作品一覧

  • 不惑の老後
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    不惑の老後

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻456円 (税込)
    年を取れば、経験は増えるから、結果の形も少し読めるようになる。 そこで無駄なエネルギーや手間が省ける。その時初めて老人が自由人になるのである。 長生きの不安に悩むのではなく、幸福な老後を過ごすには? 仕事や家庭など自分を取り巻くさまざまな環境が変わり、身体も次第に衰えていくなか、 年をとったからこそ見えてくることもある。人生の終わりをよりよく生きるためのヒント。 「四十にして惑わず」というが、それは残りの人生が短かった時代のこと。現在では60歳になっても、まだまだ人生は長く続いていく。であるからこそ、多くの人がこれからのことを考え、どう生きていくべきかと迷い、悩んでいるのである。 著者は「老年とは、自分で幸福を発見できるかどうかに関して責任がある。最後の腕のみせどころである」といっている。年老いても幸福を発見するための時間はまだ十分に残されているのである。 本書は長生きの不安に悩むのではなく、これから幸福を発見する人生を送るにはどうすればいいか。そのためのヒントとなる一冊である。
  • 女神出奔
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    女神出奔

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    あまり人のいかないハイキング・コースの途中で病気になった楠田は、一軒の草深い古別荘に犬と住む由緒ありげな女に、一夜介抱された。その妖しい魅力にひかれ再び訪ねた楠田と、女は「お茶でものむように」交わる。一方、楠田の恋人・順子は、片貝助教授を知り、その家柄や名声に酔わされる。片貝を取り巻く女性は多い。彼は、財界に名の通った湯浅社長の娘・治子を選び、結婚式を挙げるが、新婚初夜を待たずに、治子は伊豆の別荘から恋人・昭夫と脱走する。そのとき、片貝がそこで幽霊のように見たのは、教え子の楠田に付添われて立つ古別荘の女であった。俗物への諷刺をこめて、愛と真実を追求する長編小説。
  • ぜったい多数
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    ぜったい多数

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    暁子は、手術直後の苦痛に歪む秋山の唇に、しずかに自分の唇を重ねた。秋山の胃ガンが絶望的な状態になっていることを知った彼女は、そうすることだけが、友だちとしての祈りであり、励ましであると信じたからだ。彼女自身も、郷里の家の束縛を逃れた東京での彷徨によって、心に深い傷を負っていたのだが……。暁子の冒険にみちた経験をカメラ・アイとして青麦のように、あざやかな色とむんむんする匂いを持つ、折れやすい若者たちの愛と真実を捉えたこの作品は、人生の地層を流れる清冽なものを、多彩な手法で探った、青春文学の名篇である。
  • 砂糖菓子が壊れるとき
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    砂糖菓子が壊れるとき

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    映画スター・千坂京子は、無名だった頃、お金のためにヌードを撮らせたことがあった。教育のない彼女は、人一倍知的なものに憧れたのに、世間はその1枚のヌード写真のために、彼女に肉体女優の烙印を押した。京子は、あるときは烙印の痛みから逃がれるために、あるときは自分が高められると信じて、つぎつぎに、男の胸の中に顔をうずめた。男たちは、それぞれに、彼女の中に光を放っている純粋さを知っていた。しかし、京子の魂は、どの男によっても、安らぐことができなかった。……幸福を空しく追い求める美貌の女の短い生涯を、乾いた叙情で歌いあげた名作!
  • 火山列島
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    火山列島

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    大学の医学部教授・仁王慶一郎は、主治医として、国光家に行くことが多かった。彼は、国光夫人・安芸子の、憂いに耐えた姿に、惹かれることがあった。ある日、仁王は、その秘密に、かかわりを持つ。主治医としての立場に、とどまることができなかった彼が、その秘密の糸をたどって行くうちに、戦争の前後に起こった、幾つかの悲しいできごとが甦ってきた。しかも、それらは、彼自身の家庭とも、関係があった。八丈島、熱海、九州・飫肥という3つの火山地帯を結ぶ、愛と憎しみの歴史を描きながら、現代に失われた心の問題を、執拗にさぐった、清冽な美しいロマン!
  • キャンパス110番
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    キャンパス110番

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    芳土女子大学の学生である佐藤ノミエの綽名は、キャンパス110番という。キャンパスは、校庭の意味。事ある所には、彼女がいつもパトロール・カーのように現れて、あざやかに事件を解決していくからだ。粋で、おしゃれで、冒険好き、行きずりの男の子とのキッスなんかへいちゃらで、適当に正義派で人情家で、気はやさしくて合気道の達人というノミエが、東北出の重タンクを思わせる松子と組んで、手当たり次第に演じるボーイ・ハントのアバンチュール、笑いと涙のタッグ・マッチとは……。青春の息吹にむせる、生きのいい現代娘のスカっと胸のすくような無責任行状記。
  • 午後の微笑
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    午後の微笑

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    神保羊子は、雑誌の編集の仕事をしている。取材で知り合った作曲家・郷雪生の、芸術家ぶらないナイーヴであたたかな人柄に魅かれ、病気で寝込んだ郷を放っておけずに、徹夜で看病する。その夜以来、郷の胸のなかにも、羊子の姿が強く灼きついて、お互いに愛しあうようになる。そして、結婚の約束をしたふたりの前に、郷が貧乏な留学生であった昔の恋人の密石麗華が、今は実業家の国分夫人となって出現する……。虚偽を許さない若い娘の心に写った「傷ついた世代」の苦悩を通じて、つねに裏切り合いながら救いを求めている、人間の魂の深部とさまざまな愛の想いを、鮮やかに、綿密画のように描きあげた長編小説。
  • この悲しみの世に
    値引きあり

    この悲しみの世に

    小説・文芸

    4.0
    1巻462円 (税込)
    異父姉弟とも知らず不倫の愛におちた人妻。聖地への旅に始まる至高の愛を描く問題作。極限の愛と悲しみを描く恋愛大作! ――私たちが「この悲しみの世に」あると思うこと以外の認識は、すべて幻想です……。不倫の愛におちた人妻・節子と年下の青年・善彦は、ある日、自分たちがこれまで別れ別れに生きてきた異父姉弟であると気づく。断ちきれぬ愛の流れのままに、節子は男子を出産した。聖地への旅に始まる、至高の愛を描く、長編小説。
  • 幸福という名の不幸(上)
    値引きあり

    幸福という名の不幸

    小説・文芸

    -
    1~2巻462円 (税込)
    父母の慈愛を春の曙のように受けて生まれた娘・榎並黎子は、17の時に父を失う。不幸がその姿を現わし、黎子は、ある外国系紅茶会社の東京支社長・余語の秘書として、社会に出る。幸福な結婚を夢みる彼女の心に、さまざまな波紋を投げかけ現われ消えてゆく、さまざまな男たち。その遍歴の中で男たちへの、社会への目は、深く、陰影を含んでゆくのだった。<上下巻>
  • いま日は海に
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    いま日は海に

    小説・文芸

    -
    1巻463円 (税込)
    欺き利用するだけの男のために、その困窮した生活を援助し、空を飛びたいという男の捨てきれぬ夢を叶えさせようとする加陽子。長い長い歳月の後に、やっと男が自分を振りかえろうとしたとき、悲劇が起こる。報われることを望まず、ただひたむきに愛し尽すことに心身を捧げる純粋な愛の勁さと美しさを描いた名作。
  • 失われた世界、そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行

