瀬木比呂志のレビュー一覧
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元来、リベラルアーツとは、自由七科、つまり、
文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽を意味した。
しかし、近年注目されている意味でのリベラルアーツは、人の精神を自由にする幅広い基礎的な学問・教養という趣旨で、その横断的な共通性やつながりを重視する含みを持つ言葉であると筆者は説く。
本書は、3つの部から構成されている。
筆者は、リベラルアーツを学ぶ必要性や身につけるための基本的な方法等を語りかけるように教えて
くれる。終盤は実践的な内容となっていて、自由七科を髣髴させる自然科学や社会・人文科学、芸術等について言及する。
印象的なのは、筆者が新約聖書を推薦していることである。聖書は西欧では思想や芸術の規範となっているが、日本人にとっても新約聖書は、知恵に満ちた深い書物であると表現する。その中核である四福音書だけは、一度は通読することを勧めると念を押す。
『リベラルアーツを学ぶには、もちろん、それなりのコストや努力も必要です。しかし、そこから得られるものは、そのコストや努力をはるかに上回るものになりうるのです。』
本書を通じて、リベラルアーツを学ぶ楽しみを垣間見た気がした。 -
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司法修習第31期生の著者による本。
2回目の読書。1回目に読んだ記憶の内容が忘却されていて、再読の甲斐があった。そもそもなぜ2回目を読む気になったのかは、青山透子『JAL裁判』を読み終え、このJAL裁判がいかにも裁判所都合、もっと言えば政府に忖度した訴訟だったのかが気になったからである。裁判所なるものの組織状況を改めて確認したいと思ったからである。
ある意味、軍隊と同じようにまとまっていなければいけない組織構造だから、少しでもはみ出たことをしたりすると、除け者扱いの対象となる。このようなことが説明されているのが第2章と第3章。
裁判官が和解を勧める理由の一つには、判決文を書くことを面倒だからと、民法の先生がかつて言っていた。まさにそのとおり述べられている。
私にとって、全体的な説明の文章は、スラスラ頭に入ってこず、少し読みにくさがあった。専門分野の話しであるから仕方がないところもあるが、話し言葉風に前提の話しが省略されていたり、文脈が素人には繋がらないといった記載もあった。
以下は、メモしておきたい本文記述とこれに対する私の感想である。
○第2章 最高裁判事の隠された素顔
p.52
「多少なりとも個性的な裁判官、自分の考え方をもちそれを主張する裁判官、研究を行っている裁判官は、高裁長官にはなれない。たとえ、上昇志向が強く、大筋では裁判所組織の要請に従い、むしろそれを主導してきたような人物であってさえもである。(中略)判決や論文等でそれなりの(つまり、最高裁が暗黙の内に公認している方向とは異なった)意見を表明してきたような人物であると、それ以前に、たとえば所長になるのが同期のほかの人間より何年も遅れ、一つの期について相当数存在する所長候補者の間で最後に日きれる、あるいは所長候補者から外されるなどの形で不利益を被ることになる。」
→後段については、日系企業なら、多かれ少なかれ、観察されることである。
p71
「日本の刑事司法システムで有罪無罪の別を実質的に決めているのが実際にはまずは検察官であって、裁判官はそれを審査する役割にすぎないということがある。」
→改めての知識である。
p.78
「最高裁判事の出身母体はおおむね固定しており、近年は、裁判官六名、弁護士四名、検察官二名、行政官僚二名(うち一名は外交官が多い)、法学者一名となっている。」
→これも改めての知識。
p.90
「事務総局が望ましいと考える方向と異なった判決や論文を書いた者など事務総局の気に入らない者については、所長になる時期を何年も遅らせ、後輩の後に赴任させることによって屈辱を噛み締めさせ、あるいは所長にすらしないといった形で、いたぶり、かつ、見せしめにすることが可能である。さらに、地家裁の所長たちについてさえ、当局の気に入らない者については、本来なら次には東京高裁の裁判長になるのが当然である人を何年も地方の高裁の裁判長にとどめおくといった形でやはりいたぷり人事ができる。これは、本人にとってはかなりのダメージになる。プライドも傷付くし、単身赴任も長くなるからである。」
→収容所群島の世界を描いている。
○第4章 誰のため、何のための裁判?
