瀬木比呂志のレビュー一覧

  • 現代日本人の法意識

    Posted by ブクログ

    非常に面白い一冊だった。本書は、江戸時代の庶民の訴訟事情から、婚姻、離婚、共同親権、同性婚、冤罪、死刑、契約、裁判まで、かなり幅広いテーマを扱っている。

    特に参考になったのが、犯罪と刑罰をめぐる「応報的司法」と「修復的司法」という考え方。犯罪者を罰することだけを重視するのではなく、被害者と加害者の双方を含めて、犯罪によって生じた問題をどう修復していくのかという発想は新鮮だった。日本はどうも応報的な思考が強いように感じる。

    死刑制度についても、著者は明確に廃止の立場を示していて、死刑は報復ではなく、世界的にも廃止の方向にあること、代替として仮釈放のない終身刑という選択肢などを示している。このあたりは、論旨が明快で、読んでいてかなりスッキリした。

    著者は33年間、約1万件の民事訴訟を担当した元裁判官で、その後は法学者として研究を続けている。そうした実務と研究の両方を経験しているからこその視点も、この本の面白さだと思う。

    一方で、気になったのは、現在の司法や制度に対する批判的な論調がやや強すぎるところ。著者の問題意識はよく分かるし、鋭い指摘も多いのだが、やや一方向から切り込んでいるように感じる部分もあった。

    それでも、法律の「読み方」や「仕組み」を学ぶ本とは違い、法律と社会、人間との関係まで視野を広げてくれる本。折に触れて何度か読み返してみたい。

    0
    2026年09月21日
  • 裁判官が見た人間の本性

    Posted by ブクログ

    驚いたのは引用される文献や映画の数量だ.著者は個人主義・自由主義を標榜しており、左翼系思想の問題点を指摘している.あまり聞き慣れない用語が満載で、それぞれ別個に調べて対応した.キャンセルカルチャー、イノセンスなどなど.著者の考え方を如実に示している表現は、「まずは自己の利益があり、そのことを前提とした上で他の利益を考え、利害の対立があれば議論を行って調整する.その上で、合意を結んだらそれに従う.」だと感じた.日本社会の問題点として、「自分自身は正義と善の立場に立って、安全な地点からそれを断罪するにとどまる例がきわめて多い.」という指摘も当を得ていると思った.

    0
    2026年08月06日
  • ニッポンの裁判

    Posted by ブクログ

    姉妹書『絶望の裁判所』が裁判所の組織や制度、そして裁判官の人格についての本だったのに対し、こちらは裁判所が下す判決が主な検討対象。刑事、民事、行政訴訟といった各分野の具体的な判決や判例の傾向が述べられる。

    そのぶん『絶望』に比べ、直感的におかしいと感じるというよりは価値判断の結果であり、今のような在り方の肩を持とうと思えば持てる部分もある。衝撃度は前作ほどではなかったと感じた。

    もっとも、終章である第8章からはグッと引き込まれた。これまで舌鋒するどく当局批判をしてきた著者の、裁判官時代に味わった痛みが、人間性が、いっぺんに吐露される。
    キャリアシステムから法曹一元制度への転換、弁護士や弁護士会、そして市民の意識変革の必要性など、内容の重要性もさることながら、私にとって最も印象的だったのは著者の人格的魅力だった。

    「私は、すでに一生分以上の自己規制をしてきたと思っていたので、転身の際には、今後は一切それをするまいと決心していたのである。」(274P)

    こういう著者の言葉は、瀬木氏のような有識者、志ある人間に向けるには失礼な表現かもしれないが、「告発」のような感じがする。
    私は理不尽に傷つけられた、それでも私は闘った。うつ病を発症しながら33年もの間裁判官を務め、今なお裁判官時代に下した悔いの残る判決を自らの十字架としている著者の、そうせずにはいられない心の叫びであり、断じて単なる恨み節ではない。

    著者自身がたびたび記しているように、瀬木比呂志という人間はデリケートな芸術家肌の人であり、その著作もさながら思想書のように、著者の人格や背景と共に理解すべきものなのだろう。瀬木氏の他の本もまだまだ読んでみたくなった。

    0
    2026年05月18日
  • 裁判官が見た人間の本性

    Posted by ブクログ

    タイトルからすると、裁判官として現場での経験から得た人間観のようなものが想定されるが、読み味としては一職業人の経験を踏まえたよしなしごとのエッセイ。個人的に筆者への関心がより深まったといえるが、実際のところ法廷での観察を普遍的な定理のように語ろうとするとどこか胡散臭くもあろうし、これくらいでいいと思うものの期待と違うと思う人もいそう。

