もう自分の子どもと同じくらいのつきあいで、その成長を見守っている倫太郎たち。
中学校に入っていろいろあったことが全て彼らの血や肉となって、成長している。
ここからは、子どもとしてというよりも一人の人間として倫太郎たちのことを見なければならないと感じるくらい素晴らしい成長を遂げている。
倫太郎たちは、
...続きを読む中学校の現状、体質をなんとか変えたいと仲間を募る。
1年生に素晴らしい団結力が生まれ、2年生のフィリピンの女の子でPTA会長の養女になっているルイも仲間として努力する。
それぞれが素晴らしい個性を発揮し、認め合い、倫太郎の周りは真剣に物事に取り組む子どもたちが増える。
そして、駄菓子やのばあちゃん。
ばあちゃんの体調が悪くなる。死というものを目の当たりにした子ども達。
倫太郎とミツルが大人びていたのだけれど、青ポンも成長し、みんなが素晴らしい子どもたちになっている。
その根底にあるのは、倫太郎たちの保育園にあることは間違いない。
小さい頃からの子どもの成長をこうしてじっくりと読んでいくと、育児というのは子どもに寄り添い、子どもと一緒に成長していくことだとよくわかるけれど、
それだけではいけない。大人という存在は、子どもと一緒に同じだけ真剣に考えるけれど、もっともっと真剣に考えて、かつ客観的な目を持ち、ひとつ前を見なければならないと思う。もちろん、最初からなんでもお見通しな人は大人であってもいるはずがないから、子どもと一緒に成長するけれど、スタート地点の異なる成長でなければならない。
子どもたちがこれだけ必死に大きくなろうとする姿は、心を打つと同時に自分も成長することを怠けていてはいけないとしみじみと思う。
そうして、青ポンのじいさんや駄菓子やのばあちゃんみたいな年寄りになれればいいなあと思う。
実は、私は灰谷健次郎氏がどこまで作品を書いて亡くなったのか知らない。
だから、どこまで読むことが出来るのか、せつない思いで次の本を探さなければならない。