岸田文雄の安倍晋三への弔辞泣いた
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480P
★4.5・・・3053
安倍晋三 回顧録
by 安倍晋三、橋本五郎、尾山宏、北村滋
第1次内閣で内閣広報官を務めていた長谷川榮一氏の誘いで、2008年春に高尾山に登ったことが大きい。そこで多くの人から声をかけられました。「安倍さん元気になったんですか」とか「頑張ってください」と激励されました。それが自信を回復することにつながりました。厳しくマスコミに叩かれ、自信も誇りも砕け散った中から、だんだんともう一度挑戦しようという気分が湧いてきました。
皇室の政治利用とは、 牽強付会 の議論ですね。欧州ではどこの国も王族が前面に出ていますよ...続きを読む 。 まず 13 年3月に、IOCの評価委員が視察名目で東京に来たんです。IOCって、訪問した国々で大歓待されているのですよね。それもどうかと思うのですが、その時の晩餐会に、高円宮久子妃に来ていただきたい、とお願いしたのです。亡くなられた高円宮憲仁親王は、非常にスポーツに造詣が深かったから。首相主催の晩餐会ですが、こういう社交の場は、私なんかではダメで、やはり皇室の存在感が圧倒的だろうと。でも、宮内庁は、五輪招致に利用されると慎重だった。そこを何とかお願いして、高円宮妃にスピーチしていただいたのです。
麻生さんとは、人間的に肌が合うんですよ。お互い政治の世界で育ったという環境も影響しているのでしょう。首相時代は、漢字が読めないとかさんざん批判されましたが、ものすごい教養人です。歴史に造詣が深く、読んでいるのも漫画だけではないのだけど、自分を悪い人間のように見せようとするのです。あれは、もったいないですよ。自然に振る舞えばいいのに。彼は毛筆で手紙を書くじゃないですか。あんな政治家ってもう最後ですよね。
メルケルは、英語が堪能であるにもかかわらず、ドイツ語で演説したそうです。私の祖父は日本語で演説したのですが、母国語で演説した場合、同時通訳の何となく感情を殺した、淡々とした話しぶりが、気持ちが籠もっていない感じに受け止められてしまうのではないか、と思ったのです。だから英語で話そうと決めたのですが、やはり大変でした。
私を支持してくれる保守派の人たちは、常に100点満点を求めてきますが、そんなことは政治の現場では無理なんですよ。だから、ある程度バランスをとるために、 21 世紀構想懇談会を設置して有識者の意見を聞いたのです。その意味では、政治史に詳しい北岡伸一国際大学長がふさわしいだろうと考えて、座長代理という立場でとりまとめをお願いしました。
戦後の節目で出す談話は、政治文書であって、歴史ではないのです。だから、戦略的なものだと私の支持者には説明したのですが、「なんだ、安倍晋三は。気骨がないじゃないか」とさんざん怒られましたね。ただ、時が経ち、もう一度談話を読んでみると、いかに練られた文章だったかと分かってくれる学者もいます。リベラルな人は、元々、私に対する期待値が低いから、ここまでやってくれたのか、と当時評価されました。付言すれば、「期待値を上げすぎない」ということは政権運営の要諦だと思っています。
14 年2月にロシア・ソチで冬季五輪が開かれました。ただ、ロシア政府が前年、同性愛を宣伝したら罰金を科すといった性的マイノリティに対する規制を強化していたため、欧米各国が「人権侵害につながる」と反発し、オバマやフランソワ・オランド仏大統領らは開会式を欠席しました。各国がボイコットする中、これはチャンスだと思って私はソチ五輪の開会式に出席し、日露首脳会談を行いました。
世界中のメディアが、米国で格差が広がったことで、ミシガンやオハイオなど中西部のラストベルト(さびついた工業地帯) の白人労働者が、トランプを支持したと分析していました。でも、私は、エリート層にも相当のトランプ支持者がいたのではないかと思います。そうでなければ、あれほど強く公約を推し進められなかったはずですよ。
