作品一覧

  • 新しい生活

    新しい生活

    ビジネス・実用

    4.3
    1巻1,320円 (税込)
    できないことは忘れる。 できることに目を向ける。 今から生きなおすのも悪くはない。 穏やかな日常に突然おとずれたコロナ禍。 こんな時こそ、孤独を愉しみ、人に頼らず身の程に合わせて生きたい。 コロナ禍とともに生きる新しい指針となる一冊。 日々の過ごし方から、人間関係のトラブル解消法、人生の仕舞い方…さまざまなテーマを著者独自の視点で切る。
  • アラブの格言(新潮新書)

    アラブの格言(新潮新書)

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻748円 (税込)
    神、戦争、運命、友情、家族、貧富、そしてサダム・フセインまで――。素早く、簡潔に、かつ深くアラブ世界を理解するには、彼らの世界の格言を知るに限る。「追う者と追われる者は、共に神の名を口にする」「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」など、古来より伝承され数多ある中から530を厳選。そこに加えられた著者独自の視点、解説によって、鮮明に浮かび上がる「アラブの智恵」とは。
  • ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決

    ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決

    小説・文芸

    4.0
    1巻569円 (税込)
    沖縄戦史の「神話的悪人」として記録される赤松大尉。太平洋戦争末期、彼は渡嘉敷島の村民から食糧を強制的に徴発し、さらに三百数十名の住民に集団自決を命じた、とされる。果たしてそうした事実は本当に存在したのか? 極限的状況に立たされた「人間」とは一体何なのか? 本書では、膨大な資料と現地踏査、そして真実をあくまでも理性的に追究しようとする著者の真摯な思いが、惨劇の核心を白日の下にさらしていく。迫真の長編ノンフィクション。
  • 安逸と危険の魅力

    安逸と危険の魅力

    小説・文芸

    3.0
    1巻660円 (税込)
    それぞれの人生 違うからおもしろい! ――私たちは、人と違うことを、恐れてはならない。それぞれの好みと価値観の違いこそが、人生のおもしろさを生み、ドラマや詩を生ぜしめ、ひいては社会の安全を保つのだ……。自分の生き方を再確認し、存在の根幹を問う大好評のシリーズ「自分の顔、相手の顔」第3弾。これぞ曽野流「フィロソフィア」の実践なり。
  • 安心したがる人々

    安心したがる人々

    小説・文芸

    -
    1巻770円 (税込)
    「安心してはいけない」「世の中はもっと不安になる」「安心に暮らせる生活などない」。不安や悲惨さの中にこそ、希望や安心が残されている。学生時代からキリスト教者として生きてきた著者は、作家として社会を見つめる多くの問題作を生み出している。また社会的責任や発言力の大きい団体の代表などの役職も務めた。様々な立場から、欧米はいうに及ばず東南アジア、東、アフリカ、中南米など多くの問題を抱える数多く国々を訪問をしてきたなかで、否応なく「日本とは? 日本人とは?」という問題に直面する。このエッセイには私たちが見過ごし避けてきたものの本質が見えてくる。昭和ひとケタ女性の行動力と発言力が、次の時代を担う若者たちを刺激する!
  • いま日は海に
    値引きあり

    いま日は海に

    小説・文芸

    -
    1巻463円 (税込)
    欺き利用するだけの男のために、その困窮した生活を援助し、空を飛びたいという男の捨てきれぬ夢を叶えさせようとする加陽子。長い長い歳月の後に、やっと男が自分を振りかえろうとしたとき、悲劇が起こる。報われることを望まず、ただひたむきに愛し尽すことに心身を捧げる純粋な愛の勁さと美しさを描いた名作。
  • 失われた世界、そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行

    失われた世界、そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行

    小説・文芸

    -
    1巻530円 (税込)
    この地球上には「失われた世界」というものが確かに存在する。いにしえの栄華の面影だけが残るその地を、私たち家族は、三十年の歳月を経て、誰も死なずに生きて再び訪れた。私たちに対する運命の甘やかし方に、私は空恐ろしいほどの思いであった――。家族と共に思い出の地メキシコ・グァテマラを旅した著者。アステカの神々、マヤの戦士たちとひそやかに語り合いながら過ごした一夏を綴る。
  • 遠来の客たち

    遠来の客たち

    小説・文芸

    -
    1巻561円 (税込)
    今も健筆を誇る作家曽野綾子のデビュー作がよみがえった! 芥川賞候補になった短編「遠来の客たち」を収めた、全7編からなる短編集。 20代に書かれた作品群は、いずれもみずみずしく、意欲に満ちている。 長い時を経たにもかかわらず、古めかしくなっていないのは、さすがとしか言いようがない。 その後の旺盛なる創作の根幹が垣間見られ、一読の価値アリだ。
  • 老いの才覚

