熊代亨のレビュー一覧
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ネタバレおもろかった。めっちゃ自分の事書かれてた(笑)
「推しを推したい気持ちが強くなり過ぎるあまり、大きすぎる期待をしては裏切られたと感じたり、買い集めたグッズを焼却炉に放り込んだり」←私すぎ(笑)
「でも、そこまで推し活に不器用な人、理想化自己対象をとおしたナルシシズムの充たし方の苦手度が高い人は少数派でしょう」←え……?私少数派だったの……?
自分はこの本の通り、鏡映自己対象をとおしたナルシシズムの充足が足りずに理想化自己対象をとおしたナルシシズムの充足も不器用になっている片翼飛行の状態だと思います。
とても腑に落ちます。
でも上記のように私は少数派であるようで、この本では多数派に向けて語られ -
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ネタバレウシやブタ、イヌやネコが家畜化したのと同じように、人間もまた家畜化が進んでいる。それは、ウシやブタのような人為的家畜化ではなく、イヌやネコが人間の生活環境に自ら適応し、生物学的な性質を穏やかで協力的な方向へ変えてきた、自己家畜化であるといえる。
自己家畜化とは何か、その歴史から始まり、現代社会が家畜化と言われる所以、それに適応できない人について、最後に未来はユートピアかディストピアかについて語られている。
現代を生きる人間は自己家畜化を経てきた、それは現在進行形であると言い切るなんて野蛮な、という第一印象をタイトルから抱いていてとても興味がある本でした。
家畜というとウシやブタのことを指 -
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推しがいるオタクにはぜひとも読んでほしい1冊であった…
SNSが生まれ、推し活がより大規模に気軽になったことで「萌え」から「推し」に変わり、社会も変化してきたなかで「推し活」が個人にどのような影響をもたらすか、どういった欲求を満たしているのか。その功罪と「推し」や「推し活」と上手く付き合っていくための心がけがまとめられている
現在の「推し」や「推し活」は承認欲求と所属欲求を満たすものでもあり、つまりそれは自己愛(ナルシシズム)を満たすものであるとしている。しかしながら、それら自己愛(ナルシシズム)や承認欲求と所属欲求を悪いものだとはせず、あくまでも付き合い方が重要であると熊代氏はこの本で書いて -
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「私という自分は何者であるのか」という自問
に対して、「私は〇〇が好きで」「こういう趣
味があって」などの答えが出てくると思います。
これはアイデンティティーという言葉に置き換
えることができます。
つまり、その人を構成している要件や要素なの
でしょう。
この要件は生まれながらにして備わっているも
のではありません。思春期や大人になってから
身につくものです。
人生100年時代と言われる現代では、60歳
を過ぎてから身につけることもあるらしいです。
「自分のアイデンティティーってなんだ?」と
自問自答する機会はそうはないと思います。そ
のきっかけを与えてくれる一冊です。 -
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タイトル通りのことが何回も繰り返して書かれていました。引用を多用しているので仕方ないのかもしれないですが、頑張れば1/3の厚さにできると思いました。
内容に関しては、他の方がおっしゃっているようにレイヤーが一層上がる視点をくれる良書だと思います。
日々、便利だし他者から見たら幸せな環境なのに生きにくいと感じるのは何故だろう、と思っている部分に関して、答えをくれている気がします。
私も昭和終盤生まれなので、暴力や理不尽が横行していた昔に戻りたいとは絶対思わないけれど、今のキチンとしすぎている令和が苦しいのはそういう過去を知ってるからなのかなーと思えました。私より上の世代が今でも昭和的な横暴な -
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「大人である」「大人になる」その一文字の違いには、大きな隔たりがある。
「大人」になるということは、階段を上がるイメージであったが、いざ迎えてみると、緩やかな坂を登るように、気づいたらなっているものに近かった。それは、年齢で区分された大人であって、この本で語られる「大人」ではない。
著者は、『世代や立場が違う人に、その違い踏まえて対応すること(P38)』が「大人」の定義と冒頭で述べている。
そして、「大人になる」ということは、この本によると、人生の主役をやめて脇役に転じ、若者を育てていく側になることらしい。
このあたりが非常に難しい。なぜなら、いま周りにあるものがほとんど、人生の主役に -
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今の日本人は世の中の秩序を重んじるばかり、子供を産み育てるということを、究極のリスクファクターと捉えるようになってしまった。
子供は社会のマナーや常識を身につけるまでは、人様に迷惑をかけるというリスクを持つ。怪我をしたり病気になるリスクをもつ。落伍者や犯罪者に育つというリスクを持つ。最も秩序から離れた存在だ。
個人の「不快にならない」という権利が強調されすぎて、今の世の中は秩序から外れた人間を受け入れる要素は持っていない。もちろん子供だけに留まらず、所謂「社会不適合者」も受け入れようとはしない。
かつての日本は、ちょっとばかり不潔でも、鈍臭くても、なんやかんや社会に居場所はあった