諸富祥彦の作品一覧
「諸富祥彦」の「カール・ロジャーズ カウンセリングの原点」「60代 二度目の黄金時代」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「諸富祥彦」の「カール・ロジャーズ カウンセリングの原点」「60代 二度目の黄金時代」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
“たとえあなたが人生にイエスと言えなくても、
人生の方からあなたにイエスと光を差し込んでくる日がいつか必ずやってくる”
◇◇◇◇◇◇
【タイトル】NHK100分 de 名著ブックスフランクル夜と霧
【 著者 】諸富祥彦
【 出版社 】NHK出版
◇◇◇◇◇
『夜と霧』はオーストリア・ウィーン在住の精神科であったビクトール・エミール・フランクが、ただ『ユダヤ人である』というだけの理由でとらえられ過酷な強制収容所生活を余儀なくされた経験を綴ったもの。
原題は『強制収容所におけるある心理学者の体験』といいフランクルは終戦後、わずか9日間でかき上げました。
日本語版のタイトルとして親しまれている『夜と霧』という言葉は、1941年に始まったアドルフヒトラーの特別命令に由来している。
ヒトラーは、非ドイツ国民で党と国家に対して反逆の疑いのあるものー実際には反逆の疑いが全くなくてもー家族まるごと捕縛して収容所に拘禁せよという命令を出した。
夜陰に乗じ、霧に紛れて秘密裏に実行され、ユダヤ人の一家が一夜にして神隠しのように消え失せるという事件が各地で相次いだことから、通称『夜と霧』命令と呼ばれたのだといいます。
◇◇◇◇◇◇
強制収容所での生活はこの世の地獄。
人間の権利を奪い、尊厳を踏みにじり、命をないがしろにする行為の数々が何年にも渡って続けられました。
1941年のある朝、ナチス当局から通達が来て軍司令部に出頭するよう命じられたフランクルはこの時、36歳。
アウシュビッツをはじめとする4つの強制収容所を転々としながら、フランクルは約3年に及ぶ収容所生活を生き抜いたのです。
◇◇◇◇◇◇
●人間が極限状態に置かれた時、『無感動、無感覚、無関心』の状態になっていった。これをフランクルは『心の装甲』と呼んだ。
●自分の人生に与えられている意味と使命を見つけるための手がかりとして『創造価値、体験価値、態度価値』があると言った。
●人々の生と死を分けたもの。
それは『ロゴスセラピー』である。直訳すると、意味による癒しということ。これは人が自らの生きる意味を見出し、人生をつなぎ合わせていくのを援助していくことを言った。
など、心理学者の視点から体験し感じていたことが記されています。
◇◇◇◇◇◇
フランクルは言います。
“私たちの足元に常にすでに送り届けられてきている意味と使命を発見し、実現していくこと。
自分の人生にはどんな意味が与えられており、どんな使命が課せられてきるのかそれを発見し、実現するように日々を全力で生きていくこと。
ただそれだけであり、私たちは何もそれを求めて思い悩む必要はないのだ”、と。
◇◇◇◇◇◇
想像を絶するような体験の中を絶望せずに生き抜いた。そして『無感情』にならずにその体験を記し後世に伝えることができた。
想像し思いを馳せた時に、途方もない気持になった。
今悩んでること、感じていられることの有難さを噛み締めると共に、
『今、現在』に全力を尽くして生きているのか、という問いを心の中に持ち、何かにとらわれそうになった時に自分で自分に問いかけられるようになりたい。
自分のシンを太くしてくれる1冊になりました。
古参の被収容者が髭を剃れまっすぐ立って歩けと知恵を授けてくれました。それはより若くて元気で労働が可能であるように見えるようにとのことでした。収容所では衰弱していたり、老いているようにみなされることは即刻処刑されることを意味していた
人間が極限状態に置かれた時、多くの人が何を見ても何に触れても何も感じない。無感動、無感覚、無関心の状態になっていった。これをフランクルは心の装甲と呼んだ
この状態がここでは当たり前であり、この先も変わることなく続いていくのだと感じるようになった。
テレジエンシュタット強制収容所、アウシュヴィッツ強制収容所、ダッハウ強制収容所の支店、テュルクハイム病人収容所と
人間は極限状態にあっても、人間はその態度によって天使にもなりうるし、悪魔にもなりうる。あくまで個人が取る精神的な態度による
フランクルは4歳だった。いつかは僕も死ぬんだ。そうなれば僕はもう生きていることができないんだとすれば僕が生きていることの意味って何だろう?