    0
    2026年04月17日
  • 絶望の裁判所

    Posted by ブクログ

    日本の司法は腐ってる。
    この一言に尽きる。

    裁判官こそ税金の無駄飯食いだ。(稀にちゃんとした人もいるんでしょうけれど)

    払ってもいい金額:1,000円
    貼った付箋の数:11

    0
    2026年01月26日
  • 現代日本人の法意識

    Posted by ブクログ

    根拠の有無について気になる記述や、個人の感想を超えない記述がいくつか見られるものの、現在の制度における問題点の批判や、新制度の提案を行っており、とても有用だと感じた。

    0
    2025年08月28日
  • 現代日本人の法意識

    Posted by ブクログ

    “司法の場合同様、政治や行政をよりよいものとすることについても、日本に、必要な人的資源自体はあると思う。経営、研究、教育等についても同様だ。しかし、その適正な実現のために必要な前提条件が整っているかというと、やはり、必ずしもそうはいいにくい。適切な制度を構築し、ふさわしい人々がそれを担うには、ふさわしい人々にそれを担わせるには、社会の側にも、個人の側にも、相当の認識、ヴィジョン、そして不退転の決意と覚悟が必要とされるのだが、この点に関する「手応え」が、なおまだあまり感じられないのである。こうした事態の根本にある問題は、やはり、専門家の、また人々の、認識と熱意の不足、「法意識の未熟」ということではないかと思うのである”

    0
    2025年02月27日
  • 現代日本人の法意識

    Posted by ブクログ

    元裁判官で学者の著者の丁寧で緻密かつ論理的に構成された内容に感銘を受けた。
    法学部出身だが、法制や裁判の背景にある法意識というものには、思いを巡らすことが無かったので、とても興味深く読んだ。
    著者の指摘で思い至ることが多く考えさせられた。

    0
    2025年02月11日
  • 現代日本人の法意識

    Posted by ブクログ

    【目次】
    第1章 「現代日本人の法意識」について考えることの意味
    第2章 日本法の歴史とその特質ー古代から現在までー
    第3章 婚姻、離婚、親権、不貞、事実婚、同性婚をめぐる法意識
    第4章 犯罪と刑罰・死刑をめぐる法意識ー応報的司法から修復的司法へー
    第5章 冤罪をめぐる法意識、刑事裁判官・検察官のあり方
    第6章 権利、所有権、契約、民事訴訟をめぐる法意識
    第7章 司法、裁判、裁判官をめぐる大いなる幻想
    第8章 制度と政治をめぐる法意識
    第9章 法意識の基盤にある日本の精神風土

    0
    2025年01月07日
  • 民事裁判入門 裁判官は何を見ているのか

    Posted by ブクログ

    民事訴訟の手続や制度について解説されている一冊。

    実務に基づいた視点からの記述であるため、実践的な知識習得を集中的に行うことができた。

    ある程度単語の解説も詳細に記述いただいてはいるが、基礎的な法律用語の定義や理解は事前に求められる。

    初学者である身の要望として
    ・手続の解説において、もう少し図表を使用した説明があると視覚的な理解が進むため有難い。
    ・全体的に固い話が続くため、所々コラムや雑談のように気軽に読み進めることができるページがさらにあると、強弱つけて読むことができると感じた。

    入門ということで、とにかく読者側は知識吸収の姿勢であるものと意識していたが、考察や問いかけが多々なされており、積極的に考える姿勢も身につけることができるものであった。

    0
    2024年09月29日
  • 我が身を守る法律知識

    Posted by ブクログ

    1045

    曖昧な表現をする日本人はリーガルマインドが低いらしい。交通事故でトラブルが多いのは大型駐車場内でも事故らしいから、駐車場は特に気を付けるようにしよう。

    風が吹くと桶屋が儲かるじゃないけど、同性婚は離婚が多そうだから弁護士は金のにおいを嗅ぎつけて賛成の人が多いらしい。

    瀬木比呂志
    1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)『民事裁判入門』(いずれも講談社現代新書)、『檻の中の裁判官』(角川新書)、『リベラルアーツの学び方』『究極の独学術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社文庫)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)、『民事裁判実務と理論の架橋』(判例タイムズ社)等がある。

    欧米には珍しいこうした訴訟が多い背景には、日本社会におけるリーガルマインドの欠落、不足があります。欧米では考えにくいようなあいまいな内容の契約が結ばれたり、契約書の内容がその実際とは大きく異なっていたりすることが、しばしばあるのです。契約の時点から双方の認識があいまいだったり、大きく食い違っていたりするわけですから、紛争が起きれば、泥沼化することは避けられません。そして、裁判となれば、「そもそも紛争の本質がどのようなものであり、それをどのように法的に構成したらいいのか」というところから始めなければならないのですから、複雑な訴訟になるのは当然なのです。