小池さんは、常にジョーカーです。手札の1から 13 の中にはないのです。ジョーカーのカードなしでも、トランプの多くのゲームは成り立つのだけれど、ジョーカーが入ると、特殊な効果を発揮してくる。ある種のゲームでは、グンと強い力を持つ。スペードのエースよりも強い。彼女は、自分がジョーカーだということを認識していると思います。ジョーカーが強い力を持つには、そういう政治の状況が必要だね、ということも分かっている。
小池さんはいい人ですよ。いい人だし、人たらしでもある。相手に勢いがある時は、近づいてくるのです。2016年に知事に就任した当初は、私の背中をさすりながら話しかけてきて、次の衆院選では自民党の応援に行きますからね、とまで言っていたのです。 しかし、相手を倒せると思った時は、バッとやってきて、横っ腹を刺すんです。「あれ、わき腹が痛いな」とこっちが思った時には、もう遅い。 彼女を支えている原動力は、上昇志向だと思いますよ。誰だって上昇志向を持つことは大切です。でも、上昇して何をするのかが、彼女の場合、見えてこない。上昇すること自体が目的になってしまっているんじゃないかな。
彼女の弱点は、驚くほど実務が苦手な点です。2020年の話になりますが、新型コロナウイルスの感染者が続出していた新宿・歌舞伎町で、保健所と警視庁がホストクラブや風俗店を巡回しました。最初、小池さんに連絡し、「警察官と保健所職員でやりませんか」と打診したのです。保健所は、区が管轄しているとはいえ、東京都が人事を決めていますから。小池さんは「うーん」と考え込んで、その後、「国でやってください」と言ってきたのです。だから政府ですべて調整して実施することにしました。保健所には人員の余裕がないというので、警察官のOBを保健所で臨時に採用するという手続きを取って、巡回してもらいましたが、小池さんは一切協力してくれなかった。
一方、小池さんの発信力はものすごい。とにかく、命名もメディアの使い方もうまいですよ。感染が拡大すると、記者会見では「ステイホーム」や「東京アラート」を呼びかけて、「やってる感」を出すのですね。「実務をこなしているのは、政府なんだけれどなあ」と随分思いました。手強い相手です。
父方の祖父の安倍 寛 は、戦後すぐに他界しているから、私は直接知らないけれども、私の親父を含めて周囲の人はみんな、安倍寛の話をしていたのです。反戦の政治家でリベラルの象徴のような存在でしたが、その影響を受けている面もあるかもしれません。
オバマ政権時代の2014年にも、大統領と拉致被害者家族の面会は実現しています。ただ、オバマ政権は拉致問題について、日本の立場は支持しているのですが、核・ミサイル問題とは異なるという認識なんです。拉致は日本の問題だという捉え方をしていました。だから、先方の希望で、面会する家族は数人に限定されたのです。ショーアップしたくなかったのでしょう。 17 年のトランプ来日時は、日本の注文通りに米側が応じてくれました。写真撮影も認めてもらった。前回のオバマ大統領の時は、立ったままでの面会だったので、トランプとは座った形にしてもらいました。人数も 17 人と増やしてね。トランプは報道陣に「被害者が愛する人のもとに戻れるよう、シンゾウと力を合わせていきたい」と述べていました。
拉致被害者家族を政治利用しているという人がいたのだけれど、全く違いますよ。米国と一体となって拉致問題を解決するというメッセージを北朝鮮に出すためなのです。そういうインパクトを考えて、被害者家族と大統領の面会をセットしたのです。
欧米では、アダムが知恵の木のリンゴを食べて労働の苦役を与えられたように、働くことは、罰のようなものです。でも、日本は労働を肯定的に受け止めてきた。だから、割と若い世代の経営者からも、働き方改革を実現したら、経済が持たなくなるのではないか、といった冷ややかな意見が出ていました。でも、ワークライフバランスを考えて仕事と生活の調和を図り、いろいろな働き方を選択できるようにすれば、人生は豊かになるし、同時に企業の生産性が上がっていく可能性がある。改革を行う時に反対論はつきものですから、気にしませんでした。
