今野真二のレビュー一覧
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日本語の形態を「書きことば」、「話しことば」と「打ちことば」に分けて楽しめる議論が縦横に展開する著作だ.「打ちことば」はインターネット空間でやりとりされる言葉と定義している.さらに、「書きことば」の「話しことば」への接近が見られることへの懸念も表明している.ハードな「書きことば」を体験する機会が少なくなっていることへの警鐘も随所に見られた.唯一の体験は大学での卒業論文の作成だと指摘しているが、その通りだと思うし、それが実際に対象者にとって糧となっているかは、やや疑問な部分もあると感じている.論文博士号を持っている小生としては、博士論文は究極のハードな書きことばの試練だと回想している.
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試し読み
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タイトルにあるように、日本語と漢字の関係(歴史)を丁寧に考察した本だと思います。
古代の日本語の書き言葉としては『万葉集』を軸に、中世の日本語の書き言葉としては『平家物語』を軸に、近代の日本語の書き言葉としては、江戸時代を中心に作られた辞書(今でいうところの漢和辞典)を軸に語った内容であり、表意文字としての漢字、表音文字としての漢字(平仮名や片仮名に通ずる)、中国と日本語との関係を知るうえで、有用な本だと思います。
個人的に面白いと思ったのは、書体に関する記述。
明朝体の前には、宋朝体もあったのですね。
明朝体ができた時代は、ちょうど、印刷技術が普及する時代であり、その結果、漢字(文字)は -
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試し読み
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ことばの乱れが指摘されて久しい。
この本でも言葉についての危機感を露わにする言論が多く、気が滅入りそうになる。
これまで読んだ本では話し言葉の乱れが多かったが、この本では新聞記事の文章について指摘している点が興味深い。
「ザックリ」「心が折れる」「降臨」などのよく見る表現…私も気づきませんでした。
読みつつ自身のことばもかなりいい加減になっていると思い、反省するしかなかった。
近頃の言葉は、「気持ち」をどれほど面白おかしく、印象的に述べられるかが重視されているのだろうか。
言葉は思考を表面化していること、
書き言葉、話し言葉、打ち言葉の繋がり、
話し言葉の「ブレーキ」となりうる「書き言葉 -
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「はじめに」より
「言語はそれを使う人の集団によって『共有』されている。(中略)多くの人に共有されている日本語も、限定された集団に共有されている日本語も、どちらも日本語だ。」
その他
「言葉は自然習得できる、というが、そういう場合の『言語』は『話しことば』のことだ。」
「『情報』を目的に合わせて『圧縮』して『構造化』して提示するのが『書きことば』だと思えばよいだろう」
「新聞などで使われていた標準的な『書きことば』も『話しことば』化し、その結果、日常的な言語生活で標準的な『書きことば』に接する機会がなくなってきた」
など、なるほど、と思える文が多かったです。
「壊れた日本語」につ -
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ネタバレ今から約100年前の日本語は、現代の日本語と比べどのような相違点があり、現代に至るまでにどのような変化を遂げてきたかを、明治期の日本語をもとに述べられている。また、副題にある「揺れ」というのは「豊富な選択肢があった」ことを意味しており、この時代の日本語はこのように称される通り、手書きによる一つの文章の中で書体が混在したり(夏目漱石『それから』の自筆原稿が具体例として挙げられる)、外来語に対する表記の仕方に対しても様々な選択肢(漢字をあてて書くか、仮名で書くかなど)があった。しかし現代においてそれらの「揺れ」は見られず、むしろ様々な選択肢を内包していた表記体系は排除され、一定の規定(平成3年に