    老いの才覚

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻1,320円 (税込)
    年の取り方を知らない老人が急増してきた!超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題。 自立した老人になり人生を面白く生きるための7つの才覚の持ち方。
  • 老いの身辺をさわやかに生きるための言葉

    老いの身辺をさわやかに生きるための言葉

    小説・文芸

    4.0
    1巻682円 (税込)
    《まえがきより》  近年の日本人は、世の中が理想通り動くのが当たり前、と思うようになった。ところが、戦前の日本の現実を知っている世代の私などは、いつの時代だって現世は思い通りにならなくて当たり前、と思って来たのである。これが大きな違いだ。  思い通りにならない世界だから、文学も絵画も映画も生れるのだ。(中略)絵画も映画も、皆作品にこの悲しみの世の一部を必ず切り取って埋め込んで来たのだ。  その悲しみや不運をどう処理してきたかが、個人の歴史そのものなのだ。(後略)  悲しみや苦悶を抱えながら、人はどうすれば清らかに生きていけるのか。真面目な人生のための道標となる貴重な一冊。
  • 老いを生きる技術

    老いを生きる技術

    小説・文芸

    -
    1巻814円 (税込)
    人生100年時代、老いを感じてからが、人間、真剣勝負のとき。老いは学びの宝庫。長い「老いの時間」を軽やかに生きるための処方箋。
  • 夫の後始末

    夫の後始末

    小説・文芸

    3.8
    1~2巻916~935円 (税込)
    夫・三浦朱門はある日、崩れるように倒れた。私は日々刻々と夫の精神活動が衰えるのを感じた。その時から、覚悟を決めたのである――。作家・曽野綾子が80代なかばにして直面した、90歳になる夫の在宅介護。「介護とは」「看取りとは」そして「老いとは何か」を自問自答する日々が始まった。すべての日本人に知ってほしい、夫婦の愛のかたち。
  • 思い通りにいかないから人生は面白い

    思い通りにいかないから人生は面白い

    ビジネス・実用

    4.5
    1巻814円 (税込)
    ≪大好評の痛快エッセイ、待望の文庫化!≫共感の声、続々!人生の大切な気づきと示唆がこんなに!読むたびに心が満たされ、人生の質が自然に高まる本●読めば心がスカッと爽やかに豊かになる、人生の極意!・人は必ず誰かに好かれ、必ず誰かに嫌われる・「火宅」が私を鍛えた・努力が報われない時、どうするか・人は苦しみの中からしか、ほんとうの自分を発見しない・すべては善と悪の中間にある・生き延びる才覚を磨く …etc.●人生がもっと楽に面白くなる!  生き方すべてのヒントがここにある!!人生はうまくいかないことがあるのが当たり前。思い通りにならないことを容認できることで人間はふくよかになって、人生にいい香りがしてくるのです。 …著者

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  • 火山列島
    値引きあり

    火山列島

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    大学の医学部教授・仁王慶一郎は、主治医として、国光家に行くことが多かった。彼は、国光夫人・安芸子の、憂いに耐えた姿に、惹かれることがあった。ある日、仁王は、その秘密に、かかわりを持つ。主治医としての立場に、とどまることができなかった彼が、その秘密の糸をたどって行くうちに、戦争の前後に起こった、幾つかの悲しいできごとが甦ってきた。しかも、それらは、彼自身の家庭とも、関係があった。八丈島、熱海、九州・飫肥という3つの火山地帯を結ぶ、愛と憎しみの歴史を描きながら、現代に失われた心の問題を、執拗にさぐった、清冽な美しいロマン!
  • 必ず柔らかな明日は来る

    必ず柔らかな明日は来る

    小説・文芸

    -
    1巻693円 (税込)
    著者の数多くの著作や新聞・雑誌コラム、対談といったものの中から選りすぐった言葉、文章。 生真面目すぎる生き方よりも、笑って過ごせる粋な人生を生きたほうがいいのではないかという。 ささくれだった心や複雑化した人間関係を和らげることや、荒れる子供たちをどう考え、国家を愛することとはどういうことか、と著者の意識は広がっていく。 そして誰もが迎える「老」と「死」について考えることは大切なことで、それが後悔のない人生、明日を信じて歩むことにつながっていくと提言する。 一読だけでは乱暴に思えるかもしれないが、その裏にはキリスト教者としての人々に対する無償の愛がある。 含蓄深い言葉の数々だ。再読、再々読すべき箴言集。
  • P+D BOOKS 神の汚れた手(上)