世の中には「残業自慢」という言葉があるでしょう。もちろん、本当に忙しい時もありますが、割と暇な日もありますね。実は私もサラリーマンだった時などは、 17 時の終業で帰宅せず、だらだらと残業していたことがあったのです。何となく、皆が帰らないから、という理由でね。そうした風潮を改めることで生産性が向上するならば、厳しい改革に踏み込むべきでしょう。
FOIPは、長年温めてきてでき上がった構想です。まず、 06 年の第1次内閣発足前に出版した『美しい国へ』(文春新書) の中で、インドとの関係を重視する方針を掲げたのがきっかけです。インドは、日本と歴史認識の問題を抱えていないし、自由や民主主義といった普遍的価値を共有している。ならば協力を深めることができるはずだ、という考えが根底にありました。
インドは欧米にとっては厄介な国なのです。非同盟中立と言いながら、冷戦期には対中戦略からソ連に接近し、その後も武器はロシアから買っているわけです。英国をはじめとする欧州のアングロサクソンによる支配への反感があるのでしょう。欧米は、インドにやや手こずっていました。
一方、インドにとって、日本は特別な存在なのです。1957年に祖父の岸信介首相はインドを訪問していますが、この時同行した通訳から聞いた話で、首脳会談の時、ニューデリーの官邸の前には人が群がっていたそうなのです。当時のジャワハルラール・ネルー印首相は祖父と会談後、「群衆を前に演説するので、ついでにあなたを紹介しよう」と言って祖父を連れていった。そこでネルーは「岸は、かつてロシア帝国との戦争に勝った国の首相だ。日本は、我々に英国と戦い、独立を勝ち取る勇気を与えてくれたんだ」とスピーチし、拍手喝采を浴びたそうです。
中国と親しい国であれば、私が中国の悪口を言っていることを告げ口するでしょう。それは百も承知で、あえて言うのです。 なぜかというと、これは勘でしかありませんが、中国という国は、こちらが勝負を仕掛けると、こちらの力を一定程度認めるようなところがあるのではないか、と思うのです。日本もなかなかやるじゃないか、と。そして警戒し、対抗策を取ってくる。 中国との外交は、将棋と同じです。相手に金の駒を取られそうになったら、飛車や角を奪う一手を打たないといけない。中国の強引な振る舞いを改めさせるには、こちらが選挙に勝ち続け、中国に対して、厄介な安倍政権は長く続くぞ、と思わせる。そういう神経戦を繰り広げてきた気がします。将棋を指しても、盤面をひっくり返すだけの韓国とは、全く違います。
訪中前に、国家安全保障会議(NSC) で二度議論したのです。協力するかどうかね。外務省は一貫して反対でした。私も、かつては警戒していたのだけれども、日本がアフリカまでどーんと道路を造れますか。それは無理でしょう。だったら、中国に取り組んでもらえばいいではないか、と考えたのです。 中国は、アフリカなどで事業を受注するために酷いことをしているわけです。政府高官に賄賂を贈り、ベンツを買ってあげて、大統領の宮殿を造っているわけでしょう。日本の援助は綺麗です。だから、受注競争では勝てないのです。かつてある中東の高官から、「日本も中国の援助の手法を学んだ方がいい。やっぱり権力者を喜ばせなきゃダメだ」と言われたことがあったのですが、そんなことはできない。
大法院の主張は、理解不能でしょう。 盧武鉉 政権は2005年、日韓間の協定を見直す「官民共同委員会」を設置しましたが、結局、戦時労働者への補償は、日本から受け取った賠償金に含まれる、と結論づけました。さらに、かつての朴政権は日本からもらった資金をインフラ整備に使いすぎたから、もっと徴用工の遺族らに使うべきだと決めて、韓国政府自ら、追加補償を実施したわけです。その委員会には、当時、大統領府で首席秘書官だった文在寅大統領が、政府委員として参加していたわけです。文大統領は、韓国大法院の判断が国際法違反だと分かっているはずなのですが、反日を政権の浮揚材料に使いたいのでしょう。文大統領は確信犯です。
