瀬木比呂志のレビュー一覧
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閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。
思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホルダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。
まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに最大限の注力を図り、なるほど、うまいこと落としどころを見つけたなぁというようなことであればいいわけである。
ところが、「ジャスティス」の実現に関し、一番の権限と、権威を持っている「裁判所」という機関の劣化が激しいと嘆かれている。
一番最初に書いたが、閉鎖的・閉塞社会で官僚組織というのが人間社会において、一番始末が悪いわけである。
日本社会において、今現在、裁判所も含め、閉鎖・閉塞分野において、色んな不都合が起こってきている。
はてさて、このことは、現代日本社会全体で考え、取り組んでいかなければならない課題であるが、私自身としては少々悲観的ですが・・・(涙)。 -
Posted by ブクログ
以前、「原子力ムラ」と言う言葉がメディアで話題になっていた。それと同様に「司法ムラ」と言うのがあるようだ。それは、裁判官の判決の下し方、最初から和解ありきのナンチャッテ裁判と言った具合に、裁判を受ける側を向いておらず、周りと上を気にした裁判で判決を下すことが多い。
以前、日本の刑事司法は中世並と言う批判を2013年5月にジュネーブの国際拷問禁止委員会で指摘された。それに対して「日本は刑事司法の分野で最も先進的な国の1つだ」と述べて、苦笑いされると「笑うな。シャラップ」と言って会場を氷つかせてあの雪の女王アナ真っ青の発言をした日本の人権人道担当大使がいた。あの一発芸で一世を風靡した「シャラップ上田こと上田秀明氏。日本の司法の意識を図らずも浮き彫りにした出来事だった。中世どころか古代と言ってもいい。
一度有罪にしたらなかなか間違っていて本当は無罪であってもなかなか誤りを認めない。認めると将来の出世に影響することを気にしているのか、組織の看板に傷がつくことを恐れているのかどうなのか。
えん罪に関して、著者はあるジャーナリストから恐ろしいことを聞いたと書いている。それは、「電車内で女性を含む怪しい集団に取り囲まれそうになったら、すぐに逃げないとだめです」と忠告されたそうだ。ホンマでっかTVで軍事評論家のテレンス・リーが同様のことを言っていたのを思い出す。こうやって都合の悪い人間をホワイトニングして社会から抹殺するのか。
裁判官が和解を勧めるのは、「和をもって貴し」と言う精神にのっとっているからではなく、自分たちの都合でやっているのが読んで見て浮き彫りになる。
内部にいた方でないとなかなか表に出ることのないことが書かれていてびっくりした。それと同時に背筋がぞっとした。やはり司法の世界は中世で時間が止まっているようだ。 -
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いろんなところで話題になっているから読んでみた。
一族経営の会社で、顧客や取引先のことなど考えず、常に会長、社長とその取り巻きの意向に戦々恐々としながらも、その意を汲むことに仕事の意義を見出す従業員たち。顧客や取引先からは血も涙もない悪魔、卑劣な極道、と罵られても平気の平左、上層部の意向に沿っていれば身分は安泰だから「愛い奴じゃ、取り立てて進ぜよう」という言葉がかかるのをひたすら待つ。
逆に「これでは顧客のためにもならないし、引いてはわが社の信頼にも関わるのでないでしょうか」なんて意見を言おうものなら、「ふむ、そんな考え方もあるかもしれんな。それじゃ君、その考え方を広めてきてはどうかね、ここではないどこか遠くで」とのお言葉を頂戴し、左遷させられる。
多少の良心を持ち合わせていた若手社員も、正論が通じないことと、報復人事を目の当たりにして、黙ったまま時を過ごす。そして、いつの間にかその意に染まる。染まりきれずに良心の呵責に耐えられないものは辞めていくか精神を病む。
いや〜、ひどい会社だ。こういうモラルハザードを起こした会社は遅かれ早かれ信頼を無くし、倒産するのは間違いない。それが市場原理というものさ、あははははっ!
