菊池光のレビュー一覧
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以前読んだ時にはあまり印象に残らなかった作品。読み返してみるとなかなかの傑作でびっくりした。初読時を思い出してみると,サバイバルの専門家である作家が主人公ということなので,バグリイの「原生林の追撃」とか,フランシスなら「本命」のような,マンハントから逃げ回るような派手な設定を期待していたから,肩すかしをくらったような気持ちになったのではないかと思う。大間違いである。
主人公は作家である。今までパンフレットのようなものを書いていたので,小説家としては駆け出しで,極貧の生活をしている。ある人物の伝記を住み込みで書くことになるのだが,その人物の周辺で巻き起こる愛憎にあふれた人間模様と犯罪が,この物語の内容である。ずばりと犯罪が描かれていくまでに少し時間がかかるのだけど,そのぶん少しドロドロとした愛憎劇にたっぷりつきあうことができる。なかなか興味深い。
主人公がサバイバルの専門家であり,実は優れた作家であることが,物語の中で大きな意味を持つ。作家であることは,観察力,洞察力,想像力を生かした「目」としての役目と係わるのだけど,優れた「目」でなければ,この物語が描き出す人間模様がくっきりと見えなかったに違いない。
サバイバルの専門家であることは,この物語のアクション的な要素を大きく係わる。いくつかある「危機からの脱出」シーンは,かならずしもアクションとして派手ではないのだけれど,描写に優れていて胸が重くなる。最後の山場の盛り上がりに向けて,少しずつ流れをつくっていく様は,さすがに名人芸である。
サバイバルは心の持ち方である。これが主人公の考え方のひとつである。それが大きく試されるのが最後の山場である。アクションとしてはやはり派手ではないのだけれど,じっくりと描かれている主人公の「闘い」は,中期フランシスの名シーンのひとつではないだろうか。「利腕」で明確になった「戦う相手は心の中にいる」というテーマの,設定におけるひとつの頂点なのではないかとさえ思う。
ただ,物語として考えると,真相の後味の悪さが辛かった。さわやかな結末を望む方には,どうもお勧めできないなと思ってしまう。 -
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ずいぶん久し振りに読んだけれど、思った以上に充実した傑作で実は驚いてしまった。初読の時にあまり印象に残らなかったのはなぜだろう。
急死した兄の事業の整理(それだけではないのだけれど)を心ならずもすることになった騎手の物語である。騎手自身は仕事上の事故で足を骨折していて、それが物語としても大きな陰影を与える。行動上のハンディであったり肉体的な弱点になると同時に、精神的な面でも印象的である。
多くの謎が主人公の騎手の前に立ちふさがる。知っているはずのものが急に死んだことで結果的に謎になってしまったこともあれば(今僕が急死したら例えば僕のPCの起動はできなくなる)、犯罪に関係した謎もある。そういう点では、多くの事件が平行して進行するタイプのミステリといえなくもない。
人間というのは多かれ少なかれ謎をはらんでいる。騎手は次第に自分の兄の人間像を詳しく知っていくのだけど、その人間像がなかなか魅力的で、「もっと早くからたくさん知り合っておけばよかったのに、もう取り返しがつかない」と騎手が嘆くのが切ない。前半部分では特に、生と死についてさまざまなことが心に浮かんできて、作品としての深みを感じさせる。
ミステリとしてはやや小品で、初期の作品の変奏曲のような印象を持った。しかし、この作品の持ち味は、犯罪がありその犯人を捜すということではなく、もっともっと普通小説に近いものだと思う。ただ、サスペンスはさすがで、手に汗を握るようにして読み進められる。主人公に与えられる肉体的な苦痛も、シリーズ中屈指かもしれない。彼が感じる恐怖も。
ただ残念なのはタイトル。直訳の日本語タイトルだけど、この単語の意味を「直線」といってしまうのは間違いといってもいいくらいだと思う。この単語は主人公の形容として使われていて、「まとも」とかいうような意味合いに、かなり深いニュアンスを込めているのだと思う。もう少しうまい二字熟語がほしかったなぁと残念に思うのである。 -
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名作揃いのフランシス作品の中で、ベストとは思わないけれどもかなり気に入っている作品であった。今回本当に久しぶりに読み直してみて、頭の中にあったイメージよりもずっとずっと「異色作」であったことに驚いた。
