瀬木比呂志のレビュー一覧
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『リベラルアーツの学び方』の実践版と言える作品。
『リベラルアーツの学び方』でも、ロック・ジャズ、クラッシック、映画、漫画といったところに作者の嗜好を感じたが、先ずは漫画からということで漫画には格別な思いがあるのだと本作を読んでいても感じる。
はしがきに「一つの視点から現代漫画についての物語を物語り、見取図を示す本」とあるように本書における現代漫画は作者の視点を通しての現代漫画である。作者の視点については、第1部に詳述されている。また、本書で取り上げられている作家を一覧する事で感じる事もできよう。ガロ時代のつげ義春を嘴矢として諸星大二郎、大友克洋、高橋留美子、高野文子の五人に加えて、いがらしみきお、近藤ようこ、こうの史代、五十嵐大介を現代漫画を代表する9人としている。これに加え31人の作家の計40人を作品紹介を中心に取り上げている。多人数な上に作品を網羅的に取り上げているので、作家論・作品論という意味では少々物足りなく感じる。
私自身は、学年が上がるほどに漫画を読むペースは減っていたし、学校を卒業後はアニメは選択的には追いかけているものの漫画はほとんど読んでおらず、子どもたちが面白いよと推薦するものぐらいになっているのであるが、漫画に対する思い入れというものは残っているので、現代漫画(漫画に現代以前のものがあるのかとは思う)という以上はこういう作家を入れて欲しいという気もする。手塚治虫の流れを受け継ぐ現代日本漫画のいわば主流派の作家はほぼ取り上げられていない。理由は本書でも述べられているが、現代漫画と謳う以上は全く無視はできないようにも思うのである。作家ではなく作品にフォーカスするという方法もあろう。
とはいいつつも、自分とは違った視点で選ばれているので、知らなかった作家で読んで見たいなあと感じる作家も何人かあったし、知っている作家についてもそういう見方があるかと啓発される部分もある。教養として漫画を読むという姿勢での「読書」のガイドとして役立つ本ではある。 -
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元裁判官学者と独立系ジャーナリストの対談、もともと両者とも日本の司法制度には経験的に否定的であるが、それが強調されている。大岡裁きのようなものは期待するものではなく、なるべく捕まらないことが大事と思われる。
基本的には政治を見ている役人であり、外の世界とは触れ合わず、堅いヒエラルキーの中で一生を終える仕組みになっているため、広い視野や一般性を持つことが難しく、政治に逆らうことはない。特に刑事事件は99.9%有罪になり、特に権力が絡むものは絶対である。地裁で画期的な判決を出したとしても現在の原発裁判のように統一見解が出され、当裁判官は左遷されていることもある。(がそれをメディアは報じないような記者クラブ内の癒着構造がある)。 -
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最近は、日本の大学でリベラルアーツを取り入れている。しかし、アメリカで実施されているリベラルアーツは、少人数の教室で広い教養を学ぶことで、生徒と先生同士が議論するものみたいだ。また学部1、2年目はそもそも専門は学ばず、幅広い科目を履修し、大学院に行く前提で、専門を決めて行くという。その点においては、日本では、100人規模で行われる授業などがほとんどであり、まだまだリベラルアーツというには程遠い。
「すぐ役にたつものは、すぐに役に立たなくなる」とはいったもので、教養の大切さを感じさせられた。では、何を学べばいいかという点においては、第2章からたくさんの作品が紹介されているため、それから読んでいくのもいいかもしれない。
教養を学ぶことは、仕事や、ビジネスで直接生かすまでには、なかなか時間がかかるものがあるだろう。しかし、勉強することは、日々の生活でたくさんの気づきを得たり、知的な人と議論することができる楽しいものだと思うようになった。 -
