あらすじ
清潔な都市環境、健康と生産性の徹底した管理など、人間の「自己家畜化」を促す文化的な圧力がかつてなく強まる現代。だがそれは疎外をも生み出し、そのひずみはすでに「発達障害」や「社交不安症」といった形で表れている。この先に待つのはいかなる未来か?
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Posted by ブクログ
我々、現代人は資本主義の家畜なのかもしれない。ボクたちは、一見すると、自由主義に乗っ取った生活様式を取っているが、はたして本当に自由と言えるのだろうか。毎日学校や職場に行かなければならないという生活は、はたして自由といえるのだろうか。現代社会を丸ごとメタ認知させてくれる良書です。
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ウシやブタ、イヌやネコが家畜化したのと同じように、人間もまた家畜化が進んでいる。それは、ウシやブタのような人為的家畜化ではなく、イヌやネコが人間の生活環境に自ら適応し、生物学的な性質を穏やかで協力的な方向へ変えてきた、自己家畜化であるといえる。
自己家畜化とは何か、その歴史から始まり、現代社会が家畜化と言われる所以、それに適応できない人について、最後に未来はユートピアかディストピアかについて語られている。
現代を生きる人間は自己家畜化を経てきた、それは現在進行形であると言い切るなんて野蛮な、という第一印象をタイトルから抱いていてとても興味がある本でした。
家畜というとウシやブタのことを指し、それが人間に当てはまるなんてと思っていましたが、確かに人間の歴史を紐解き、現代社会の構造について読み進めていくと家畜化されていると思えました。
取り分け最も私の見解をガラリと変えたのは、現代社会は出産も死も医療化されそれが習慣となっているという部分でした。そんな今では当たり前のことと捉えている医療の進歩が人間の文化的な自己家畜化の一因を担っているという考え方は目から鱗でした。
本作では、過去を美化したり現代社会を批判したりすることを主旨とは決してしておらず、文化的な自己家畜化の恩恵を受けるその陰には生物学的な自己家畜化が追いついておらず、社会の変化についていけない人がいる、それを踏まえた上でこの先どうやっていくのかを語られていて、思想や感情的でないところがとても良かったです。
私としては、筆者が提示した近未来はやむなしと思いますし、超未来はSF漫画などで見た未来は現在と地続きで起こりうることだと捉え、そこまで悲観的、ディストピアとも思わなかったです。
Posted by ブクログ
ホモ・サピエンスのビッグヒストリーの中で「自己家畜化」をキーワードの現代社会の成立過程とその影について、哲学、精神医療に触れながら述べられている。本書は自己家畜化というワードに対して善悪の断罪を行うことなく、これまでの影響とこの先の未来について描いていた。
Posted by ブクログ
これかなり面白かった!
自分は社会不適合だからダメだ…と思ってる人にぜひ読んでほしい。あなたはきっと悪くない。
内容としては、生物学的な自己家畜化が、文化や環境の変化スピードに追いついてない人が医療や支援の対象となっているのではないのか、このままで良いのか、という話だったように思う。
前半は、そもそも自己家畜化ってなんぞ?という話で、ここがめっぽう面白い。動物の自己家畜化の事例や、人間が進化のうえで穏やかにより社会的な人間になってきたことが明かされている。ここが面白すぎて、読みたい本がめちゃくちゃ増えた。笑
そして後半は現代の話にうつる。他人を不快にさせない、長寿で、健康で、効率的であるべき…など、文化や環境が人間に求める能力や行動は変わっていき、生物学的な自己家畜化が追いついていない、そこに適合しない人間は精神疾患と看做される。昔より安全に暮らせるが、本当にこれでいいのだろうか?と著者は警鐘を鳴らす。
これは大きい問題で、かつ解決が非常に難しい問題だと思う。文化が変化するスピードは変えられない。著者は人間にやさしい文化や環境へと舵を切り直すための知恵と勇気が必要と記しているが、人間にやさしい文化ってなんだろう?とも思える。でも多くの人間が自己家畜化という言葉を認識し、現状を理解していったならば、少しずつ何かが変わるのかもしれない。
Posted by ブクログ
社会からの押し付けに生きづらさを感じつつも、社会によって生きやすくもなっている。生きやすさに傾斜しすぎて生きづらくならない観点を持ちたい。また思考停止のまま社会からの押し付けに流されないよう個人も考えていく必要がある。
Posted by ブクログ
面白かった
最近気を使えない奴が増えたなとか思っていたが、そうではなくて社会のルールが厳しくなっているのか
考えてみれば電車のマナーとかは喫煙OKな時代のことを考えると厳しくなっているわ
社会不適合者的な人も増えたと思っていたがこれも同じ理由かもしれない
快適な社会のためには厳しいルールは必要であるが同時についてこれない人間も増えるという意味で微妙なのか
