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裁判官というと、少し冷たいけれども公正、中立、優秀といった印象があるかもしれない。しかし、残念ながら、そのような裁判官は、今日では絶滅危惧種。近年、最高裁幹部による、思想統制が徹底し、良識派まで排除されつつある。 三三年間裁判官を務めた著名が著者が、知られざる、裁判所腐敗の実態を告発する。情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ・・・、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
良心に基づいた裁判官が排除される厳格な支配体制は、聞きしに勝る。上りつめるか退官を決意すれば果敢な判断ができるという精神的「収容所群島」だというのは、わかりやすい比喩だった。 裁判官から大学に転身した筆者によると、今世紀に入って腐敗が進んだそうで、良心を発揮しようと裁判官を志した友人達の現在が心配に...続きを読むなる。その一方、とても裁判官になってから歪んだとは思えない、壊れた人々にも慄然とさせられる。 裁判所に送られる羽目になったら、破滅である。
普通に読んでも面白い新書、そして刺さる人には刺さる人生の指南書。 まず一般的な感想を。約30年間裁判官を務め、その後民事訴訟法の研究者に転身した著者の経歴を活かし、日本の裁判所と裁判官の闇を暴く告発本。我々が裁判官という人種に対して抱く清廉潔白なイメージとはかけ離れた非常識な言動や、官僚的というだ...続きを読むけでなくむしろ旧共産主義国のような裁判所の極端なトップダウン型の思想統制の数々はいちいち衝撃的。 そのような情報価値はひとまず認めた上で、おそらく読者の多くは著者の語り口にマイナスイメージを抱いたのではないかと思う。テーマがテーマだけに仕方がなかろうが、1〜4章あたりでは著者が実際に体験した上司からのハラスメントや事務総局の締め付けへの恨み節(と捉えるしかない記述)がネチネチと繰り返し綴られる。そして著者の裁判官への人物評も、尊敬に値する価値観や人生観に欠けるだとか、本当の教養を備えていないといった具合でいかにも高踏的な印象を与える。ともすれば「著者が裁判官に向いていなかっただけでは?」と本の内容自体を疑いたくなる人もいるかもしれない。 かくいう私も途中までは、著者に対し懐疑的な気持ちを抱きながら読み進めていた。が、第5章から終章にかけて、どうしたことか一転して瀬木比呂志という1人の人間のファンにさせられてしまった。 第5章の章末にて、著者はトルストイの短編『イヴァン・イリイチの死』を引く。イヴァン・イリイチは帝政ロシアの官僚裁判官であり、一見すれば成功したエリート、だがその価値観や人生観は全て借り物、著者の表現によれば「たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系」というものだ。さも悪い人物のようだが、官僚、役人の中でこれはかなり上質の類型だと著者は述べる。そして著者自身すら若いころには「いくぶん自覚的なイヴァン・イリイチという程度の存在」であったのかもしれず、闘病や研究、執筆を通じてどうにかイヴァン・イリイチ的な拘束を脱して1人の人間に立ち返ることができたにすぎないと。 私はこの人間分析に深い感動を覚えた。私だけでなく現代の若者、ことに「センスのある人」に見られようと必死で自身を飾り立て、「人と違う自分」を演出しつつもどこか虚しさを感じているような人は共感を禁じえないのではないはずだ。 自分こそがイヴァン・イリイチなのではないか。そしてそれは、ことによればイヴァン・イリイチにも満たない、自分自身を俗物と信じて疑わない凡庸で素朴な人間よりもずっと醜悪な在り方なのではないか。 また瀬木氏についても、裁判官という基本的にはお堅くてつまらない人間、無趣味で仕事ばかりを生き甲斐にしている人間たちの中にさえ醜悪なイヴァン・イリイチの影を、即ちいびつな自己愛を感じ取ったがために「絶望」に至ったのではないのだろうか。 もちろん、裁判官には没個性さがある程度は要請される面もあるし、他の人よりも多くの時間を仕事に割くのであるから、イヴァン・イリイチを超える本当の人間性を培うことは非常に難しい。