今野真二のレビュー一覧
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・今野真二「百年前の日本語-書きことばが 揺れた時代」(岩波新書)の「あとがき」に、「過去の日本語と現代の日本語が異なるということの指摘だけでは、歴史を語ったことにはならないのであり、その『違い』を『日本語の歴史』の中 で、どのように評価し、位置づけるか、ということが重要になる。」(193頁)とある。補足すれば、これは例へばかういふことである。漱石や鷗外の新字新かなに直してない、つまり漱石や鷗外の表記をきちんと反映したテキストを読めばすぐに分かることだが、仮名遣ひと字体以外にもかなりの違ひがあり、しかもその違ひは同じ語であつても必ずしも一通りだけではない。これは読んでいけばすぐに気づく。私もも
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最初は「そんな細かく指摘しなくてもなんとなくわかるでしょ」と思いつつ読んでいたのが、ページを進めるにつれて、「基礎的な言葉遣いをちゃんとしていないと、意思が伝わらなくなっちゃうかもしれないんだ」と危機感に変わる。新聞の見出しに、書く側の感情が表れているというのが面白かった。
第3章「コピーの文体」という項で引用されていた「これが今のわれわれの言語生活である。ある程度の嘘を含み、大袈裟で、見た目には派手で魅力的だけれど、しかし信用のならない言葉。」という文が印象に残った。SNSが生活に浸透している今、コピーの文体はあまりにも覚えがありすぎる。 -
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明治が日本語表記の「揺れ」の時代だったのではなく、それまでずっと揺れていた表記が明治以降に収束の方向に向かった。明治期までの日本語と現代の日本語で、表記の幅以外に本質的に異なるのは、漢語と和語の区別が曖昧になってきたこと。漢語が外来語として意識されなくなってきて和語の中に溶け込んでしまった。
教育の標準化による常用漢字表などの制定、新聞などの出版物によって不特定多数が読む文章が、表記法が統一されていく背景にあった。
古くは「手で書くように印刷する」もので、崩し字や続け字の活字まであった。それがいつしか「印刷するように手で書く」方向へ変わっていった。
振り仮名でもって和語、外来語に漢字を当 -
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昨今のデザイン関係の問題からそもそもコトバはどうなのだろう?と手にした本ですが、読んでいる間に考えたのは人口知能のことでした。どんどん、コンピューターと会話したり、翻訳を任せたり、ボーッとしている間にに人口知能の言語能力は進歩している気がして、まさにホームズにおけるワトソンの存在として我々の側に寄り添う時代になってきたのだと思いますが、それはコトバそのものが模倣によって出来上がっているからこそ可能なのだと思います。つまり、コンピューターのコトバは盗作の仕組みにかなり近い。ということは人口知能の言語に創作性を感じたりした時、人間のオリジナリティーの問題はかなり揺らぐのではないか?と夢想しました。
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借りたもの。
主に“言語”表現における“なぜ盗作と見なされるのか”の分析だった。
それは盗作である事を前提にしているとか、それが悪であるという感情論ではなく、何故“似ている”と思われるのか、を事例を交えて解説している。
そして文学や論文における「引用」に始まり、詩歌での「本歌取り」など元を踏まえてオリジナリティを出しているとはどういう事なのか、曖昧な線引を伝えようとしている。
中には辞書における表現方法まで――
そこで見いだされるのは、言語における説明の限界があり、それ故に「似ている」表現にならざるを得ない事も示唆されていた。
ネット等でアマチュアから大御所まで「パクリ」疑惑が炎上する昨今。