熊代亨のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「大人である」「大人になる」その一文字の違いには、大きな隔たりがある。
「大人」になるということは、階段を上がるイメージであったが、いざ迎えてみると、緩やかな坂を登るように、気づいたらなっているものに近かった。それは、年齢で区分された大人であって、この本で語られる「大人」ではない。
著者は、『世代や立場が違う人に、その違い踏まえて対応すること(P38)』が「大人」の定義と冒頭で述べている。
そして、「大人になる」ということは、この本によると、人生の主役をやめて脇役に転じ、若者を育てていく側になることらしい。
このあたりが非常に難しい。なぜなら、いま周りにあるものがほとんど、人生の主役になるように促しているからだ。コマーシャルは、「あなたのよりよい生活を」というメッセージが込められていて、流行は常に追いかけるもののように喧伝し続ける。SNSは、まさに主役になれる為のツールとして機能している。
それらが決して悪いわけではない。がしかし、人生の主役、ステージから降りること(降りるという言葉のイメージですらも、ネガティブに感じてしまう)を、なんとか引き留めようとする。
そうして、遅れをとり続けて、気がつけば「年甲斐もなく」と後ろ指を刺される年齢となるのである。
情報化社会・多様性・考え方のアップデート。どれも、魅力的な言葉だ。
しかしながら、大人として成熟するには、全てを変えるのではなく、定期的なメンテナンスをする方にシフトし、主役の座を譲らなくてはならないのかもしれない。
考え方の一つとして、この本はたいへん為になったが、どうしても、主役を譲ることが、今の自分には難しく感じる。こういったところがまだまだ磨き足りないのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
今の日本人は世の中の秩序を重んじるばかり、子供を産み育てるということを、究極のリスクファクターと捉えるようになってしまった。
子供は社会のマナーや常識を身につけるまでは、人様に迷惑をかけるというリスクを持つ。怪我をしたり病気になるリスクをもつ。落伍者や犯罪者に育つというリスクを持つ。最も秩序から離れた存在だ。
個人の「不快にならない」という権利が強調されすぎて、今の世の中は秩序から外れた人間を受け入れる要素は持っていない。もちろん子供だけに留まらず、所謂「社会不適合者」も受け入れようとはしない。
かつての日本は、ちょっとばかり不潔でも、鈍臭くても、なんやかんや社会に居場所はあったはずだ。
だからといって人権の軽視を良しとしたり、昭和の共同体社会へ回帰することを求めるのは短絡的すぎる。現代人を昭和の社会通念に放り込んだらたちまち心が折れるだろう。我々はある意味この息苦しい秩序に助けられてもいる。
秩序にがんじがらめにされた社会の閉塞感を打ち破るには、他人の迷惑を許し、主張を受け入れる度量を持ったうえで、自分の迷惑を許してもらい、主張を聞いてもらうことが肝要だと思う。
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ネタバレ一言要約:「『私』によい世界」の創造が競争された先に出来る「誰のものでもない世界」への懸念
衝撃的なタイトルも何かひきつけられるものがあって選書したが、正解だった
人の進化はもはや生物学的、フィジカルのそれと精神的で文化的、サイバー的な進化があり、この速さが全く違うこと、進化度合いのギャップの狭間に落ちる人の多いことについての警笛と捉えた
著者は便宜上か、この進化を創り適応している人とそうでない人という二分をしたが、個人感覚では、誰一人勝者がいなさそうに見える。つまり、誰しもが人の進化に加担する一方でその進化の遠心力に飛ばされている。なのに、皆が辞めないから自分もやめられないが全員で生じている今だと感じる
「生き急ぐな」とは昔から言われるが、そろそろ、世の中の早さや複雑さが何からきているか、自分たち自身から来ていることを自覚して緩めることをしなくてはならないと以前より強く思う
ただ、「今の自分が良ければよし」という個人(個体)主義思想ではおそらく無理で、「人類主義」への回帰は待った無しだろう -
Posted by ブクログ
28くらいの頃に読んでたら良かったと思う反面、今受け取ったようには受け取れてないかもしれないなとか、そんなにいうほどわたしは成長しただろうか。28で読んでもイマイチだったかも?高校生の頃に読んでいたら、大学の学部をもう少し真剣に考えていたかな。いやどうかな笑
わたしはやったこともやらなかったことも自分に返ってくるとよく思うことがあるけど、仏教で因縁というらしい。ほー。
歳上は良くも悪くも参考になる。AIが発展して、老人の知恵の価値はおそらく下がっていって、老害扱いされることの方が多くなる。若い人は減っていき、かつての大人たちの生き甲斐だった教えるという行為は、ひと握りの人に許される行為になる。ホリエモンとか、ひろゆきとか、もう少し時代が進んだらヒカルとかコムドットとかそういう人たちの特権になるのかな。
わたしは中年1段登ったところ、もうという思いと、まだという思いと、7:3くらいかな?
誰かに何かを教えられるようなことはないな〜
見守るに徹しましょう。うんうん。 -
Posted by ブクログ
ほぼ同世代で,ポストモダンをかじってて,地方在住の専門職という立ち位置はかなり自分と重なるものがある。やっぱり斉藤環を目指してたんだなぁと納得。
ポストモダンの後の現代は,近代に帰れモードだけど,著者の言うとおり基準点として近代を持たない社会はどうすれば良いのか?てか,東京だけではなく日本という国自体に近代はないのではという気もする。
なにげに半世紀くらい生きてると,そろそろこれまでの歴史を振り返る気分になるものなのだろう。昭和・平成・令和と3つの時代をまたいでるし,世の中凄く変わりましたよね。改めて。
しかし,近代を含んで超えるポストモダンの後に来るものはないんですかねぇ。。。