今野真二のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
昨今のデザイン関係の問題からそもそもコトバはどうなのだろう?と手にした本ですが、読んでいる間に考えたのは人口知能のことでした。どんどん、コンピューターと会話したり、翻訳を任せたり、ボーッとしている間にに人口知能の言語能力は進歩している気がして、まさにホームズにおけるワトソンの存在として我々の側に寄り添う時代になってきたのだと思いますが、それはコトバそのものが模倣によって出来上がっているからこそ可能なのだと思います。つまり、コンピューターのコトバは盗作の仕組みにかなり近い。ということは人口知能の言語に創作性を感じたりした時、人間のオリジナリティーの問題はかなり揺らぐのではないか?と夢想しました。
-
Posted by ブクログ
痒い所に手が届くというか……。『私の國語教室』で、漢字についてはあまり触れられていなかったのを、上手くカバーしてくれている。
常用漢字表の持つ力について、筆者はよくよく意識するよう伝えてくれる。
『道草』『羅生門』『山椒大夫』は今から(平成二十七年から)ちょうど百年前の、大正四年に書かれたとある。
さて、この百年は遠い昔とするか否か。
しかし、きっとこの時代に書かれたものを「そのままの形」では読めなくなっているのだろう。それも、恐らく、誰もが。
私も、朝日新聞で漱石の『それから』を改めて読むのが楽しみであった。
けれど、サイズが同じであったとしても、同じにはならなかった部分、それが字という -
Posted by ブクログ
借りたもの。
主に“言語”表現における“なぜ盗作と見なされるのか”の分析だった。
それは盗作である事を前提にしているとか、それが悪であるという感情論ではなく、何故“似ている”と思われるのか、を事例を交えて解説している。
そして文学や論文における「引用」に始まり、詩歌での「本歌取り」など元を踏まえてオリジナリティを出しているとはどういう事なのか、曖昧な線引を伝えようとしている。
中には辞書における表現方法まで――
そこで見いだされるのは、言語における説明の限界があり、それ故に「似ている」表現にならざるを得ない事も示唆されていた。
ネット等でアマチュアから大御所まで「パクリ」疑惑が炎上する昨今。 -
Posted by ブクログ
今野さんの新書は、『振り仮名の歴史』以来。
こういうテーマだと、やはり文章のオリジナリティってあるのか、あるとしたらどういう方法でそれを確認するかについての新たな知見を期待する。
で…残念ながら、過大な期待だったかな、というのが第一の感想だ。
単語のレベルでは、オリジナリティは存在しない(これまで誰にも使われたことがない単語を使って書いても意味が理解されない)というところは、まあ、そうだろうと思う。
しかし、この本の中で、このレベルで明瞭にものを言っているのは…もしかしたら、これだけかもしれない。
小説の場合、短歌の場合、俳句の場合、とたしかにジャンルは、単語や語句の使いまわしが盗作とみなさ -
Posted by ブクログ
日本語は4種類の文字を使用していると小学校の時に教えられた。
漢字、ひらがな、カタカナ、アラビア数字の4つだ。現在だとアルファベットも、これに入るかも。
なかで漢字は特別で、日本語は最初漢字のみで表記されていた。今では考えられないけど、表音文字として利用されていた。万葉集が確かにそうだもんね。これが中国語の字義と近しかったりすると漢語として日本語になっていったのだそうな。逆に表意的に運用されて根付いた語もあるわけだ。
漢字を使うことで中国語から日本語へことばが流入したが、逆もあったらしい。やまとことばの「おおね」に「大根」をあてたので「だいこん」。つまり大根は漢語ではないわけだ。 -
Posted by ブクログ
『振仮名の歴史』の人の本、と読み始めてから気づいた。
実はあの本、読んで、これという意義が分からなくて、すぐに処分してしまっていたのだが。
近代日本語の表記がどのようにできあがっていくかということについての本、ということか?
変体仮名や字形についても、かなり多様性があったものが、プリント/メディアの発達によって、ある一定の範囲に収斂していった、というストーリー。
こうとしか要約できないのは、わたしに読みこなす力がないから、とは思うが・・・。
この要約がそれなりに的確なものだとすれば、もしかすると、それは本書を読む前からこの要約が頭にあったのかもしれない。
変体仮名の使い分けが、語頭/非語