町屋良平のレビュー一覧
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ネタバレ「1R1分34秒」と同じくボクサー志望者が語り手。
なかなかよい中編。
ピザデリバリーを喰っちゃう有閑マダムとか、悪い意味で漫画的。
「serial experiments lain」を連想。奥さん米屋ですとかも。
また村上春樹も連想。つまり男性作家の悪い意味での女性幻想。
そして難病美女がタバコを吸って、というのも、また。
なのに、いいんだなあ。やはり、文体だなあ。
そして「人が関連するという事象」が、この小説においては、なんだか、いいんだなあ。
語り方が好きになるから、作者が好きになって可愛く見えてくる。この作風、得だなあ。 -
Posted by ブクログ
前から少し気になっていた作家さん。
好き嫌いが分かれる作品だな、と読んでみて思った。独特とも言えないが少し癖のある文体と平仮名と漢字の絶妙な使い分け。そのせいで読みづらいな、と最初は感じるけれど、私は読み進めていくうちに慣れていった。どっぷりハマったという感覚はなかったけどこういう本もあるんだ、というような、新しい音楽のジャンルを発見したときのような喜びがあって、それがこの本への抵抗感を薄めてくれた。文章自体も小難しさがなくて分かりやすいから物語もすんなり流れ込んできて、いつの間にか読み終わっていた。
ボクサー志望の秋吉、友達のハルオ、ハルオの彼女のとう子、ボクシング仲間の梅生、そして夫子のいる恋人の夏澄。5人の人物が織りなす日常には劇的なドラマはないが、ただ流れる日々が気持ちよく描かれている。 -
Posted by ブクログ
女性の書き手が綴る身体や性にまつわるエッセイ「私の身体を生きる」の、男性版。
女であり女であることに違和感なく生きてきた私にとっては、女性の書いたものの方が当然共感するところは多かったけれど、男性たちの綴る文章もとても興味深かった。
男女問わず、どんな属性の人だってそれぞれ尊重されるべきではあるけれど、同質である必要は全くないなと改めて思う。
女性と比べて、身体やジェンダー、性のことを直接的に書いている人がかなり少ない印象を受けた。
と同時に、男性が男性性を語ることの難しさとはこういうことかと納得させられる。社会において強い側とされる側が何をどう語るのか、語って良いのか、難しいのかもしれないけれど、もう少し踏み込んだ内容が読みたかったな、というのが正直な感想。
身体より社会、に意識が向いているように感じた。
その中でも田中慎弥さんの偏屈さが滲む文章がとても好きだった。好きだったとかも言われたくないのかなとか思っちゃう。なんだかいじらしい愛しさがある。
最後の最後で朝井リョウが‘やっている’。
両手を掴んでいたはずなのに、その手を掴んだまま大きく振り回されて、遠心力で吹っ飛ばされたような気持ちで本を閉じた。
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初町屋。芥川賞受賞作。ボクシング。純文学に適した題材のように、思う。自分をとことん見つめ、試合に臨む。
新トレーナーに代わってからグッと魅力的になった! 何でだろう…。己のことを自分以上にわかっていたからかな。前のトレーナーはなんか実体が伴ってない感じがしたんだ、何故か…。たの度々出てくる『対戦相手と仲良くなる』ってのは、なんだろう? 仲良くなる=解り合える、対戦相手とはもうひとりの自分。自分をわかる即ち、己のことをより理解するってことかな? 格闘技って、相手に勝つ前にまず自分に勝たないとダメだと思う。トレーニングをし、厳しい減量にも耐え——それは相手も同じこと。道中あれだけもがき苦しんで、彼が得たものとは一体なんだったのか…。
読み終えた後、表紙のタイトルを見た。これしかないなと、わたしの頭の中に「カーン!!」と小気味のいい音が鳴り響きました(^^) 星三つ半。 -
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大学時代に好きだった冬美を友達の照雪に取られるところだとか、弟の年上彼女を好きになってしまう所だとか、急に部屋をベッドだけにするところとか残念男性という感じでなぜこの行動に至ったのか??って思うところが多々…(´;ω;`)