p.126
「(大阪空港訴訟における供用差止不適法という)大法延判決は、およそ差止めは認めないという乱暴なものであり、空港差止め訴訟は問答無用で切り捨てるという姿勢が明らかである。実は、この事件については、第一小法廷において限定的差止めを認める方向が決まっていた。ところが、なぜかこれが大法廷に回付されることになり、前記のような結論に至ったのである(毎日新聞社会部「検証・最高裁判所法服の向こうで』毎日新聞社)。その背後に政治的な動きや思惑があったことは想像に難くない。」
→最後の一文が重要である。裁判が政治に左右されることがあることを物語っている。
p.147
「実際、法律家でさえ、逮捕に続く連続二〇日間の勾留とその間の厳しい尋問に耐えられる人は多くない。ある弁護士が、事務所の後輩たちに、「もしも痴漢冤罪に巻き込まれそうになったら、相手の女性に名刺を渡してともかくその場を立ち去ること〔その場を立ち去れば、身柄の拘束には逮捕状が必要になる]。現行犯逮捕、勾留されてしまったらおしまいだよ」と語ったと聞いたことがあるが、誇張とはいえないと思う。」
→いつ巻き込まれるか分からないだけに、そのような場面に遭遇したときの知識として役立つ。
p.147
「日本の刑事司法には、(中略)普通は処罰されることのない形式的な行政法規違反等をとらえて、国家や権力者に都合の悪い調査や告発を行っている人物を逮捕勾留し、必要のない捜索差押えでそのプライヴァシーを破壊し、決定的なダメージを与えるといったことが可能になる(そのような陰謀の温床になりうる)性格があることも、ぜひ認識しておいていただきたい。」
→元外務省職員で作家の佐藤優氏がその著作『自壊する帝国』で、国家権力はマークした人物を捕らえる目的で些細なことでも逮捕目的にするという趣旨のことを述べているので、これは本当である。
○第6章 今こそ司法を国民、市民のものに
・法曹一元化について、1回目に読んだときの記憶があまりないが、著者はこれをもっと推進して制度化すべきと主張している。確かにこれまでのキャリアシステムのもとでは、最高裁事務総局の頑強で強固なガバナンスのもと、少しでも外れたことをする判事は蚊帳の外に置かされることになる。そのようにして、司法を揺るぎないものにしようとしているのだろう。しかし、昭和時代と異なり、今は価値観が多様化している。著者が主張するとおり、依頼人からの仕事を通じて当事者の気持ちを理解できる弁護士が判事になる法曹一元制度なら、当事者に寄り添った、どれだけ血の通った判決を出せるかを期待できる。こんなことを言うこと自体が裁判官の世界では、憚られるのだろうが。 -
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以前読んだ川島武宜先生の「日本人の法意識」(1967年刊)は、日本人の前近代的な法意識を論じた名著であり、明治維新後に急いで輸入した近代法体系と現実の国民生活とのズレが分析されています。
そして本書は、時を経て2024年により刊行されたものであり、半世紀以上経った今、日本人の法意識は変わったのか、という点に着目しながら読み進めました。
しかしながら、契約や権利などという近代法の概念は今でも根付いていない部分が多く、著者が言うように「日本人は、近代のエッセンスとして消化しておくべきだった事柄を未だ十分に意識、消化していないのではないか?」という指摘にはうなずかざるを得ませんでした。
本書では、犯罪・刑罰・死刑をめぐる法意識(第4章)、冤罪をめぐる法意識(第5章)、権利・所有権・契約・民事訴訟をめぐる法意識(第6章)、司法・裁判・裁判官をめぐる幻想(第7章)、法意識の基盤にある日本の精神的風土(第9章)の章が特に面白かったです。
推定無罪の原則がまだまだ日本には根付いておらず、犯罪の疑いをかけられただけでその人が犯罪者扱いされてしまうという点(第4章・第5章)などは、近代の法意識とは未だ大きくズレがある部分でしょう。