    つまり、日本人の法的な意識や感覚と近代法のそれとの間には、今なお大きな「ずれ」があり、その意味では、残念ながら、日本人の相当部分は、未だ十分に近代的な法的感覚、法意識をもちあわせてはいないともいえるのです。

    したがって、日本人の多数派は、法的紛争・危険防止のための知識・情報についてそれほど関心がありませんし、たとえあってもそれは断片的なものであって体系化されておらず、個別的な知識の範囲を超えた事柄には対処しにくいのです。 そして、こうした事態は、一般市民のみならず、しばしば、いわゆる知識人や経済人についてさえ当てはまります。

    日本人は、本来、個人的なレベルでは慎重なはずの民族であり、争いを好まないし、裁判という、みずからの行為の理非が証拠と論理によって垂直的に裁断される事態についても、避けたいと考える人が多いはずです。にもかかわらず実際には日本の民事紛争・訴訟が先のような事態になっていることを考えるなら、以下に述べるような意味での「予防法学」(私なりの定義による予防法学)の必要性、重要性は大きいと思われるのです。

    つまり、法的紛争全般の防止のためには、個別的、断片的な知識だけでは不十分なのであり、それらを統合するような一つの視点、法的感覚、基本的なリーガルマインドが必要なのです。

    人々と法の関係については、「司法への市民参加」とともに、「法教育」の必要性が、たとえば法学者、法務省、日弁連(日本弁護士連合会)等によって説かれています。しかし、後者の内容として挙げられている事柄はかなり抽象的、一般的であり、たとえば高校までの教育で法や司法について教えられる事柄をある程度具体化したものという域を超えていません。したがって、ごく普通の日本人あるいは学生が生き生きとした興味をもてるようなものであるかどうかは、いささか微妙でしょう。

    「権利」という言葉は子どもでも知っていますが、実は、幕末から明治初期に定着していった訳語です。つまり、それ以前の日本には「権利」という包括的な観念は、ないか、あっても未発達でした。こうした歴史的経緯から、今でも、日本人の権利意識には「薄い、弱い部分」があります。

    次に、権利義務発生の根拠となる「契約」についても、やはり、日本人の意識には「薄い、弱い部分」があります。 たとえば、契約はしたが口約束なので双方がどういう意図で契約したのか明確に意識されておらず、あるいは大きく食い違っており、契約の解釈をめぐる紛争になる例がままあるのです。例を挙げれば、金は渡したが貸金だったのか贈与だったのかがあいまいであとからもめる(拙著『民事裁判入門──裁判官は何を見ているのか』〔講談社現代新書〕一八〇頁以下)、売買のはずなのになぜか金銭貸付けの契約書が作られていてあとからもめるなど、枚挙にいとまがありません。

    これらの紛争は、いずれも、近代法の基本中の基本である「権利、所有権、契約」等の意味や機能、重大性をはっきり認識していないこと、また、ダブルスタンダード、二重基準を許す「あいまい文化」、総体としての法意識の弱さなどからくる問題なのであり、欧米ではあまりないタイプの紛争です。もっとも、当事者が日本人ではなくとも、アジア系だとやはりこういうことはある(時にはよりはなはだしい)ので、「アジア的紛争形態」ということもできるかもしれません。

    日本人は、欧米の場合一般と比較すると、「人の言葉を確かな根拠もなく信じてしまいやすい人々」であると思います。私は、法廷で、原告や被告から以下のような言葉を何度となく耳にしたものです。「約束の根拠を問うこと自体が相手を疑うことであるから根拠は問いませんでした。契約書を作ること(極端な場合は領収書をもらうこと)自体が相手を疑うことであるから契約書は作りませんでした(領収書ももらいませんでした)。私の主観かもしれませんが、相手を信頼できると思っていましたから」 しかし、私は、長年の民事系裁判官としての経験から、こうした主張は疑わしい場合もかなり多いと考えています。証拠上認定されるそのほかの行動においてもずさんで、記憶も正確でなく、供述は意味がとりにくくあいまいで自己弁護的、そして、自己には甘くて相手の欠点は決して見逃さない、そうしたタイプの人が前記のようなことを言う場合のほうが、誠実な人が言う場合よりも、割合としては多いのです(付け加えれば、本当に誠実な人がだまされた場合には、右の「そのほかの行動においてもずさんで、記憶も正確でなく、自己には甘くて相手の欠点は見逃さない」といった要素は否定されるので、両者の区別は証拠上もちゃんとつくのです)。