    神の汚れた手

    小説・文芸

    -
    1~2巻880円 (税込)
    産婦人科の日常を描き“生命の尊厳”を問う。 舞台は三浦半島の小さな産婦人科医院。主人公の医師・野辺地貞春の下では、不妊治療や出産、中絶と、さまざまに行き交う人々の喜びや苦悩が日々交錯している。なかでも中絶手術は、戦後、患者が公に語ることなく行われてきた大規模な医療であった。 綿密な現場取材に基づき淡々と描かれるそれぞれのケーススタディは圧倒的なリアルさで、小説という概念を超える。産婦人科医は生命の誕生に立ち会い、そして同時に中絶という形で一つの命を消し去るという、他の医療には見られない光景が映し出される。生命の尊厳を鋭く問うた“衝撃の問題作”の上巻。
  • 合本・人生を照らす全3冊

    合本・人生を照らす全3冊

    小説・文芸

    -
    1巻1,930円 (税込)
    曽野綾子作品では初めての3冊合本。「本物の『大人』になるヒント」「失敗という人生はない」「晩年の美学を求めて」からなっている。 「本物の『大人』になるヒント」は、心をただしく生きていくためのヒントとなるエッセイ、「失敗という人生はない」は、曽野綾子作品のなかから選りすぐった味わい深い文章を集めた箴言集、「晩年の美学を求めて」は、人生を深く考えるきっかけとなるエッセイとなっている。 これから歩むべき道を前に心新たにした時、人生を振り返りたい時、立ち止まって人生の行く末を考えたい時、必ずや、励ましとなる3冊合本。
  • キャンパス110番
    値引きあり

    キャンパス110番

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    芳土女子大学の学生である佐藤ノミエの綽名は、キャンパス110番という。キャンパスは、校庭の意味。事ある所には、彼女がいつもパトロール・カーのように現れて、あざやかに事件を解決していくからだ。粋で、おしゃれで、冒険好き、行きずりの男の子とのキッスなんかへいちゃらで、適当に正義派で人情家で、気はやさしくて合気道の達人というノミエが、東北出の重タンクを思わせる松子と組んで、手当たり次第に演じるボーイ・ハントのアバンチュール、笑いと涙のタッグ・マッチとは……。青春の息吹にむせる、生きのいい現代娘のスカっと胸のすくような無責任行状記。
  • 90歳、こんなに長生きするなんて。

    90歳、こんなに長生きするなんて。

    小説・文芸

    4.0
    1巻1,320円 (税込)
    夫の看取り、二匹の猫との暮らし…… 静寂の中で人生の最終章を迎える喜び さまざまな世代から共感の声続々。 「人生100年時代」をどのように穏やかに全うするか。 その極意を明かす。
  • 今日も、私は生きている。 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味

    今日も、私は生きている。

    小説・文芸

    -
    1巻1,540円 (税込)
    92歳になる著者が、これまで数多くの国や地域を巡って実感した「生きること、死ぬこと」の本当の意味とは? 富める人、貧しい人、キリスト教徒、イスラム教徒……それらの出会いで知らされた「勝ち負けのない人生」を説く。これまでの価値観を問い直す、背筋が伸びる名エッセイ集。
  • ギリシア人の愛と死

    ギリシア人の愛と死

    小説・文芸

    4.0
    1巻660円 (税込)
    トロイア戦争とオデュッセウスの流浪の物語ーースパルタの女王とトロイアの王子の不倫の恋が、戦争の発端となった。憎悪、好色、策謀、友情、生の渇望と死への恐怖に満ちた10年戦争の果てに、トロイアは滅び、英雄たちは死に、オデュッセウスは故国まで20年もの流浪の旅を送る……。運命に操られ翻弄される人間の姿は、現代の人間ドラマそのものではないだろうか。
  • ギリシアの英雄たち

    ギリシアの英雄たち

    小説・文芸

    5.0
    1巻660円 (税込)
    神託どおり実の父を殺し、実の母と婚姻をむすんだオイディプス王の、無惨な最期。夫の裏切りにわが子の命を賭けた、王女メディアの慟哭。『ギリシアの神々』につづいて、ギリシア悲劇の原典をやさしくひもとく、常識としての英雄伝。栄光の陰にうずまく呪いと裏切りの世界を甦えらせる人間劇場。
  • ギリシアの神々

    ギリシアの神々

    小説・文芸

    3.5
    1巻660円 (税込)
    ギリシア神話を知りたいあなたへ! ーー愛の物語・ギリシア神話を生き生きとやさしく書下ろす。絵画・彫刻・オペラなどの西洋芸術に接したり、外国人と会話を交わしたりする時に必要とされる「常識としてのギリシア神話」。若い世代のために、さまざまな愛の物語の宝庫としてその面白さをストレートに伝える必携の1冊。
  • 雲の白い日に