    失われた世界、そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行

    小説・文芸

    -
    1巻530円 (税込)
    この地球上には「失われた世界」というものが確かに存在する。いにしえの栄華の面影だけが残るその地を、私たち家族は、三十年の歳月を経て、誰も死なずに生きて再び訪れた。私たちに対する運命の甘やかし方に、私は空恐ろしいほどの思いであった――。家族と共に思い出の地メキシコ・グァテマラを旅した著者。アステカの神々、マヤの戦士たちとひそやかに語り合いながら過ごした一夏を綴る。
  • メアリー・ポピンズ

    メアリー・ポピンズ

    小説・文芸

    -
    1巻550円 (税込)
    メアリー・ポビンズというのは、バンクスさんの家にやってきた育児係の女の人です。しかし、それが、ただの人ではないのです、メアリー・ポピンズは、ある日、東風にのってやってくるのです。そして、メアリーのいくところ、さまざまのふしぎなことが、まきおこります。けれど、その秘密を知っているのは、子どもだけなのです。おとなには、メアリー・ポピンズの魔法つかいのような力を見ぬく目がないのですから。ディズニーのミュージカル映画でも知られるファンタジーの傑作。
  • 遠来の客たち

    遠来の客たち

    小説・文芸

    -
    1巻561円 (税込)
    今も健筆を誇る作家曽野綾子のデビュー作がよみがえった! 芥川賞候補になった短編「遠来の客たち」を収めた、全7編からなる短編集。 20代に書かれた作品群は、いずれもみずみずしく、意欲に満ちている。 長い時を経たにもかかわらず、古めかしくなっていないのは、さすがとしか言いようがない。 その後の旺盛なる創作の根幹が垣間見られ、一読の価値アリだ。
  • ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決

    ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決

    小説・文芸

    4.0
    1巻569円 (税込)
    沖縄戦史の「神話的悪人」として記録される赤松大尉。太平洋戦争末期、彼は渡嘉敷島の村民から食糧を強制的に徴発し、さらに三百数十名の住民に集団自決を命じた、とされる。果たしてそうした事実は本当に存在したのか? 極限的状況に立たされた「人間」とは一体何なのか? 本書では、膨大な資料と現地踏査、そして真実をあくまでも理性的に追究しようとする著者の真摯な思いが、惨劇の核心を白日の下にさらしていく。迫真の長編ノンフィクション。
  • ただ一人の個性を創るために

    ただ一人の個性を創るために

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻599円 (税込)
    「貧困も病気も動乱も、決して個人を育てる上でマイナスになるとは限らない。平和、豊かさ、いい環境が、必ずしも個人にとって願わしいものともなりえない。個性は自分で創るものだ。どこででも、いかなる環境ででも、その気さえあれば……」。教育改革国民会議などの委員を歴任してきた作家が、「自由と強制」「知育と徳育」「正義と邪悪」といった教育の本質について、思いの丈を綴る。各章の見出しを拾うと、「知識は学校に任せて身につくものではない」「人は教会からも女郎屋からも学ぶ」「うちはうちだ! と言える親」など、きれいごとを並べるだけで子供は育たない、という著者の教育観がうかがえる。また、「若者にタリバンの生活をさせよ!」「アラブ世界で学んだ生きる厳しさ」など、世界中を歩いてきた著者だからこそ指摘できる、日本人の視野の狭さにハッとさせられる。この国の大人たちはどこで間違ってしまったのか。迷える親と教師に指針を与えてくれる好著である。
  • 死という最後の未来

    死という最後の未来

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻617円 (税込)
    キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。 対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。 死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは。 歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんなふたりが「人は死んだらどうなるのか」「目に見えない何か、はある」「コロナは単なる惨禍か警告か」「悲しみは人生を深くしてくれる」等々、老いや死、人生について語り合う。老境のふたりにとっての孤独や絶望、諦観や悲しみ、そして希望とは。
  • 緑の指

    緑の指

    小説・文芸

    -
    1巻630円 (税込)
    自然を常に人生に置き換えて見る、というやり方は教訓風でいけないなあとおもってもいるのだが、つい「似ているなあ」と感じることが多すぎるのである――。植物を育てる才能を、英語で「緑の指(グリーン・フィンガーズ)をもっている」という。三浦半島の海辺の家で手さぐり園芸を始めた著者は、植物が持つ人間にはない寛容さと自由さ、そして生命の仕組みに気づかされる。人間とは何か、生きる意味とは何か――。自然と向き合い、問いつづける中で見出した人生の知恵とは? 時に心おごそかに、時に心のびやかになるメッセージがつまったエッセイ。(本文より)○人間は与えることを考えない時、自然に生命力が衰える。それは自然に反するからだ。 ○自然は、もっと途方もなく大きな教訓を用意していると、私は信じているのである。
  • ギリシア人の愛と死

    ギリシア人の愛と死

    小説・文芸

    4.0
    1巻660円 (税込)
    トロイア戦争とオデュッセウスの流浪の物語ーースパルタの女王とトロイアの王子の不倫の恋が、戦争の発端となった。憎悪、好色、策謀、友情、生の渇望と死への恐怖に満ちた10年戦争の果てに、トロイアは滅び、英雄たちは死に、オデュッセウスは故国まで20年もの流浪の旅を送る……。運命に操られ翻弄される人間の姿は、現代の人間ドラマそのものではないだろうか。
  • ギリシアの神々

    ギリシアの神々

    小説・文芸

    3.5
    1巻660円 (税込)
    ギリシア神話を知りたいあなたへ! ーー愛の物語・ギリシア神話を生き生きとやさしく書下ろす。絵画・彫刻・オペラなどの西洋芸術に接したり、外国人と会話を交わしたりする時に必要とされる「常識としてのギリシア神話」。若い世代のために、さまざまな愛の物語の宝庫としてその面白さをストレートに伝える必携の1冊。
  • ギリシアの英雄たち

    ギリシアの英雄たち

    小説・文芸

    5.0
    1巻660円 (税込)
    神託どおり実の父を殺し、実の母と婚姻をむすんだオイディプス王の、無惨な最期。夫の裏切りにわが子の命を賭けた、王女メディアの慟哭。『ギリシアの神々』につづいて、ギリシア悲劇の原典をやさしくひもとく、常識としての英雄伝。栄光の陰にうずまく呪いと裏切りの世界を甦えらせる人間劇場。
  • 雲の白い日に

    雲の白い日に

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    静岡・清水港が見える斜面に腰を下ろし景色を眺めている、3人の女子高生。といっても卒業式は昨日終わっていて、一人はお見合い結婚が決まっていた……。彼女たちの恋愛と成長を描いた表題作と、「永遠の横顔」を収録。
  • 絶望からの出発 私の実感的教育論

    絶望からの出発 私の実感的教育論

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    母親の立場から、豊かな人間を育てるための家庭教育のあり方を説く。すべての親・教師必読の書――子供が親を殴り蹴る地獄図はなぜ起こるか。進学偏重の時代に、真に豊かな人間を育てることは可能か。本書にはその答がある。具体的な事例にそって、母親の立場から家庭教育を述べる著者は、人間理解の深さと一貫した主張で、教育の本質をつき、その実践の方法を示唆する。すべての親・教師必読の書である。
  • 夜の明ける前に

    夜の明ける前に

    小説・文芸

    3.0
    1巻660円 (税込)
    人間の生のいとなみは、いかに脆いものか。微妙な心理の揺曳をすくいあげる短編傑作選。永遠の生命を求め現実を照射する――生死の極限に立たされたとき、人間は何を観るか。たゆたう心の奥底から、日常生活では把みえぬ真実の相貌が、少しずつ浮かびあがるにつれ、生のしたたかさにおののく。沖縄での戦争体験を語る神父の懊悩と回心を描く表題作から、戦争・病い・孤独な老境など、それぞれの裸にむかれた人間の内面を描く12編。
  • 無名詩人