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裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、これまで基本的にそういった言葉とは無縁で存在してきた。わたし自身、そのような文脈で裁判官が攻撃された事例は寡聞にして知らない。要するに、裁判所は正義の組織であるから、いついかなるときも聖人君主のふるまいをしており、絶対的に正しいと思われているのである。しかし、本作を読むと、この考えがたんなる思い込みにすぎないことがよく理解できる。裁判官におけるヒエラルキイ構造など、ひょっとしたら先にわれわれが思い浮かべたような組織よりも、よっぽど硬直的、官僚的かもしれない。そして、さらに驚きなのは、こういった構造が判決などにもじっさいに影響を及ぼしている点である。上司のポイントを稼ぐためには、あまり思い切った判決は出せない。そのためお上の顔を窺いながらつねに金太郎飴のようなおなじ判決が繰り返されるようになり、かくして驚異の有罪率が完成するのである。この本の中にはこのような事例がほかにも数多く掲載されている。自身の実体験をもとに書いている部分も多いが、それでもこの本を読んで、日本の司法制度に対して、タイトルどおり「絶望」を感じずにはいられなかった。
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1部 なぜリベラールアーツを学ぶ必要があるのか
これまでの蛸壺型の知識では得られない、生きるために必要な課題を設定し、それを解いていくような、「知恵の活用方法」を身に着けることであることをまとめている。
2部 リベラルアーツを身につけるための基本的な方法と戦略
1章は、6つの観点から、批評的・構造的、作品と対話、歴史や体系の中で、視点を移動し、他分野への転用、相対化して客観的に見つめることの大切さを説いている。
2章は、情報収集、ストックの仕方、コレクションの意味についてまとめている。
3部 実践リベラルアーツ:3章にわけて解説する
1章は自然科学の分野として、生物学・脳神経学・精神医学関連・自然科学その他の分野について
2章は社会・自分化学・思想・批評等として、哲学・思想・批評・ノンフィクションなどについて
3章は芸術として、文学、映画、音楽、漫画、美術について
400ページもあるが、ディスカバリーだけあって余白やイラスト(本の表紙や作者の人物像)が多く、あまり苦にはならない。 -
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2014年に同じ講談社現代新書で『絶望の裁判所』を発表した、元東京地裁、最高裁の民事系の裁判官による著作。
前著が、裁判所や裁判官制度のような制度面の問題を取り上げていたのに対し、本書では、裁判そのもののあり方について論じられている。
本書で著者は、
◆裁判においては、裁判官による「判断」が先にあり、その判断の後付けによる検証、説明、正当化として「判決」が存在する。人間の一般的な思考は、まず結論があって後からその検証、理屈付けが行われるのであり、裁判の場合もその例外ではない。
◆法的判断は、法をその枠組みとしながらも、本質的には、裁判官の個人的な価値選択・判断であり、その全人格の反映である。即ち、裁判官の価値観により判決は大きく異なり得るのであり、裁判官が「法」を作るとさえ言える。
◆日本では、容易な身柄の拘束と密室における過酷な取り調べ、捜査・起訴等に関する強大な検察の権限とそれをチェックする適切な仕組みの不在、被疑者・被告人に対する一般の人々の無関心などが相俟って、冤罪が構造的に作り出されてきた。また、有罪率99.9%という実績が、裁判官に無罪判決を下すことを躊躇させている。
◆最高裁判所事務総局は、下級審の裁判内容をコントロールしている。原告泣かせと言われた名誉棄損損害賠償請求は、政治家の圧力によりメディア等の被告の敗訴率が高まった。原発の運転差止め訴訟については、同事務総局は極めて露骨な却下、棄却誘導工作を行っていた。
◆日本の裁判官の多くは「裁判を行っている官僚」であり、行政訴訟の勝訴率の低さ、憲法訴訟の扱いを見ると、裁判所は国民支配のための道具・装置であるとさえ言える。
◆民事裁判の有力な解決方法である和解について、日本では、欧米諸国と異なる交互面接型で行われるため、裁判官により和解を強要されるケースが少なくなく、国際標準から大きく外れている。
などと述べ、袴田事件、恵庭OL殺人事件などの具体的な事件についても詳しく解説している。
日頃各種報道で様々な裁判に関わる事件・事象を目にしつつも、その判決の内容や背景を深く掘り下げて考えるための材料を持たなかったが、本書により、最終的な判断を下す裁判官の思考・判断の構造と、裁判の類型毎の特性や背景を網羅的に掴むことができ、今後の報道の受け取り方の一つのベースができたと思う。
それにしても、“法的判断は裁判官の全人格の反映である”という考えは、重みがあり、恐ろしくもある。
人が人を裁けるのか。。。司法の持つ根源的なテーマを改めて考えてしまう。
(2015年1月了)