    雲の白い日に

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    静岡・清水港が見える斜面に腰を下ろし景色を眺めている、3人の女子高生。といっても卒業式は昨日終わっていて、一人はお見合い結婚が決まっていた……。彼女たちの恋愛と成長を描いた表題作と、「永遠の横顔」を収録。
  • 愚痴のすすめ

    愚痴のすすめ

    小説・文芸

    -
    1巻1,540円 (税込)
    「物事には表も裏もある」ということを前提に、本音でぶつかることの大切さを徹底的に説く。ただ、それで変えられることもあるし、変えられないこともある。不都合が起こったら、たまに愚痴るのも悪くない。日常の些細な出来事をベースに人の生き方をシンプルに問う一冊。2016年に刊行された『さりげない許しと愛』(海竜社)を元に大幅に加筆修正いたしました。
  • 結局、人生の最後にほしいもの

    結局、人生の最後にほしいもの

    小説・文芸

    5.0
    1巻1,320円 (税込)
    5万部ヒットの新書「人生の値打ち」に特別話を加えて単行本化! 厄介事も多い人生だったが、身のほどの幸せとともにひっそりと消えていきたい。 身のほどを知る人こそ厄介な世の中の「骨頂」を味わえる。 女も男もなく「孤高」を愉しむために必要なことを学ぶ21話。 この複雑で厄介な世の中で、自分を見失わずにその使命をまっとうする生き方とは?
  • 結婚は、運。 夫婦、この不思議な関係

    結婚は、運。 夫婦、この不思議な関係

    小説・文芸

    -
    1巻1,200円 (税込)
    夫婦の生活が幸福なら人生は信頼するに足りるものとなり、夫婦の生活に憎悪が入り込んでくれば現世は懐疑に満ちた世界になる。極限の愛から一方の裏切りによって極限の憎しみへ。亡くなれば極限の喪失感へ――本書は、結婚で幸せになれるかなれないか、自身の体験をまじえて綴った名エッセイの新装復刊したものを電子書籍化。「狭量な夫は、家庭の暗さの原因になる」「結婚式の相談で相手が嫌になって破断したというのは、災いを最小限にくいとめた幸運と思うべき」「人が本気で気にしていることは、どんな喧嘩の最中でも言ってはいけない」「結婚を望むと言いながら、会わない前に条件をつける人は、結婚ではなく商取引を望んでいるだけ」など、読者の結婚と人生の参考になる知恵がつまっている。夫・三浦朱門氏を2017年2月に空の上に送った著者が最後の日々を書いた「忘れるための月日」を巻頭に特別収録。亡くなってもなお変わらないおしどり夫婦ぶりが伝わってくる。
  • 結婚は、賭け。 夫婦、この不思議な関係

    結婚は、賭け。 夫婦、この不思議な関係

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻1,300円 (税込)
    結婚だけではない。私は自分が努力家でないせいか、すべてものごとの結果は最終的には運だ、努力ではない。と思っている。(「はじめに」より抜粋)夫婦とは、結婚とは滑稽なもの。時には50年以上も一緒に暮らすことになる夫婦だが、わかり合えないから、理不尽だからこそ面白い。夫婦とは、家族とは、人生とは何か――。おしどり夫婦と言われてきた作家の三浦朱門との生活を綴った名エッセイが新装復刊されたものを電子書籍化! よく計算して決めたはずの結婚が、しばしば続かない例は世間に多いし、予期しなかった相手の性格が、夫婦の危機を救う場合もある。「ほとんどすべてが、予期しなかった結果」であるのが、結婚というものかもしれない。(「はじめに」より抜粋)
  • 紅梅白梅

    紅梅白梅

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    都築(つづき)少尉の戦死は、不名誉なものだった。たった一度の契りだったが、彼の汚名を晴らしたかった山邑(やまむら)ひなは、その死の謎を追った。なぜ、彼は死に急いだのか? 停電した嵐の夜、作家の私を訪ねたひなは、台所のガスを明かりにして話し始めた。苛酷な状況の中で生きることを余儀なくされた人間の運命を描いた長編。
  • 幸福という名の不幸(上)
    値引きあり

    幸福という名の不幸

    小説・文芸

    -
    1~2巻462円 (税込)
    父母の慈愛を春の曙のように受けて生まれた娘・榎並黎子は、17の時に父を失う。不幸がその姿を現わし、黎子は、ある外国系紅茶会社の東京支社長・余語の秘書として、社会に出る。幸福な結婚を夢みる彼女の心に、さまざまな波紋を投げかけ現われ消えてゆく、さまざまな男たち。その遍歴の中で男たちへの、社会への目は、深く、陰影を含んでゆくのだった。<上下巻>
  • 幸福は絶望とともにある。

