瀬木比呂志のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
裁判官なんて、所詮、出世に汲々とした、司法官僚。
かなりショックだがその通りだろう。
その問題提起はいい。なんとかしなければいけない。
だがこの人の思想が、素直に読ませない。
裁判所は、権力の監視者だって。
権力寄りの判決は、その、歪んだシステムのせい「だけ」だって。
裁判者は、民意の先に行かなきゃいけないんだって。
国民に選ばれてもいないのに、高尚な思想を実現するんだって。
ちょっと落ち着いてくれよ。
こう言う人がいるから、統治行為論の発想自体が、必ずしも「悪い」ことではないと思っちゃうんだよなあ。
ま、日本国憲法の考え方一つとっても、違うなって思いますよ。
手段と目的が。
過去の自 -
Posted by ブクログ
裁判所の問題点をボロカスに恨みつらみを込めて色々暴露してる。けども、よくよく考えてみたら別に裁判所だけでなく民間企業だろうが役所だろうが、どこでも似たようなことは起きてるよな。
と
とまぁこれは作者の価値観についての一方的な暴露なのでどう考えるかは読者自身が考える必要があるとして・・・だ。
してだ・・・。
暴露するだけ暴露ってあとは自由に研究するって、ちょいおま、それはどーなんだと思わないでもないが、まぁ他人の人生なんだから好きにすればいいかとも思う。
できればそこまで暴露するなら改革をしようとする意思を見せてほしかったけど投げっぱなし感がある。もちろん暴露するだけでも十分意義はあると思う -
Posted by ブクログ
この本は単なる独学「術」の本ではない。独学と毒親。2つの面をいったりきたりすることで筆者自身が浮かび上がってくるという構成になっている。
独学とは学術や芸術等に関する作品(モノやコト)とのコミュニケーション(対話) である。本書はその対話がどのようになされているか、それが筆者にどのように役立っているかを数多い作品を例に示したものである。
初中等、高等学校、大学、生涯学習等の教育、セミナービジネス等教育が溢れているが、現代においてそのタイムリーでありフィットしているとは言い難い。故に「独学」が必要なのだと主張している。
裏テーマとなっている「毒親」の話も結果的にはそれをキッカケにしたり、 -
Posted by ブクログ
瀬木比呂志(1954年~)氏は、裁判官を経て、明治大学法科大学院教授。2014年出版の『絶望の裁判所』がベストセラーとなり、2015年の『ニッポンの裁判』により城山三郎賞受賞。
本書は、2015年に発表された作品のエッセンシャル版として2018年に出版されたもの。
著者によれば、「リベラルアーツ」の起源はギリシア・ローマ時代にまで遡り、当時は、自由人(奴隷ではない人)が学ぶ必要のある自由7科(文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)を意味し、現在の大学で言えば教養課程に属する科目であったが、近年注目されている意味での「リベラルアーツ」とは、大学における基本科目という趣旨よりも、その -
Posted by ブクログ
大学病院医学部を舞台に医師たちの権力抗争を描いた「白い巨塔」を思い起させるタイトル、表紙の不穏なイメージ、帯に踊る刺激的なコピーに釣られて手に取った作品。
最高裁判所事務総局・・・我々一般人には、そこでどんな人たちがどんな仕事をしているのか想像もつかない世界。とてつもなく賢いエリートたちが、三権分立のもと「司法」の一翼を担って日々、我々国民のために「行政」「立法」の暴走を防いでくれていると思っていた・・・
冒頭に「これは、この世界の出来事ではない。あるパラレルワールドの物語である。」との一文がある。だけど、描かれる世界に感じる圧倒的なリアリティが恐ろしい。
エリートたちが集まる最高裁事務総 -
Posted by ブクログ
リベラルアーツって書くと何だか小難しい感じがするけど、要は「教養」です。教養と書いて、それでも小難しいなら僕の場合は「専門外で気になること」に集約されます。こういう時こそ、本という存在が僕にとっては大きい。
ちょっとでも気になることあったら、そのテーマに関する本を「5冊」読む。その結果、さらに興味が突っ込んだところに入ってくると、どこかに行ったり、人に話しを聞くようにしています。最近だと、「集団的自衛権」「伊藤若冲」ですかね?
定期的にブームがやってくるのだと「宗教」と「哲学」ですね。つい最近まで「空海=真言宗」について深掘りしていました。でも、そんなテーマすら思いつかないよ。。。という方 -
Posted by ブクログ
この本を読んで、この先読んでみたいと思う本のジャンル、映画、美術作品などが増えたし、どう付き合うかなどを考えさせられた気がした。
教養は単なる知識ではなく、柔軟な思考力や想像力、完成を身につけるためのもの。
教養は世代により変化するものではなく、他の世代、他のコミュニティなどのコミュニケーションを取ることができるようになる。しかし、現代の日本においてはタコツボ化、村社会、同世代とのコミュニケーションばかり。若い世代の常識は上の世代の常識ではないことや、その逆もしかり。教養とはそういつまたギャップを埋めることができる、人としての前提、根底のようなものといったところ。教養があるということは色々 -