    無名詩人

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    人の出会いと別れにみる幸福と不幸。想像を絶する数奇な生涯を描く著者自選傑作短編――出会いと別れにみる、人生の仕合せと不幸。想像もおよばない数奇な生涯。目に見えない存在に翻弄される、運命的な人生を描く。夏休みの日記に、来る日も来る日も「こもり」とだけ書いた同級生の一生を深く悲しむ表題作のほか、老神父が近所の老人たちに聞かされた愚痴話を神に報告する「話し相手」など、13編を収録。
  • 私を変えた聖書の言葉

    私を変えた聖書の言葉

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    聖書の一言一句を、体験をふまえて解き明かし、人間的魅力にあふれた聖書の意味を語る――人が〈どんな人間であったらよいか〉と自問するとき、聖書の一言一句はみごとな輝きを放つ。人間の心の弱さ醜さを見据えた上で、人の採るべき道を教え示してくれる。日々の生活の中で当面する愛や幸福を、あるいは信仰や平和を、聖書はどう語っているだろうか。クリスチャンである著者が人生の指針として、その魅力を解き明かした長篇エッセイ。
  • 夢を売る商人

    夢を売る商人

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    自らの運命に慎ましく生きることの哀れさとぬくもり……人間の罪を主題にした傑作集。人間への懐疑と絶望、生の真実を描く連作――夢を与えて愚かな人間たちを操った詐欺師にも、ついに敗北の時がやって来る。人間の罪を主題にしたオムニバス小説「夢を売る商人」ほか、「蒼ざめた日曜日」「能面の家」「二つの昇天」を収録。人間への懐疑と絶望から出発し、みずからの運命に謙虚に生きることの難しさと美しさを描く、曽野文学の真髄を伝える、物語の魅力あふれる傑作集。
  • 雪に埋もれていた物語

    雪に埋もれていた物語

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    夫婦・親子などの関係の中に、さりげなく気高い人間の生き方を探求する傑作短編の数々。さりげなく輝かしい生き方を探る名作集――金沢の旧家へ、子連れで後妻に入った雛子。「よく出来た奥さん」の評判を得ている彼女に、一夜、晩餐のもてなしを受けた「私」は、他日、意外にも彼女の隠された顔を、実の息子から知らされる、という表題作。他に、「音戸の瀬戸」「初めての旅」「泥川の杭」「藤」など、男と女、夫と妻、親と子などの、人間関係を描いた10編を収録。
  • 七色の海

    七色の海

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    どのように生きても、この世の生は哀しい。外国を舞台に描いた、曽野文学の珠玉作12編。海外に取材した様々な人生の真実を描く――花は誰のためにも咲く。春はどこにでも来る。それだけを、私は信じていられるのだ……。どうしようもない非情な現実の前で右往左往する、人間という小さな存在。生のはかなさ、滑稽さの認識に立ち、外国を舞台にした、多種多様な人生の真実をみつめる、柔軟で暖かいまなざし。曽野文学の珠玉作12編を収録。
  • 紅梅白梅

    紅梅白梅

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    都築(つづき)少尉の戦死は、不名誉なものだった。たった一度の契りだったが、彼の汚名を晴らしたかった山邑(やまむら)ひなは、その死の謎を追った。なぜ、彼は死に急いだのか? 停電した嵐の夜、作家の私を訪ねたひなは、台所のガスを明かりにして話し始めた。苛酷な状況の中で生きることを余儀なくされた人間の運命を描いた長編。
  • 至福の境地

    至福の境地

    小説・文芸

    4.0
    1巻660円 (税込)
    生活し、読書してこそ、意味のある人生になる。心の豊かさのために――生活と読書、そのどちらも、私にとっては、なくてはならない快楽である。直接体験したことに、書物から光を当てたとき、人生は、より多角的で、陰影の深いものになるだろう……。心の豊かさを求め、自分が自分という人間の主人公でありたいと、願ってやまない人たちに贈る、「自分の顔、相手の顔」シリーズ第4弾。
  • 安逸と危険の魅力

    安逸と危険の魅力

    小説・文芸

    3.0
    1巻660円 (税込)
    それぞれの人生 違うからおもしろい! ――私たちは、人と違うことを、恐れてはならない。それぞれの好みと価値観の違いこそが、人生のおもしろさを生み、ドラマや詩を生ぜしめ、ひいては社会の安全を保つのだ……。自分の生き方を再確認し、存在の根幹を問う大好評のシリーズ「自分の顔、相手の顔」第3弾。これぞ曽野流「フィロソフィア」の実践なり。
  • それぞれの山頂物語 今こそ主体性のある生き方をしたい

    それぞれの山頂物語 今こそ主体性のある生き方をしたい

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    『自分の顔、相手の顔』好評第2弾! みな真摯に生きるべく――今の日本社会は、その人なりによくやったという褒め方はせず、立場や境遇とは無関係の実績だけが問題にされる。3メートルしか歩けなかった人が、100メートル歩いたら、それはエベレストに登ったことと同じかもしれないのに……。人生に対する畏敬といとしさに満ちた、エッセイ「自分の顔、相手の顔」第2弾。
  • 魂の自由人

    魂の自由人

    小説・文芸

    3.0
    1巻660円 (税込)
    「私はずっと前から『魂の自由人』になたたいと思っていた。これは人生におんて非常に大切なことで、身体の健康と魂の自由とは、対をなす重大な要素だと考えている。健康については世間にたくさんの本があるし、医療についての専門家でもない私が書けるわけがない。しかし、魂の自由については……」(本文より抜粋)。 困難な時代だからこそ、心と魂の自由を得た、自分らしい生き方をしたい。そのヒントが、本書から得られるのではないか。
  • 夫婦の情景

    夫婦の情景

    小説・文芸

    3.0
    1巻660円 (税込)
    夫婦にとって何が大切で、何が夫婦に幸せをもたらすのか。そして、夫と妻、それぞれの幸せと不幸せとはいったい何なのか?  夫婦生活をつづけていけば、必ず起きる、喧嘩。些細なもので済むこともあれば、別れる別れないの大事に展開していくこともある。何がどうなって、気持ちはすれ違っていくのか。互いの思いやりが、相手の心に響かなくなってしまうのは、いつからなのか。  壊れやすい夫婦の愛と心を、温かいまなざしで描いた極上の短編集。
  • なぜ人は恐ろしいことをするのか

    なぜ人は恐ろしいことをするのか

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻660円 (税込)
    このエッセイは、(中略)私の贅沢な時間の報告として続いてきた。贅沢というと、おいしくていいものばかりと思われそうだが、およそ世間に存在するすべてのものはおもしろい。浅ましさ、狡さ、でたらめ、それらのものすべてが、人間の属性だから、やはり楽しいのである。―まえがきより― 世の出来事をどのような視点で見て、考えたら良いのか、見事なまでに示され、読み進めるうちに、背筋がすっと伸びていくようである。 読書の醍醐味がぎっしり詰まった明晰エッセイ集!
  • P+D BOOKS 地を潤すもの

    P+D BOOKS 地を潤すもの

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    戦犯として処刑された弟の“生と死の意味”。 第2次大戦後まもなく、現地住民虐殺の戦犯としてシンガポールで処刑された水島団。 それから30年の時を経て、兄の水島譲は弟が辿った死までの道のりを追体験してみようと、旅に出る。タイ・バンコクからマレー半島を列車と車で南下し、一路シンガポールへ。 かつて虐殺があった事件現場や団が刑死したチャンギ刑務所、そして墓地と、弟ゆかりの地を訪ねていくうち、事件の意外な真相が明らかになる。戦争を題材に、人間の生と死の意味を問う意欲作。
  • 社長の顔が見たい 上