と、笑っている場合ではない。
これは会社を例にとった最高裁を頂点とする裁判所の話だからだ。
だから残念ながら倒産しない。
日本の司法は最高裁判所裁判官会議(これがいうなれば会長社長の一族)と事務総局(その腰巾着みたいな組織)によって支配されている。
最高裁の裁判官になれるかどうかは実力ではなく、前任者たちにいかにうまく取り入ったかで決まる。(昔の派閥政治みたいなもので、派閥のボスに可愛がられたものが大臣に就ける。ただし、派閥が乱立しているわけではないので、破れた派閥は共産圏の権力闘争みたいにほぼ抹殺となり、一人勝ちの状態になる)
事務総局は最高裁の意向を下々に通達する機関。「おまえら親分の言う事が聞けないってのか」とすごむ若頭的な役割。
がっちがちの上意下達の組織だ。
そんな中でも良識を持って、公明正大に頑張っている裁判官もいるんじゃないか、と思われる方いるでしょう。
安心してください。確かにいます。割合としては5%くらいらしいですが。
最高裁にはいない。上記のような理由で。東京大阪の大都市にある高裁にもいないらしい。
地方の地裁、高裁などで、定年間近のおじいさん裁判官などは、もう出世にも興味がないので、気骨のある態度で裁判に臨む方がたまにおられるようだ。
そういう裁判官に担当してもらえたらラッキーだが、上告されたら最高裁で、「なんだ、あのじじいの高裁判決か、癪に障る、覆してしまえ」と量刑が加算されるかもしれない。
裁判官に嫌気がさして、弁護士になる人が年々増加しているとか。
絶望の裁判所とはよく言ったものだ。
マスコミはもっと叩かないといけないと思う。政治腐敗の記事はそれこそ腐るほどあるけど、司法の腐敗を追及した記事はほとんど見かけない。判決うんぬんの記事は見かけるが、不可解な判決、常識と乖離した判決がなぜ出されるのか、司法構造の悪弊に目を向けた記事を書いてくれないと、表層の解説記事になってしまう。
どうにかなんないのか!
なんだかイライラする。
**お断わり**
本文はめちゃくちゃ硬い文章です。元裁判官の文章だから仕方ありません。こちらで勝手に意訳したレポなので、思い込みの部分はあります。悪しからず。
(ブクレポのタイトルは本に巻いてある帯からの借用) -
Posted by ブクログ
裁判官→学者という経歴をもつ著者が、自身の経験や師との対話、幾多の書物、芸術作品からの引用などを再構築しながら、人間の本性を整理していく。
本性は「ほんせい」と読み、タイトルから想起されるような、法廷というある意味極限の環境下で垣間見える人間の本性(ほんしょう)に世俗的な興味を持った私のような読者には、やや肩透かしを食らったような内容であったことは否めない。
ただ、法学はもちろん政治学から宇宙論に至るまで、幅広い知識や教養、経験を総動員して辿り着いた人間の本性の数々は大変勉強になり、また一部では普段自分が漠然と考えていること(例えば、自分と他人とを比べて幸福感を求めることは良くない、等)と一致する点もあり、納得感を強めることができた点は良かった。 -
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元裁判官の経験を生かしてのエッセイのようなもの。裁判例や読書映画などからの考察は面白くないこともないが、一段高みから見下ろすような臭みを感じた。
裁判官という立場が長かったからなのかもしれないが、更に自分は易々諾々とした裁判官ではないと言うプライドが面倒くささを感じる。
鋭い着眼点や論理的な内容と思うが、何十年も勤めた職場や同僚を悪様に言う人にあまり好感は持ちにくい。
また、個人の尊厳や人権などの無条件の信仰はヨーロッパ由来の法学を信奉した真面目な裁判官だからではないか。
人間社会はもっと泥に塗れたもののような気がする。
貶すことが多くなったが、読んで得るもののある本。著者の本は初めて読んだが、もう少し読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
