稲垣栄洋のレビュー一覧
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西洋のキリスト教世界観では、世界は神が創り上げたもので秩序が存在するはずとされ、区別し、比較し、理解することで科学が発展してきた。対して日本はあいまいで白黒はっきりさせないステレオタイプが根強い。真偽はさておき、この性質の違いを自然環境の違いで説明できるなら非常に面白い。欧州は冷涼で乾燥していて自然(植物や動物)を区別しやすかった。それに対して高温多湿の日本では数々の雑草含め多様で複雑な生態系のため、単純に分類するのは難しい。英語では悪い草(雑草も麻薬も)をウィードといい、良い草はハーブと呼ぶ。雑草という言葉には悪い語彙は含まれていないし、むしろ雑草魂といった言葉や、雑草を家紋にする武将もいた
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コメや麦の非脱粒性(籾が地面に落ちない性質)が農業をもたらした。ビッグ4=牛、馬、豚、羊が“人に馴れる”性質を持ったことに匹敵するエポックメイク。
トウモロコシの起源も謎。cornで【穀物】をも意味するように、食糧のセンターを担っている。ヒトは植物を通して《大自然》と接触(摂食)するが化石燃料(元は広義の植物)と同じく、その起源・来歴は追究しようとしなかった…。ジャガイモ、トマトといい、《新世界植物》は人類への一大恩恵。
穀物栽培のお陰で万単位の大軍を養い一戦で百・千単位の戦死が出るイベントも実行可能になった。草木成仏とて、農業は人類文明の根幹にある。共依存関係? -
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ナマケモノには、ミユビナマケモノ科とフタユビナマケモノ科があります。連休ともなり、日頃よりもイツツユビナマケモノ科の度合いが増しているわたしには、本書のタイトルは魅力的でした。はい、ナマケの正当化を求めていました。
わたしの期待を大幅に上回り、本書は、いろいろな動物(のみならず植物までも)の存在の正当性を説いてくれていました。つまり、人間から変な生き物だとか、つまらない生き物だとか思われていても、それぞれの生き物には生存戦略があり、それが個性や進化となってあらわれているというのです。
著者である農学博士の稲垣栄洋(いながき ひでひろ)先生は、この中高校生向きのちくまプリマ―新書におい -
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雑草ほど変化に適応している植物は無い。発芽のタイミングや受粉の方法、中には毒素を出すものまで。多様性がいかに種の存続に必要不可欠なのか示している。
そしてそれは人間にも言える。「人間はそれぞれ守るべき原則をひとつかふたつ持っていればよい。それ以外は妥協してしまえ。」作中にある格言の引用だ。雑草のように「種の存続」という「変えてはならないもの」と「 発芽のタイミングや受粉方法」という「変えても良いもの」の区別は人にも置き換え可能なのだ。私にとって「譲れないもの」「妥協しても良いもの、他者に譲って良いもの」とは何だろうか。その答えはまだ出ない。 -
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先日、予定のない休日にふらりと訪れた「本」がメインの商業施設で、なぜだか妙に気になってしまったので連れて帰ってきた。
とある植物学者の、謎のメールを巡る1週間が彼の日常と共にゆる〜く、かる〜く綴られている。
章立てがそのまま月曜日から日曜日の1週間になっていたので、せっかくだからわたしも曜日を合わせて1章ずつ1週間かけて読んでみた。
ちなみに、つい先日読んだ朝井リョウさんの「生殖記」の影響と、最近新しく聴き始めたPodcastの番組がキッカケで、
「生物ってなんだろう?」という問いが自分の中でめっちゃ熱い。
Podcastの方は確か、AIの話題から、今SNS上にある個人のアカウントの投稿 -
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表題にあるナマケモノだけでなく、「みっともない」「にぶい」「ぱっとしない」「こまった」ものとして一般的には考えられている生き物を取り上げて、それぞれの特徴や生存戦略を簡潔にまとめている。
学生向けのためか言葉遣いはとても易しいのだが、書かれている内容は意外に細かい。例えば、ナマケモノはエネルギー消費が最小限に抑えられているためウシの1/1000のエサ量でよく、無理に体温を維持することもない。10000年ほど前に存在したメガテリウムという巨大なナマケモノの仲間は活発に行動し、体を維持するために多くのエサを摂取していたがやがて滅んでしまった。故に、現在のナマケモノの姿が最適解なのだ、という具合に。 -
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ネタバレふと目に着いた『古池に飛びこんだのはなにガエル?』という書名。
こういう、誰も気づかないようなところに疑問を感ずることができる人を、尊敬しています。
さて、件のカエルはなにガエルだったのかというと、ツチガエルであるというのが定説のようです。
普段は陸にいるが、危険を察知すると水に飛びこむ習性をもったツチガエルとは、俗にイボガエルと呼ばれているカエルのこと。
芭蕉の時代、歌に詠むカエルといえば鳴き声のきれいなカジカガエルが一般的だったのだそうですが、そういう定番の美しさではなく、見たまま聞こえたままを詠んだ中に詫び錆を感じさせたのが芭蕉のすごさ、と言われれば確かにそう。
同じく「山路来て何や -
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ハサミムシ…尾の先についた大きなハサミ
ハサミムシの母親は子育て中は石の下で子供を覆い被さるようにして1ヶ月~2ヶ月間以上、卵を守る。その間、飲み食いはしない。そして卵から子供が孵化したら生まれたばかりの子供達に自らの命を投げ出す。そして子供は散り散りに旅立つ。
哺乳類の子供はおでこが広い…全体的に顔のパーツが下に寄ってして、顔が『可愛く見える』、それは大人にかわいいと感じてもらって守ってもらえるようにするため。
生物の成長→何かを獲得することばかりではない
→失うものもある
若い頃はグングン上に成長するがいずれ稲のように頭を垂らして人間は謙虚になる。
「成長」と「成熟」
人間が