無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで202万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
姉妹書『絶望の裁判所』が裁判所の組織や制度、そして裁判官の人格についての本だったのに対し、こちらは裁判所が下す判決が主な検討対象。刑事、民事、行政訴訟といった各分野の具体的な判決や判例の傾向が述べられる。
そのぶん『絶望』に比べ、直感的におかしいと感じるというよりは価値判断の結果であり、今のような在り方の肩を持とうと思えば持てる部分もある。衝撃度は前作ほどではなかったと感じた。
もっとも、終章である第8章からはグッと引き込まれた。これまで舌鋒するどく当局批判をしてきた著者の、裁判官時代に味わった痛みが、人間性が、いっぺんに吐露される。
キャリアシステムから法曹一元制度への転換、弁護士や弁護士会、そして市民の意識変革の必要性など、内容の重要性もさることながら、私にとって最も印象的だったのは著者の人格的魅力だった。
「私は、すでに一生分以上の自己規制をしてきたと思っていたので、転身の際には、今後は一切それをするまいと決心していたのである。」(274P)
こういう著者の言葉は、瀬木氏のような有識者、志ある人間に向けるには失礼な表現かもしれないが、「告発」のような感じがする。
私は理不尽に傷つけられた、それでも私は闘った。うつ病を発症しながら33年もの間裁判官を務め、今なお裁判官時代に下した悔いの残る判決を自らの十字架としている著者の、そうせずにはいられない心の叫びであり、断じて単なる恨み節ではない。
著者自身がたびたび記しているように、瀬木比呂志という人間はデリケートな芸術家肌の人であり、その著作もさながら思想書のように、著者の人格や背景と共に理解すべきものなのだろう。瀬木氏の他の本もまだまだ読んでみたくなった。
Posted by ブクログ
2014年に同じ講談社現代新書で『絶望の裁判所』を発表した、元東京地裁、最高裁の民事系の裁判官による著作。
前著が、裁判所や裁判官制度のような制度面の問題を取り上げていたのに対し、本書では、裁判そのもののあり方について論じられている。
本書で著者は、
◆裁判においては、裁判官による「判断」が先にあり、その判断の後付けによる検証、説明、正当化として「判決」が存在する。人間の一般的な思考は、まず結論があって後からその検証、理屈付けが行われるのであり、裁判の場合もその例外ではない。
◆法的判断は、法をその枠組みとしながらも、本質的には、裁判官の個人的な価値選択・判断であり、その全人格の反映である。即ち、裁判官の価値観により判決は大きく異なり得るのであり、裁判官が「法」を作るとさえ言える。
◆日本では、容易な身柄の拘束と密室における過酷な取り調べ、捜査・起訴等に関する強大な検察の権限とそれをチェックする適切な仕組みの不在、被疑者・被告人に対する一般の人々の無関心などが相俟って、冤罪が構造的に作り出されてきた。また、有罪率99.9%という実績が、裁判官に無罪判決を下すことを躊躇させている。
◆最高裁判所事務総局は、下級審の裁判内容をコントロールしている。原告泣かせと言われた名誉棄損損害賠償請求は、政治家の圧力によりメディア等の被告の敗訴率が高まった。原発の運転差止め訴訟については、同事務総局は極めて露骨な却下、棄却誘導工作を行っていた。
◆日本の裁判官の多くは「裁判を行っている官僚」であり、行政訴訟の勝訴率の低さ、憲法訴訟の扱いを見ると、裁判所は国民支配のための道具・装置であるとさえ言える。
◆民事裁判の有力な解決方法である和解について、日本では、欧米諸国と異なる交互面接型で行われるため、裁判官により和解を強要されるケースが少なくなく、国際標準から大きく外れている。
などと述べ、袴田事件、恵庭OL殺人事件などの具体的な事件についても詳しく解説している。
日頃各種報道で様々な裁判に関わる事件・事象を目にしつつも、その判決の内容や背景を深く掘り下げて考えるための材料を持たなかったが、本書により、最終的な判断を下す裁判官の思考・判断の構造と、裁判の類型毎の特性や背景を網羅的に掴むことができ、今後の報道の受け取り方の一つのベースができたと思う。
それにしても、“法的判断は裁判官の全人格の反映である”という考えは、重みがあり、恐ろしくもある。
人が人を裁けるのか。。。司法の持つ根源的なテーマを改めて考えてしまう。
(2015年1月了)
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
小説・文芸
ビジネス・実用
小説・文芸