また、日本社会を規定している原則は「法の支配」よりも「人の支配」であり、ムラやタコツボにおける「オキテ」である(第9章)、という指摘も非常に鋭いものです。
「法の支配」の原理は法は権力者をも縛るものであり、法の機能は専断的な「人の支配」から人々を守るものである、という点をよく意識し、理解しておく必要があると強く思った次第です。
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この本の内容をとても難しく、また退屈に感じたのですが、まさに自分自身が法意識の低い日本人なんだと気付かされました。
私は日本人の一つの特性に物事が起きてから考える場当たり的な面があるように思います。
私たち人間は生まれた時から刑務所の壁の上を歩いているようなもので塀の中に落ちるか外に落ちるかは偶然でしかない。と言う部分がありましたが、まさにごく稀に塀の中に落ちてしまう人はいるかもしれませんが、多くの人は子供の頃から壁の上を落ちないでそのまま人生を終えるため、何かに備えると言う意識や想像力が必然的に低くなっている気がします。
塀の中に落ちないように法を意識して備えていく事が大事なんだなと思いました。 -
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ネタバレ裁判官としても学者としても長年経験のある著者が書いた日本人の法意識について本。
欧米、特にフランスとの比較が多い。
家族法の話が大変興味深かった。
国連の拷問禁止委員会でアフリカの委員から「日本の司法は中世並み」と批判された話が出てくる。えー、でも自国の治安は中世以下じゃない?なんて「それとこれとは関係ないだろう!」とキレられそうな感想を持ってしまった。人質司法と批判される我が国の刑事裁判。カルロス・ゴーンが逃亡したことは、まだまだ記憶に新しい。
日本は江戸時代以前、権利という概念がなく個人の私権が重視されなかったという。現実の環境に応じて柔軟に対応する状況主義の法思想だ。これがギリシア哲学やキリスト教に根源を持つ西欧の法体系と異なる。
「不思議の国のアリス」の話が例として出てくる。最後のシーン、アリスが裁判にかけられるところで裁判の不備をアリスが「ナンセンス」と言い切る箇所がある。アリスの7歳6ヶ月。7歳6ヶ月でも裁判の仕組みが分かっていて当然なのだ、と筆者は言う。
対して日本では現在、大学生くらいにならなければ裁判の仕組みを学習しないのではないかと書かれている。日本では上から下に下るものとして(お白砂の上で奉行が下す、ような)人々の意識に根付いているという。しかし江戸時代、子どもでも裁判の仕組みを教わっていたし、農民も武士を訴えるような訴訟もあったと著者は言う。唯々諾々と農民は従っていたわけではなく、集団で訴え、その方法を次代に受け継ぐことをやっていたのだ。なんだか今の「訴えてやる」という啖呵がいかに裁判というものが人々の生活の外にあるものかを示しているのではないかと思った。
離婚についての意識について書かれている箇所は非常に面白かった。当事者の合意のみで離婚できるという仕組みは世界的に見れば珍しいらしい。それが個人の自由を尊重していると思われるかもしれないけれど、蓋を開けてみれば、離婚時の強者のいいなりになるしかない、ということになるという。もう関わりたくないから、慰謝料も養育費も取らずに離婚した、って話は私も聞いたことがある。著者の友人がフランス法をよく知っているという関係でフランスとの比較がこの章では多いのだが、例えばDV被害者である妻が子どもを連れて夫から逃げる、ということがある、とする。日本では実家、友人、知人宅に逃げ込む、ということしか出来ないが、フランスでは裁判官が「DV保護命令」接触禁止、被害者の医療費負担と住居裁定(加害者費用負担)、住居所の秘匿と連絡先を弁護士等にする許可、親権行使、面会交流、婚姻費用(生活費)の分担等について定める…などなど当事者以外が関わることがたくさんある。これについて筆者は家裁専門裁判官を多数養成するくらいの抜本的改革が必要だと主張する。