事件としては、そう珍しいものではない。主人公は清廉潔白とは言い難い新聞記者である。彼の友人が自殺し、その背景を主人公が探るうち深入りしてしまい、敵の執拗な攻撃に遭う、というプロットは、フランシスの場合むしろよくある話だ。敵の脅迫に屈しない主人公の闘志も、いかにもフランシスらしい。
例外的なことのひとつは、主人公の「家庭環境」である。前シリーズの中でももっとも印象的と言っていい。そして、そのことが主人公の心理に与える大きな影響は、読んでいてハラハラしてくるほどだ。一人称の物語の場合、どうしても主人公の視点で物語を見ていくのだけど、それを少し批判的に読んでいくと、ますます苦みが感じられる。
そういうことを背景にした、主人公の振る舞い(ネタバレにならずに書くのはきわめて難しい)は、まさにシリーズ中では異色中の異色で、全作品を読んだ後で改めて読み直すと、本当にびっくりする。それが心理的な意味でも彼を追い詰めるわけであるし、彼が戦う相手が自分自身であるという点で、中期の作品の(毛色の変わった)先駆けなのかもしれない。
ただし、最後の数行はいただけない結末で(すごくわかるけど)、一年後くらいにやってくる次の悲劇をどうしても想像してしまう。男って、悲しいね。
どうも読み直してみると思うのだけど、僕にとってこの作品が魅力的だったのは、強い男のどうしようもない弱さのため、そしてラストに近いところにあるゲイルという女性の言葉のためだろう。全体としてはそれほどの傑作ではないかもしれないが、僕にとっては妙に気になる作品である。 -
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久しぶりに読んで驚いたのだけど、なかなかの名作である。前作「利腕」があまりにも有名なので、その影に隠れていたきらいがある。
主人公のフィリップ・ノアはプロの騎手であり、アマチュアのカメラマンである。友人の父親でプロのカメラマンが車で立木に激突して命を落とし、そのことに関わり合う中で、奇妙な出来事に巻き込まれていく、という物語と、母親から半ば見捨てられて孤独に育った彼が、敵対している祖母の依頼でまだ見ぬ妹を捜すという物語が、平行して進行する。
家族環境とでたらめとしか思えない母親のおかげで、他人の間を転々としながら成長した主人公が、波風を立てぬように、他人と敵対しないように人の顔色ばかりをうかがいながら生きてきた感じがしみてくる。そして、そういう彼が新しい人生観を見つける姿は感動的だ。また、騎手という職業に関する、特に、自分が好きな仕事を続けられなくなるとき、人はどうしていくのかという問いかけは、胸に迫ってきた。
結局のところ、彼自身に才能があるわけで、その辺はフランシスの小説らしいところであるのだが。
ミステリとしては、謎解きの要素もあるものの、それほど重きを置かれている感じがしない。それどころか、結末に至るまで読んでいくと、もしかしたらかなりの異色作なのではないかという感じがする。「デス・ノート」ばりの、私的な正義と読めなくもないのだ。ただし、そのこと自体が、主人公の人生の在り方を大きく関わり合っていくので、後味は悪くない。
主人公の恋人役、僕はかなり好きな女性像である。 -
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互いに何世紀もにわたって対立し、時には殺し合ったふたつの家が背景にある。まるで「ロミオとジュリエット」そのままに、両家の男女が憎しみを超えて愛し合うようになり、やがて結婚する。主人公は、「ロミオ」でも「ジュリエット」でもなく、ジュリエットの兄で騎手である。
かなり成功した騎手だ。名誉も名声も手に入れている。なんといっても王女の持ち馬に乗っているのだ。このあたりは、自身も「女王陛下の騎手」であった作者の経験が生かされているのだろう。なにせ、主人公であるキットは、あのシッド・ハレーをのぞけば唯一、2作に登場した人物なのだから。お気に入りのはずである。
成功した騎手であるということは、失うものもたくさんある。そういえば、先日再読した「度胸」も、いわば人為的な風評被害に騎手たちが襲われる話であった。今作も、当面の相手がマスコミであり、無責任な記事により危機に突き落とされるという点は似ている。ただし、被害を受けるのは主人公の妹夫婦だ。
