p32
イネ科植物はタンパク質や脂質を種子に持たせる余裕がないから、光合成で得た炭水化物をそのまま種子に蓄えた。
人間の胃袋には限界がある。保存出来る種子は財産であり分配できる富である。
p43
15世紀コムギの収量はわずか3〜5倍、17世紀の江戸時代の米は20〜30倍だった。現在でもイネは11
...続きを読む0〜140倍もの収量があるのに対して、コムギは20倍前後の収量しかない。
p50
戦国時代は、価値が安定しない小判より、米の方がずっと信用できた。徳川幕府の時代には米本位制が完成。田んぼを作るのは投資。しかし米の生産量が増加すると米の価値が減少し、米以外の物価が高くなる。つまりインフレが起こる。
徳川吉宗は米の価格を上げるために享保の改革を行った
p62
スペインやポルトガルは自国の貿易の独占を守るためにオランダ人は野蛮であるとアジアの諸国に伝えていた。悪評を払拭するためにオランダは現地の君主と友好深めると務めた。また乱暴な征服や強引な植民地支配によりスペインやポルトガルといった大国が瞬く間に凋落していく様子を目の当たりにしたオランダイギリスは丁寧な植民地支配を心がけたのである。
オランダでは複数の商社が競ってコショウを入手しようとしたため現地でのコショウの価格は高騰した。さらにオランダ国内では競ってコショウ売ったのでコショウの価格が下落した。そのためオランダは複数の商社をまとめて東インド会社を作り貿易の権限を独占させた。航海技術が進み、大量供給でコショウの価格は下落した。
コショウはむしろステータスを表すシンボル的な存在だったのだ。そのため金と同じと言われたコショウの価格は急激に下がっていった。
p76
カプサイシンは舌を強く刺激しそれが痛覚となっている。人間の体は痛みの元となる唐辛子を早く消化分解しようと胃腸を活発化させ食欲が増進する。カプサイシンを排出しようと体の機能が活性化され血液の流れを早まり発汗もする。(暑い地域での体力維持に適している)
エンドルフィンも分泌される。辛ければ辛いほどエンドルフィンは分泌される。
p82
日本と韓国の料理の辛さの違い。
日本では「唐辛子」と呼び、韓国の古い書物では「倭辛子」と記されている。
日本では仏教で肉食を禁じていたが、韓国では騎馬民族の元の支配下で肉食が習慣になり、ヨーロッパと同じように肉を保存するため香辛料が必要になった。
p89
じゃがいもの葉のソラニンは有毒で、その致死量はわずか400ミリグラム。
じゃがいもは種子でなく芋で増える。聖書では神は種子で植える植物を作ったとされ、じゃがいもは悪魔の植物であると言うレッテルを貼られ裁判にかけられた。刑罰は火あぶりの刑。
ジャガイモの花を愛したベルサイユのマリーアントワネットは、ギロチン台でバラの花びらのように散った。
p97
ジャガイモさえあればたくさんの豚を一年中飼育することができる。さらにジャガイモが食料となったことによってそれまで人間が食べていた麦などを牛の餌にすることができた。こうしてヨーロッパの国々は冬の間も新鮮な肉を食べられるようになった。
p106
イギリスの船乗りたちは日持ちのしない牛乳の代わりに保存性の高いカレーパウダーを利用してシチューを作った。このシチューに航海食として欠かせなかったじゃがいもが入れられた。こうしてイギリス海軍の軍隊食となった。インドではカレーはスープ状だが、イギリス海軍では船の揺れに対応するためにカレーにとろみをつけるようになったと言われている。1902年に日英同盟が結ばれるとイギリス海軍を見習って日本軍もカレーが食べられはじめ、日露戦争が終わると家庭へ普及した。
肉じゃがはカレー粉を砂糖と醤油に変えたもの。
p113
リンゴは紫色のアントシアニンと橙色のカロチノイドの二つの色素を巧みに組み合わせて赤い色を出している。対してトマトはリコピンという真っ赤な色素を持つ。
p116
ケチャップは古代中国で作られていた「ケツイアプ」という魚醤だったと言われている。ケチャップは今でも調味料を指す言葉でマッシュルームケチャップもある。
トマトの生産量は1位中国、2位インド。
植物学的にはトマトは「植物の果実」でフルーツ。
一般欧米人的にはデザート的に食べないので野菜。
日本で「果物」は木になる実なので、トマトは野菜。
p127
工業が主産業であったアメリカ北部の人々はイギリスから輸入される工業製品に高い関税をかける保護貿易を行いたかった。しかしイギリスにワタを輸出している南部の人々は自由貿易を推進していく必要があった。
北部と南部は利害を対立させ、南北戦争が起こる。
イギリスの援助を阻止したかったリンカーン大統領は奴隷解放宣言を出しイギリスの支援を難しくさせた。南北戦争は北軍の勝利で終わりを告げる。
p131
アラル海を干上がらせたワタ畑
ワタは塩害に強くまた海に近い干拓地は海運に都合がよかった
p133
秦の始皇帝が不老不死の効果があると信じて飲んでいた、茶。
唐代には座禅の眠気覚ましとして煎茶が用いられ、宋代になると抹茶が飲まれるようになる。臨済宗の栄西はこの抹茶の技術を日本に広めた。
ところが、明の洪武帝が富裕層の飲み物であった茶を庶民に広めるために散茶を広めたため、中国では抹茶は廃れてしまった。
名誉革命後、イギリスの上流階級にチャが広がった。チャが広まる前はコーヒーが飲まれていたが、コーヒーハウスは男性の社交の場だったため、女性のためにティーガーデンが作られた。独立戦争 アヘン戦争
p144
現在チャは中国種とアッサム種の2種類。
緑茶はアミノ酸の旨味を楽しむ飲み物で、紅茶はカフェインの苦味を楽しむもの。
p171
味噌は軍事食。ダイズのみで作ると赤味噌、米麹を加えると白味噌。
p179
タマネギのオニオンはラテン語のユニオ、真珠に由来。
建造物の擬宝珠(ぎぼし)はタマネギではなくネギ坊主を模している。
p196
織田信長が愛した花は、トウモロコシの雌花、絹糸