私たち人間がなすべきことは生きる意味はあるのかと人生を問うことではなくて、人生の様々な状況に直面しながら、その都度人生から問われていることに全力で答えていくことただそれだけだ
自分を待っている何か仕事、自分を待っている誰かとのつながりを意識した人は決して自らの生命を断つことはないとフランクルは言います
自分の人生に与えられている意味と使命を見つけるための手がかりとして3つの価値を示しました。その3つの価値とは創造価値、体験価値、態度価値
自分に与えられた仕事にどれだけ最善を尽くしているかが重要である
自分の仕事において、どれだけ使命をまっとうできているか
創造価値
自分が本当に大切と思う人と深く触れ合うことができたというその一瞬の思い出があれば人間は救われるのだ。
ただ、そのことを思い出すだけで心が豊かに満たされ、生きていてよかったと思えるような記憶、それが体験価値
人は何も生産的な活動をしなくても、何の素晴らしい体験をしなくても、そこにどのように存在するか、その存在の仕方によって価値を現出させられている、態度価値
この地球上で苦悩を感じることができるのは唯一人間だけであり、従って苦悩することは人間の1つの能力である
全ての価値が相対化した。このまっ平な世界フラットランドにあって垂直性を生きよ
“あなたがどれほど人生に絶望しても人生の方があなたに絶望することはない”
Posted by ブクログ
「あきらめる」という言葉の印象が大きく変わった。
私はこれまで、「あきらめる」という言葉に対して、どこか敗北や挫折のような響きを感じていました。しかし本書で語られる「あきらめる」は違います。
それは、物事を明らかに見ること、です。
変えられないものを変えようとして苦しみ、理想の自分を追い続けて疲れ果てる。そんな生き方ではなく、今の自分や今の状況をありのままに見つめること。それが「あきらめる」ということなのだと感じました。
自分なりの幸福の物差しを持つ、という言葉。
世の中には様々な物差しがあります。出世したか。 収入は増えたか。 人から評価されているか。
しかし、そうした物差しだけで生きていると、いつまで経っても満たされない気がします。
私自身を振り返ると、幸せを感じるのは案外ささやかな時間です。
家族と食事をすること。
布団に入りながら本を読むこと。
友人と読書会をすること。
こうした時間は、世間的な成功とはあまり関係ありません。しかし、私の心の深いところを満たしてくれるのは、むしろこうした時間なのだと思います。
また、本書では何度も「脱同一化」という考え方が出てきます。
落ち込んでいる自分。 不安になっている自分。 怒っている自分。
それらと自分自身を同一視しない。
「ああ、自分の中にそういう気持ちがあるな」
と眺める。
私は仕事でも家庭でも、つい「こうあるべきだ」と考えてしまうところがあります。
しかし、そう思えば思うほど、現実とのズレに苦しむことになります。
本書を読みながら、自分自身を含めた人が、なるようにしかならない部分があるのだと改めて感じました。
だからといって投げ出すのではなく、
今できることをする、それでいいのだと思います。
本書を読み終えて思うのは、
人生の大半は思い通りにならないということです。
健康も。 仕事も。 子育ても。 人間関係も。
どうにもならないことばかりです。
それでも、本を読み、 家族と話し、 友人と語り合い、 今日できることをする。
その積み重ねが人生なのだと思います。「ま、いっか」ですね。
「もっと頑張らなければ」ではなく、「今あるものをもう少し大切にしよう」と感じています。