だから、この物語は、妹夫婦の危機を救うために、悪意に満ちたマスコミと戦う物語なのである。まさに、白馬の騎士として主人公は戦う。ただし、最初に書いた家の対立と、マスコミの悪意の理由が物語を複雑にし、一種独特の陰影をこの物語に与えている。途中から、主人公にとって誰が敵なのかを見失いそうになるのである。
長い時間積みかなさった負の感情や、何人かいる悪役たちの憎らしさを和らげてくれるのは、王女との温かい交流と、ヒロインとの恋愛である。思想の馬主のように描かれている王女の素敵さは、この作品にとても優しい色合いを与えてくれる。でも個人的なことで言えば、それ以上に好きなのはヒロインとの恋愛物語の側面である。
ヒロインは、さっそうとしたキャリア・ウーマンとして登場する。ふたりがプレゼントを交換するシーンが、僕は大好きだ。そして、最後の1行も。心が通じ合うということに対して、すっきりとわかりやすく、でも感動的に描き出していると思う。やや、強引な設定があるにしてもね。
そういうわけで、実にお気に入りの1冊。今回、初めて文庫本で読んだのだけど、(当たり前だが)単行本にはない解説エッセイがあって、それもまた楽しめたのであった。 -
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障害レースで大穴が続くという波乱には、隠された意図と不正があるのではないか…
一連の不正について証拠すら出てこない疑惑の解明を、障害レースの理事より依頼されたのは、牧場経営者のダニエル・ローク。
ストイックに依頼を遂行するロークの所作と決して弱音を吐かずに困難に立ち向かう姿に、ハードボイルドな男の生き方を感じました。
本作は、ハードボイルドでありながらミステリとしても一級です。いかにして競走馬に興奮剤を与えたのか、しかも一切の証拠の残らぬように…。
思いもよらないトリックの着想と、不正を行う人間の残忍さと手強さを強烈なまでに印象づける描写が、本作の完成度の高さを物語っています。
本作を通じて印象に残るのは、やはり主人公・ロークのタフな精神と正義感の強さでした。
彼の内面が主観的に度々描かれているのは、ロークが様々なシチュエーションで自分を演じていた為でしょう。
本作の重大な鍵を握る『恐怖』というものにローク自身が立ち向かう姿は、お手本のような凛々しい姿として、私の目に映りました。 -
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主人公が映画俳優というのにはかなり意表をつかれた。相当売れっ子の俳優だけど、実に人間的で友達になりたいタイプの男である。スキャンダルを求めたり、広告塔として振る舞うことを求めたりする業界の人たちや、登場人物のキャラクターと俳優の人柄を混同する人たちのおかげで、主人公の魅力が引き立っている。わずかなシーンでしか登場しないのに存在感が大きな家族たちも、主人公人間像を魅力的なものにしていると思う。
犯罪捜査の話でいうなら、途中の微妙などんでん返しが印象的だった。それがあるから犯人の邪悪さがはっきりと見える。このあたりは、さすがにうまいなあと唸る。
主人公が俳優であることが大きく意味を持つのは、最後の山場だ。それを抜きにしても、シッド・ハレーものに匹敵するくらいの、 迫力のある設定で、読んでいて苦しくなる。だからラストの爽やかな友情がフワリと読者の心を打つのだと思う。
全体としてあまりによくできた話であり、「味わい」という点では名作にはなりきれない作品なのかもしれないが、爽やかで気持ちよく読める傑作だと思う。 -
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今作を最初に読んだのは大学生の頃。この「大穴」と「利腕」に登場する主人公、シッド・ハレーの生き様に痺れたものだった。
20年近くディック・フランシス作品から離れていたが、気づくとシッド・ハレーは2008年までに4作品に登場しているとの事。これはイカンと読み返す。
やはり面白い。何というか、隙の無い面白さだ。
ストーリーや語り口に無駄が無く、登場人物も非常に魅力的だ。
養父・上司・同僚・敵や情報提供者までもが生き生きと描かれている。
そしてこの主人公。類まれな実力と、拭い切れない劣等感を同時に抱える男。彼が戦うのは、社会的な悪党だけではない。己の劣等感や恐怖心とも対決していく。
ディック・フランシスの作品では、ほとんどの主人公が単発出演だ。しかしシッド・ハレーには次のステージが用意された。それが「利腕」である。過去に読み終えた作品なのに、わくわくしてしまう。
