by ブクログ
「しかし、福島県の漁港への水揚量は9%しか回復していない。」
福島に友達がいて、先月初めて福島県郡山市を訪れた。福島を訪れるまでは、死んだ町のイメージを持っていた。しかし、実際にはたくさんの人がいて活気に溢れていた。純粋に驚いた。そして、自分はメディアのセンセーショナルな報道に強く影響されていたのだと分かった。そこで、福島についてもっと知りたいと思い本書を購入した。
読んだ率直の感想は、驚きだ。今まで福島の食べ物は放射能が怖く、可能な限り避けていた。ところが、実際には危険でないと分かった。また、原発の影響でかなり多くの人が県外に引っ越しただろうと勝手に思っていたら、その割合は2.5%に過ぎ -
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Posted by ブクログ
明確な善意と悪意のぶつかり合いならば目指すべき道筋は見えやすい。しかし、そうでなく、善意同士のぶつかり合いに走った分断線を上手く繋ぐ方法を私達はまだ持ち合わせていない
端的に言えば現在の善意の分断の背景にあるのは、「一つの解がない。にもかかわらず一つの解を求める志向」あるいは「科学的合理性に基づいた複数の解が並立している状況への認識不足」。これを私は近代化の進展の中で現れた、再宗教化とよべる社会現象として捉えている
私達は、その「一つの解を志向する科学」や「それによって作らられる良き社会」という前提自体が一つのフィクションに過ぎないことに気づきつつある
社会の善意の分断を再度つなぎ合わせ -
Posted by ブクログ
戦後の日本において、社会的にグレーな領域が長く存在していましたが、その領域は長引く不況や法的な規制などにより、どんどん淘汰され、もしくは消滅していっているということです。
しかし、そのグレーな境界線上には、また新たな世界が発生しているということでもあります。
つまり、現在の日本社会には、かつて存在しえなかった貧困や共同体や正義的な価値観などが登場し、すでに僕らはそれらに飲み込まれようとしているということでした。
本書は、かつて存在していたグレーでアンダーグラウンド的な社会と、それらが消滅して新たに生まれた社会のルポルタージュでありドキュメンタリーです。
社会学者の著者は、現代社会におい -
Posted by ブクログ
最近話題になった「フクシマ論」の著者の手になるものとは知らずに読んでいた。そして、読み終わってから、著者のプロフィールを見て、ずいぶん若い人なんだなと思った。というのも、本書に盛られた12編のルポが、ベテランのルポライターの作品ように思えたからだ。
著者は、本書について、広い意味での社会学の論文、あるいは社会学的な考察による学術的な意義のある書物として理解されたがっているようだが、(著者も許容するように)ルポルタージュ集として読み、優れたルポだと感じた。ルポの対象は、どれも「周縁的な存在」として位置付けられており、そのようなものであることは十分納得できる。何よりも、自分が知らない世界でありなが -
Posted by ブクログ
ネタバレ開沼博といえばフクシマ論、というほど震災後の論客のイメージだったのだが、この人のフィールドワークは、震災前から「周縁的なもの」に対して、多岐にわたっていたことを改めて気付かされる意欲作。
売春島、ホームレスギャル、シェアハウス、ヤミ金・生活保護、違法ギャンブル、脱法ドラッグ、右翼/左翼、偽装結婚、援デリ、ブラジル人留学生、中国エステ、と、「周縁的な存在」についてのケースレポートを読むだけでもお腹いっぱいだし、正直、1つ1つの事象に興味はあっても、読み進めるうちに「自分にとってはあまりにも現実離れしている」と思う自分がいたのは確かである。筆者はこの書物を1つの旅に見立てているが、私には長旅過