絲山秋子のレビュー一覧
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「袋小路の男」には三作品が掲載されていて、一番初めの物語、「袋小路の男」は書き方、いや主人公の語り口調がとても好きだと思った。その理由はなぜか、大抵改行があまり行われていない文字の羅列は、開くたびに時折うっとなってしまうことがある(そんなこというなら小説なんて読むな、という話であるが)が、絲山秋子さんは違う。
この改行のない文章は、主人公思考の過程を表しているのではないか、思考が思考を呼び、その思考はたしかに存在しているにもかかわらず、この主人公の身の一つとなる構成要素の一つとなる。
文字の繰り返し、会話、文字の繰り返し、会話、このリズムは、自然と私たちの頭の中に入ってきて、スッと消えて入って -
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最近、積読を積極的に消化しようキャンペーンをやっていて、この本も随分と前に古本屋で購入してあった本。
まず、袋小路の男と小田切孝の言い分。
デカダンス的な男女の何とも割り切れない十数年。2人が、世の中で名前がついている関係にならないのは、2人がどこまでも自己愛から抜け出せないエゴイストだからかなと思います。別にそれが良いとか悪いとかじゃなくて、2人はその自己愛の依存関係が心地良いのだから、そういう関係性もあるのだろうけど。臭いモノを、臭いとわかっていながら何度も嗅いでしまうような、そんな気持ちで読み進めてしまった物語でした。
私が好きだったのは、アーリオ オーリオの方。
中年独身男と姪っ子の文 -
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ネタバレ「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の三篇からなる中編集。
恥ずかしながら私、「超然」という言葉を知らなくて。
読む前に意味を調べました。
で、「超然」とは、『物事にこだわらず、平然としているさま。世俗に関与しないさま』という意味とのこと。
夫の浮気に超然といようとする妻。
超然とした態度を恋人に罵倒される男。
そして病気に対して人生に対して超然としている作家。
それぞれがそれぞれの問題に対して、どこか悟りを開いたような、一種諦めのような、そんな状況が描かれています。
でも、なんだろうなー。
それって、自分の本当の感情を抑えようとしてるだけなんじゃないかなー。なんてことを、読みな -
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大谷日向子の心境はさぞ辛いだろうなと思う。
読んでいる私からすれば、日向子と小田切、お互いの胸の内を読者として知っているから、これはこれでいい関係かもしれないと思うけれど、片思い中の当人にとっては、たまったもんじゃない。ただ、答えが出たら、そこで何かが終わってしまうかもしれない怖さもあり、改めて恋愛の複雑さを思い知る。
はっきりさせていないが、これは恋愛でしょう。
日向子はわかりやすいし、小田切にしても口は悪いし、駄目な部分も多々あるが、クズでもない。日向子への気遣いを持とうとしている時点で、「それだよ、あなたの~は」、と私は思ってしまうが、人の恋路に口出しは無用。だって、相手の心の内を微 -
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精神病院を脱走し年代物のボロ車で目的の無い旅をする二人の最後は、、、
躁病の主人公と鬱病の”なごやん”は突然にある日精神病院を抜け出し”なごやん”の広島のメルセデスこと名古屋ナンバーのマツダルーチェで目的のない逃走を図る。
九州の福岡を出発し別府温泉、阿蘇山、宮崎市、鹿児島と車中泊を重ねながら南進して行く道中では何故か大量のヒルが降ってきたり、無免許運転、食い逃げ、畑荒らし等社会で生活していれば絶対に取り得ない行動を繰り返す二人。
小説のところどころで町田康ばりの意味不明な面白さに出会うのもこの作家さんの特徴で”なごやん”憧れのポルシェに無免許の主人公がルーチェでぶつけて当て逃げす -
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高校時代から気になっていた異性とのドライ?クール?な付き合いに友達以上の関係性を感じられない主人公は連絡の途絶えた20歳の時に同じ大学の彼氏が出来るが卒業時に別れる、社会人になって東京を離れてもなんとなく恋人でもなかった筈の高校時のドライな彼を思い出す日々。。。
