瀬木比呂志のレビュー一覧
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『リベラルアーツの学び方』の実践版と言える作品。
『リベラルアーツの学び方』でも、ロック・ジャズ、クラッシック、映画、漫画といったところに作者の嗜好を感じたが、先ずは漫画からということで漫画には格別な思いがあるのだと本作を読んでいても感じる。
はしがきに「一つの視点から現代漫画についての物語を物語り、見取図を示す本」とあるように本書における現代漫画は作者の視点を通しての現代漫画である。作者の視点については、第1部に詳述されている。また、本書で取り上げられている作家を一覧する事で感じる事もできよう。ガロ時代のつげ義春を嘴矢として諸星大二郎、大友克洋、高橋留美子、高野文子の五人に加えて、いがらし -
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元裁判官学者と独立系ジャーナリストの対談、もともと両者とも日本の司法制度には経験的に否定的であるが、それが強調されている。大岡裁きのようなものは期待するものではなく、なるべく捕まらないことが大事と思われる。
基本的には政治を見ている役人であり、外の世界とは触れ合わず、堅いヒエラルキーの中で一生を終える仕組みになっているため、広い視野や一般性を持つことが難しく、政治に逆らうことはない。特に刑事事件は99.9%有罪になり、特に権力が絡むものは絶対である。地裁で画期的な判決を出したとしても現在の原発裁判のように統一見解が出され、当裁判官は左遷されていることもある。(がそれをメディアは報じないような記 -
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最近は、日本の大学でリベラルアーツを取り入れている。しかし、アメリカで実施されているリベラルアーツは、少人数の教室で広い教養を学ぶことで、生徒と先生同士が議論するものみたいだ。また学部1、2年目はそもそも専門は学ばず、幅広い科目を履修し、大学院に行く前提で、専門を決めて行くという。その点においては、日本では、100人規模で行われる授業などがほとんどであり、まだまだリベラルアーツというには程遠い。
「すぐ役にたつものは、すぐに役に立たなくなる」とはいったもので、教養の大切さを感じさせられた。では、何を学べばいいかという点においては、第2章からたくさんの作品が紹介されているため、それから読んでい -
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裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、
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1部 なぜリベラールアーツを学ぶ必要があるのか
これまでの蛸壺型の知識では得られない、生きるために必要な課題を設定し、それを解いていくような、「知恵の活用方法」を身に着けることであることをまとめている。
2部 リベラルアーツを身につけるための基本的な方法と戦略
1章は、6つの観点から、批評的・構造的、作品と対話、歴史や体系の中で、視点を移動し、他分野への転用、相対化して客観的に見つめることの大切さを説いている。
2章は、情報収集、ストックの仕方、コレクションの意味についてまとめている。
3部 実践リベラルアーツ:3章にわけて解説する
1章は自然科学の分野として、生物学・脳神経学・精 -
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2014年に同じ講談社現代新書で『絶望の裁判所』を発表した、元東京地裁、最高裁の民事系の裁判官による著作。
前著が、裁判所や裁判官制度のような制度面の問題を取り上げていたのに対し、本書では、裁判そのもののあり方について論じられている。
本書で著者は、
◆裁判においては、裁判官による「判断」が先にあり、その判断の後付けによる検証、説明、正当化として「判決」が存在する。人間の一般的な思考は、まず結論があって後からその検証、理屈付けが行われるのであり、裁判の場合もその例外ではない。
◆法的判断は、法をその枠組みとしながらも、本質的には、裁判官の個人的な価値選択・判断であり、その全人格の反映である。即 -
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閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。
思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホルダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。
まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに -
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以前、「原子力ムラ」と言う言葉がメディアで話題になっていた。それと同様に「司法ムラ」と言うのがあるようだ。それは、裁判官の判決の下し方、最初から和解ありきのナンチャッテ裁判と言った具合に、裁判を受ける側を向いておらず、周りと上を気にした裁判で判決を下すことが多い。
以前、日本の刑事司法は中世並と言う批判を2013年5月にジュネーブの国際拷問禁止委員会で指摘された。それに対して「日本は刑事司法の分野で最も先進的な国の1つだ」と述べて、苦笑いされると「笑うな。シャラップ」と言って会場を氷つかせてあの雪の女王アナ真っ青の発言をした日本の人権人道担当大使がいた。あの一発芸で一世を風靡した「シャラ