    幸福は絶望とともにある。

    小説・文芸

    3.5
    1巻1,540円 (税込)
    自身の経験にもとづく問題提起を行ってきた著者が、閉塞状況の日本に一石を投じるエッセイ。 1997年から2000年に毎日新聞、産経新聞などに掲載したものをまとめて単行本化した書籍の改装版。 生の出発点を見失っていないか 受けるより与える方が幸いである 人間は一筋縄ではいかない 人間の不純な哀しさ、優しさ、香しさ 人間が人間になるために 人生の美学に殉じるために など
  • 午後の微笑
    値引きあり

    午後の微笑

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    神保羊子は、雑誌の編集の仕事をしている。取材で知り合った作曲家・郷雪生の、芸術家ぶらないナイーヴであたたかな人柄に魅かれ、病気で寝込んだ郷を放っておけずに、徹夜で看病する。その夜以来、郷の胸のなかにも、羊子の姿が強く灼きついて、お互いに愛しあうようになる。そして、結婚の約束をしたふたりの前に、郷が貧乏な留学生であった昔の恋人の密石麗華が、今は実業家の国分夫人となって出現する……。虚偽を許さない若い娘の心に写った「傷ついた世代」の苦悩を通じて、つねに裏切り合いながら救いを求めている、人間の魂の深部とさまざまな愛の想いを、鮮やかに、綿密画のように描きあげた長編小説。
  • この悲しみの世に
    値引きあり

    この悲しみの世に

    小説・文芸

    4.0
    1巻462円 (税込)
    異父姉弟とも知らず不倫の愛におちた人妻。聖地への旅に始まる至高の愛を描く問題作。極限の愛と悲しみを描く恋愛大作! ――私たちが「この悲しみの世に」あると思うこと以外の認識は、すべて幻想です……。不倫の愛におちた人妻・節子と年下の青年・善彦は、ある日、自分たちがこれまで別れ別れに生きてきた異父姉弟であると気づく。断ちきれぬ愛の流れのままに、節子は男子を出産した。聖地への旅に始まる、至高の愛を描く、長編小説。
  • この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人

    この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人

    ビジネス・実用

    3.8
    1巻1,100円 (税込)
    日本人は長年「もの分かりのいい人」を演じてきた。弱者保護や被害者救済など一見、弱い者の側に立つふりをし、政治家は票欲しさに「ばらまき」政策を行なっている。その結果、わが国は過去最多の214万人を超える生活保護者を擁する「よい国」になった(2012年)。しかし、彼らは本当に自立できない人たちなのか。いまの日本は本当に職がないのか。そう問うことは禁じられている。ボランティアについても、人の世は、一ついいことをしようと思うと、必ず不都合と苦悩が出てくる。人生にも「あれか、これか」という形の歯切れのいい選択はない。メディアは社会や国家の批判はしても、本質的につきまとう人生の不都合や不自由を見せない。これが「日本の偽善」である。「権利」という言葉は、誰かのため、何かのために自分が我慢し、犠牲になることがある、という想像力を失わせてしまう。一所懸命働いて税金を納める、まずそこから始めるべきではないか。
  • コロナという「非日常」を生きる

    コロナという「非日常」を生きる

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻990円 (税込)
    コロナ騒動をクールに分析。「いざという時」を全く知らない若者には「非常時の体験」をさせるがいいと。戦時中の思い出と共に現代を鮮やかに解析する。
  • 砂糖菓子が壊れるとき
    値引きあり

    砂糖菓子が壊れるとき

    小説・文芸

    -
    1巻462円 (税込)
    映画スター・千坂京子は、無名だった頃、お金のためにヌードを撮らせたことがあった。教育のない彼女は、人一倍知的なものに憧れたのに、世間はその1枚のヌード写真のために、彼女に肉体女優の烙印を押した。京子は、あるときは烙印の痛みから逃がれるために、あるときは自分が高められると信じて、つぎつぎに、男の胸の中に顔をうずめた。男たちは、それぞれに、彼女の中に光を放っている純粋さを知っていた。しかし、京子の魂は、どの男によっても、安らぐことができなかった。……幸福を空しく追い求める美貌の女の短い生涯を、乾いた叙情で歌いあげた名作!
  • 死学のすすめ - 死はおそれるものではなく学ぶもの -