    社長の顔が見たい

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    何かがふっと気になった時、腑に落ちない「何か」を感じた時、生きていくうえで迷った時、その迷いの原因がわからない時、本書が役に立つことでしょう。物事に隠されている真実、普段の意識では見抜けない核心、生きていくために必要な「何か」が、きっと見えてくるはずだ。多岐に渡るテーマを真正面から見据える曽野綾子の目線は、時に辛辣だが、温かであり、力強い。我々の心を励ましてくれるのだ。
  • 復興の精神

    復興の精神

    ビジネス・実用

    3.3
    1巻660円 (税込)
    東日本大震災以降、私たちはどのように考え、どのように行動し、どのように生きていくべきなのか。すべての日本人が向き合わねばならないこの問いに、九人の著者が正面から答えた。「精神の復興需要が起きる」「変化を怖れるな」「私欲を捨てよ」「無用な不安はお捨てなさい」「どん底は続かない」……その言葉は時に優しく、時に厳しい。3・11以降を生きていくための杖となる一冊。
  • 老いの身辺をさわやかに生きるための言葉

    老いの身辺をさわやかに生きるための言葉

    小説・文芸

    4.0
    1巻682円 (税込)
    《まえがきより》  近年の日本人は、世の中が理想通り動くのが当たり前、と思うようになった。ところが、戦前の日本の現実を知っている世代の私などは、いつの時代だって現世は思い通りにならなくて当たり前、と思って来たのである。これが大きな違いだ。  思い通りにならない世界だから、文学も絵画も映画も生れるのだ。(中略)絵画も映画も、皆作品にこの悲しみの世の一部を必ず切り取って埋め込んで来たのだ。  その悲しみや不運をどう処理してきたかが、個人の歴史そのものなのだ。(後略)  悲しみや苦悶を抱えながら、人はどうすれば清らかに生きていけるのか。真面目な人生のための道標となる貴重な一冊。
  • 本物の「大人」になるヒント 2019年版

    本物の「大人」になるヒント 2019年版

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻682円 (税込)
    人生の指針となる貴重な一冊である。 これほどまでに、きちんと、人生について、生き方について、仕事について、解き明かした書はなかろう。 若者にとって必読の書であるが、惑いを抱きながら日々生きる大人たちも必読すべき書である。 目次  I 人間関係の基本  II 他者と自分  III 魂の自由  IV 精神の鍛え方  V 仕事に対する考え方  VI 選択と責任
  • 誰にも死ぬという任務がある

    誰にも死ぬという任務がある

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻682円 (税込)
    誰にも平等に訪れる「死」について書かれた含蓄深いエッセイ。 貴賎、男女、善人、悪人、そして老若を超えて「死」は訪れる。 事故や突然死といった、前もって知ることのできない「死」はともかく、人は病気や老齢になることで徐々に死に向かうことを自覚していく。 そのとき「死」をどうとらえるか。 キリスト教者として神の存在を信じ、神への感謝の日々を持ち、世界各地で人だけではなく動物や植物の「死」を目の当たりにしてきた著者ではならでの生死感は、読む者の心をうつ。 死に向かう心構えを綴る名エッセイ集である。
  • 夫婦のルール

    夫婦のルール

    小説・文芸

    -
    1巻682円 (税込)
    老いてますます輝く90歳と85歳の作家夫妻が明かす、人間関係、そして人生の極意とは? 「僕は嘘つきです」から始まった結婚生活、作家として執筆と子育てに追われた30代、世界を飛び回りながら3人の親を介護し看取った40~50代、様々な危機を越えて人生の第三幕を迎えた夫婦が、ともに歩んだ歳月を振り返り、本音で語り合う夫婦関係の極意。人生の智慧にあふれた大反響作、文庫化!
  • 必ず柔らかな明日は来る

    必ず柔らかな明日は来る

    小説・文芸

    -
    1巻693円 (税込)
    著者の数多くの著作や新聞・雑誌コラム、対談といったものの中から選りすぐった言葉、文章。 生真面目すぎる生き方よりも、笑って過ごせる粋な人生を生きたほうがいいのではないかという。 ささくれだった心や複雑化した人間関係を和らげることや、荒れる子供たちをどう考え、国家を愛することとはどういうことか、と著者の意識は広がっていく。 そして誰もが迎える「老」と「死」について考えることは大切なことで、それが後悔のない人生、明日を信じて歩むことにつながっていくと提言する。 一読だけでは乱暴に思えるかもしれないが、その裏にはキリスト教者としての人々に対する無償の愛がある。 含蓄深い言葉の数々だ。再読、再々読すべき箴言集。
  • 晩年の美学を求めて

    晩年の美学を求めて

    小説・文芸

    -
    1巻693円 (税込)
    さて、晩年とは何歳なのだろうか、という簡単な疑問から始まる。当人にはいつが晩年かわからないからだ。連載当時七十歳代半ばだった著者は、晩年をどう美しく生きるかを、人生の締めくくりとして考え始める。超高齢化社会に加速度的に向かう日本と日本人は様々な問題を抱えている。老後の生活の不安、ひとり残された暮らし方、老いた親のことなど。ボケを防止するという消極的なことではなく、自らを律し(自律)、自ら生活を立て(自立)積極的に老後を生きることを提案する。不幸な家庭と戦争という少女時代、貧しかった世の中、作家として生きることを決め、キリスト教者として「神の存在」を確信し「愛」で自らを見つめる。人みな老いていく中で、どう生きるべきか、どう人生を締めくくるか。 本書は考えるきっかけを、心に語りかけてくれる。
  • 透明な歳月の光

    透明な歳月の光

    小説・文芸

    4.0
    1巻715円 (税込)
    人間の眼は常に曇っている。血走っていたり、酔っていたり、近視眼的だったりする。しかし、そういうときにこそ、歳月の光は静かに、透明に、ものごとを映していく――。人の一生の重み、そこに込められた濃密な意味とは何か。日本、アジア、中東、世界各国の街の中から、人間を見つめる作家のエッセイ集。
  • 人間の基本(新潮新書)

    人間の基本(新潮新書)

    ビジネス・実用

    3.9
    1巻748円 (税込)
    人生を無駄にしないために必要な足場、それが人間の基本である。末端ばかりを大切にする時代にあって、それがなければ、周りに流され、やがては自分を失い、死んでしまうこともある。ルールより常識を、附和雷同は道を閉ざす、運に向き合う訓練を……常時にも、非常時にも、どんな時代でも生き抜くために、確かな人生哲学と豊かな見聞をもとに語りつくす全八章。
  • アラブの格言(新潮新書)

    アラブの格言(新潮新書)

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻748円 (税込)
    神、戦争、運命、友情、家族、貧富、そしてサダム・フセインまで――。素早く、簡潔に、かつ深くアラブ世界を理解するには、彼らの世界の格言を知るに限る。「追う者と追われる者は、共に神の名を口にする」「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」など、古来より伝承され数多ある中から530を厳選。そこに加えられた著者独自の視点、解説によって、鮮明に浮かび上がる「アラブの智恵」とは。
  • 自分の顔、相手の顔 自分流を貫く生き方のすすめ