    哲学者・思想家の鶴見俊輔は、「私は、『だまされた』という言葉を安易に使う人がきらいだ」と言っています。これは、厳しい言明ですが、右のような事柄の本質をついたものでもあります。 人の言葉を信用するのは、基本的には自分の責任です。言葉をかえれば、良識のある大人であれば、「だまされた」という言葉を安易に口にすべきではありません。それは、相手が親族、知人等親しい人間の場合でも同様です。 もっとも、これは、法的なレベルにおいて「だまされるほうが悪い」という意味ではありません。「だまされたという言葉を安易に用いない心がけが紛争を未然に防ぐ」ということなのです。

    訴訟があまり一般的なものではない日本では、ほとんどの人が、法的リスクをあまり意識していません。しかし、私たちの日常生活は実際には常に法的リスクと隣り合わせなのであり、運が悪ければ、誰でも、大きな法的責任を背負う可能性があるのです。

    たとえば、交通事故を例にとると、過失により特別な高額所得者を死傷させたり、原発等の特殊な施設に納入する重要部品を運搬しているトラックとの衝突物損事故を起こしたりすれば、億単位、悪くすれば一〇億単位の損害賠償責任を負う可能性があります。酒酔い運転やあおり運転等により「危険運転致死傷罪」(いわゆる自動車運転処罰法二条、三条)で逮捕されれば、実刑判決を受ける可能性が非常に高いです。後者のような例では、勤務先からも退職しなければならなくなって、経済的な基盤をも失うことになりかねず、一家離散等の家庭崩壊をも招きうるでしょう。 自動車の運転にはこうした大きな法的リスクが伴うことを理解していれば、自然に安全運転を心がけるようになりますし、万が一の事態に備えて手厚い自動車保険に入っておくことにもなるでしょう。潜在的な法的リスクを正しく把握し、それを避ける心構えをもっていれば、泥沼のような法的紛争や一家離散のような悲劇にあわずにすむのです。

    誰もが加害者にも被害者にもなりうるこうした重大な社会的問題は、民主主義社会であれば、本来なら、「社会全体でよく考え協議した上で、それに関する適切なルールや基準を決めてゆくべき問題」の一つといえます。けれども、残念ながら、そうした社会的議論が十分に行われている国も、自動車事故損害賠償額の基準が完全賠償に近いかたちで設定されている国も、限られているというのが現実です。

    最後に付け加えると、交通事故で意外にもめることが多いのが、大型駐車場内での事故です。道路と異なり定まったルールがない上、速度が出ているわけではないのでブレーキ痕等もあまり残らず、さらには現場保存も難しいので、事故の態様自体全くわからなくなってしまうことが多いのです。事故の態様がわからないとなると、損害賠償を求めることは困難です(もっとも、今では、ドライブレコーダーの映像によって事故態様が一定程度判明する場合もありえますが)。とりわけ、高価な車の所有者は注意すべきでしょう。

    最後に、条例で義務化される地域の増えている自転車保険も、入っておくべきです。一億円近い賠償が命じられた例もあり、その危険性は、自動車等とあまり変わりがないからです。ことに事故が多いのは、思春期から大学生くらいまでの子どもや若者の運転によるもので、乱暴な運転による事故が目立ちます。子どもの自転車運転についても保険を付けるとともに、事故の恐ろしさについてもよく注意を与えるようにしてください。

    多くの人々は、弁護士は判例や学説をよく知っているものと思っていますが、実際には、たとえばこうした例がままあります。さらにいえば、裁判官についても能力にはかなりのムラがありますし、学者についても、みずからの専門分野の知識や理解からして怪しいという人も一定の割合でいるのが事実です。つまり、人々が専門家について抱いている「完全無欠あるいは少なくとも大半が高水準」というイメージは、明らかに幻想なのです。これは、法律家のみならず、医師、官僚、政治家、ジャーナリスト、エコノミスト等についてもいえることであり、知っておいてよい真実だと思います(いくつかの例については、もはやいうまでもないのかもしれませんが)。

    私自身も、自宅建築に当たり、その敷地の一部は義父から借りましたが、契約は賃貸借にし、契約書を作り、相場の賃料も支払っていました(義父が亡くなった後には妻の土地になりました)。「親しき仲でも、契約は近代標準でビジネスライクに」ということです。 最後に、重要なことを二つ付け加えておきます。 一つ目は、あなたがみずからの土地に子どもやその配偶者の建物を建てさせてあげる場合には、使用貸借にせよ賃貸借にせよ、事前に、ほかの子どもたちとの関係で問題がないかについても考えておく必要があるということです。そして、「その土地を借りる子どもにそれを相続させる旨の遺言」もしておくのが適切です。 二つ目は、使用貸借は親族や友人間で結ばれることが多いので、紛争になっても、話合いの余地は十分にあるということです。感情的にならなければ訴訟にまで至らずに解決できることも多いのです。