Posted by ブクログ
人間は動物である
加速度的に発展していく現代、これからも人間的に幸せに生きることができるのか。
ユートピアはなんなのか。
考えさせられる一冊でした。
Posted by ブクログ
YouTubeのPIVOTというチャンネルで、著者の説明を聞いて、無茶苦茶面白い!と思い手にした本。読書により更に理解が深まった。我々は家畜であり、飼い主である。それが悪いことかどうかを動画では少し議論していたが、概ね良いこと、というのが結論だろうか。
自己家畜化が起こったさまざまな動物たち。有名なのは実際に家畜化を試みたベリャーエフのギンギツネ。小型化する。のちに大型の品種がつくられる動物でも、最初は野生種から小型化する。野生種よりも顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる(=彫りの深い顔から平たい顔になる)。犬歯をはじめ、歯が小さくなり、顎も小さくなる。野生種に比べて性差が小さくなる。雄が強さをディスプレイする度合いが小さくなり、ウシやヒッジなどは雄の角が小さくなる。体重に対する脳の容量が小さくなる、などの特徴をもつ。
また、たとえば野生のキツネやオオカミでも、子どものうちは人間との接触を嫌がらなくなる。その理由は、ストレスに対して分泌されるホルモンを司っているHPA系が機能低下し、コルチゾールやノルアドレナリンといったホルモンが分泌されなくなるから。これらのホルモンはさまざまな臓器に影響し、血糖値や血圧や心拍数などを上昇させ、ストレスの源と対峙できるよう心身を整える効果があり、たとえば敵と戦ったり逃げたりする際にはこれらのホルモンが分泌されるもの。野生のキツネでは、大人になるとこのHPA系が十分に成熟するため、人間に接すると身体がいわば戦闘モードに切り替わり、恐怖や攻撃性を示す。
こうした特徴がまさに人間的。だから、人間が家畜的、という事である(日本語が変だが)。
人間は古い祖先たちと比較して、テストステロンやコルチゾールが減少し、セロトニンが増加したために、穏やかになっている。しかし、注意しなければならないのは、それで減少したのは「ついカッとなって人を殺した」「通行人の目つきが気に入らないから喧嘩を売った」といった、その場の感情に根差した、まさに反応的な殺人や争いであって、計画的な殺人や争いはこの限りではないという事。理性的な殺人は、やれてしまうと。
飼われた豚になるなら飢えた狼に。しかし、そうもなりきれないのは、既に社会全体が相互に飼い主化していて、人は一人では生きられない事の裏付けでもあるのだろう。
Posted by ブクログ
精神科医でありながら人文社会学の視点からみた人類学。
進化生物学的には自己家畜として繁栄してきた人間であるが、中世以降の文化による自己家畜化の加速により、それが恩恵であり人間疎外をもたらすという視点として現代社会を分析していて興味深く刺激的であった。
人間は生物的な進化はゆっくりなのに、急速な文化に適応を求められている。中世と現代人では、別人種ともいうべき位の差があるだろうことに気がつかされた。
過去の流れから推測されるSFも説得力がある。
Posted by ブクログ
人間は文化によって進歩し、豊かな暮らしを実現させたが、その“文化的な自己家畜化”の過程は、ゆっくり進化してきた生物学的な自己家畜化をはるかに上回るスピードで変化しているため、それに適応できない人々が増え続けている。文化的な自己家畜化は、常々身体性から逃れる方向に未来を夢見てきたが、「人に優しい未来」を考えた時に、身体性を顧慮しないのは果たして優しいと言えるのか。
Posted by ブクログ
『人間はどこまで家畜か』もうタイトルにぎょっとする
ここでいう人間の家畜化というのは、現代の人間はより穏やかで安全な文化に適応して生活しているのだけれど、
この文化がより高度なもの、より礼儀正しく感情を荒げることなく他者と協力的なコミュニケーションを取れることを人間に求めるようになってくると
不適応を起こし、文明からこぼれ落ちていく人間が増えていくばかりではないかという懸念ともっと動物としての人間にやさしい未来を考えるべきではないかという警鐘を鳴らす本であった。
たしかに現時点で精神疾患が学生だと不登校、発達障害なんかも増えており、そういった判断や治療が行き届くこと自体は喜ばしいことだけれど、
結果的にふるい落とされた人を排除していることにならないかという指摘には頷いたし、こういった生産性を希求する姿勢そのものがもう限界にきていると思った
熊代氏の言うように高度な文明に生きる人間というよりも、もっと動物的な部分にフォーカスする未来のほうが大人も子どもものびのびと過ごせるのではないかなと思う
Posted by ブクログ
犬や猫は自己家畜化した動物。自ら家畜になった。人間も同じ。
動物園の動物に似ている。動物園の動物は繁殖ができない。ホッキョクグマは、半年以上生きられたのは122頭中16頭。
