熊代亨のレビュー一覧
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『人間はどこまで家畜か』もうタイトルにぎょっとする
ここでいう人間の家畜化というのは、現代の人間はより穏やかで安全な文化に適応して生活しているのだけれど、
この文化がより高度なもの、より礼儀正しく感情を荒げることなく他者と協力的なコミュニケーションを取れることを人間に求めるようになってくると
不適応を起こし、文明からこぼれ落ちていく人間が増えていくばかりではないかという懸念ともっと動物としての人間にやさしい未来を考えるべきではないかという警鐘を鳴らす本であった。
たしかに現時点で精神疾患が学生だと不登校、発達障害なんかも増えており、そういった判断や治療が行き届くこと自体は喜ばしいことだけれど、 -
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ネタバレ犬や猫は自己家畜化した動物。自ら家畜になった。人間も同じ。
動物園の動物に似ている。動物園の動物は繁殖ができない。ホッキョクグマは、半年以上生きられたのは122頭中16頭。
自己家畜化とは、人工的な環境でより穏やかで協力的な性質に自らを変化させること。
『暴力の人類史』によれば、人間の暴力性や衝動性が減ってきている。
現代人は理性的で合理的、感情が安定しているように強制されている。それができない人が精神病になるのではないか。
アナール学派=社会が変わるとルールや生活習慣だけでなく感情や感性まで変わる。
家畜化したギンギツネの実験。攻撃性が少ないキツネを交配することで、13代でペットとして買え -
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『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』というタイトル通りの内容。
現役の精神科医である筆者が、現代社会の生きにくさについて語った本である。
いまの日本は昭和の時代から比べれば、医療福祉、都市設計に至るまで、キッチリと整理の行き届いた社会となっている。
発達障害など、現代の日本で暮らしていく上でサポートが必要なところには極力助けの手が差し伸べられるような制度も充実してきている。
しかしながら、それは裏を返せば、これまで「そういう人もいるよね」という社会の一員だった人々を、サポートがなければ「一般的な」社会生活が送れない人々へと追いやったとも言えるし、サポートが必要だとみな -
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「何者かになりたい」と願っていたと思う。それは、他者から認められたい欲求の表れなのかもしれない。『他者と働く』という本の「自分は自分とその周りからできている」というフレーズを思い出した。また、仏陀の教えに「無我」というものもある。自分さえないのだという考えだ。改めて、自分とはなにかを考え直す。家族、職場、友人、地域、趣味、仕事、SNSなど沢山のことが重なり合って【自分】と認識してるんだと思う。
大人になって新しいことにチャレンジをしなくなることは、アイデンティティを選び終わったからである。これは納得した。チャレンジしている人って、アイデンティティを探している人、もしくはチャレンジすること自体が -
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まろやかなマーク・フィッシャー。とても誠実な本。
日本はモダンを経由せずプレモダンからポストモダンにジャンプしたというようなことは遅くとも80年代末くらいには言われていたと思うけれども、その頃はまだ日本の政治は保革対立で語られていたはず。「多分にプレモダン的な保守政党だった自民党は、従来の支持層のほうを向いた政党から、新自由主義的なロジックに基づいたブルジョワ的政党へと変貌し、これが若い世代に支持されるようになってきている」(p.258)というのには納得なのだが、どこがターニングポイントだったのだろう? 歴代首相を眺めれば森喜朗→小泉純一郎の2001年だろう、と今なら思えるが、このときはそう -
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ネタバレところどころでご自身でも書かれていたけど、やはり主観が多めの本だった。
成熟しにくい社会のシステムになっていることを認識することは大切だと感じる。
現在22歳の私からすると本当にこの感覚をこの先得る日はくるのか?という部分も多かったので、また数年後に読み直すと違う感覚を得られると思った。
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P.43
乳児期(誕生~):信頼vs不信
早期児童期(18ヶ月~):自律性vs恥、疑惑
遊技期(3歳~):積極性vs罪悪感
学齢期(5歳~):生産性vs劣等感
思春期(第二次性徴~):アイデンティティ確率vs拡散
初期成人期(20歳~):親密さvs孤立
成人期(40歳~):生殖性vs停滞
老年期(6