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江戸川乱歩作品の表記や用語、バリアント間の異同を詳細に検証することで、乱歩の用いる言葉、ひいては乱歩が活動した大正から昭和にかけて持ちられた当時の日本語との関係について探る本。乱歩は人気作家で同じ作品が何度も書籍化されているが、その文章は乱歩自身、あるいは編者、出版社、時代の変遷による日本語の変化により、意図的な改変からルビの表記や送り仮名など様々な異同があり、それを一つひとつ丹念に検証していくという労作。乱歩の場合、足穂のように延々とリライトを繰り返す作家ではないぶん、その異同の大半は用語の異同で地味なもの多く、考えただけでも気が遠くなる。
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P.82
明治期とは、「和語・漢語・雅語・俗語」が書きことば内に一挙に持ち込まれ、渾然一体となった日本語の語彙体系が形成された「和漢雅俗の世紀」であった。
100年前の日本語」というより「表記、語種が統一されていない明治時代の新聞」という感じになるのかなー。旧字新字「憺」「舊」や、変体仮名「志」「ハ」といった表記の話が多かった。
夏目漱石の直筆原稿や、明治時代の新聞、辞書などの写真が多用されていて、これからこういう情報が読み取れるのか、当時の「感覚」が伝わるし、参考になりました。明治時代の新聞の、振り仮名の活用されぶりがすごい。
一般人向けにわかりやすい、かもしれないけれど言葉遣いや語が論 -
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ネタバレ祖父母の家で本を漁ると、
出版社謹製の栞やら広告やらが、頁の間にはさまっていた。
そこにイロハ番付なんかが書かれていて、
たしかそこに「し」が「志」として記されていた。
これは一体なんとよむ字なの?
なぜひらがなではないの?なんて、聞いたことがあったのを、
些細な思い出で忘れていたのだけれど、なんとなくふっと思い出した。
著者は云う、
何かを得て何かを失っているわけではない、
どちらが良く、どちらが悪いなどということはない、
そうなんだろう。時間の経過、時代の変化に罪はない。
しかし、使わない文字や言葉など、
記憶とともに忘れられ消えていくことは、
自然なこととはいえ、なんだか色々な知識 -
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日本語を表記するため漢字を用いたことから、日本語は漢字を通して中国語の影響を受け、中国語由来の日本語「漢語」が生まれる。また漢語に和語をつきあわせるためにルビをふったりすることは、昔から相当自由に行われていたのであり、夏目漱石が多用する自由なルビもその流れの中のことで特別なことではない。考えてみれば今でも外来語(「コンプライアンス」とか)に和語・漢語のルビを振ったりすることはよくある。
言葉と文字の関係について誠実に研究してきた著者の日本語を見る目はユニーク。語り口が慎重すぎてわかりづらくなっているところもあるが、昨今の雑で乱暴な論の展開が多い新書の世界にあっては、むしろ好感がもてる。 -
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漢字しかなかった時代の『万葉集』から
中国語との接触と漢字の受け入れられ方、
平安時代の漢和辞書『和名類聚抄』、
さらに後の『類聚名義抄』などの漢字辞書をくわしくみることで、
日本語が中国語をどのように漢語としてとりいれたか、
そしてそれ以降、漢字かな混じりの文体が
どのように多様化してきたかが述べられ、
最後の「現代」の部分の問題提起
(常用漢字表、名付けや地名についてなど)につなげられている。
言語によって世界の切りとり方が違うことと翻訳可能性について、
また、言葉の流入は文化の流入の問題でもあること、など、
日本語だけでなく ひろく言語について考えるうえで
大切なことがらに少しず -
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明治時代の日本語はどのようなものだったのか。現代の日本語との差異を明らかにし、当時の日本語に対する感覚を明らかにする一冊。
江戸以前の近世に叙述・印刷された日本語は現代に生きる私達にとってとかく読みにくい代物である。行書や草書といった慣れ親しみのない書体や変体仮名といった現在は消滅してしまった仮名。さらに語彙も現代とは大きく異なる。なぜこのような日本語の断絶が起こってしまったのか。近世から近代に移行するに従って文字や言語を取り巻く環境に大きな変化があったことを、著者は明治時代に出版された印刷物や手書きの草稿などを元に明らかにする。
本書では日本語の変化の原因としてまず「不特定多数の人間が読む