    死学のすすめ - 死はおそれるものではなく学ぶもの -

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻1,100円 (税込)
    老いも病いも楽しめる 人生の後半に必要な操作は、許容、納得、断念、回帰 長生きすればすれほど、死は身近なものになる。死から目をそらすことなく、死を意識して生きてこそ、限りある生が輝く。 本書は、高齢者のための死学講座として、幼少の頃から死に向かう志向があったという著者の死生観をあますことなく紹介する。あらゆるものは貸し出されたものにすぎない。 自分に謙虚になることで、一生を振り返る 知覧一青年たちは何のために死んだか マルクス・アウレリウスの『自省録』 死者が残すべきは「身軽くて温い記憶」 いい離婚は経験豊かな人にしかできない 晩年の義務は、記憶さえ押しつけがましくは残さないこと 【著者プロフィール】 曽野綾子 (その あやこ) 1931年、東京生まれ。聖心女子大学英文科卒業。 1979年、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章受章。 1993年、恩賜賞、日本藝術院賞受賞。 1997年、海外邦人宣教者活動援助後援会代表として吉川英治文化賞ならびに読売国際協力賞を受賞。 1998年、財界賞特別賞を受賞。 1995年12月から2005年6月まで日本財団会長を務める。日本藝術院会員。 2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会代表。 2009年10月から2013年6月まで日本郵政株式会社社外取締役。 著書に、『思い通りにいかないから人生は面白い』(三笠書房)、『夫の後始末』(講談社)、『長生きしたいわけではないけれど。』(ポプラ社)、ほか多数。
  • 死生論

    死生論

    小説・文芸

    3.0
    1巻1,100円 (税込)
    人間が生きて死ぬということ 人間には自分が本来果たすべきだった任務を果たして死ぬという大きな使命がある筈だ。 私にも、いつも私がやるべきだと思われることがあった。 死を自覚してこそ自由になれる 人間が平等であるということは、すべての人に死が一回ずつ必ず与えられていることによって納得できる。その代わり二回死ぬ人もない。 死ぬ運命を見極めると、逆にしたいことがはっきり見える。どうでもいいこともわかる。だから時間をむだにしない。 日常の幸福があふれ出す珠玉の言葉 《主な内容》 ■(1) 途方もない解放 ■(2) 人間の弱さといとおしさ ■(3) 「不便さ」の効用 ■(4) 善良で最悪な社会 ■(5) どこまでが「ひとごと」か ■(6) スローモーションの生き方 ■(7) 危機に学ぶ ■(8) 職業に適した年齢
  • 失敗という人生はない

    失敗という人生はない

    小説・文芸

    5.0
    1巻770円 (税込)
    「人間万事泣けば(相手より)下、腹を立てれば対等、笑えれば上。」 「自分を追い詰めないようにすること。その方法は、何にでも『たかが』をつけて考えることで。」 「何がどうあろうとも、私たちの望まぬ試練が、私たちを強めるということは真実なのである」……。 現代を透徹した目で見つめ、数々の作品を紡ぎ出してきた曽野綾子の珠玉の言葉を集めた箴言集。 漠然としていた惑い、モヤモヤしていた疑問について、力強い言葉で伝え、一歩前に進むための勇気を与えくれる貴重な一冊。 六章立て 人生に失敗ということはない  生きるということ  人生に完全はない  人間は運命を選び取ることができるか  この悲しみの世に  死によって人は高められる  よく死ぬことはよく生きること  死を意味あらしめるもの 愛は生命そのものである  その人のために死ねるか  愛される資格  結婚とは、相手の総てをコミで引き受けることである  夫婦は、自分の未知の部分を相手によって発見する  許した時だけ人は本当に愛を自分のものとする  “老年”は精神の完成期である 神は私たちひとりひとりの中にいる  神は人間を束縛するのではなく、解放する  信仰は報いられない人生を祝福する  生命に関することは総すべて神の仕事である  祈りの力  覚えたる罪と覚えざる罪  この世のすべては神の作品である 無力からの出発  強い人、弱い人  愚かで盲目だから可能性をもつ  完全な善人もいない。完全な悪人もいない  悪を認めることによって人間の深さを知る  断念は敗北ではない。新たな希望である 持てる能力を生かす  足し算の幸福、引き算の不幸  本当の自由を手にするには  苦しみが人間をふくよかにする  貧しさは神からの贈り物である  与える歓よろこび、損のできる強さ  昏くらいからこそ私たちは勉はげむ  責任をとるのは誰なのか “私”は人々の中で生かされる  この世で不用な人は一人もいない  一生はひとと共に始まる  親は子供にとって土である  生活は自分で選びとるもの  本職とは書いてこそ作家、教えてこそ教師である  人間は国家によって生かされもするし、殺されもする
  • 死という最後の未来

    死という最後の未来

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻617円 (税込)
    キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。 対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。 死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは。 歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんなふたりが「人は死んだらどうなるのか」「目に見えない何か、はある」「コロナは単なる惨禍か警告か」「悲しみは人生を深くしてくれる」等々、老いや死、人生について語り合う。老境のふたりにとっての孤独や絶望、諦観や悲しみ、そして希望とは。
  • 至福の境地