    自分の顔、相手の顔 自分流を貫く生き方のすすめ

    小説・文芸

    4.0
    1巻764円 (税込)
    少しは「まとも」でいたい人のために、筋のとおったエッセイ――「失われた10年」を過ぎても、日本人は、人間としてのまっとうな感覚が、こわれたままだ。過度の贅沢や安楽の果てに、わたしたちは、思いもかけぬところに行こうとしているのではないだろうか……。もう一度、確固とした価値観を模索し、よく生きようとする人への、「曽野綾子流考えるヒント」が満載の、辛口エッセイ。
  • 人間関係

    人間関係

    ビジネス・実用

    -
    1巻770円 (税込)
    人間関係に苦しみを感じるようになった時、透徹した視点をもつ曽野綾子の言葉が胸に響く。自分が逃げずに、どうすればこの苦しみを克服できるのか。経験から得た知恵や教訓をもとに、曽野綾子がわたしたちが行くべく道を示す。「手広く」より「手狭に生きる」ことで得られる本物の安寧、噂話と正義はなぜ迷惑か、倫理観は状況によって現れる、といったことを伝える。悩みを抱え、生きることに立ち止まりたいあなたの必読書――。
  • 百歳までにしたいこと

    百歳までにしたいこと

    小説・文芸

    3.0
    1巻770円 (税込)
    「若さは文句なしにいいものだ、と思われているが、実はそうでもないらしい」――2021年に90歳を迎えた曽野綾子さん。 <人生には終わりがあるからこそ耐えられることがある>といった著者ならではの含蓄に富んだ言葉に目を開かせられます。 老年を生きるための心構え、真の人間力とは何かが自ずと見えてくるでしょう。 なおかつ若者にも、大切な価値観を教えます。 「人生百年時代」の道しるべになってくれる傑作エッセイ集です。 ※この電子書籍は2021年7月刊の単行本『人間の使命』(海竜社)に新原稿を増補した文庫オリジナル版です。

ユーザーレビュー

  • 老いの才覚

    Posted by ブクログ

    老後はあらゆることに対して「若い頃とは違う」ということを意識して考え方を変えないといけないことを認識しましたが、やはりそれは少し悲しいことです。

    0
    2025年05月17日
  • 人は星、人生は夜空 2019年版

    Posted by ブクログ

    25歳の時に読みました。未婚(女)です。
    自分の将来に対する不安や過去の後悔で悩んでいた時に読みました。
    結婚生活や人生、人間とはどういったものなのか物語の話の1部を切り取って載せて頂いているので感情移入しやすかったです。
    自分や他人に対する考え方を改める良いきっかけになったと思いました。

    0
    2025年02月14日
  • 新装版 幸福の王子

    Posted by ブクログ

    (小6男子)久しぶりに絵本も読んでみようと思い、父におすすめを聞いたところ「幸福の王子」を渡してくれたのがきっかけです。人の役に立ったり、心優しく受け止めたりするとその代わりに何かを失ってしまいます。しかし、その良い行いは誰かが見てくれており、いずれ尊い存在にもなれるということをこの絵本は教えてくれました。周りのために一生懸命尽くしている人におすすめです。なぜなら、今は良いことをしていたことを周りの人に気づかれていなくても、誰か一人でも見ているはずだから、後から気づかれるようになり、尊い存在になれるからです。

    0
    2025年02月06日
  • 私の後始末

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    私の後始末
    著:曽野 綾子
    ポプラ新書 164

    いい人にならず、本音で老いを愉しむ269の極意とあり

    世間体を気にして、生きるのではなく、自分に正直に生きる

    「今日一日をせいいっぱい生きる」というのがいい

    信じる宗教は違えど、兼好法師や親鸞らと同様、彼女も日本の伝統的精神の時の流れの中にいると感じました

    また、「いい加減でもいい」、というのもいい

    手抜き歓迎、生きぬくためであれば、悪もまたしかり、言葉だけの正義ではなく、人として生きる

    気になったのは以下です

    ■本音こそ人生の歓び

    ・あとは野となれ、山となれ

    ・日本人の多くは、性善説である。そのほうがうるわしいことは分かり切っているのだが、私は自分の心を眺めて、昔から性悪説を取ることにしたのである

    ・どんなに親しくても、しょせんは別の人間です。性格も、考え方も、感性も違うのですから、人を完全に理解できるはずはない。だから、自分のことも、ほんとうに理解してもらえるなどということは不可能だと思い、あきらめています。

    ・「人は皆平等」などというのはウソっぱちです
     「実際に平等である」ということでも、「人は平等になれる」という保証でもありません

    ・まわりに合わせたがるというのは、一番卑屈な精神のように思えます
     付和雷同するという勇気のなさを示していてもっとも魅力がないものに映ります

    ・人間は一人で生まれて来て、一人で死ぬ

    ・要するに、どんな死に方でもいいのだ。一生懸命死ぬことである

    ・驚くべきことに、青春さえも本当に理解できるのは、晩年になってからだということが、私はこの年になって知ったのである

    ・現世はろくな場所ではない、と思ったおかげで、私はその後、それよりはるかにましな世界を見た。
     すべてのものは比較の問題なのだ

    ・人がするからいい、のではないのである
     人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり品位である

    ■ままならぬ状況を生きる

    ・人生は、何が勝ちで何が負けなのか、その時々にわからないことだらけです

    ・光を描くには、影を描くより仕方ないんです
     光そのものは描けないから

    ・すべて人生のことは「させられる」と思うから辛かったり惨めになるので、「してみよう」と思うと何でも道楽になる

    ・人して生きていく以上、自分には、裏表がある、という自覚が必要です

    ・これだけ、おもしろい人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい

    ・人間は死ぬまでに、いくら年を取っていても、死の前日でも、いつでも生き直すことができる

    ・手抜きだから続くこともあり、ずるいから追いつめられもせず、怠けの精神が強いからこそ、新しい機械やシステムの開発につながる

    ■「いい人」を今すぐやめなさい

    ・世間からどう思われていい
     人間は、確実に他人を正しく評価などできないだから

    ・何でもいいから大勢とはとにかく反対の方角で、しかも少し自分が好きなことができたら、確実に生きられるだろう、と思いますね

    ・私たちは自分の目に入るすべてのことを、すべて一度は疑うべきです
     人を疑う能力がなければ、ほんとうには人を信じることもできません

    ・人は大体誰もが平凡で、「ろくでなし」で「能なし」である
     今までうまくやってきたとすれば、運がよかったか、他人が図らずもかばってくれていたからに過ぎない

    ・人間関係の普遍的な基本形は、ぎくしゃくしたものなのである

    ・品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう
     自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところ、拒否すべき点を明確に見極め、その中にあって、決して流されてないことである
     その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければならない

    ■あきらめる生き方

    ・諦めることは成熟に通じる

    ・求めるより与えることで満たされる

    ・どのような境遇の中でも、心を開ければ必ず何かしら感動することはある
     それを丹念に拾い上げ、味わい、そして多くを望まなければ、これを味わっただけでまあ、生まれないよりはましだった、と思えるものである

    ・私は何でもすぐ「そんなことでは、人は死なない」と言うのが癖になった
      「少しぐらいゴミがあっても死なない」
      「少しぐらい食べなくても死なない」
      「少しぐらい汚くて死なない」

    ・不運は簡単にやって来るが、幸運は当てにならない

    ■自由になるための究極の選択

    ・最終的な幸せは「考えて行動する」ことにかかっている

    ・報われなくてもやろう、と思う時に悲惨な現実を超える

    ・誰かに理解されなかろうと、どんなふうに思われようと、庶民にとっては大したことないんです
     自分がいいと信じることを、最終的には静かに命の尽きる時までやる

