Posted by ブクログ
2011年07月17日
※ネタバレ、という程ではないですが、内容に踏み込んだこと書いてます。父としての松坂熊吾の姿がすごく好きです。伸仁とのやりとりや、房江との会話など、愛情に満ちていて読んでいて笑みを浮かべてしまいます。以下、印象に残った言葉と思ったこと「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」自分の人生に...続きを読む大目的をもって、そしてその目的が大きければ大きいほど、自分の自尊心は取るに足らないものになる、とも書かれていました。この件を読んだとき、大目的とはなんだろう?そして自分には大目的があるだろうか?とまず思いました。また、「命」ではなく「自尊心」としたところが人間の心理の本質的なところを捉えているような気がしてならないです。自分に自信のない人は、世の中少なくないと思うけれど、自尊心を傷つけられてなんとも思わない人は滅多にいないのではないでしょうか。他人のため、社会のため、もっともらしい言葉をならべても結局それは自身を他人からよく見てもらうための看板、パフォーマンスだったりする場合が多いのでは?他人に頭を下げてでも、恥をかいてでも達成したい目標があってこそ、人は気高く生きられるのかもしれないです。「この日本の「公」というところに自分の息子を託してはならない。そこでは、何か大切なものが奪われていく気がする。」松坂熊吾は日本の公教育というものに強い反感を持ってますね。器の小さい教師たちや、息子を思うあまりといった側面もありますが、一つ共感したのは「均一化にだけ主眼を置いている」という部分。自分が子どものころにも確かに、学校というのは子どもを型にはめて生産する工場みたいなところだなぁと感じたことはあります。個性だなんだといいつつ、欲しいのは扱いやすい「個性」ですから。「……野菜の花の美しさは、人々に季節の味や栄養をもたらし、人々の役に立つ働きとか使命とかを担っているが故に天から与えられた徳のような気がする…」「美醜とは関係なく、なんとも言えず品のいい顔立ちをした人がいる。そういう人の、とりわけ目はきれいだ」品性の高さは人相に表れる、という話。作中とは関係ないけれど、個人的には「笑い方」や「笑顔」にもその人の品性というか人柄が表れるような気がします。邪な気持ちのない笑い声というのは聞いていて楽しくなるものだけど、人を見下して出す笑い声というのはいかにも品がなく、いやらしく聞こえる気がしてならないです。タイトルの「天の夜曲」これはおそらく、富山の旅館で家族三人水入らずの団欒を過ごしたときに熊吾と房江が聞いた「不思議な調べ」のことだろうと思われますが、物語の最後で房江だけがその音を聞き、熊吾は聞こえない。この「不思議な調べ」が何の音なのか、また何を象徴しているのかはわからないですが、なんだか不吉な予兆なような気がしてなんだか心配です。熊吾が見舞われる数々の不運。この大長編の最後に作者はどんな結末を用意しているのか楽しみです。