帰京の際に偶然に彼と出会い、何となく近くて遠いドライなお友達関係が復活する。彼はバイトをしながら小説を書き作家デビューを目指しているがある時自殺未遂をしてしまう、、、
彼の棲む家の場所は袋小路だが執筆に悩む彼も袋小路に陥って居りそんなドライな彼に恋心を抱く主人公もまた袋小路に捕まった女なのだ。
二人ともリスの様にヒマワリの -
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ネタバレ軽妙な文体で読みやすい。この世代の人はこういう時代を生きて、みたいな世代感が全然分からないためになんとなくぼんやりと霧の中を行くように読み進めていたんだけど、何にも信じられないから神様だけは信じられる、毎日謝ってるっていうバンジャマンの話はすごくわかるなあと思ってしまった。
江崎は大人は生でぬるついて気持ち悪いっていうけど、私は子供の方が生で怖い。神様は人の罪なんて聞かずに応援しろ、祈れって言うけど、ただ聞いてくれるのってむしろすごい応援だと思う。なんか根本が違うんだろうな。江崎はちゃんと人が好きな人というか、結局のところそうだからセクトみたいな活動だってできるんだろう。そう考えると「愛がない -
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表題作「袋小路の男」は、高校のときに好きになった先輩の小田切孝を見つめつづける大谷日向子の物語です。一方「小田切孝の言い分」は、二人の関係を小田切の視点を中心に、三人称の文体でつづっています。
ある意味では、著者の文章は小田切と日向子の自意識を容赦なく抉っているともいえるのですが、突き放した視点でえがきつつも人間の哀れさのようなものを教えてくれるといったまとめ方には収まらない、不思議な読後感がのこりました。けっして温かいまなざしではないものの、どうしようもない二人をそのままに受け止めるといった感じでしょうか。
「アーリオ オーリオ」は、松尾哲とその姪の美由との手紙のやりとりを中心にした物語 -
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『資本論』の一節が頭のなかに響くことに悩まされる花ちゃんが、なごやんという青年とともに精神病院を脱出し、彼の運転する車で福岡から南へと九州を駆け抜ける物語です。
精神病院からの逃走劇ということで、もっとぶっ壊れた内容を想像していたのですが、方言が飛び交う二人の会話と、行き当たりばったりな旅の雰囲気のおかげで、全編にわたって明るさを感じる内容でした。
『資本論』と「逃走」というテーマは、80年代の島田雅彦の作品を連想させますが、東京かぶれの名古屋出身者という設定のなごやんが前時代的な地方コンプレックスを丸出しにしていることが、こうした図式に収まることを拒んでおり、力の抜けた作品世界をつくり出 -
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表題作の「イッツ・オンリー・トーク」と「第七障害」の二編を収録しています。
「イッツ・オンリー・トーク」は、橘優子という35歳の女性の物語です。議員候補の本間、鬱病でヤクザの安田、いとこで元ヒモの祥一、そして優子と奇妙な関係をつづける痴漢など、彼女をとりまく男たちとの日常を、タイトルが示すとおり「イッツ・オンリー・トーク」、すべてはムダ話だという調子でえがいています。
「第七障害」は、かつて馬術大会でゴッドヒップという馬とともに出場するも転倒してしまい、馬を安楽死の運命へと追い込んでしまったことに対する懺悔の念をいだきつづけている早坂順子の物語です。彼女のライヴァルだった永田篤や、同居人の -
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ネタバレ確かにファンタジーのお話。読後にあらすじで考えれば荒唐無稽なんだけど、そこで書かれていることが地に足ついているためにそのことに気が付かないようになっている。
孤独は心の輪郭で、自分のあり方だっていうのは、わかる。輪郭がなければ触れ合うことができないから。でもこの本の登場人物たちはあんまり触れ合おうとはしていない。惹かれていても、みんなどこか別の方向を向いていて、私はこういう話は切なくなってしまって苦手だ。
孤独とともに現れるファンタジー。孤独は人と一緒にいてもある。後で思い返せば、輪郭に触れれば良かったのに、何で孤独に浸っていたんだろう、と後悔することがたくさんある。私は今こう思っていて、あな