子の福祉を本当に欧米並みに考えるなら、それくらいの改革は必要だろうな、と思う。フランスでは子の福祉侵害としてDNA鑑定には刑事罰が科されているという。どんなときでもか、かは分からないけれど。日本では子が生まれれば手厚い保護保障によって基本的に順調に育っていくことが可能という前提が整っていない、と書かれていた。私もそれはその通りだと思うし、それが整っている国がある、ということなのだろう。
刑事裁判についての法意識についても書かれている。全くもって「推定無罪」が浸透していない。2004年の村木厚子さんの冤罪事件も記憶に新しい。検察官の証拠捏造という極めて異例な事態だが、同じことが袴田さんの事件でも言われているのだ。検察官が裁判官を下に見ているような書き方を著者はしている。検察官のチェック機能が欠落しているのだ。
日本人の法意識は訴訟に親和的ではなく、法的リテラシーが未熟であるという。訴えられたら、とか、訴えてやる、とか思っていたとしても、どうしたらいいか分からない、何をどこから手をつけたらいいのか分からない、どれくらい費用がかかるのか分からない、そんな人が多いのではないだろうか。ちょっとずつでも、これが裁判になったらどうなるんだろう、とか、なぜこの冤罪事件は発生したのかとか、を自分の身の上に当てはめてみて考えるのがいいのではないかと思った。 -
Posted by ブクログ
「現代日本人の法意識」(2024年発行)を読後、
その中で触れられていた本書(2014年発行)に興味を持った。第1章は、タイトルそのままに、筆者の絶望感が強く記される余り、事例が微に入り細に入っているのは読んでいると悪口大会のようで共感は得にくいと思った。
全体を通して、裁判所制度、裁判官の任官・人事など、裁判官経験者でしか知らない、書けないことが多く興味深かった。
難関の司法試験をパスし検察官、弁護士よりも優秀な並外れた人格能力を持つ人たち、というのが、かなり幻想だとわかり衝撃だつた。
それにしても、微細な随所のちょっとした記述にも、筆者のプライドの高さがチラ見えたのは笑えた。裁判官だった人ってプライドの塊なんですね。 -
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とても実践的で、自分がその場にいる絵が想像できた。その分、読む方も力が入る。
交通事故関係、不動産関連紛争、痴漢冤罪を含めた刑事事件関係などなど、実際に巻き込まれやすい内容を幅広く網羅していて、一家に一冊あってもよい。
とくに気をつけなければ、と思った点がいくつか。
弁護士や裁判官の個人差については注意しつつも、いざとなったら意識できない(忘れてしまう)と思う。「わかってくれるはず」は頭から捨てないといけない。
「人前でハンコを押さない」理由も恐ろしい。たえず注意していないと、どこに危険が潜んでいるかわからない。
そして契約の際は、とにかく文書に残して、曖昧なままにしておかない。親族との間がとくに注意だと認識した。相手に配慮して、自分は やってしまいそう。 -
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書店で見かけて読みたくなったもの。本書で言うところの”自己責任”は、弱者叩き的な自己責任論とは関係ないもの。なるほど。このあたりをはき違えた考え方がはびこる結果醸成される格差には、確かに無視できないものがある。で、自己責任を自覚するにあたってまず克服されるべきは、誤った性善説と、曖昧なままにしておく性癖。そこから問題が大きくなる、と。これも確かにその通り。ついでに、専門家に抱く完全無欠イメージは、明らかに幻想。自分も専門職だから、我が事としても理解できるし、それが法曹界にも成り立つっていうのを内部の人が書いているのだから、さすがに説得力あり。ちなみに本題とは逸れるけど、以下の作品は一度観てみたいと思いました。
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