瀬木比呂志のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「絶望の裁判所」の著者、元裁判官の瀬木比呂志と、「殺人犯そこにいる」の著書でジャーナリストの清水潔の三日間にわたる対談をまとめた一冊。基本的には清水さんが質問者でそれに瀬木さんが答えるという形式。両者の著書を読んでいる読者にはそこまで目新しい内容ではないかもしれないが、お互いに突っ込んだり質問したりしながらの対談の内容をそのまま対話形式でまとめてあるので、内容はより分かりやすくなっていると思う。最高裁に統制された日本の裁判所は「権力の監視機関」ではなくて「権力の補完機関」になっていると言うのは、なかなか重い事実のようだ。記者クラブ制度によって政府権力の広報機関に成り下がっているマスコミもしかり
-
Posted by ブクログ
ネタバレ通常の職場でもそうだが、業務をしている時に「周囲が見えない状況」に落とし込められることが、その当人にとって精神的・肉体的に最も危ない状態になる。
自分を客観視できず、(その暇もなく)、どんどん深みにはまっていき、抜けられなくなる。
本書についても、取り立てて「裁判官」という職業について興味があったというよりかは、その置かれている状況に興味があった。
裁判官とは全国に跨がった「精神収容所」、であり、自分たち国民が裁かれるのは基本的には「そういう人たち」というところ。
やっぱり「新しい血」というところは、常に、必要であり、「変化」を伴わない組織は「死」を迎える。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」の見えないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている。反面、その結果、そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通
-
Posted by ブクログ
リベラルアーツ論の中でも、かなりユニーク本だと思った。大学教員が教育上推奨する文献と、本書で紹介されている作品とでは選書基準が異なる印象を持った。その理由の一つには、著者が専門職大学院としての教員ではあるが、良い意味でディシプリンにしばられていないセレクションとなっていることが挙げられよう。大学における教養教育を視野にしておらず、あくまでも学び直しのための独学に供するためのブックガイドとなっている。各推薦書の配列についても、なんとなく示すのではなく、著者自身によるある意味での流れを読者に随時説いてくる。自然科学から始まり、脳科学に積極的に取り上げている。色々な意味で揺さぶられた1冊だった。ただ
-
Posted by ブクログ
著者は、2013年にベストセラー『絶望の裁判所』を発表した元最高裁判事の瀬木比呂志。
「リベラルアーツ」の起源は、ギリシャ・ローマ時代に自由人が学ぶ必要のある7科(文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)であり、現代でも一般的には大学における基本科目を指すが、近年注目されている意味での「リベラルアーツ」は、むしろその本来の意味、即ち、「人の精神を自由にする幅広い基礎的学問・教養」という趣旨、とりわけ、その横断的な共通性、つながりを重視する含みをもって用いられている。
著者は冒頭で、「考えられる方法や感じる方法の生きた蓄積であるリベラルアーツは、個々人がみずから考え、発想し、自分の道 -
Posted by ブクログ
裁判官から大学教授に転じ、専門である法学系だけでなく、文化や芸術などを含めた教養全般に造詣の深い著者が、リベラルアーツを学ぶ意義や重要性を解説するとともに、著者が推奨する作品を紹介した一冊。
著者はリベラルアーツを「広がりと奥行きのあるものの見方=パースペクティヴ」と「洞察と直感により本質をつかむものの見方=ヴィジョン」を身につけるための「基盤」であるとして、個々の作品を「消費」するのではなく「対話」し、批評的・構造的に捉えたり、歴史的な位置づけを考えたりして得た学びを、他の分野に転用することなどによって、単なる知識ではなく、その人固有の人生観や世界観として身についた教養になると主張する。
-
Posted by ブクログ
裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか? ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マ