開沼博のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
確かに福島の現状を知るためには今現在の正しい数字という物を理解しておかなければならないと思うが、今だにそれを理解しようとしない人たちもいる。それはそれで難しい問題なのだが数字はきっちりと出していかなければならないだろう。
その点この本は、公平的な立場から福島という地を立ち直そうとする努力がうかがえる。これから福島に対してひとこと申したい立場の人は最低限でも著者の25の数字は理解しておかなければならないだろう。下記に記しておく。
また、地震がなかったとしても自分が本当に福島という地を理解していなかったという事が身に染みて分かった。新しい地方再生の方法も合わせて考え直してみたい。
統計出典や新聞の記事のアドレスが書かれているのは良いのだが、このような本の内容に興味を示す人がすべてそれらにアクセスするとは限らない。著者がどこまでこの情報を共有したいのかは分からないがもう少し簡単にアクセスできる方法はないのだろうか。
たとえば、出版社あるいは著者が持っているサイト、ブログなどに本に掲載されているすべてのアドレス内容をダイレクトに検索できるページを作るとか。著者さん検討お願いします。
久しぶりに福島を福島と書いた本を見た。しかし著者の略歴を見るとかつてはカタカナフクシマを使っている。良い意味、悪い意味どちらにしてもこの表記は好きではない。
科学的な問題だと思うな。これは宗教的な現象としてみるべき問題だ。
良い答えです。
福島を知るための25の数字
1復興予算って何円(2011年以降、五年間で)
25兆円
2震災前に福島県で暮らしていた人のうち、県外で暮らしている人の割合はどのくらい?
約2.5%
3福島県の米の生産高の順位は2010年と2011年でどう変わった?(全国都道府県ランキングでそれぞれ何位)
2010年が4位、2011年が7位
4福島県では年間1000万袋ほどつくられる県内産米の放射線について全量全袋検査を行っている。そのうち放射線量の法定基準値(1㎏あたり100ベクレル)を超える袋はどのくらい
2012年が71 13年が28 14年今のところ0
5精米して炊いた米のセシウム量は玄米の何分の一?
約10分の1
6日本の場合、米や野菜の法定基準値は100ベクレル/㎏ほどだが、米国やEUはそれぞれどのくらい?
EUが1250ベクレル/㎏、米国が1200ベクレル/㎏
7私たちは通常、年間何ミリシーベルト被曝している?
世界平均2.4ミリシーベルト(日本平均2.1ミリシーベルト)
8通常、体内には何ベクレルぐらいの放射性物質がある?
7000ベクレル。そのうち放射線カリウムが4000ベクレル、炭素が2500ベクレルほど
9私たちの体内には放射性カリウムという放射性物質が常に4000ベクレルほど存在しているが、体内の放射性カリウムの量と放射性セシウムの量を同様にするには、法定基準値の5分の1(20ベクレル/㎏)程度のご飯を毎日ごはん茶碗(200g)何杯分くらい食べる必要がある?
75杯
10福島県の漁業の2013年水揚量は、2010年に比べてどのくらいに回復している?(何%)
9% ただし、福島県に所在地を持つ船という基準だと57%
11福島県の材木の2013年生産量(≒林産物素材生産量)は、2010年に比べてどのくらい回復している?(何%)
97.7%
12福島県の一次・二次・三次の割合(産業別就業者数構成比)はどのくらい?(それぞれ何%)
1次7.6%2次29.2%3次60%
13福島県の2013年の観光客(=観光客入込数)は、2010年と比べてどのくらい回復している?(何%)
84.5%
14スパリゾートハワイアンズの客数は3・11前と比較してどのくらい増減している?(何%)
107%
15福島県の2013年修学旅行客数(=教育旅行入込)は、2010年に比べてどのくらい回復している?(何%)
47%
16直近(2014年11月)の福島の有効求人倍率(就業地別)は、都道府県別で全国何位?
1位
17福島県の2013年のホテル・旅館に滞在する「宿泊旅行者」は、2010年に比べてどのくらいに回復している?(何%)
137%
18福島の2013年の企業倒産件数は、2010年の何倍?(一件の負債額1千万円以上の企業)
0.35倍
19「3・11後の福島では中絶や流産は増えた」「3・11後の福島では離婚率が上がった」「3・11後の福島では合計特殊出生率が下がった」のうち、いくつ正しい?
出生率のみ正しい
20福島県の平均初婚年齢の全国順位は?
1位
21今も立ち入りができないエリア(=帰還困難区域)は、福島県全体の面積の何%ぐらい?
2.4%
22原発から20キロ地点にある広野町(3・11前の人口は5500人ほど)には、現在何人ぐらい住んでいる?
5000人以上
23双葉群にできる中間貯蔵施設は東京ドーム何杯分の容積?
18杯分
24福島県の予算は3・11前の何倍くらい?