    最後に付け加えれば、近年、高齢者は、保証人がいないと建物賃借が難しくなっていることには、注意しておくべきです。持ち家か借家かという選択がよく議論されていますが、リスク予防という観点からみるなら、安定した老後のためには、自分の家を持っておくほうがよいことは間違いないと思います。借家であると、何かの理由でそこを出なければならなくなった場合に、困った事態になりかねません(そのような事態に対応する各種のサービス、たとえば一般財団法人高齢者住宅財団が行っている「家賃債務保証制度」等はありますが、もちろん万全ではありません)。

    これは、第7章で論じる雇用の場合等をも含め一般的にいえることですが、確かに、日本の法理論や解釈、あるいは法的なシステムは、それなりに精緻に組み立てられているという意味での「洗練度」については、かなり高いでしょう。しかし、法が、「そうした意味で洗練されているか否か」と、「それが適切なものであるか否か」とは、別のことです。 国連の拷問禁止委員会でアフリカの委員から「日本の司法は中世並み」という趣旨の指摘を受けた日本の大使が、苦笑を押し殺す人々に向かって、「シャラップ」と声を上げた映像が流出した事件(二〇一三年)は有名です。この大使の激怒の背景には、アフリカ人に対する差別意識があるようにも感じられます。いずれにせよ、「ガラパゴス的に進化した日本の近代・現代が、実は、世界標準から大きく外れたものとなっているのではないか」という疑いが公の場で明らかにされたという意味で、私にとっても、実に「苦い、痛い」出来事でした。

    日本の刑事司法制度には、二つの大きな問題があります。 第一は、「人質司法」、つまり、身柄拘束による精神的圧迫を利用して自白を得るやり方です。日本の刑事司法の顕著な特徴であり、冤罪の温床となっています。

    また、勾留は、拘置所ではなく警察署施設内部の代用刑事施設(いわゆる留置場、代用監獄。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律一五条、三条)で行われるため、時間にかかわりなくいつでも取調べがなされえます。否認を続ける限り過酷な取調べから逃れられないため、被疑者は、虚偽の自白を行うことになりやすいのです。

    第二の問題は、刑事系裁判官の審理、判断が、往々にして非常に検察寄りだということです。冤罪事件、あるいはその可能性が高いといわれる事件の判決を読むと、裁判官は、検察官の主張やそれに沿う自白調書の内容については、ほとんどありえないようなことでも認めてしまう反面、被告人の反論については、相当の理由があっても、ごく簡単にしりぞけていることが多いのです。本来、刑事訴訟で必要とされる証明度は民事訴訟のそれよりもはるかに高いはずなのですが、実際には、そうした事件では、裁判官は、「民事でもおよそ原告を勝たせられないようなずさんな立証で、原告側に当たる検察官を勝たせている」のです。結果として、ほとんど被告人に無罪の証明責任があるかのような「有罪推定」の裁判になってしまっており、再審事件では、その要件が厳しいこともあって、右の傾向はさらにひどくなります。

    さて、以上を予備知識とした上で、普通の男性にとって巻き込まれる可能性の最も高い冤罪である痴漢冤罪の予防策について、具体的に考えたいと思います。 まず、最初に、電車内の「痴漢」がどのような犯罪になるのかを説明しておきましょう。一般的には、各地方公共団体のいわゆる迷惑行為防止条例違反罪、あるいは強制わいせつ罪(刑法一七六条)が成立します。その件数は年二〇〇〇ないし三〇〇〇件台であり、うち九割以上が迷惑行為防止条例違反罪です。

    痴漢冤罪には二つのパターンがあります。第一のパターンは、ごく普通の痴漢冤罪です。これについては、まず、一般的な予防策を挙げておきましょう。 
    ① 混んでいる車両では、できる限り女性の後ろに立たないこと。前記のとおり、痴漢は、女性の後ろにいる人に罪を着せて逃げられるように、横から手を出すことなどが多いからです。ことに、真後ろで密着するような位置に立つのは最悪です。 
    ② できれば両手で吊革につかまり、かつ座席に対面して立つこと。それが無理な場合には、片手で吊革を持ち、片手で鞄を持つなどして、両手をふさいでおくこと。痴漢騒ぎが起こったときに疑われないですみます(なお、騒ぎが起こってもあわててその姿勢を崩さないように注意。そのままの姿勢で対応しましょう)。 
    ③ 絶対に、泥酔した状態で満員電車に乗らないこと。年末等宴会、飲み会の多い時期にはことに注意すべきです。