    ・片隅に生きるということはほんとうにすばらしいことなのだ
     悪の影響は薄まり、思い上がるということなく済み、かつ、基本的な自由を謳歌できる

    ・したいことをするのが自由ではない
     人間としてすべきことをするのが自由なのです
     しかもすべきことを、気張ってやるのではなく、普通にさりげなくする

    ■あるがままのどこが悪い

    ・神は与えられた以上の能力を要求しない
     できる時に励み、できなくなったら祝福に包まれて休めばいい

    ・たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたまそこに居合わせた場所で、最善と尽くして生きればいいだけなのである

    ・どこでも死んでも同じである
     故郷で死ねば何かいいことがあるというわけではない

    ・人生の理解という事を、おそらく、七、八十年かけてもなしえないままに人間は死ぬのである
     東大に入るための勉強などというのは、学問でも教養でもない
     それは恐らく勉強という名の職人芸なのである

    目次
    前書き
    第1章 本音こそ人生の歓び
    第2章 ままならぬ状況を生きる
    第3章 「いい人」を今すぐやめなさい
    第4章 あきらめる生き方
    第5章 自由になるための究極の選択
    第6章 あるがままのどこが悪い
    出典著作一覧

    ISBN:9784591162064
    出版社:ポプラ社
    判型:新書
    ページ数:223ページ
    定価:800円(本体)
    2019年01月22日第1刷発行

    0
    2024年06月22日
  • 結局、人生の最後にほしいもの

    Posted by ブクログ

    1188

    曽野綾子さんの本読むたびにほんと大好きでファンになる。ほんと会いたいからファンイベやらないかな。書籍サイン会とか。

    曽野綾子
    東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。

    だから私は昔から、フェミニズムというものにほとんど関心がなかった。もともと違うのだから、補い合えばいいのだ。競い合い同等になる、という発想の方がおかしい。フェミニズムという言葉は女性解放、男女同権主義などと訳されている。しかし、すべての女性が、解放されなければならなかった存在だとは私は思わない。いわゆる形ばかりの解放など全く望んでいなかった人もいるし、封建的家族の中で暮らしていても、男性より偉かった女性の存在は昔からあったのだ。 確かに、農業や漁業に携わる人々の社会では、夫婦に子供が生まれると、男の子は高校にやらないでもないが、女の子にはその必要がないという空気がなくもなかった時代がある。私の父は、東京の下町に生まれたが、次男であった。家業は長男が継ぎ、次男の父が家を出ていく決まりになっていた。それで面白いことに、長男は旧制の中学を出ただけで充分とされたが、次男である父は大学にやってもらえたのである。しかし、兄弟平等などという思想は全くなかったらしく、私から見ると本家の伯父にあたる人はいつもおっとりと床の間の前に座っていたが、次男だった父は、中学生の時から毎日家中のランプのホヤの掃除をするという任務があったという。私は後年、アフリカの田舎の修道院でランプの生活をさせられた時、性懲りもなく、触れてはいけないランプの熱いホヤの部分に手を触れて火傷が絶えなかった。その時、父のこのランプ掃除の話を思い出したものである。

    地方の家庭には、そういうわけで高等教育を受けなかった女性がたくさんいた。確かにその人々の一部は、結婚した後も男性と同等の生活をしていたとは思われない。お父ちゃん達は農閑期にバスを連ねて熱海の温泉へ行くが、お母ちゃん達は置いてけぼりだったという時代が長くあったという事を私は知っている。 しかし、そのような不平等を彼女達は賢く楽しんでいた。つまり、煩わしいお父ちゃん達のご飯の支度をしなくていい数日の留守の間は、お母ちゃん達にとってけっこうな休日だったのである。

    もっともこの当時聞いた話で私が許せなかったのは、お父ちゃん達は少し体が悪いとすぐに医者に行くくせに、お母ちゃん達が歯が痛いと言っても歯医者にかからせてもらえないというものだった。そんな風にして大切な家族を冷遇して、どういう良い事があるのだろうと私は腹を立てたのである。

    一方女性の場合、何が力かというと、育むということだと私は思っている。直接子供を産むという行為もあるが、自分の子供だけでなく、あらゆる生命に対して慈母のような行動を取れることを私は女性の力だと感じている。 何度か書いた事があるのだが、或る時私は、南米のボリビアという国の田舎町で、日本人の神父が手助けしている結核患者の収容施設に行ったことがある。患者達の九割は、本来はアンデスの山地で暮らしていたのだが、働く場所のない山にいてはどうにもならないので、お金欲しさに町へ下りて来た人達である。ところがそこにも、半端な仕事しかなく、それも恒久的に働いて収入があるというものでもない。やがて彼らは安い酒を飲んで、荒れた生活をするようになる。酒を買うので、食べものもまともに買えない。怪し気な街の女と深い関係になり、国元に残してきた家族とは連絡も取れない。もしかしたら字も書けない人たちなのである。無論、ケータイなどというものを持てるはずもない。

    五十歳を過ぎてから、私は度々アフリカへ行くようになったが、気楽に知人を誘うこともあった。私は、六十四歳から七十三歳まで会長を務めていた日本財団(当時の日本船舶振興会)の企画で、そうした途上国に行くことも多かったが、外部から自費で参加したいという人を同行させることは拒否しなかった。新聞社やテレビ局だけでなく、私の知人の出版社の編集者を誘うこともあった。 すると主に女性からだが、質問を受けることもあった。「怖くないですか?」「危険はありませんか?」「暑くないですか?」「マラリアはないんですか?」「テロはないんでしょうね?」 答えはほぼ同じようなものであった。「まあ、怖くはないでしょうね」「危険はありますよ」「暑いですよ」「絶対にないとは言えませんね」「テロはねぇ……まあね……」 それらの災害にあまり遭うことはないと思うから、私はこういう旅の企画を立てていたのだ。しかし、全くないとは誰も保証できない。それらの僅かな危険を覚悟し、それに備えるような必要性のある旅だからこそ、私にとっては学ぶことが多かったのである。マスコミ風に言えば、それだからこそ、彼らも他社の記者には書けない記事が書けるはずである。 しかし私の誘った女性たちの多くは、危険を冒すことを嫌がった。

    男性でもほとんどのイスラム圏の国ではお酒が飲めない、ということだけで断った人もいた。いや、本音は私と行くのが嫌だったのかもしれないが……。 しかし多くの男性たちは、仕事のためには仕方なく、暑さも食事のまずさも、生活上の不便も耐えしのぶ。それらの代償を払わなければ、何一つ手に入らないことを知っているのである。 私は根っからの男女同権好きである。だから女性にも、この原則を覚悟してほしいのである。

    二〇一七年二月、夫が亡くなった。一人暮らしを始めて、まだ一年半ほどしか経っていない。もっとも、私の場合、一人暮らしと言っても、昼は秘書が雑用をしに来てくれ、夕方からはお手伝いの女性とお喋りする時間もある。それから、並べて書くのはいけないのだが、今うちには「直助」と「雪」という牡と牝の猫がいる。私は時々「雪」を抱いて寝ている。「雪」が真夜中近く、私のベッドに勝手に飛び込んで来ると、そのまま眠っているからだ。