1.9倍
25福島県の震災関連死は何人ぐらい?
1793人 -
Posted by ブクログ
2011年3月11日の巨大地震→巨大津波→原発事故の巨大複合災害に見舞われた福島県。あれから四年経っていま何が違うのかといえば、それは事実に基づいた福島県のデータが出揃い、複合災害前と後とで比較をできるようになったことである。本書ではそういった前と後の事実をいまわかっている範囲内、復興、人口、農業、漁業・林業、第二次・三次産業、雇用・労働、家族こども、これからの福島という項目で詳細に、でも分かりやすく解説した本である。
まずそもそも福島という単県のことをここまで知る機会はなかったし、語り口があらゆる意味で面白い。その意味では純粋な研究成果というよりかはそこを踏まえ、作者が実際に経験した様々なことを加味して、福島について、これだけは知っておこう、これだけは誤解しないで置こう、これだけはやろう(やらないでおこう)という3つを執拗に主張している本、とも言えると思う。
内容の詳細は読んだほうがよいが、通読して思うのはデマや人の志向性といったものを取り除くことの難しさである。この本に通底しているテーマは人間の認知学であり心理学であり認知バイアスのメカニズムであると思う。そういうメカニズムをよく知って、具体的に自分や他者ががどういう認識やバイアスを持ちうるのか、原発事故はそこはかとなく教えてくれているような気がする。そもそも人にとって知るとは何なのであろうか!?
閑話休題。作者の主張である福島への"ありがた迷惑"をかけず、それでいて福島の為になるような「買う・行く・働く」を私も実践していきたいと思います。 -
Posted by ブクログ
「しかし、福島県の漁港への水揚量は9%しか回復していない。」
福島に友達がいて、先月初めて福島県郡山市を訪れた。福島を訪れるまでは、死んだ町のイメージを持っていた。しかし、実際にはたくさんの人がいて活気に溢れていた。純粋に驚いた。そして、自分はメディアのセンセーショナルな報道に強く影響されていたのだと分かった。そこで、福島についてもっと知りたいと思い本書を購入した。
読んだ率直の感想は、驚きだ。今まで福島の食べ物は放射能が怖く、可能な限り避けていた。ところが、実際には危険でないと分かった。また、原発の影響でかなり多くの人が県外に引っ越しただろうと勝手に思っていたら、その割合は2.5%に過ぎなかった。
原発事故発生後、福島は高度に複雑な放射能の話に飲み込まれ、私の理解を超えていた。故に、そもそも福島について自ら考えるのをやめた。そのため、メディアで報道されている側面のみ知った。この本はデータの基づいた事実を提供してくれる。とても勉強になった。福島の復興が進むよう願う。 -
Posted by ブクログ
明確な善意と悪意のぶつかり合いならば目指すべき道筋は見えやすい。しかし、そうでなく、善意同士のぶつかり合いに走った分断線を上手く繋ぐ方法を私達はまだ持ち合わせていない
端的に言えば現在の善意の分断の背景にあるのは、「一つの解がない。にもかかわらず一つの解を求める志向」あるいは「科学的合理性に基づいた複数の解が並立している状況への認識不足」。これを私は近代化の進展の中で現れた、再宗教化とよべる社会現象として捉えている
私達は、その「一つの解を志向する科学」や「それによって作らられる良き社会」という前提自体が一つのフィクションに過ぎないことに気づきつつある
社会の善意の分断を再度つなぎ合わせるために今求められるのは、自らの考えが唯一最上のものではないことを自覚し、社会に複数の信心が存在する状況を認め、その前提で議論を進めることだ。自らの考えに合わぬものを、蔑み罵り責任をなすりつける宗教紛争の先には、善意の分断の中で現状の課題が忘却され、坦々と維持される未来があるだけだ
事実として「こうである」ということと、自らの信念として「こうあるべき」と思うことを混同してはならない
自分たちが声をあげられる、あるいは自分たちの知識と正しさをひけらかせる機をみつける毎に中途半端に食らいついて安直な希望を語ってみせ、興味がなくなると忘却する。まさに後出しジャンケン性そのものを基盤にしたある種の渡り歩きのデモンストレーションの中で、主要な課題が放置さらたまま今日に至ってしまった。それこそが近代そのものであった。
敗戦後論 加藤典展 ちくま文庫
現地に暮らす人々の声、リアリティを無視した形で、知識人と言われる人たちまでもが、原発推進か反対か、安全か危険かといった二項対立の中で議論している。この構造で問題が整理されていくことが、実は問題をより根深くしてしまう。単純な二項対立の議論で切り捨てられる現場の声、リアリティをきっちりみていかないと、本質に迫ることはできません。
流布している議論は概ね、専門家が他人ごととして、従属化されているひとを善意の目線で分析する枠組みにとどまっている。しかも、その善意の目線が孕む暴力性に非常に鈍感です。