中韓、とりわけ最近は韓国ですが、歴史問題を取り上げて国際社会で日本を貶める外交を続けています。元慰安婦問題でも、慰安婦を象徴する少女像を世界のあちらこちらに設置しています。歴史を巡る戦いでなぜこれほど日本は弱いのでしょうか。
外務省が戦ってこなかったのは事実です。歴史問題は、時が経てば風化していくからやり過ごそう、という姿勢だったのですね。でも、それでは既成事実化してしまいます。だから安倍政権になって相当変えました。劣勢をはね返そうとしたのです。国境や領土は断固として守る、中韓は国際法を遵守せよ、という主張を強めたのです。韓国大使はもちろん、元慰安婦を象徴する少女像が設置されたドイツの大使らにも、明確に指示しました。「劣勢でも戦え。テレビに出て堂々と反論しろ。ゆったりワイン飲んでいる場合じゃないぞ」と。
そこで私は、正直にこの協定の話をした上で、「私とトランプの極めて良好な関係を考えれば、仮に私とウラジーミルの間で「米軍基地を北方領土には置かない」と約束しても、トランプが怒ることはないでしょう。そもそもトランプは、在日米軍基地の負担が重い、と文句を言っているくらいですから」と言って説得したのです。この時はプーチンも「分かりやすい。問題ない」と納得してくれていました。
「令」は、命令の「令」だという人もいましたね。でも、令には「良い」という意味があるし、敬称で使うこともある。「安倍の命令みたいだ」という人は、難癖を付けたかっただけです。 国書といっても、漢字は中国発祥だろうという人もいました。それなら漢字をやめて、全部平仮名にしたら元号にふさわしいのか、ということです。どこまで日本人は自虐的なんだと啞然としました。
外務省幹部は「総理からトランプに直接お願いしてみてください」と言う。「え、その調整、俺がやるのかよ」とは思いましたが、昼間、ゴルフ場でトランプに頼んだら、OKと言う。 彼の車で発進すると、歩道にいた大勢の人が手を振ってくれていたのです。トランプがそれを見て、「みんな手を振っているけど、シンゾウに振っているのか? それとも私に振っているのか」と聞いてきたので、「車に星条旗がたなびいているのだから、あなたに振っているんですよ」と答えた。すると嬉しそうにトランプも手を振るわけです。「でも、向こうから車内が見えないだろう」と言って、車内のライトをつけた。すると前に座っていたシークレットサービスが「ダメだ、電気を消して」とたしなめるのです。ビーストは2台で走っていて、どちらに大統領が乗っているか分からないようにしているのですが、その意味がなくなっちゃうというわけです。
世界有数の産油国であるイランは、日本にとって重要な石油供給国です。百田尚樹さんのベストセラー『海賊とよばれた男』にも描かれているように、日本人は戦後、イランを支配していた英国の反発を押し切って、イランから原油を買い付け、貧窮していた地元の人々を助けたわけです。日イランはそういう良好な関係にあります。世界最大級と言われるイランのアザデガン油田の開発にしても、日本は権益を保持していたのに、米国のイラン制裁強化で撤退を余儀なくされた。そして日本の代わりを中国企業が穴埋めし、開発契約をイランと結んでしまった。日イラン関係を放置しておくのは、あまりにももったいないでしょう。
── トランプ大統領は日本の立場を理解してくれましたか。 トランプに事前に説明したところ、「日本はイランとの関係を切らない方がいい」と言われました。日本が中東で大規模に活動する必要はない、という考えでした。
第1次内閣は、 06 年9月 26 日に高い支持率で華々しくスタートしたにもかかわらず、厳しい批判を浴び続け、わずか1年で退陣しました。この失敗は非常に大きかったと思います。あの1年間は、普通の政治家人生の 15 年分くらいに当たるんじゃないかな。 その経験があったからこそ、第2次内閣以降、政権を安定させることができたのでしょう。第2次内閣が発足した 12 年 12 月 26 日、再び官邸に入った時には、同じ過ちは繰り返さないという思いを強く持っていました。
