熊代亨のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
これかなり面白かった!
自分は社会不適合だからダメだ…と思ってる人にぜひ読んでほしい。あなたはきっと悪くない。
内容としては、生物学的な自己家畜化が、文化や環境の変化スピードに追いついてない人が医療や支援の対象となっているのではないのか、このままで良いのか、という話だったように思う。
前半は、そもそも自己家畜化ってなんぞ?という話で、ここがめっぽう面白い。動物の自己家畜化の事例や、人間が進化のうえで穏やかにより社会的な人間になってきたことが明かされている。ここが面白すぎて、読みたい本がめちゃくちゃ増えた。笑
そして後半は現代の話にうつる。他人を不快にさせない、長寿で、健康で、効率的であるべき…など、文化や環境が人間に求める能力や行動は変わっていき、生物学的な自己家畜化が追いついていない、そこに適合しない人間は精神疾患と看做される。昔より安全に暮らせるが、本当にこれでいいのだろうか?と著者は警鐘を鳴らす。
これは大きい問題で、かつ解決が非常に難しい問題だと思う。文化が変化するスピードは変えられない。著者は人間にやさしい文化や環境へと舵を切り直すための知恵と勇気が必要と記しているが、人間にやさしい文化ってなんだろう?とも思える。でも多くの人間が自己家畜化という言葉を認識し、現状を理解していったならば、少しずつ何かが変わるのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
そんなつもりで手に取ったわけではなかったが、まさかの育児に活かせそうな知識。
幼児期に子どもを程よく推し、推されるような関係はナルシシズムの成熟に非常に作用するとのこと。
そこから子どもは親を承認欲求を満たしてくれる、また目標となる存在と変わらず感じながらも、親の欠点も見えてきて、それでも関係が続けられることで他の人にも同じように期待しなさすぎずしすぎず、程よい距離感で付き合いやすくなるとのこと。確かにそうだろうなと。
遠い「推し」にはもちろん自分が養分となっている自覚を持ちつつ、身を滅ぼさないように程よく推すには良いが、自己のナルシシズムの成長的には先輩後輩だったり家族だったり、ライバルだったり、身近なところでいろんなパターンの前向きな人間関係を体験する方が大切だと。
自分の体感としてもそうだろうなと思うことが、子どもにも説明しやすいレベルで噛み砕かれて書かれていて良かった。
遠い推しも近くの子どもや旦那や義母などの推しも、多くて困るものじゃないよね!よかった!と推しが多い自分を肯定された気分でもある。 -
Posted by ブクログ
本書では、日本社会を「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」とし、その社会の在り方を肯定はしつつも、人のあり様が社会に規定されていること、そして、その社会の枠に入ることのハードルが時代とともに高くなっていること、枠に入ることが難しい人が増えていることを指摘しています。
私は日本以外の先進国と後進国、それぞれにおいて数年暮らした経験があります。その中で感じたことは、自分自身の中に内面化されている習慣、秩序、価値観はなんて脆いのだろう、ということです。他国に行った当初は、日本のように街が秩序だっていないこと、その国に暮らす人が自分のことしか考えていない振る舞いをしているように思えること、それらにイラつき、怒りを覚えました。けれど、そこでしばらく生活すると、それが自分にとって当たり前になり、今度は日本に帰国した際、日本のカッチリとした枠にはまれず、居心地の悪さを感じ、日本人は何故こんなにも心が狭いのか、と感じました。それは、自分が暮らす社会の規律、習慣、そこで暮らす人々の価値観に容易に染められていることを意味していて、自分というものが何て脆い存在なのかを自覚した時でもありました。
私が私であることは、暮らすまち、資本主義、個人主義などの社会システムと、そのまちに暮らす他者の影響を大きく受けたものであること、そしてそれにうまく入り込める人がいる中で、うまく入り込めずに苦しい人も多くいること、そして、その人たちに対しても受け入れる寛容な自分であることを意識しながら生きていこう、と再認識させられた本でした。 -
Posted by ブクログ
『人間はどこまで家畜か』もうタイトルにぎょっとする
ここでいう人間の家畜化というのは、現代の人間はより穏やかで安全な文化に適応して生活しているのだけれど、
この文化がより高度なもの、より礼儀正しく感情を荒げることなく他者と協力的なコミュニケーションを取れることを人間に求めるようになってくると
不適応を起こし、文明からこぼれ落ちていく人間が増えていくばかりではないかという懸念ともっと動物としての人間にやさしい未来を考えるべきではないかという警鐘を鳴らす本であった。
たしかに現時点で精神疾患が学生だと不登校、発達障害なんかも増えており、そういった判断や治療が行き届くこと自体は喜ばしいことだけれど、
結果的にふるい落とされた人を排除していることにならないかという指摘には頷いたし、こういった生産性を希求する姿勢そのものがもう限界にきていると思った
熊代氏の言うように高度な文明に生きる人間というよりも、もっと動物的な部分にフォーカスする未来のほうが大人も子どもものびのびと過ごせるのではないかなと思う -
Posted by ブクログ
ネタバレ犬や猫は自己家畜化した動物。自ら家畜になった。人間も同じ。
動物園の動物に似ている。動物園の動物は繁殖ができない。ホッキョクグマは、半年以上生きられたのは122頭中16頭。