    数はあまり多くないと思いますが、第二のパターンが、恐喝や脅迫の手段として行われるフレームアップ(でっち上げ)型です。 これは、集団による暴力を伴うスリ(二人以上が押さえ付けている間にもう一人が財布等を取る)と同じく、集団で痴漢の外形を作り出すものです。女性を含む何人かのグループでターゲットを取り囲み、女性が痴漢を訴え、その後、面識のない他人を装った男たちがターゲットをつかまえ、引っ立てる。そして、恐怖に震えるターゲットを「じゃあお金で解決しますか?」と恐喝するわけです。 目的はほとんどの場合金銭ですが、より恐ろしいのは、これが、ターゲットを脅迫したり、その社会的地位に致命傷を与えたりするために使われる場合もありうることです。

    そのような事態をもくろむ人間や組織に依頼されたグループが、さらに精妙な作戦を仕掛けることになります。闇に葬られてしまうので、その実態はよくわからないのですが、こうしたケースも実際に存在するといわれています。 このパターンについての予防策は、電車内では常に一定の注意力を保って周囲に気をつけていること、電車内で女性を含む怪しい集団に取り囲まれそうになったらすぐに逃げること、です。

    もっとも、こうして書いていても、私自身、「疑いをもった人々に取り囲まれてしまったら、たとえ法律家であっても、沈着冷静に対応できるだろうか?」という危惧はぬぐえません。 実際、法学部の教授にさえ、冤罪の可能性が高いといわれる痴漢の疑いで退職を余儀なくされた人がいました。まずは、先に記した予防策を徹底することが大切です。

    ほとんど罪の意識のないまましてしまいやすいのが、捨てられているように見える放置自転車を、そうなのだろうと考えて拾ってくる行為です。それが本当に捨てられたものではなく、乗り捨てられた盗難自転車だという事態は、よくあります。そうすると、占有離脱物(遺失物)横領(刑法二五四条)に問われます(なお、態様によっては、より重い窃盗とされる余地も、ないではありません)。また、本当に捨てられたものかどうかは調べてみなければわからないので、たとえば警官に職務質問された場合などに、当面は「犯罪の疑いがある」という取扱いをされる可能性もあります。

    また、バイト先のレジから五〇〇〇円、一万円といった比較的少額の金銭をくすねる行為もかなりあります。これは、ごく普通のバイト高校生がふと魔がさしてやってしまいやすい犯罪の典型ですが、窃盗になります(アルバイト学生は、レジのお金の「占有・管理者」ではないので、業務上横領ではなく、窃盗になるのです)。電車等に忘れられた物の置き引きも、少年や若者がついやってしまいやすい犯罪類型です。これは、態様によっては、占有離脱物横領でなく、より重い窃盗になる場合があります(捨てられているように見える自転車の場合よりも、窃盗が成立しやすいです)。

    次に、大人も含めて注意しておくべき犯罪類型を挙げます。 意外に多いのが暴行、傷害です。ついかっとなって殴ってしまうというのは、全く前科、前歴のない人でもやってしまいやすい犯罪です。また、これについては、相手の攻撃が先立っていたとして正当防衛(刑法三六条一項)の主張がされることも多いのですが、正当防衛は、基本的に、「急迫不正の侵害」に対するやむをえない防衛について成り立つとされるもので、成立要件がかなり厳しいです(この点、たとえば、アメリカ法とは相当に異なります)。ことに、いわゆる「けんか、闘争」の場合にはそういえます。

    刃物を手にするのは、どんなに小さなものであっても論外です。裁判官として被疑者の勾留を担当していて、いたたまれない気持ちにさせられた例の一つが、「兄弟姉妹とけんかになって激高し、ついその場にあるナイフ(たとえば果物ナイフなど)を手にして突き出したら、あっけなく死んでしまった。殺すつもりなんかなかったのに」と訴えられる例です。しかし、これは、殺人罪に問われる可能性が高いです。

    インターネットには匿名の誹謗中傷が非常に多いわけですが、摘示した事実の真実性等が証明できなければ名誉毀損で、事実を摘示しなくてもその表現によっては侮辱罪で、刑事、民事の責任を問われえます。通常は放置されていますが、悪質なものについては、刑事公訴を求める告訴や損害賠償請求がありえ、そうすると、「リツイートをも含め単なる拡散者もその対象になる可能性がある」ことには、ご注意ください。

    法がこうした領域に立ち入るに当たっては、ミクロな視点だけではなく、社会全体の利益というマクロな視点からの考慮も、必ずなされる必要があります。警察や検察は、権力機構として、当然のことながら、権力の拡大を望んでいます。しかし、警察や検察の権力拡大は、結局、権力や金力をもつ者にとって不都合な言論を狙い撃ちにする捜査や起訴の余地を広げる結果をもたらし、必ずや、民主主義の弱体化と停滞、権力のほしいままな行使を招きます。それは、個人のみならず、社会や国家の健全性のためにも、よいことではありません。