    私の生涯の道楽は、旅行だった。行った土地について首尾よく作品に書くことになれば「取材旅行」、行ってはみたけれどどうも……ということになれば、遊びだったと思えばいいし、事実私はこの二種類の言い訳を、けっこう上手に、狡く使い分けていた。 私が最も贅沢をしたのはサハラ砂漠の縦断だった。来る日も来る日も何一つ景色に変化がない。そして人家一軒見当たらない。全く水がないから、住んでいる人は一人もいないのだ。そうした文字通りの砂漠を含む三千キロあまりを、四輪駆動の機能を持った車二台で走ったのである。ガソリンスタンドもないから燃料はすべて自分で持っている。燃料が切れれば、最悪の場合、死ぬ他はない。 その話をすると多くの人が、「そんな退屈で危険なドライブをするくらいなら、ヨーロッパ一周をした方がいいじゃない」と言うのである。全くその通りだし、砂漠の縦断は、車輛まで特殊仕様にしなければならなかったから、レンタカーでかなり贅沢にヨーロッパ一周をするより、お金がかかった。 しかし、数百キロの彼方まで、一人として人の住まない空間というものを、我々はなかなか体験できない。人のいない空間の主は、当然人間ではなくなり、昼は風と砂の、夜は星と暗い砂丘の支配する世界になる。これは、それまで私が見たこともないような夢幻的な空間であった。満月の夜、あまりの月の眩しさに、野営をしている私は、航空会社がくれたアイマスクをしなければ眠れなかった。そしてこういう月光を受けて眠る夜を過ごしただけで、私は「生きるに値した人生を生きた」と言えるし、納得して死ねるだろう、と思ったのである。 現世の物質的な贅沢が好きな人は、こんなもののために私が、当時なけなしの貯金をはたいたということが信じられないだろう。 しかし私は、砂漠の夜の途方もない空漠なる地表と、あまりにも壮麗な夜空を見られたことを、この上ない贅沢だと感じたのだ。その手つかずの地球の素顔のために、私は自分の時間と、いささかの危険とお金を捧げても悔いない、と思ったのだ。

    私は、大手の種苗屋さんが集めたガーデニング愛好家グループの会員になっているので、年に数回カタログも送られて来るのだが、そこには今年の「新製品」のような頁もある。「今年の新しい種と苗」である。新製品の創出の仕方を私は知らないが、望ましい特性を持った果物や野菜の種をかけ合わせて、新果物や新野菜を創るのだろう。小説を書くのもいいが、新しい野菜を創るのも楽しかっただろうなあ、と私は最近心が揺れている。 

    つまり大学で英文学などは学ばずに、農学部に行けばよかった、と少し後悔しているのである。学問は、実生活で役に立たないものほどいい、という人もいる。だから小説家になると決めていた私は逆に文学とは関係ないはずの法科に行ってもよかったのだ。小説を書くのにすぐ役に立つと思われる文学部ほど、実は小説の役に立たないものはなかった。皮肉なことに法学部出身者くらいしか読む必要のない特殊な月刊誌には、必ず短篇の種が二つや三つは判例として掲載されているのだ。それで私はその雑誌を取るのをやめた。その雑誌に頼っていると、あまりにも安易に小説を書けそうに思えたからだ。

    「犬と飼い主は似ますね。うちの犬は水をひっくり返す。妻もよくバケツをひっくり返すんです。防火用のバケツは一年中同じ所に置いてあるんですけどね」 会ったばかりの人に、こういう他愛のない妻の悪口を言う人ほど、多くの場合、夫婦仲は円満だ。

    会話力は、その人が過去どれだけ本を読んだか、いい友人を持っているか、普段の何気ない時でもしっかりと眼を開けて周囲を見ているか、というような姿勢にかかってくる。会話力は、全人生の結果なのだ。だから「付け焼き刃」ではできない。入試と違うのだから、別にそのための努力などしなくていいのだが、普段の生き方は大きく物を言う。 会話力を持つ人は、それだけで自分の他の特徴を消してしまう。その人が善人かどうかも、親戚に実力者がいるかどうかも、問題でなくなる。荒野で堂々と咲くアザミの花がみごとなようなものである。 荒野には風も吹き抜ける。家の中や温室とは違う。足許を野獣や野猫が踏んで通る。冬には雪も積もる土地である。しかしその中でアザミはのびのびと咲くのである。 会話力は、耐える力であり、観察力のたまものでもあろう。その二つの力さえ持っていれば、そしてさらに三つ目のものとして慎ましい気持ちを持って、絶えず周囲から学ぼうとする姿勢を崩さなければ、誰にでも必ず備わる才能のようにも思う。そしてその人の魅力を示す指数は、九割方、会話力にかかっているのである。

    私はもう年をとっているし、世間でいう社交のような付き合いをする必要がなくなっているのだが、若い時からかなり人付き合いが悪い人間だった。ほうれん草が嫌いという人がいるように、大した理由もなく、社交というものが好きではなかったのである。

    ところで、私の友達は幼稚園時代からの知り合いばかりである。私は幼稚園から大学まで一貫校に通った。受験してみても他所の学校には受からないのは明白だったので、そんな努力もしなかったのである。おかげで青春時代は受験地獄も知らずにのびのびと過ごした。幼稚園時代からの友達というのは、つまり、十七年を共に過ごした人達である。或る時知人の男性に、財界の某有名人の奥さんと私は十七年間同じ学校でしたと言ったら、煩悶したような表情を浮かべて、「とすると、お二人はどこかで留年なさったとか、大学受験に失敗なさったとかそういうことですか?」と言われた。私はその人の計算の素早さに感嘆した。私は単純な足し算でもこんなに早くはできないのである。私が「私達は幼稚園からの同級生なので十七年間です」と言ったら、その人はなるほどと納得してくれた。

    私がこの世でかなり嫌いなものの一つが、噂話である。それは九十パーセント以上の確率で、間違った話を伝えているからである。 私は作家になった後、度々インタビューを受けた。初めは有名雑誌の編集者や全国紙の新聞記者が来るのだから、話したことを正しく書いてくれるのだろうと思っていた。ところが、でき上がった記事は実に滅茶苦茶なのである。私は早々にその事実を知ったので「インタビューは、私が喋った部分だけは手を入れる事をご承認くださるならお受けいたします」と言うようになった。予め頼んでおけば、大体の新聞社や雑誌社は今ではこのルールを受け入れてくれる。頭から拒否しているのは日本経済新聞だけだから、私は日経のインタビューは受けない。

    私はだいぶ前からアラブ諸国へ出入りしていたので、その時に格言の本を買ってきていて、あまりに面白いので気に入ったところに赤線を引いてあった。改めて読み直さなくても、アラブの人達はつくづく賢いと思う言葉を既に選んであったのである。それを集めて一つ一つの言葉に私が解説を付け加え、感想を述べ、夜になると私がさっさと寝てしまった後で、編集者の女性達が東京の本社とメールでやりとりをして編集をしたのだ。 その格言集の中に、「賢い人は見た事を喋り、愚かな者は聞いた事を喋る」 というのがあって、別にアメリカがサダム・フセインをやっつけるために侵攻した事実とは何の関係もないのだけれど、私はこの格言が面白くてたまらなかった。

    学歴もあり賢くて常識のある多くの人達が、この愚か者のやり方で暮らしているのである。「何とかだそうだ」というようなニュースの捉え方は、時間の無駄遣いそのものと言っていい。そしてまた、そのような会話しかしない人達を私達は陰で密かに「放送局」と呼び、用心してその人達には何一つ語らないようにしている。『アラブの格言』に出てくる賢い人達の多くは遊牧民で、大学に行ったわけでもないし、哲学を学んだわけでもないだろう。しかし、彼らは羊を追って、オアシスからオアシスへ荒れ野を移動するうちに、人生の真実というものはいかにして手に入れるべきかという事を知ったに違いない。