私は、小泉純一郎元首相には、いくつもポストに就けてもらいましたが、育てられたとは思っていません。私を官房副長官にしてくれたのは、森喜朗元首相です。森さんの後継の小泉さんは、引き続き私を副長官にしましたが、それは、小泉さんや私が所属していた派閥・清和政策研究会の中から、不満が出ないようにするためだったと思います。清和研の中には、かねて福田赳夫派と安倍晋太郎派がある。その対立を抑えるために、福田康夫官房長官、安倍晋三官房副長官の体制を取っただけだと思いますよ。 その後、小泉さんが私を幹事長にしたのは、自民党支持者の中で私の人気があったから、それを選挙目当てで利用しようと考えたわけでしょう。だって、当選3回で幹事長に抜擢って、私よりベテラン議員の方が圧倒的に多いのに、やり過ぎですよ。育成という面で考えたら、不適切でしょう。甘利さんらが副幹事長として支えてくれなければ、乗り越えることはできませんでした。
第1次内閣で掲げた理念、あれはあれで正しかったと思います。第1次内閣の最初の所信表明演説では、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた『美しい国、日本』」を目指すと訴えました。「美しい国」とは、文化、伝統、自然、歴史を大切にし、自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国だと唱えました。この演説は、国家観や時代認識を堂々と示していたと思います。
インターネットを活用し、世界各国の動向を知る若者は増えました。そうなると、抑止力と対処能力を高めて国の安全を守るのは、国際社会では当たり前なのだということに気づきます。国益を守るために、時にはハードライナー(強硬路線) で進まなければならないと、彼らは知ったわけです。 もちろん主張の偏ったサイトばかり見ていたら、考え方が硬直的になり、非常に危うい。そういうネットの問題は無視できません。ただ、日本では、あらゆる主義主張がネット上にあふれています。いろいろな情報に触れていく中で、しっかりとした国家観を養っていく若者も多いと思います。
第2次内閣で再登板してからは、北海道から沖縄まで9地域すべてをプラスにすることを目指しました。そのために、観光産業を伸ばすことに努めました。輸出型企業の工場がなくても、風光明媚な景色や文化財があれば、観光産業は潤います。だから、北海道や四国にもインバウンドで多くの外国人が訪れ、景気と雇用に大きく貢献したわけです。
女性を積極的に登用します。2020年には、あらゆる分野で指導的地位の3割以上が女性となる社会を目指します。そのための情報公開を進めてまいります。まず 隗 より始めよ。国家公務員の採用は、再来年度から、全体で3割以上を女性にいたします。 すべての女性が、生き方に自信と誇りを持ち、持てる「可能性」を開花させる。「女性が輝く日本」を、皆さん、ともに創り上げようではありませんか。
若者たちには、無限の「可能性」が眠っています。それを引き出す鍵は、教育の再生です。 いじめで悩む子どもたちを守るのは、大人の責任です。
「日本人はもっと自信を持って、自分の意見を言うべきだ」 立命館アジア太平洋大学でミャンマーからの留学生ミンさんがこう語ってくれました。教授も、学生も、半分近くが外国籍。文化の異なる人々との生活は、日本の若者たちに素晴らしい刺激となっています。 2020年を目標に、外国人留学生の受け入れ数を2倍以上の 30 万人へと拡大してまいります。国立の8大学では、今後3年間で外国人教員を倍増します。
やれば、できる。次は2000万人の高みを目指し、外国人旅行者に不便な規制や障害を徹底的に洗い出します。フランスには毎年8000万人の外国人観光客が訪れます。日本にもできるはず。2020年に向かって、目標を実現すべく努力を重ねてまいります。 「日本人のサービスは世界一」 1000万人目として、タイから来日したパパンさんの言葉です。日本のおもてなしの心は外国の皆さんにも伝わっています。昨年は富士山や和食がユネスコの世界遺産に登録されました。日本ブランドは、海外から高い信頼を得ています。 観光立国を進め、活力に満ちあふれる地方を、皆さん、創り上げようではありませんか。