    団体旅行でもフリープランであれば、また、個人旅行では、ヨーロッパ中心部は比較的安全かもしれませんが、それ以外の地域では、それ相応の、あるいは相当の危険が伴います。ニューヨークの危険地域で買春を試みた日本人旅行者が多数亡くなっていたという話を第5章に記しましたが、それが典型ですね。アメリカを例にとると、たとえば、安全な地域のすぐ隣に危険な地域がある、安全な地域でも日が落ちると途端に危険になる場合があるなどのことがあります。しかし、旅行者にはそうしたことがなかなかわかりません。

    0
    2024年04月02日
  • 絶望の裁判所

    Posted by ブクログ

    普通に読んでも面白い新書、そして刺さる人には刺さる人生の指南書。

    まず一般的な感想を。約30年間裁判官を務め、その後民事訴訟法の研究者に転身した著者の経歴を活かし、日本の裁判所と裁判官の闇を暴く告発本。我々が裁判官という人種に対して抱く清廉潔白なイメージとはかけ離れた非常識な言動や、官僚的というだけでなくむしろ旧共産主義国のような裁判所の極端なトップダウン型の思想統制の数々はいちいち衝撃的。

    そのような情報価値はひとまず認めた上で、おそらく読者の多くは著者の語り口にマイナスイメージを抱いたのではないかと思う。テーマがテーマだけに仕方がなかろうが、1〜4章あたりでは著者が実際に体験した上司からのハラスメントや事務総局の締め付けへの恨み節(と捉えるしかない記述)がネチネチと繰り返し綴られる。そして著者の裁判官への人物評も、尊敬に値する価値観や人生観に欠けるだとか、本当の教養を備えていないといった具合でいかにも高踏的な印象を与える。ともすれば「著者が裁判官に向いていなかっただけでは?」と本の内容自体を疑いたくなる人もいるかもしれない。

    かくいう私も途中までは、著者に対し懐疑的な気持ちを抱きながら読み進めていた。が、第5章から終章にかけて、どうしたことか一転して瀬木比呂志という1人の人間のファンにさせられてしまった。
    第5章の章末にて、著者はトルストイの短編『イヴァン・イリイチの死』を引く。イヴァン・イリイチは帝政ロシアの官僚裁判官であり、一見すれば成功したエリート、だがその価値観や人生観は全て借り物、著者の表現によれば「たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系」というものだ。さも悪い人物のようだが、官僚、役人の中でこれはかなり上質の類型だと著者は述べる。そして著者自身すら若いころには「いくぶん自覚的なイヴァン・イリイチという程度の存在」であったのかもしれず、闘病や研究、執筆を通じてどうにかイヴァン・イリイチ的な拘束を脱して1人の人間に立ち返ることができたにすぎないと。
    私はこの人間分析に深い感動を覚えた。私だけでなく現代の若者、ことに「センスのある人」に見られようと必死で自身を飾り立て、「人と違う自分」を演出しつつもどこか虚しさを感じているような人は共感を禁じえないのではないはずだ。
    自分こそがイヴァン・イリイチなのではないか。そしてそれは、ことによればイヴァン・イリイチにも満たない、自分自身を俗物と信じて疑わない凡庸で素朴な人間よりもずっと醜悪な在り方なのではないか。
    また瀬木氏についても、裁判官という基本的にはお堅くてつまらない人間、無趣味で仕事ばかりを生き甲斐にしている人間たちの中にさえ醜悪なイヴァン・イリイチの影を、即ちいびつな自己愛を感じ取ったがために「絶望」に至ったのではないのだろうか。
    もちろん、裁判官には没個性さがある程度は要請される面もあるし、他の人よりも多くの時間を仕事に割くのであるから、イヴァン・イリイチを超える本当の人間性を培うことは非常に難しい。結果としてイヴァン・イリイチに落ち着き、自身をひたすら慰撫する人間が出来上がってもそれを非難するのは酷である。他の知的エリートについても概ね同様だろう。
    しかし若かりし頃の瀬木氏や今の私のように、自分自身がイヴァン・イリイチであることに我慢がならないナイーヴな人間にとってそれは絶望に他ならない。そしてその絶望からの恢復を果たし、今なお旺盛な執筆活動を続ける瀬木氏は私のような人間にとって尊敬すべき先達といえる。

    ここまで穿った読み方をする人はそうそういないだろうが、少なくとも私は、瀬木比呂志という1人の人間の半生を通して、自分自身の人生を生きることの大変さ、それでも気高く生きたいと思える格好良さまでをも教えられた気がした。瀬木氏の他の著書もちかぢか読んでみようと思う。もちろん『イヴァン・イリイチの死』も。