    私が運転免許を取ったのは、一九五五年(24歳の時)で、当時はもう女性で車を運転するのはごく当たり前になっていた、と私は思っているのだが、夫の美人の従妹などは、ポンティアックなどという大きな外車を運転し、多分嫌がらせだったのだろう、トラックの運転手さんに「おい、ねえちゃん」などと高い窓越しにからかわれて随分不愉快な思いをしたというような話をしていた。その程度に女性ドライバーというものが珍しい時代だったのである。

    いつの時代から、女性が結婚しても、子供ができても、世間の中で働く人が増えたということになったか考えてみると、恐らく、戦争が終わって十年ぐらい後のことであろう。

    少しキザな言い方になるが、私たちは仕事を通して人生を語り合ったのだ。もちろん大げさな話ではなく、現場に立つことの現実を話し合う時、その方の仕事と私の仕事との接点が、自然な形で結びついたのである。 私の実感ではそういう意味で、男女の差別も職業の貴賤もない。世の中になくていい仕事はないのである。総理大臣は、パン屋さんより通俗的・社会的地位や収入は上かもしれないが、パン屋さんやお米屋さん、さらにお米や小麦を作る人がいなかったら、総理大臣がいないより困る。

    私が相手について知りたいのは履歴であって肩書きではなかった。その人自身が、生涯を通して主に関わって来た仕事を通じて身につけた技術や、体験して来た「物語」であった。本職のかたわらお料理もするとか、ピアノを教えているとか、山登りの趣味がある、というような日常的なこともあれば、銀行の業務の実態、土木技術の苦労話、大学の先生の学生に対する見方、などというような人生の断片を、部外者の私にも聞かせてくれるのは、実にありがたいことだった。そういう生活を続けていると、私は自分の人生以外の分野の「物知り」になれた。もちろん本物の体験者ではない。私はたくさんのニュースの背後に関して、少しだけ多く知っていたので、本質を深く味わう事ができるようになっていた。

    マリー・アントワネットが権力の最盛期にあった時、小さな幸せを求めて、ヴェルサイユ宮殿の庭に「プチ・トリアノン」と呼ばれる離宮を好んだことは、その表れである。広い王宮は、権力欲に取りつかれた人たちの抗争の場で、温かくこぢんまりとした家族の幸福を支える場ではないのだろう。 スペインのマドリッドの王宮にも、最後に王室一家が立ち去っていく前に、別れを告げたという部屋があった。ガイドが教えてくれたのである。それは決して、大広間ではなかった。この広大な王宮の、どこにこんな小さな部屋が残されていたのかと思うくらいの、小部屋だった。そこで王家の人々は、何を語り合ったのだろう。

    世の中には、その人の特性と全く関係ない状態を示すものがいくつかあって、附属的な部分に興味を示す人も多い。相手が、独身か、子持ちか、家族持ちかはまだ興味の対象として許せるとしても、その人の配偶者がどこの学校の出であるか、どういう家庭に育ったかは、その人の資質とは全く関係がない。 それより私にとって興味深いのは、その人が茶の湯が好きか、登山の愛好者か、音楽好きか、というような事である。それらがむしろその人の本質だからである。「お宅は立派なうちにお住みですから」「お宅のお嬢様は秀才だから〇〇大学にいるんですよ」「お宅だからあんな外車に乗れるんですよ。うちは国産車を買うのがやっとのことです」 というような言葉は女性の表現だ。しかし、それほど空虚で嫌らしい言葉はないかもしれない。人を褒めるつもりなら、もっとその人の本質を評価する言葉を使わねばならない。

    私には生涯を通して付き合った女性の友達が沢山いる。 学校が小中高大学の一貫校で、しかも一学年一クラスに五十人ぐらいで、満六歳から二十二歳まで同じ友達と学校に通ったのである。 カトリックの信仰をもとに、修道女たちによって作られた学校だったので、当時は「修身」と呼ばれていた道徳の時間とは別に、信仰を教える時間もきっちりと確立されていた。噓をついてはいけません、とか、自分のことは自分でしなさい、とか、いつも神さまの視線の中で生かされています、とかいう程度だったが、幼いうちから人間の自然な本性に対して理想とすべき形があるということを知らされたのはありがたいことだった。そうでなければ、私たちは、無限に「日々と時代に流される生活」をすることになったであろう。

    「日本は男女同権です」という日本語が、かなり前から、全く成り立たない社会ではなかったのだ。お父さんが絶対の権限を持っているように見えながら、実はお母さんが家政全体を取り仕切っていたりする例はいくらでもあった。ことに日本の家庭では、主婦が財布の実権を握っている例がほとんどだ。稼いで来るのはお父さんなのに、お父さんはお母さんの顔色を見ながら、小遣いをもらう。不満がないわけでもないだろうが、「致し方ない、まあそんなものか」と納得しているのである。

    フェミニズム運動の下に、女性が自分から差別しようとしていることも実に多かった。私は時々、シンポジウムとか講演会に呼び出されることもあったが、その場合にも「女性のための」とか「女性だけの」とかいう制約を自ら作っているグループがちょくちょくあった。そして、「聴衆も女性に限っています」などと思いつきのようなことを言う。その度に、私は頑固に、「そんな差別をするところの講演は引き受けません」と言い張った。今考えると幼稚な抵抗だが、私は当時は本気だった。

    最近は、SNSで使われる用語には通じていても、母国語に「達者」ではない人が多いという。手紙一本、日本語で書けない人もいるという。優れた言語の使い手になるには、まずはたくさんの本を読み、日本語でたくさん書くことしかない。

    第一は日本には、働くことが義務ではなく、趣味のように楽しいと思っている人が結構いるということである。 たとえば私はごく最近、ハワイにある米軍の中央鑑識所で、一片の骨からこれが誰のものかを科学的に割り出していく特殊な方法を開発された古江忠雄先生のラボラトリーにいたのだが、先生はアメリカ人の職員が帰ってしまったあとでも残って、遺骨を相手に調べものをしていられる。朝鮮戦争、ベトナム戦争だけでなく、また第二次大戦中の戦死者の遺骨もニューギニアなどから蒐集してきて、その骨が誰のものかはっきりと鑑別し、たとえそれがお骨一本でもきちんとお棺に納めて、陸海空三軍の栄誉礼をもって送り返す。死者にたいする愛がなければできない仕事である。 ところが或る日、二世の運転手さんが「残業」を済ませた先生を迎えにきた。「こんなにたくさん働くと、お金ようけもらえるでしょう」 と言う。「いくら働いても同じよ。僕はただ気になっている問題を、なんとかして解決してやろうというのが楽しくて、勝手に残業してるんですよ」 二世さんはどうしてもわからない様子であった。 もちろん、世の中には、決まりだけ働くという人もたくさんいる。教師たちの中にも「人の為に働くということは、つまり資本主義に貢献するだけだ」という考えがあった。 しかし仕事というものは、それがいやいやの任務である場合と、楽しくてやっている場合とでは、その当人の幸福の度合いが全く違う。 仕事は、一部の日本人にとって生きる目的であり、生の実感なのである。

    テニスや盆栽作りだけが趣味だなどと決めることはない。とにかく日本人の中には、仕事を楽しみに変え得る才能のある人が至るところにいる。これはよその国にあまり見られない特徴である。

    日本人には常に人の立場を思うという習慣が色濃くある。世界中を歩いてみてこの点がないことに、私はいつも新鮮な驚きを覚える。地球上のほとんどの人々は自分を主張するだけだ。自分のことしか考えない人間というのは、つまり幼児性を残している。勿論この手の人は日本にも学歴のあるなしにかかわらずいるが、ほかの国はもっともっとひどい。

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    2024年04月13日

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