「裁判官が見た」とタイトルにあったので、実際の裁判の例とか出てくるのかな?と思ったらそうでもない。
どちらかというと、哲学的なエッセイみたいな感じ。
「裁判官が考えた」人間の本性だったかも。
以下メモ
・愛
愛という概念は純粋にキリスト教的なものであり。一神教の神という絶対者を設定して初めて生まれる「他者を自己と同様に愛せよ」との要請に基礎を置く。
そのような愛は日本人にはおよそ無縁なものなのに、明治時代にそれを輸入したことから種々の混乱が生じた。
・悪
悪は私たちの内側に、日常的にある。日本人はその悪を見ようとしない。悪を見る場合に、「自分自身は正義と善の立場に立って、安全な地点からそれを断罪するにとどまる例がきわめて多い」
日本社会は悪に対する耐性の乏しい人々、社会なのである。
・プライバシー
プライバシーの根源にある動機の一つは、動物と人間を区別する指標、人間が自己を他の動物から区別する指標としてそれが必要だということ。
性交や排せつなど、「動物としての人間」という側面はできるだけ伏せておきましょう、という黙契。
・権利
権利は法が各人に割り当てた「正義の割当分、配当分」なのである。権利主張は単に自分のためだけに行うものではなく、いつか同じ立場にたつあらゆる人々のために、つまり「正義」のために行われるべきものである。
しかし日本では、「権利」の主張は「義務」との対比において、つまり単なるわがままな自己主張としてのみとらえられる傾向があるのではないか。 -
Posted by ブクログ
元裁判官が日本の裁判所について辛辣に語っている本。切れ味抜群で面白いです。裁判所、今まで関わったことがないのでなんの実感もありませんが、公的な機関であったり、大きな権力を持つ機関は、昇進や昇格、派閥争いなどからは離れたところにいてほしいものです。
その裁判官自身の評価のために判決を下されたら、たまったもんじゃありません。
とはいえ、1つ思ったのは、善良な市民であると、基本的には裁判所と関わることがないので、裁判所に関して考えるきっかけがなく、また、改善させるモチベーションもインセンティブもないということです。そう考えると、民衆が動かない、つまり、改善されない、という構図に納得がいきます。
冤罪を考えると社会全体がもっと危機感を持っていいと思いますが、まさか自分は被害に遭わないだろうという楽観視やそうなったらそいつが悪いという自責マインドは、非常にホモサピエンス的で日本的ですね。 -
Posted by ブクログ
民事から刑事にいたる、筆者の目に映る法曹界の実態とその背景にある日本文化、国民の法意識を綴る。
悪名高い人質司法や裁判官の官僚化、検察、特に特捜検察の問題点、「疑わしきは罰せず」の原則が「疑わしきは罰す」と歪められている実態など、法曹制度については筆者が指摘する通りで、解決策としての法曹一元制度にも頷ける。
共同親権含めた家裁のあり方についても、救われるべきは誰かという点で改善が求められる。
マスコミの不勉強、体制側へのすり寄りもその通りだろう。
一方で筆者は日本人の法意識は概ね前近代的だとの認識を持っており、西欧、特に北欧諸国に追随すべきだという。
日本国憲法については世界的にも質が高いと肯定的で、いわば仏作って魂入れずの状態という認識だと思われる。
全体を通じて筆者はリベラル寄りの立場との印象があり、本書にも「保守層」に対する揶揄や、森友学園問題等についての第2次安倍内閣についての唐突な批判が出てくるが、選択的夫婦別姓制度導入の遅れに対する問答無用の批判など、もう少し丁寧な議論が欲しい箇所もあり、本書はカバー範囲に対して分量が少なすぎるように思う。実際にやろうとすれば数倍でも足りないのかもしれないが。
国民性について山本七平や丸山眞男を引用しているのはいかにも古臭いが、筆者の目には半世紀以上変わらないように見えているのかもしれない。