時系列がとにかく分からなくて、大学時代、野球サークルの新歓だと思ったらインドでセリナを口説いていて、と思ったら弟の彼女、心佳ちゃんを好きになっていて。???私は今どこにいるの??って感じで、ショートストーリーをそのまんま繋ぎ合わせた感じだった。文章の言い回しは好き。冬美のことは大切に心にしまいながら、他の心惹かれる女性に出会って欲しい。最終くらいにある、弟に殴られる下りは本当によく分からない(?) -
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タイトルとは裏腹に、というかかなり尖った文章。生活とはなんだろう、これが生活なんだと区切りなく一気に進む。主人公の「かれ」を3人称として表現していくため、非常に客観的な文章となる一方で、とにかく溢れ出てくる言葉の数珠繋ぎ。おしゃれ、をこよなく愛するかれ、がコミュニケーションをとりながら、社会の中で生活している。退廃的な私小説ではなく、生活そのものに焦点を当てた非常に面白い作品。生活と題するだけに、本当に生活を共にしているような日常の連続を、途切れなく続けていく。小説の持つ、省略や想像させることでジャンプしていくような技を使わず、生活に焦点を当て続ける。前半戦は、割と上記の行ったり来たり、別れたり、付き合ったり、かれとその周りの、父親、友人、兄弟、彼女との関係を満遍なく広げていく。とにかく、長い、長い。かれ、の生活にもう一つの変化が訪れたのは、結婚するという話だ。周りも、自分自身も、変わっていくところを日常の生活のこと細かなところから描写して行くことでアップビートになっていく所と、逆にどこか冷静な所とが両方出てくる。日常生活を描写して生きながら、浮かび上がらせていく生とは何かという問い。
爽子と格闘技をやっている荒川とのくだりは、まさに村上春樹を引用していた直前の下りからの流れで、非常に暗喩的だったんだなと気がつく。渋谷が好きで、ひょんなことから出会う。そして、彼女はアメリカ文学が好きで、彼もアメリカへ行き格闘技をやり、格闘技でボコボコになったときに、爽子が訪れて、ものすごく欲しいという。この、文章運びも非常に練られていて、それでいてタメをあまりつくらないように解放するストーリーのタネ。なかなか面白い。純粋に不純な動機。人を動かすエネルギー、村上春樹の解釈、純文学への抵抗、現実と小説。人生は続いていく、生活は限りなく続く毎日であり、本当にどうでもいいようなことを連続的に行っているようで、それがかけがえのないことでもあると気がつく。切れ目のない小説に、かなり度肝を抜かれたけれど、読み進めるうちにその生活そのものにどっぷりとつかり、そこから出てくるひとつひとつを楽しんでいる自分がいる。その自分が見ている荒川昴という人間も、田中椿が生活していることも、自分のものであるんだということに衝撃を持って本を閉じた。母親と桂がプロポーズしたのは、中国の杭州で、なんとも奇跡的な一致。あえて杭州が出てくるなんて。
生活が生み出す苦しさ、相手とどう向き合うかというスタンス、そうした全てをひっくるめて生活。 -
Posted by ブクログ
町屋良平を全く知らずに、彼の一冊目の本として読み始めてしまったのが誤りだった。私小説を書いているという小説家の「私」が、私小説を書く際の小説の中の「私」と、書いている「私」の「ズレ」についてあれこれ考察している。実際の町屋良平がどの程度、「私」を紛れこませて書く小説家であるのかわからずに読んでいる読者の「私」は、小説の中の虚構と実人生の中にある虚構的に思える事象との間にどのような差異があるのかわからなくなってしまう。私小説を書いていると自ら言う「私」を、読者の「私」が「虚構」ではないかと疑いながら読むのだから、実に奇妙な作品である。しかも私小説を書いている「私」が喜寿の祝いに回転寿司を食べたいという母を、小説に倣ってそんなことを言い出したのでは無いかと疑っているのである。いくら読んでも鏡の国から脱出できない奇妙な小説だった。