福島を、あるときは都合のいいように他者表象し、またある時な自分のきれいに化粧した善意の顔を映す鏡にして気持ちよくなるのに利用する。311以前には自分自身であったはずの東電や政権を、あたかも他者であるかのように急に叩き、スケープゴートにするというねじれた構造のなかで、問題が論じられている
角田光代 空中庭園 -
Posted by ブクログ
戦後の日本において、社会的にグレーな領域が長く存在していましたが、その領域は長引く不況や法的な規制などにより、どんどん淘汰され、もしくは消滅していっているということです。
しかし、そのグレーな境界線上には、また新たな世界が発生しているということでもあります。
つまり、現在の日本社会には、かつて存在しえなかった貧困や共同体や正義的な価値観などが登場し、すでに僕らはそれらに飲み込まれようとしているということでした。
本書は、かつて存在していたグレーでアンダーグラウンド的な社会と、それらが消滅して新たに生まれた社会のルポルタージュでありドキュメンタリーです。
社会学者の著者は、現代社会においてこれまで社会にあった「色」が失われていこうとする社会を「漂白される社会」と名付けています。
ぼくは自由で平和な個人主義の中で多様化した社会を生きており、その多様性は増殖していると思っていましたが、実は社会は単一的な社会に吸収されつつあるのだと感じました。
共通番号制度もそうですが、社会が高度化し成熟するということは世の中の大半の人にとっては生きやすい社会を目指すということなのでしょうが、割り切れない世界があるのも事実で、漂白された社会は、僕にとって生きやすいのか考えました。 -
Posted by ブクログ
最近話題になった「フクシマ論」の著者の手になるものとは知らずに読んでいた。そして、読み終わってから、著者のプロフィールを見て、ずいぶん若い人なんだなと思った。というのも、本書に盛られた12編のルポが、ベテランのルポライターの作品ように思えたからだ。
著者は、本書について、広い意味での社会学の論文、あるいは社会学的な考察による学術的な意義のある書物として理解されたがっているようだが、(著者も許容するように)ルポルタージュ集として読み、優れたルポだと感じた。ルポの対象は、どれも「周縁的な存在」として位置付けられており、そのようなものであることは十分納得できる。何よりも、自分が知らない世界でありながら、決して完全にアンダーグラウンドというわけでもなく、目に入っても見えないか見えないふりをする不可視化されたものを掘り起こしていて、とても興味深い。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ開沼博といえばフクシマ論、というほど震災後の論客のイメージだったのだが、この人のフィールドワークは、震災前から「周縁的なもの」に対して、多岐にわたっていたことを改めて気付かされる意欲作。
売春島、ホームレスギャル、シェアハウス、ヤミ金・生活保護、違法ギャンブル、脱法ドラッグ、右翼/左翼、偽装結婚、援デリ、ブラジル人留学生、中国エステ、と、「周縁的な存在」についてのケースレポートを読むだけでもお腹いっぱいだし、正直、1つ1つの事象に興味はあっても、読み進めるうちに「自分にとってはあまりにも現実離れしている」と思う自分がいたのは確かである。筆者はこの書物を1つの旅に見立てているが、私には長旅過ぎた、という感じか。
しかし、終章での筆者が述べる結論ともいえる主張には、ある種の怒りや告発が込められた勢いのある文章が展開する。
私たちは、「周縁的な存在」を「理解できないが、興味がある」ものとして認識する。豊かさと自由を得ている我々は、「快との接続可能性が高度化した社会」かつ「不快との共存が許容されなくなった社会」に生きており、この前提では「葛藤する」ことを拒否し、「葛藤し合うもの=あってはならないもの」を社会から排除・固定化、不可視化しようとする。
だから、そのような「葛藤」が震災・津波・原発のような形で視界の中に入ってきても、「絶対悪」をでっちあげて、過剰に批判し、過剰に感傷に浸ってみせる。
社会は複雑であるが、我々は、信頼や信仰という概念によって複雑化した社会をシンプルにしたいのだ。多数の人が選ぶ選択をすることでアディクショナルに「自由・平和(のようなもの)」を求めたとしても、現代に安全などはない。危険やリスクは回避しようとしても逃れられない。リスクを「周縁的な存在」に分配し、排除・不可視化しても、そうした「漂白」は無限に増殖し、続いてゆく。
すべての人間の「欲望」は薬物依存のように「アディクティブ」である。もはや市場原理だけでなく、この社会そのものが、人の「安心・平和・自由」などの「心地よい言葉」のアディクティブな希求で充満している。
開沼さんのこの本が、「震災後の社会」を意識してかかれていることは明白である。我々自身、いつ「周縁的な存在」として不可視化される側に立つことになるかわからない。書物を通して一人一人が「葛藤する」経験をすることもまた大事なことだ。