いろんなところで言い古された言葉だが、「競馬シリーズと言っても、ことさら競馬の知識は必要ありません」と強く言いたい。もっと多くの人に知ってもらいたい作品なのだ。タイトルも混同しやすいしねw -
Posted by ブクログ
かなりファンの間では評価は高いのだけど、個人的にはもうひとつ気に入らなかった作品である。
強い自殺願望(鬱?)を持つ秘密調査員が、上司の個人的な依頼を受けて、休暇を使って名馬盗難事件を捜査する話である。もちろん、事件は解決するし、その過程で主人公は生きる意欲を取り戻す。暗い話だなあという印象を受けるかもしれないが、確かに暗い感じがする。でも、最後はハッピーエンドなんだなと安心されると、安心するなよ、と言いたい。
わりあいいろんな意味でセレブを主人公にすることが多い作者の作品の中で、この「自殺願望」は異色である。自身も成功者である作者がどういう気分でこういう設定をし、書き進んだのかはよくわからないけど、(こういう言い方はどうかとも思うが)実に迫力があり説得力がある感じがする。
そういうドーンと暗い状態に主人公を置くからこそ、そこから(ある意味)はい上がることがドラマになるのだし、実際、さりげないラスト1センテンスに込められたものが大きくて、僕はこっそり涙ぐんだりしたのである。
ミステリとしては、意外なぐらいすっきりとしたハードボイルド風。ストーリーのすっきりさはむしろマーロウに近いかもしれない。登場人物に味わいがあって、つい読まされてしまう感じも近い。
評価が高い理由が素直に飲み込めた再読であった。 -
Posted by ブクログ
数あるフランシスの作品の中でも、もっとも設定に凝った作品ではないかと思う。
カナダを横断する鉄道の中で進行する、「オリエント急行殺人事件」を思わせるような、ある意味クラシックな舞台であること。
犯人は誰か、を操作するのではなく、犯人がなにをやろうとしているのかを探り、それを未然に防ぐことが探偵役の目的であること。
探偵役は自らの正体を隠していて、さらに列車の中ではイベントとして推理劇が行われていくという、トリッキーな仕掛けがあること。
その他にも、「ハムレット」を擬した逆トリックなど、目を見張る仕掛けに事欠かない。
正直、最初に読んだときにはその仕掛けに幻惑され、凝っている割にはどうもサスペンスに欠ける、なんて思ってやや不満であった。しかし、改めて読み直してみると、作者のこだわりが大きな効果を上げていることがよくわかる。再読の方がずっとおもしろかった。
主人公の恋の話がほほえましい。そして、声だけで登場する女性も、わくわくするほど魅力的だ。
例によって、主人公が大金持ちのスーパーマン、そして29歳の若さと言うところだけが、どうも納得しかねるのである。 -
Posted by ブクログ
再読シリーズである。
今ひとつ印象が強くないのは、フランシスにはまったばかりで1日1冊ペースで既刊本を読んでいた頃に読んだからだろう。飛行機の話、というくらいの印象しかなかった。
再読して、思いがけないほど派手な話であることにびっくりした。最初の爆破事件、中盤の山場である迷子の飛行機を探すエピソード、そしてラストの見せ場。すごい。
傷心から心の閉ざしてしまった主人公が再生する物語、というのは、まあ、王道パターンだ。そしてこの小説は、絵に描いたようにそのパターンをなぞっている。ただし、その傷心の原因がわりあい(客観的には)それほど大きなことに見えないので(僕だけだろうか)、なんだか物足りない(いじわるかな)感じがする。
その割に、主人公のスーパーマンぶりはものすごいので、結局復活劇にもうひとつ共感できなくて、つまり「すごい人はやっぱりすごくて、途中いろいろあっても、最後はいいとこさらってくんだよね」って印象を持ってしまった。(それは僕は小市民でひがみっぽいからだろうか)
劇画的な派手さがすごくあるにもかかわらず、もうひとつ心にしみてこないのはそのあたりのような気がする。
が、純愛小説として読めば、なんだか心を締め付けられるようなところがたくさんある。主人公が、かわいいのだ。
実際に飛行機を操縦していた人にしか書けないのだろうな、と思う中盤のエピソード。主人公の思いにしっかりと共感できるのは、これが恋愛ドラマだからだ。正義のためならこうはいかないはず。
ただし、このエピソードで僕の涙腺が一番やばかったのは、裏方さん達の頑張りに主人公がちょっと触れた部分であるのだが。
それもまた、フランシスならではの味である。