結果としてイヴァン・イリイチに落ち着き、自身をひたすら慰撫する人間が出来上がってもそれを非難するのは酷である。他の知的エリートについても概ね同様だろう。 しかし若かりし頃の瀬木氏や今の私のように、自分自身がイヴァン・イリイチであることに我慢がならないナイーヴな人間にとってそれは絶望に他ならない。そしてその絶望からの恢復を果たし、今なお旺盛な執筆活動を続ける瀬木氏は私のような人間にとって尊敬すべき先達といえる。 ここまで穿った読み方をする人はそうそういないだろうが、少なくとも私は、瀬木比呂志という1人の人間の半生を通して、自分自身の人生を生きることの大変さ、それでも気高く生きたいと思える格好良さまでをも教えられた気がした。瀬木氏の他の著書もちかぢか読んでみようと思う。もちろん『イヴァン・イリイチの死』も。
裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロ...続きを読むドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、これまで基本的にそういった言葉とは無縁で存在してきた。わたし自身、そのような文脈で裁判官が攻撃された事例は寡聞にして知らない。要するに、裁判所は正義の組織であるから、いついかなるときも聖人君主のふるまいをしており、絶対的に正しいと思われているのである。しかし、本作を読むと、この考えがたんなる思い込みにすぎないことがよく理解できる。裁判官におけるヒエラルキイ構造など、ひょっとしたら先にわれわれが思い浮かべたような組織よりも、よっぽど硬直的、官僚的かもしれない。そして、さらに驚きなのは、こういった構造が判決などにもじっさいに影響を及ぼしている点である。上司のポイントを稼ぐためには、あまり思い切った判決は出せない。そのためお上の顔を窺いながらつねに金太郎飴のようなおなじ判決が繰り返されるようになり、かくして驚異の有罪率が完成するのである。この本の中にはこのような事例がほかにも数多く掲載されている。自身の実体験をもとに書いている部分も多いが、それでもこの本を読んで、日本の司法制度に対して、タイトルどおり「絶望」を感じずにはいられなかった。
閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。 思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホル...続きを読むダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。 まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに最大限の注力を図り、なるほど、うまいこと落としどころを見つけたなぁというようなことであればいいわけである。 ところが、「ジャスティス」の実現に関し、一番の権限と、権威を持っている「裁判所」という機関の劣化が激しいと嘆かれている。 一番最初に書いたが、閉鎖的・閉塞社会で官僚組織というのが人間社会において、一番始末が悪いわけである。 日本社会において、今現在、裁判所も含め、閉鎖・閉塞分野において、色んな不都合が起こってきている。 はてさて、このことは、現代日本社会全体で考え、取り組んでいかなければならない課題であるが、私自身としては少々悲観的ですが・・・(涙)。
いろんなところで話題になっているから読んでみた。 一族経営の会社で、顧客や取引先のことなど考えず、常に会長、社長とその取り巻きの意向に戦々恐々としながらも、その意を汲むことに仕事の意義を見出す従業員たち。顧客や取引先からは血も涙もない悪魔、卑劣な極道、と罵られても平気の平左、上層部の意向に沿っ...続きを読むていれば身分は安泰だから「愛い奴じゃ、取り立てて進ぜよう」という言葉がかかるのをひたすら待つ。 逆に「これでは顧客のためにもならないし、引いてはわが社の信頼にも関わるのでないでしょうか」なんて意見を言おうものなら、「ふむ、そんな考え方もあるかもしれんな。それじゃ君、その考え方を広めてきてはどうかね、ここではないどこか遠くで」とのお言葉を頂戴し、左遷させられる。 多少の良心を持ち合わせていた若手社員も、正論が通じないことと、報復人事を目の当たりにして、黙ったまま時を過ごす。