伊豆大島への災害派遣。活動中にご 位牌 を発見した自衛隊員は、泥を自らの水筒の水で洗い、きれいに拭き取りました。その様子をテレビで見た方から自衛隊に手紙が寄せられました。 「本当に涙が出ました。あの過酷な条件の中で自衛隊員の心のやさしさに感動しました」 その手紙は、こう続きます。 「私はもう 80 歳になりますが、戦争を知っている世代としては最後の世代ではなかろうかと思います。このように 逞しく、また、心やさしい自衛隊員がおられる日本は安心です」 自衛隊は、何物にも代え難い国民の信頼を勝ち得ています。黙々と任務を果たす彼らは、私の誇りです。
日本の自衛隊を日本だけでなく、世界が頼りにしています。世界のコンテナの2割が通過するアデン湾でも海賊対処行動に当たる自衛隊、海上保安庁は、世界から高い評価を受けています。
今月、アフリカ3か国を訪問しました。力強く成長するアフリカは、日本外交の新たなフロンティアです。日本は、インフラ、人材育成といった分野で、アフリカの人々のため一層の貢献をしてまいります。 アフリカの人々のため。 87 年前、アフリカに渡った一人の日本人がいました。野口英世博士です。 「志を得ざれば再び 此地を踏まず」 故郷・福島から世界に羽ばたき、黄熱病研究のため周囲の反対を押し切ってガーナに渡り、そしてその地で黄熱病により殉職。人生の最期の瞬間まで、医学に対する熱い初心を貫きました。 我々が国会議員となったのも、「志を得る」ため。「この国を良くしたい」「国民のために力を尽くしたい」との思いからであったはずです。改めて申し上げます。
コロナウイルス対策につきましては、今年の1月から正体不明の敵と悪戦苦闘する中、少しでも感染を抑え、極力重症化を防ぎ、そして国民の命を守るため、その時々の知見の中で最善の努力を重ねてきたつもりであります。それでも、残念ながら多くの方々が新型コロナウイルスにより命を落とされました。お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 今この瞬間も患者の治療に全力を尽くしてくださっている医療従事者の皆様にも、重ねて御礼申し上げます。
岸田文雄首相 ────[2022年9月 27 日 国葬]
私は、外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友として、あなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に、一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとすることでしょう。 国内にあっては、あなたは若い人々を、とりわけ女性を励ましました。子育ての負担を少しでも和らげることで、希望出生率をかなえようと努力をされた。 消費税を上げる代わりに、増える歳入を、保育費や学費を下げる 途 に用いる決断をしたのは、その途の先に、自信を取り戻した日本の若者が、新しい何かを生み出して日本を前に進めてくれるに違いないと信じていたからです。 あなたは、我が国憲政史上最も長く政権にありましたが、歴史は、その長さよりも、達成した事績によって、あなたを記憶することでしょう。
安倍さん。あなたこそ、勇気の人でありました。 一途 な誠の人、熱い情けの人であって、友人をこよなく大切にし、昭恵夫人を深く愛したよき夫でもあったあなたのことを、私は、いつまでも懐かしく思い出すだろうと思います。 そして、日本の、世界中の多くの人たちが、「安倍総理の頃」「安倍総理の時代」などとあなたを懐かしむに違いありません。 あなたが敷いた土台の上に、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします。 安倍さん、安倍総理。 お疲れさまでした。そして、本当にありがとうございました。どうか、安らかにおやすみください。
菅義偉前首相 ────[2022年9月 27 日 国葬]
麻生太郎元首相 ────[2022年7月 12 日 葬儀]