    0
    2023年11月27日
  • 檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか

    Posted by ブクログ

    檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか。瀬木 比呂志先生の著書。いくらお勉強ができるからといって、いくらエリートの裁判官だからといって、間違いを起さないとは限らないし、エリート意識が強い裁判官だからこそ間違いを起こしてしまうことだってあるはず。悪い裁判官、ダメな裁判官には、しっかりとダメという烙印を押すような制度が必要。特権階級意識にまみれた非常識で上から目線の裁判官が多数派だとは思わないけれど、悪い裁判官、ダメな裁判官はしっかりと世間から非難されていなくならないと、まじめで良心的な裁判官が報われないから。裁判官も政治家のように投票で決められる日が来るのかも。

    0
    2022年06月27日
  • 民事裁判入門 裁判官は何を見ているのか

    Posted by ブクログ

    著者の狙いどおり、一般向けに噛み砕かれているが、
    だからといって法曹資格者が読んでも、
    おそらくは有意義な内容になっていると思われる。

    裁判官がどういうロジックで裁判に臨むのか、
    原理原則もそうだが、テクニカルな部分についても、
    しっかり言及がなされていて、とても興味深かった。

    0
    2020年03月07日
  • 民事裁判入門 裁判官は何を見ているのか

    Posted by ブクログ

    民事裁判について書かれた本書。

    日本人は、裁判に対してどこか上滑りの感じがある。

    それについて、西洋との比較も交えながら論じている。

    馴染むのにはまだまだ時間がかかりそうである。

    0
    2019年10月09日
  • 裁判所の正体―法服を着た役人たち―

    Posted by ブクログ

    日頃、接することがない裁判官の日常、生活、官舎、給与。最高裁判所をトップとするヒエラルキー、政府との結びつきと忖度、法務省や検察官とのつながりなどが対談形成で語られている。

    0
    2019年02月18日
  • 裁判所の正体―法服を着た役人たち―

    Posted by ブクログ

    これは必読! 原発訴訟や冤罪など、裁判官の世界から見る現実は生々しく、空恐ろしい。対談形式で読みやすく、エリートと呼ばれる人たちの悲しき生態が見て取れる。

    0
    2018年05月24日
  • 裁判所の正体―法服を着た役人たち―

    Posted by ブクログ

    清水氏との対談であるために、「絶望の裁判所」で聞いていたことが具体的でより納得できるものとなっている。

    さらに、法務省と裁判所つまり行政と司法が一体運営されていることは、裁判官経験者には「当然のこと」だったらしく、本書で初めて知った。

    統治機構と共に「報道」機関も劣化していることを、具体的事例と共に示されると、残された道は絶望しかないと思わされる。
    韓国が日本を他山の石としている事例を見ると、そこに僅かに日本の存在意義が残っているかと、複雑になる。

    0
    2018年02月11日
  • ニッポンの裁判

    Posted by ブクログ

    最高裁長官はやめればただの人であり、矢口でさえ退官後はおおきな影響力を持ち得なかったと言われる。
    千葉勝美が衆議院法務委員会で、名誉既存訴訟の賠償額高額化に言及した次の日に検討会が裁判所で開かれて高度化へ向かっていった。
    地方議会による首長に対する債権放棄議決有効判決は千葉勝美であり、反対した須藤正彦に対して意見の中で激しく論難している。
    光華寮訴訟においても、最高裁にこの件が係属してから外務省がしょっちゅう民事局長室に出入りして様々な申し入れをしていた。

    0
    2017年07月05日
  • 裁判所の正体―法服を着た役人たち―

    Posted by ブクログ

    原発メーカー東芝に天下っていた最高裁判事がいる。
    裁判官の再任制度には一部の左翼弁護士も協力した。『法服の王国』はこれら左翼弁護士たちの影響を感じる。
    検察は、検事総長すら決定権を持たない小僧と言われるくらい、OBの影響力が強い。
    恵庭OL殺人事件の最新裁判に、元啓示裁判官の弁護士が入っているが、あまりのずさんな裁判に怒り、瀬木氏と同じ意見ではないがこんなことがまかり通れば彼と同じ意見だと書いたくらい。
    昔は最高裁事務総局が裁判官協議会を開催して統制することもあったがあまりに露骨ということで、司法研修所による裁判官研修会によって統制する。
    瀬木氏がアメリカに留学した際アメリカの学生から日本の憲法判例はstupidと言われた。
    ★全く園通りだと思う。
    『絶望の裁判所』が出た直後、韓国最高裁は留学中の裁判官に至急10冊送るよう指示。

    0
    2017年06月30日