そして、いつの間にかその意に染まる。染まりきれずに良心の呵責に耐えられないものは辞めていくか精神を病む。 いや〜、ひどい会社だ。こういうモラルハザードを起こした会社は遅かれ早かれ信頼を無くし、倒産するのは間違いない。それが市場原理というものさ、あははははっ! と、笑っている場合ではない。 これは会社を例にとった最高裁を頂点とする裁判所の話だからだ。 だから残念ながら倒産しない。 日本の司法は最高裁判所裁判官会議(これがいうなれば会長社長の一族)と事務総局(その腰巾着みたいな組織)によって支配されている。 最高裁の裁判官になれるかどうかは実力ではなく、前任者たちにいかにうまく取り入ったかで決まる。(昔の派閥政治みたいなもので、派閥のボスに可愛がられたものが大臣に就ける。ただし、派閥が乱立しているわけではないので、破れた派閥は共産圏の権力闘争みたいにほぼ抹殺となり、一人勝ちの状態になる) 事務総局は最高裁の意向を下々に通達する機関。「おまえら親分の言う事が聞けないってのか」とすごむ若頭的な役割。 がっちがちの上意下達の組織だ。 そんな中でも良識を持って、公明正大に頑張っている裁判官もいるんじゃないか、と思われる方いるでしょう。 安心してください。確かにいます。割合としては5%くらいらしいですが。 最高裁にはいない。上記のような理由で。東京大阪の大都市にある高裁にもいないらしい。 地方の地裁、高裁などで、定年間近のおじいさん裁判官などは、もう出世にも興味がないので、気骨のある態度で裁判に臨む方がたまにおられるようだ。 そういう裁判官に担当してもらえたらラッキーだが、上告されたら最高裁で、「なんだ、あのじじいの高裁判決か、癪に障る、覆してしまえ」と量刑が加算されるかもしれない。 裁判官に嫌気がさして、弁護士になる人が年々増加しているとか。 絶望の裁判所とはよく言ったものだ。 マスコミはもっと叩かないといけないと思う。政治腐敗の記事はそれこそ腐るほどあるけど、司法の腐敗を追及した記事はほとんど見かけない。判決うんぬんの記事は見かけるが、不可解な判決、常識と乖離した判決がなぜ出されるのか、司法構造の悪弊に目を向けた記事を書いてくれないと、表層の解説記事になってしまう。 どうにかなんないのか! なんだかイライラする。 **お断わり** 本文はめちゃくちゃ硬い文章です。元裁判官の文章だから仕方ありません。こちらで勝手に意訳したレポなので、思い込みの部分はあります。悪しからず。 (ブクレポのタイトルは本に巻いてある帯からの借用)
「現代日本人の法意識」(2024年発行)を読後、 その中で触れられていた本書(2014年発行)に興味を持った。第1章は、タイトルそのままに、筆者の絶望感が強く記される余り、事例が微に入り細に入っているのは読んでいると悪口大会のようで共感は得にくいと思った。 全体を通して、裁判所制度、裁判官の任官・人...続きを読む事など、裁判官経験者でしか知らない、書けないことが多く興味深かった。 難関の司法試験をパスし検察官、弁護士よりも優秀な並外れた人格能力を持つ人たち、というのが、かなり幻想だとわかり衝撃だつた。 それにしても、微細な随所のちょっとした記述にも、筆者のプライドの高さがチラ見えたのは笑えた。裁判官だった人ってプライドの塊なんですね。
元裁判官である著者が裁判所や裁判官の悪い面を書き連ねた本。 本来独立した存在であるはずの裁判官が当事者の方を見ずに、上役の方ばかりを見て仕事をしているというような批判です。 最近何かに付けて裁判裁判とニュースで見かけますが、それが本当に信頼の置けるものなのかは国民として注視すべきでしょう。 マスコミ...続きを読むは役人の悪口は殆ど書かないから本書で学習して市民として裁判所の仕事を監視する契機にされたい。
とても貴重な記録。 33年間、裁判官を務めた著者だけに、 その内容は説得力もあるし、 なによりも、思いのほか、赤裸々に描かれている。
元裁判官の著者が記した裁判所の実態。 裁判所はその性質ゆえ、官公庁よりも官僚的で、結果として刑事も民事もその内容が恣意的なものになりやすいということがよくわかった。
延長すれば良かったのに時間切れ 裁判員制度も刑事裁判官の自己顕示欲の道具とか面白いことが書いてある
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