自己家畜化とは、人工的な環境でより穏やかで協力的な性質に自らを変化させること。
『暴力の人類史』によれば、人間の暴力性や衝動性が減ってきている。
現代人は理性的で合理的、感情が安定しているように強制されている。それができない人が精神病になるのではないか。
アナール学派=社会が変わるとルールや生活習慣だけでなく感情や感性まで変わる。
家畜化したギンギツネの実験。攻撃性が少ないキツネを交配することで、13代でペットとして買えるほどになった。
その特徴は、小型化する、顔が平面的になり前面への突出が小さくなる、犬歯など歯は小さくなり顎が小さくなる。性差が小さくなる。角が小さくなる、脳が小さくなる、繁殖周期の変化。
ホルモンの変化で攻撃性が少なくなる。白い斑点ができるのはホルモンのせい。色素を作るメラノサイトが端まで移動できず、尾の先端や足の体毛が白くなる。副腎の大きさも機能も小さくなり、感情的情動的反応が穏やかになる。象牙芽細胞が少なくなり歯が小さくなる。脳の成長が遅れて小さくなる。性ホルモンが変化し、発情期や生殖サイクルが変わる。
人間にも自己家畜化が進んだ。歯、口、顎のサイズが時代とともに小さくなる。人類は火をあやつることで大きな脳を持てるようになった。消化率がよくなった。ホモサピエンスはネアンデルタール人より脳が小さくなった。脳の使い方が変化した。攻撃性が減って野生動物としての感情的な反応が低下した=穏やかな感情を身につけた。野性的な脳から家畜的な脳へ変わった。文化がヒトを進化させた。動物と穀物を養うと同時に人間も家畜化されたのではないか。
人類は唯一の耐火種である=火を見て温かい気持ちになるおは人間だけ。
攻撃性は反応的攻撃性と能動的攻撃性がある。セロトニンのおかげで、反応性は減ったが、能動性は減っていないため戦争はなくならない。
子どもは「7つ前までは神のうち」死亡率が高い。
かつてはいつ死ぬかわからないという死生観を持つしかなかった。飼いならされた死。
資本主義の定着で、社会契約の遵守が重要になった。
いつ死ぬかわからない死生観では、資本主義は成り立たない。社会契約の中で資本主義や個人主義という思想通りに生きることを余儀なくされている=新自己家畜化。
現代の精神を病む人たちは中世では英雄だったのではないか。
ADHDやASDはスペクトラム的な疾患概念なのため、境目ははっきりしない。有病率は3%、4%とされている。
文化的な自己家畜化についていけない人が精神医療にかかる。
ナチスドイツは、向精神薬で恩恵を受けて、最後は弊害とともに崩壊した。
成功同意書は、性行為の領域に功利主義や社会契約のロジックを導入するツール。自由を尊重するようにみえて、自由を管理させるものではないか。
自己家畜化はゆっくりした変化だったが、文化的な自己家畜化は急速で、恩恵のほかに疎外を生み出している。
Posted by ブクログ
人類は自己家畜化を図ることで社会の豊かさや清潔さを求めてきたが、それに伴い動物的な側面は切り捨てられている。
例えるなら、ドラえもんでいうのび太(授業に集中できない子供)やジャイアン(暴力をはたらく子供)は治療や排他の対象になった。
過剰な自己家畜化とそれに取り残される人々という現状把握。
更にそこからの未来予測。
Posted by ブクログ
「人間は唯一の耐火種である」
焚火を見て暖かい気持ちになるのは耐火種の末裔だから
現代の狩猟採集民は"平和的で平等主義"(に進化した)→道徳を守りたがりルールを尊重したがる→逸脱した者に厳しくあたる→処刑、追放
つまり人間はチンパンより危険…て全然"平和的で平等主義"じゃないやん
医療保護入院の廃止とか絶対やめて?
閉鎖病棟にぶち込む、治験の実験台、移植用臓器
●75歳以上医療費負担5割/90歳以上は全額自己負担
●喫煙、飲酒、登山、海水浴、ジャンクフードなど健康リスクを伴う娯楽にはそのリスクに応じて課税
●安楽死(DDD=Deign Death with Dignity)の合法化
これめっちゃいいじゃん!
2060年といわず来年から施行しよう!
Posted by ブクログ
第四章
「家畜になれないものたち」が面白かった。発達障害という言葉は現在当たり前のようになっているが、現在の家畜化(著者はフーコーの生政治を解説として用いる)についていけない人でないのかという考察。しかし、Dv加害者や、ジャイアンのような子供も、昔はそういう人はありふれていた、だから彼らも家畜化されにくい人であり今は管理する対象となっているという考察は、やっと現在声を上げられたハラスメントの被害者に対するバックラッシュではないかと感じる(著者のいう、「昔」はそのような被害者自体ないものとされ、中には自殺に追い込まれた人もいるだろう)adhdのような疾患の考察と、権力の勾配がある話とは別に考えた方が良いかと思う。
著者は最後にすこしだけ、「女性に優しい社会を目指そう」と提言するのだが、「家畜化」が男性中心主義であることが、問題の根っこの本質ではないか。他の章でももう少しジェンダーの視点を持って考察してほしかった。