町屋良平のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトルとは裏腹に、というかかなり尖った文章。生活とはなんだろう、これが生活なんだと区切りなく一気に進む。主人公の「かれ」を3人称として表現していくため、非常に客観的な文章となる一方で、とにかく溢れ出てくる言葉の数珠繋ぎ。おしゃれ、をこよなく愛するかれ、がコミュニケーションをとりながら、社会の中で生活している。退廃的な私小説ではなく、生活そのものに焦点を当てた非常に面白い作品。生活と題するだけに、本当に生活を共にしているような日常の連続を、途切れなく続けていく。小説の持つ、省略や想像させることでジャンプしていくような技を使わず、生活に焦点を当て続ける。前半戦は、割と上記の行ったり来たり、別れたり、付き合ったり、かれとその周りの、父親、友人、兄弟、彼女との関係を満遍なく広げていく。とにかく、長い、長い。かれ、の生活にもう一つの変化が訪れたのは、結婚するという話だ。周りも、自分自身も、変わっていくところを日常の生活のこと細かなところから描写して行くことでアップビートになっていく所と、逆にどこか冷静な所とが両方出てくる。日常生活を描写して生きながら、浮かび上がらせていく生とは何かという問い。
爽子と格闘技をやっている荒川とのくだりは、まさに村上春樹を引用していた直前の下りからの流れで、非常に暗喩的だったんだなと気がつく。渋谷が好きで、ひょんなことから出会う。そして、彼女はアメリカ文学が好きで、彼もアメリカへ行き格闘技をやり、格闘技でボコボコになったときに、爽子が訪れて、ものすごく欲しいという。この、文章運びも非常に練られていて、それでいてタメをあまりつくらないように解放するストーリーのタネ。なかなか面白い。純粋に不純な動機。人を動かすエネルギー、村上春樹の解釈、純文学への抵抗、現実と小説。人生は続いていく、生活は限りなく続く毎日であり、本当にどうでもいいようなことを連続的に行っているようで、それがかけがえのないことでもあると気がつく。切れ目のない小説に、かなり度肝を抜かれたけれど、読み進めるうちにその生活そのものにどっぷりとつかり、そこから出てくるひとつひとつを楽しんでいる自分がいる。その自分が見ている荒川昴という人間も、田中椿が生活していることも、自分のものであるんだということに衝撃を持って本を閉じた。母親と桂がプロポーズしたのは、中国の杭州で、なんとも奇跡的な一致。あえて杭州が出てくるなんて。
生活が生み出す苦しさ、相手とどう向き合うかというスタンス、そうした全てをひっくるめて生活。 -
Posted by ブクログ
町屋良平を全く知らずに、彼の一冊目の本として読み始めてしまったのが誤りだった。私小説を書いているという小説家の「私」が、私小説を書く際の小説の中の「私」と、書いている「私」の「ズレ」についてあれこれ考察している。実際の町屋良平がどの程度、「私」を紛れこませて書く小説家であるのかわからずに読んでいる読者の「私」は、小説の中の虚構と実人生の中にある虚構的に思える事象との間にどのような差異があるのかわからなくなってしまう。私小説を書いていると自ら言う「私」を、読者の「私」が「虚構」ではないかと疑いながら読むのだから、実に奇妙な作品である。しかも私小説を書いている「私」が喜寿の祝いに回転寿司を食べたいという母を、小説に倣ってそんなことを言い出したのでは無いかと疑っているのである。いくら読んでも鏡の国から脱出できない奇妙な小説だった。
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主人公は21歳のプロボクサー。デビュー戦をKOで飾るが、その後の戦績は思わしくない。やたらと内省的で、彼の思考がぐるぐると、あえての(多分)わかり辛い文章によって、延々と続いていく。
ボクサーってもっと野心家というか、「成り上がってやるぜ」「絶対勝つぜ」みたいなギラギラした目付きの人たちだと思っていたが、もちろんそれは勝手なイメージで、彼のような内省的、考えすぎなキャラだって居るのだろう。負けが込んで、自らの能力の限界が見え始めたら尚さら。
しかし、3敗目を喫し無力感に陥っていた彼の前に新しいトレーナーのウメキチが現れる。このウメキチの関わり方が心地よい。本人を否定しないし、よく見ている。身体の使い方とか、体調とか、食事とか、睡眠のとり方とか。細かい点まで見て理解してくれた上で的確な助言を与え、弁当まで作ってくれる。最初は反発していた彼も次第にウメキチを信頼するようになり、気持ちが変化していく。
ボクサーに限らず、今の若い世代ってきっとこんな先輩を求めているんだろうなと思った。自分を知ってほしい、自分に合ったやり方を丁寧に教えてほしい、上から目線じゃなく対等であってほしい。そして、ウメキチは決して彼に尽くしているわけではなく、自身もボクサーで自分の研究のためにやっているのだ、というところも念が入っている。
生きていれば多かれ少なかれ、試合に臨むボクサーのように、試練とかヤマ場を迎えては何とか乗り越え、ほっとすると次の試練が来て、無理だ、自分はもうダメかもと思ったり、の連続だと思う。日々ぐるぐると内省しながら戦っているのではないか。
最後の最後に、タイトルの「1ラウンド1分34秒」が出てくる。彼の「勝ちたい」気持ちに感動したし、良いラストだなと思った。 -
Posted by ブクログ
純文学を読み始めてみようと思い手に取った3冊目。この本はかなりエンタメ性が高いので純文学に分類しても良いのか際どいが、そう紹介されていることもあり、非常に読みやすくておすすめされていたので手に取った。
一口に純文学と言ってもいくつかパターンがあるのだと分かった。いわゆる大衆小説と比較したときの意味としての、ストーリー性ではなく登場人物の心の機微にフォーカスしたもの以外にも、本作のような言語芸術としての純文学もあるのかもしれない。
そういう意味でこの本は、詩を楽しめる方でないとなかなか楽しみ方が分からないかなと思う。私もなるべく詩を読むつもりで、内容を追いすぎず、言葉自体のアートとして読んでみることは試みたが、それでも今ひとつ楽しみきれなかった。
今後詩が読めるようになったら再チャレンジしたい。