    至福の境地

    小説・文芸

    4.0
    1巻660円 (税込)
    生活し、読書してこそ、意味のある人生になる。心の豊かさのために――生活と読書、そのどちらも、私にとっては、なくてはならない快楽である。直接体験したことに、書物から光を当てたとき、人生は、より多角的で、陰影の深いものになるだろう……。心の豊かさを求め、自分が自分という人間の主人公でありたいと、願ってやまない人たちに贈る、「自分の顔、相手の顔」シリーズ第4弾。
  • 社長の顔が見たい 上

    社長の顔が見たい

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    何かがふっと気になった時、腑に落ちない「何か」を感じた時、生きていくうえで迷った時、その迷いの原因がわからない時、本書が役に立つことでしょう。物事に隠されている真実、普段の意識では見抜けない核心、生きていくために必要な「何か」が、きっと見えてくるはずだ。多岐に渡るテーマを真正面から見据える曽野綾子の目線は、時に辛辣だが、温かであり、力強い。我々の心を励ましてくれるのだ。
  • 新装版 幸福の王子

    新装版 幸福の王子

    小説・文芸

    4.0
    1巻1,430円 (税込)
    ※この電子書籍は固定レイアウト型で配信されております。固定レイアウト型は文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「どの作家にも、この一作を書き終えたら死んでもいいと思う作品があるはずである。 もし私がオスカー・ワイルドなら『幸福の王子』はその作品だ。 この作品は世界の文学史の中できらりと光る頂点に立つ作品であることは間違いない。 (「あとがき(曽野綾子)」より一部抜粋)
  • 新装版 自分の始末

    新装版 自分の始末

    小説・文芸

    -
    1巻1,045円 (税込)
    20万部突破のベストセラー、待望の新装版! ≪人生を「楽しく」畳む知恵!≫ 「私たちは一瞬一瞬を生きる他はないのだから、その一瞬一瞬をどう処理するか、私はずっと考えて来た」――(本書まえがきより) 【特別収録つき!】 ・心がけひとつで、おもしろく自由になれる ・毎日料理をすること、時々旅をすること ・「負の財産」を尊重する ・「退屈すること」の偉大さ  ・病気を宣伝しないこと ・「世間が」ではなく、自分のしたいことをする ・一日に一つだけ積極的に物事を片づける  ・孤独とのつきあいかた  ・一生の思い出はくだらないものでいい ・終生、謙虚であること……etc. 【目次】 1 定年後を輝かせる「新たな仕事」 2「不純」の大いなる効用 3 どうすれば運命を使いこなせるか 4 現実を受け止められないとき、行き悩むとき 5 問題は「どう生きたか」 6 人生の思いがけない「からくり」を知る 7 遠距離「世間」のすすめ 8「自分の時間」を管理する知恵 9 ささやかだけれど贅沢な生き方 10 自分なりの「始末のつけ方」
  • 自分の顔、相手の顔 自分流を貫く生き方のすすめ

    自分の顔、相手の顔 自分流を貫く生き方のすすめ

    小説・文芸

    4.0
    1巻764円 (税込)
    少しは「まとも」でいたい人のために、筋のとおったエッセイ――「失われた10年」を過ぎても、日本人は、人間としてのまっとうな感覚が、こわれたままだ。過度の贅沢や安楽の果てに、わたしたちは、思いもかけぬところに行こうとしているのではないだろうか……。もう一度、確固とした価値観を模索し、よく生きようとする人への、「曽野綾子流考えるヒント」が満載の、辛口エッセイ。
  • 人生の決算書

    人生の決算書

    小説・文芸

    3.0
    1巻1,700円 (税込)
    シンガポールのマンションを舞台にした連作小説『タンブス荘の人々』、原稿用紙数枚の中に小説の妙味を盛り込んだ『掌で掬う人生』、ベストセラー『老いの才覚』に通じる名エッセイの数々と、バラエティーに富んだ内容です。
  • 人生の値打ち

    人生の値打ち

    小説・文芸

    4.0
    1巻880円 (税込)
    「身のほど」を知る人こそ厄介な世の中の「骨頂」を味わえる。 女も男もなく「孤高」を愉しむために必要なことを学ぶ21話。 この世には男も女もない。「人間」として人生をまっとうする手立てを豊富な体験をもとに真摯に問う。 この複雑で厄介な世の中で、自分を見失わずにその使命をまっとうする生き方とは?
  • 人生は、日々の当たり前の積み重ね