自己家畜化とは、人工的な環境でより穏やかで協力的な性質に自らを変化させること。
『暴力の人類史』によれば、人間の暴力性や衝動性が減ってきている。
現代人は理性的で合理的、感情が安定しているように強制されている。それができない人が精神病になるのではないか。
アナール学派=社会が変わるとルールや生活習慣だけでなく感情や感性まで変わる。
家畜化したギンギツネの実験。攻撃性が少ないキツネを交配することで、13代でペットとして買えるほどになった。
その特徴は、小型化する、顔が平面的になり前面への突出が小さくなる、犬歯など歯は小さくなり顎が小さくなる。性差が小さくなる。角が小さくなる、脳が小さくなる、繁殖周期の変化。
ホルモンの変化で攻撃性が少なくなる。白い斑点ができるのはホルモンのせい。色素を作るメラノサイトが端まで移動できず、尾の先端や足の体毛が白くなる。副腎の大きさも機能も小さくなり、感情的情動的反応が穏やかになる。象牙芽細胞が少なくなり歯が小さくなる。脳の成長が遅れて小さくなる。性ホルモンが変化し、発情期や生殖サイクルが変わる。
人間にも自己家畜化が進んだ。歯、口、顎のサイズが時代とともに小さくなる。人類は火をあやつることで大きな脳を持てるようになった。消化率がよくなった。ホモサピエンスはネアンデルタール人より脳が小さくなった。脳の使い方が変化した。攻撃性が減って野生動物としての感情的な反応が低下した=穏やかな感情を身につけた。野性的な脳から家畜的な脳へ変わった。文化がヒトを進化させた。動物と穀物を養うと同時に人間も家畜化されたのではないか。
人類は唯一の耐火種である=火を見て温かい気持ちになるおは人間だけ。
攻撃性は反応的攻撃性と能動的攻撃性がある。セロトニンのおかげで、反応性は減ったが、能動性は減っていないため戦争はなくならない。
子どもは「7つ前までは神のうち」死亡率が高い。
かつてはいつ死ぬかわからないという死生観を持つしかなかった。飼いならされた死。
資本主義の定着で、社会契約の遵守が重要になった。
いつ死ぬかわからない死生観では、資本主義は成り立たない。社会契約の中で資本主義や個人主義という思想通りに生きることを余儀なくされている=新自己家畜化。
現代の精神を病む人たちは中世では英雄だったのではないか。
ADHDやASDはスペクトラム的な疾患概念なのため、境目ははっきりしない。有病率は3%、4%とされている。
文化的な自己家畜化についていけない人が精神医療にかかる。
ナチスドイツは、向精神薬で恩恵を受けて、最後は弊害とともに崩壊した。
成功同意書は、性行為の領域に功利主義や社会契約のロジックを導入するツール。自由を尊重するようにみえて、自由を管理させるものではないか。
自己家畜化はゆっくりした変化だったが、文化的な自己家畜化は急速で、恩恵のほかに疎外を生み出している。 -
Posted by ブクログ
『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』というタイトル通りの内容。
現役の精神科医である筆者が、現代社会の生きにくさについて語った本である。
いまの日本は昭和の時代から比べれば、医療福祉、都市設計に至るまで、キッチリと整理の行き届いた社会となっている。
発達障害など、現代の日本で暮らしていく上でサポートが必要なところには極力助けの手が差し伸べられるような制度も充実してきている。
しかしながら、それは裏を返せば、これまで「そういう人もいるよね」という社会の一員だった人々を、サポートがなければ「一般的な」社会生活が送れない人々へと追いやったとも言えるし、サポートが必要だとみなされていない、いわゆる境界性知能を持つような人々が取り残されてしまう現状も生み出しているのではないかと言う事だ。
地域共同体としての社会のありかたから、急激に近代国家へと変化した日本では、資本主義原理をありとあらゆるものに適応し、全てをリスクで考える。
それは、結婚や出産、子育てをもリスクの1つとして考えるということであり、我々はとっくにこの考え方を内面化してしまっている。
では、昭和の時代に戻るのが良いのかと言えば、絶対にそんなことはない。
「サポートを受ける存在」とされた人も、かつては受けられなかったサポートを受けられているという事実は存在し、かつてのような曖昧な地域社会の中で、やみくもにプライベートを暴かれたり、暴力やハラスメントによって、生活が脅かされるリスクも格段に下がっている。
それでも、この本を読みながら、これまで自分では喉元まで出かかっていたけれど何となく言語化できなかった息苦しさ、生きづらさのようなものをどんどん説明されている感じがして、終始頷きながら、私はこの本を読み進めた。
この資本主義社会をハードランディングさせることは不可能だし、すべきでないとも思う。
今のこの社会に適応し、その思想と共生しつつも、「本当に正しいのだろうか」という視点を忘れずに生きていきたいと思う。
-
Posted by ブクログ
・「アイデンティティが確立してるか」否かって結局は「人生の方向性が定まってるか」どうかだなと
・↑でいくと、「都会的な生き方」は「田舎的生き方」よりハードモードというか、なんというか(ex.スキルアップのための転職)
・思考停止なのか思考した結果なのか分からないけど、最初の就職先を踏み台にして云々みたいなのって、エッセンシャル思考でもないし、大人になる近道でもないような。
・なんでこういう本ばっかり買って読んだりするかと言えば、社会における人間に興味があるというより(自分も社会の一員だから興味があるというより)も、自分が置かれてる状況をメタ認知したいだけだなと(何言ってるか分からなくなってきた)