“(オサキ、どうしよう?)
娘に泣かれて、魔物に助けを求める若者も珍しい。
―――食べておやりよ、若旦那。ケケケケケッ。
オサキはあっさりと言った。
(これをかい?)
周吉は固まった。自分でも嫌そうな顔になっているのが分かった。瞼のあたりがぴくぴくと痙攣している。
そんな周吉の様子を見て、お琴の顔がくしゃくしゃになった。大雨になりそうな塩梅だった。
お静まで、周吉を見ている。お静の目は、お嬢さんの秋刀魚を食べてあげてください、と言っているようだった。
(これを食べるのかねえ……)
周吉は、焦げに焦げた秋刀魚をまじまじと見てみた。やはり秋刀魚には見えない。
それでも、お琴の泣き顔をちらりと見て、周吉は何度目かのため息をつくと、
(まあ、死にはしないだろう)
自分にそう言い聞かせると、ぱくりと黒いかたまりを口に放り込んだ。”
鰻の描写が丁寧で鰻が食べたくなってしまって困った。
しげ女は何もかもお見通しなのかも。
オサキの台詞もどこまでが確信あることなのやら。
また続編が出たらいいな。
“さて、肝心要の大食い合戦であったが、最初は参加者も少なく、一斉に食って、いちばん多く食った者の優勝というだけであった。それが一昨年あたりから、参加人数も増え、予選を始めるようになったのであった。
予選開始と同時に、鰻職人たちが鰻をさばき、淡々と焼き始めるのであった。
江戸の生活排水である米のとぎ水や野菜屑が流れ込んでいる大川の鰻は、肥えていて質もよかった。
その脂ののった鰻を開いて竹串をさし、白焼きにしてから蒸す。さらに、みりんと醤油のタレをつけて焼き上げるのが江戸風であった。脂ののった鰻を好むくせに、その脂をきれいに抜くように調理するのだから、江戸っ子は面倒くさくできている。
江戸っ子の好むような鰻の蒲焼きが焼き上がるまで、半刻から一刻ほどかかる。
「鰻は煙で食わせる」と言われているように、鰻好きの連中にとっては、焼き上がってくるまでの匂いがご馳走であった。鰻の煙をかぎながら、漬物で一杯やり、ゆっくりと鰻の蒲焼きを待つのが粋とされていた。鰻好きの連中を見物客に集めておいて、煙を端折っては野暮というものであろう。
鰻が焼き上がるまでに、漬物をおかずに丼飯を何杯食えるかを競い、上位四人が決勝へと進む仕組みとなっていた。
そして、決勝の大一番では、勝ち抜いた四人の前に、焼きたての鰻の蒲焼きが並べられ、それをおかずに丼飯と鰻の大食いを競うのだった。不公平にならぬように、予選で食った丼の数もそこに加えられる。日没を知らせる暮れ六つの鐘が鳴るまでの半刻の間に、予選に加え、一番多く食った者の優勝となる。”