あらすじ
学者の論文に第三者が書いた論文からのコピー&ペースト(コピペ)が散見され、ツイッターには他人の文章を丸写ししたパクリツイート(パクツイ)が溢れる時代。小説など文芸作品には「盗作」騒動がしばしば持ち上がるが、そもそも表現におけるオリジナリティーとは何か? 読者は「同じ」と「違う」をどこで感じ分けるのか? オマージュ、パロディー、パスティーシュといった表現形態から、寺山修司、北原白秋の詩、短歌・俳句、さらには辞書の語釈まで、表現におけるオリジナリティーの意味を、日本語学の第一人者が多様な視点から考察する異色の「言語&表現論」。【目次】序章/第一章 テキストを分析する/第二章 詩的言語の表現――俳句・和歌の添削/第三章 寺山修司「チエホフ祭」/第四章 北原白秋の短歌と詩と/第五章 辞書の語釈――辞書にも盗作はあるのか?/おわりに/あとがき
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Posted by ブクログ
盗作とはなんぞや? を言語学的に分析したもの。盗作? のような作業をすることでどうなるかそれはどういう違いがあるのかが書かれてある。本歌取りやパロディについても。想像していたより盗作めいたことというのはかなり露骨に行なわれているというのが衝撃で、偶然の一致を回避したいとか思っているレベルではなかなかない感じが実際にはあるのだなという感じ。で、その上で、そういったことがテキストとして結果どうなのかを冷静に論じることで、冷静に良し悪しを考える感じを提供してくれていると思います。
Posted by ブクログ
タイトルは「売らんかな」のためのもので、内容は盗作とは関係ない。
「文章が似ている」とはどういうことなのか、人は文章のどこをどう認知して、他の文章と似ていると判断するのかを探るもの。考えてみるまでもなく「コトバ」に100%のオリジナリティはあり得ない。そりゃそうで、聞いたこともないコトバや文章だったら意味が伝わらないもんね。誰もが知っているコトバを使いながらも、文章には個性が生じる。不思議なもんだ。
Posted by ブクログ
中盤以降は文法、文学としての手法・技法の話題が主です。俳句や和歌についての比較が多数あるのは珍しいかもしれません。
自分は門外漢ゆえ理解しづらい部分も多いのですが、果たして「パクリ」を指摘する側(特にネット上で)これだけの文学的手法をどれだけ調べたうえで相手を批判しているのだろうなと思えました。
Posted by ブクログ
パロディなのか剽窃なのか、オマージュなのか冒涜なのか。表現の揺れや接続詞、単語の並びなどから、下敷きにした文章との近さ/遠さや、作者/二次的な作者の立場の違い、表現形式の差による情報の取捨などを扱う。
コピペ・パクツイに関しては帯に書いてあるほど扱わず、「おわりに」で少々触れる程度であるので、コピペ・パクツイを求めて手に取った場合は些か拍子抜けするかも知れない。地道な比較作業や、わずかな表記の揺れから作品を読む繊細さが光る。
Posted by ブクログ
昨今のデザイン関係の問題からそもそもコトバはどうなのだろう?と手にした本ですが、読んでいる間に考えたのは人口知能のことでした。どんどん、コンピューターと会話したり、翻訳を任せたり、ボーッとしている間にに人口知能の言語能力は進歩している気がして、まさにホームズにおけるワトソンの存在として我々の側に寄り添う時代になってきたのだと思いますが、それはコトバそのものが模倣によって出来上がっているからこそ可能なのだと思います。つまり、コンピューターのコトバは盗作の仕組みにかなり近い。ということは人口知能の言語に創作性を感じたりした時、人間のオリジナリティーの問題はかなり揺らぐのではないか?と夢想しました。
Posted by ブクログ
借りたもの。
主に“言語”表現における“なぜ盗作と見なされるのか”の分析だった。
それは盗作である事を前提にしているとか、それが悪であるという感情論ではなく、何故“似ている”と思われるのか、を事例を交えて解説している。
そして文学や論文における「引用」に始まり、詩歌での「本歌取り」など元を踏まえてオリジナリティを出しているとはどういう事なのか、曖昧な線引を伝えようとしている。
中には辞書における表現方法まで――
そこで見いだされるのは、言語における説明の限界があり、それ故に「似ている」表現にならざるを得ない事も示唆されていた。
ネット等でアマチュアから大御所まで「パクリ」疑惑が炎上する昨今。
私は絵画・イラストにおける「盗作」と「パロディ」「オマージュ」の違いは何か?を明確にしたくて借りたが、ちょっと違った。でも通じるものが在る。
Posted by ブクログ
うーん。
「コピペ、パクツイが蔓延する時代。「同じ」と「違う」の、日本語学的分析。どこまで「類似」でどこから「盗作」?」という紹介文が気になって読んだんだけど、現代の事は全然なのね。紹介文のコピペ、パクツイ云々の下りはいらなかったかな。
Posted by ブクログ
今野さんの新書は、『振り仮名の歴史』以来。
こういうテーマだと、やはり文章のオリジナリティってあるのか、あるとしたらどういう方法でそれを確認するかについての新たな知見を期待する。
で…残念ながら、過大な期待だったかな、というのが第一の感想だ。
単語のレベルでは、オリジナリティは存在しない(これまで誰にも使われたことがない単語を使って書いても意味が理解されない)というところは、まあ、そうだろうと思う。
しかし、この本の中で、このレベルで明瞭にものを言っているのは…もしかしたら、これだけかもしれない。
小説の場合、短歌の場合、俳句の場合、とたしかにジャンルは、単語や語句の使いまわしが盗作とみなされるかどうかの判断に大きな影響を与えうる、ということも、その通りだとは思う。
いろんな事例が挙がっている。その事例は結構面白いものも多い。
また、事例を通してその都度その都度、たしかに面白い指摘もあるのだけれど…残念ながら、それらを通して言えることというのが浮かび上がってこない。
なんともじれったいというか!
そういえば、『振り仮名の歴史』でも、同じようなことを感じたような。