まだまだ安倍先生に申し上げたいことがたくさんあるのですが、私もそのうちそちらに参りますので、その時はこれまで以上に冗談を言いながら、楽しく語り合えるのを楽しみにしております。正直申し上げて、私の弔辞を安倍先生に話していただくつもりでした。無念です。
野田佳彦元首相(立憲民主党) ────[2022年 10 月 25 日 第210回国会衆議院本会議]
安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、 密かにお会いしたことがありましたね。平成 29 年1月 20 日、通常国会が召集され政府4演説が行われた夜でした。 前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。 暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。 あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
聞き手 橋本五郎(はしもと・ごろう) 1946年秋田県生まれ。読売新聞特別編集委員。慶應義塾大学法学部政治学科卒。読売新聞論説委員、政治部長、編集局次長を歴任。2006年より現職。日本テレビ「スッキリ」、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」「ウェークアップ」などに出演。主な著書に『総理の器量』『総理の覚悟』(以上中公新書ラクレ)、『範は歴史にあり』『宿命に生き 運命に挑む』『「二回半」読む』(以上藤原書店)など。14年度日本記者クラブ賞受賞。 聞き手・構成 尾山 宏(おやま・ひろし) 1966年東京都生まれ。読売新聞論説副委員長。早稲田大学法学部卒。92年読売新聞社入社。政治部次長、論説委員、編集委員を歴任。2022年より現職。02年8月に安倍晋三官房副長官の担当となって以降、安倍氏の取材に携わってきた。主な共著に『安倍晋三 逆転復活の300日』『安倍官邸VS習近平』(以上新潮社)、『安全保障関連法』(信山社)、『時代を動かす政治のことば』(東信堂)など。 監修 北村 滋(きたむら・しげる) 1956年東京都出身。読売国際経済懇話会理事長。日本テレビホールディングス(株)及び日本テレビ放送網(株)監査役。東京大学法学部を経て、80年4月警察庁入庁。2006年9月内閣総理大臣秘書官、12年12月内閣情報官、19年9月国家安全保障局長・内閣特別顧問(いずれも安倍内閣)。20年12月米国政府から国防総省特別功労章を受章。著書に『情報と国家』『経済安全保障』(以上中央公論新社)など。
安倍晋三(あべ・しんぞう) 1954年東京都生まれ。成蹊大学法学部政治学科卒業後、神戸製鋼所勤務、父・安倍晋太郎外相の秘書官を経て、93年衆議院議員初当選を果たす。2003年自由民主党幹事長、05年内閣官房長官(第3次小泉改造内閣)などを歴任。06年第90代内閣総理大臣に就任し、翌07年9月に持病の潰瘍性大腸炎を理由に退陣。12年12月に第96代内閣総理大臣に就任し、再登板を果たした。その後の国政選挙で勝利を重ね、党総裁選でも3選を実現して「安倍一強」と呼ばれる安定した長期政権を築いた。20年9月に持病の悪化で首相を退くまでの連続在任2822日と、第1次内閣を含めた通算在任3188日は、いずれも戦前を含めて歴代最長。第2次内閣以降はデフレ脱却を訴えて経済政策「アベノミクス」を推進。14年7月に憲法解釈を変更し、15年9月に限定的な集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させた。対外関係では、「地球儀 俯瞰外交」や「自由で開かれたインド太平洋」などを掲げ、首脳外交に尽力した。日米同盟強化や日米豪印4か国の枠組みなど、現在の日本の安全保障に欠かせない米欧諸国との連携の礎を築いた。2022年7月8日奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され死去した。享年67。