松村栄子のレビュー一覧
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ネタバレ松村栄子、1961年生まれ。
17歳当時は1978年。福島県立磐城女子高等学校。
その後、筑波大学第二学群比較文化学類を卒業。
1990年に海燕新人文学賞デビュー。29歳。
1992年に芥川賞。
2006年センター試験で出題。当時は絶版だった。
この文庫は2019年。
カバーイラストは上條淳士。
時代の雰囲気を感じるために検索してみたが、1978年に公開された、
邦画は、石井聰亙(のち石井岳龍)「高校大パニック」、山田洋次「幸福の黄色いハンカチ」、佐藤純彌「野生の証明」
洋画は、「スター・ウォーズ」、「未知との遭遇」
アニメ映画で「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」(※翌年に富野由悠季「機動 -
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とても大好きな本の一冊。
心の機微が丁寧に描かれていて、現実味のない人物設定ではあるが、妙なリアリティ、説得力がある。
ただ、読むことで心に寄り添ってくれる、安らぎを得られるような本ではなくて、心が抉られるような焦燥感が残る。
それは、アイデンティティとしての「僕」を確立しようとする少女に同情以上の情を抱いてしまうからなのか、それともこの主人公以上に自分がアイデンティティを持つことに対して現実的になっていないから焦りを感じされられるのか、もしくはその両方かもしれない。
ただ、外の世界を上手に生きていくのに必要な心構えというものが永遠にできそうにない、いまの自分の焦燥感がありふれたものに -
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復刊記念。
文庫版だと、単行本と異なり、大分レイアウトが詰まつてゐて、またいくらか最低限ではあれど、筆者本人の手直しが加へられてゐるので、初めて読んだ時のような透明感とはまた違つてみえる。
けれど、ひとりの人間が生きること死ぬこと、存在するといふことを真剣に考へ、表現したといふ事実には変りない。かうして何度も読み直して、再び<僕>に出会ひ、<わたし>に出会ふ。読み返すたびに、また出会へる。読書の喜びはここにある。
自分とは何か。存在するとはどういふことか。誰もが一度は必ず考へること。年を重ねれば重ねるほど、その問ひは日々の生活と呼ばれるものの中で流され、蓋をされ、考へられなくなつてしまふ。ひと -
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ああああーっ!!!
また最後に爆弾ぶっこんできたー!!!…ってのが読後、いや読み終わる直前に湧き上がった感想。
もとよりシリーズ化を意図していたのかそうでないのかは分からないけど、しかしシーリズそれぞれ、1作の物語としてみたときに、最後の最後に何かを書き置いていくんですよねえ、このシリーズ。
作品のクライマックスという〆の場で、新たなドラマのさわりだけ見せられて満足して納得できますかってーの!!
デザートじゃないぞ、それだけでもうメインですからね!!
…って、興奮して読み終えましたとさー。
体温上がった気がしたわ、ホント。
そんなこんなで今作もとても楽しめました。
東京に戻った遊馬が、しか -
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表紙がちょっときつい…
お茶によるお茶のための物語というよりは、その先を超えて三道が交わる「生」による「生」のための物語と感じた。前作と比べて、かなり用意周到に物語が構築されている。
なぜだか知らないが「ここ」にいるというまさに「ご縁」。何者であるか強いたり与えたりを、物語で決してしない。する必要がないから。何者であるかは、探しているうちは見つからない。今・ここに在る以上、もうすでに何者かなのだ。気付かないのは、目先の利便さに奪われて、ほんとうにみたり・聞いたりしていないからだ。小さな花が揺れるだけでそこにお茶が宇宙が見いだせる。そよぐ風の中に音楽が弓道が見いだせる。かくも道は、いつも共にあっ -
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好きだー!!大学で茶道部に入ったのは、単純ながら高校生のときにこれを読んだからっていう理由がなかなかデカイ。普段から当たり前にやっていることだと、それを好きでやっていることに、なかなか気づけないものです。しかもそれがまわりから与えられたもので、当たり前のように自分の進む道が見えていたら、ついつい反発してしまうものです。そんな茶道の家元の長男・主人公の遊馬は、自分を見つめ直したく・・というか、自由を求めて、茶道の世界から逃避。しかし逃げても逃げてもお茶のほうが遊馬を追いかけてくるという、なんとも面白い状況についニヤニヤしてしまう。遊馬の成長を描いたエンターテイメント青春小説としては長すぎるという
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