    人生は、日々の当たり前の積み重ね

    小説・文芸

    4.0
    1巻880円 (税込)
    夫の三浦朱門が亡くなって2年が経つ。知り合いには「私は同じ家で、同じように暮らしております」といつも笑って答えている。見た目の生活は全く変わらないが、夫の死後飼い始めた2匹のネコだけが、家族の数を埋める大きな変化である――老後の日常と気構えを綴るエッセイ集。 ●母も夫も亡くなった今、私は監督される人もいないから、思うままに暮らすことにした。生まれてこの方味わったことにない自由の境地である。猫を抱いたまま、「二人」で眠ってしまうこともある。 ●与えねばならない仕事があるということは幸せなことだ。それがないと「自分がしてもらう」だけの立場になり、運動能力、配慮、身の処し方、すべてが衰えてくるだろう。 ●人間は与えられているものの価値は、すぐに忘れるか、評価しない。しかし「ないものを数えるより、あるものを数えたほうがいい」という幸福の極意は忘れないようにするべきだ。そして更にあるものを増やしていけば、日本人は幸福な国民になれるはずなのである。 ●死期だけは、人間の分際で介入してはいけない。治癒するために一応努力してみて、その結果はもはや「人間業」ではないのである。だから人間は、その個人として最も適切な年齢に死ぬようになっている。その自然な運命を乱すのが、事故と戦争だから、この二つの社会現象だけは起こさないように、社会は努力すべきなのである。 ●私が常に人生で「最悪」を想定して生きるようになったのは、自分を守るためだったのだと思う。現実が想定していたより幾分でもマシであれば、絶望せずにすむからだ。それに、しょせん人生なんてその程度のものだと、私は思ったのだ。完全なんてありえない。何かがいつも欠けている。どれかを諦め続ける。それが私の人生だろうと、考えるようになった。
  • 人生を整える 距離感の作法(マガジンハウス新書)

    人生を整える 距離感の作法(マガジンハウス新書)

    小説・文芸

    5.0
    1巻880円 (税込)
    <マガジンハウス新書創刊第3弾> 「付かず離れずが心地いい」― 親子、夫婦、友人知人、死、運命…… ほどよいつき合い方50の知恵! 今回のコロナ禍では「三密を避けろ」と言われたが、コロナがあろうとなかろうと私はもともと密になるようなところへは行かないたちである。 先日、「最近、外出する際に着ていく服がないな」とふと思ったら、私はここ五年ほどデパートにも出かけていないことに気づいた。 コロナに関して言えば、友人や知人、またその家族にコロナにかかった人がいるという話は聞かないし、自宅に通ってきてくれている秘書たちとのあいだでもコロナは話題にもならない。 ところがテレビのニュースでは「ソーシャル・ディスタンス」という言莱が使われ続けている。 コロナの蔓延によって自宅にいる時間が増え、そのおかげで家族との関係が深まったり、逆にぎくしゃくしたり、離婚が増えたりといった話も聞く。 この災難を経験して、誰もがこれまでに感じたことのない「人との距離感」について考えはじめた。穏やかな日常より、どうにもならない運命の荒波の中に置かれたほうが、より明晰な人間らしさが見えてくるものなのだ。 ただ私は、子供のころから人との距離感について折に触れ考えてきた。それは両親が不仲であったことや、自分自身が近視で人の顔が識別しづらかったことなどに起因していると思う。 また、私はクリスチャンということもあり、人間同士のいざこざも「人間の分際で」と俯廠して見てきたところもある。……(「まえがき」より) 親子や夫婦、友人知人との付き合い方から、死や運命との向き合い方まで―、ベストセラー作家が教える、人生を豊かにする極意! ●「敬称」はあったほうが便利である ● 多くの場合、「差別」ではなく「区別」 ● 「親のために」と心をこめては駄目 ● 子供は、親の思い通りには育たない ● 夫婦喧嘩でも、言ってはいけないこと ● 相手の「聖域」には踏み込まない ● 死との距離感が巧みだった、かつての日本人 ● どんなに努力をしても、運命には逆らえない etc.
  • 少し嫌われるくらいがちょうどいい

    少し嫌われるくらいがちょうどいい

    小説・文芸

    4.2
    1巻1,540円 (税込)
    シリーズ累計22万部突破! 今すぐ「いい人」をやめなさい。人間関係の煩わしさほど、人生を豊かにするものはない。人間関係はむずかしい。それだけに稀にうまくいった時の嬉しさは貴重だし、うまくいかなくて当然の苦しみが、私たちの心を柔らかなものにする。自身の体験をもとに記した「人生百年時代」を歩むための21の道しるべ。

ユーザーレビュー

  • 老いの才覚

    Posted by ブクログ

    老後はあらゆることに対して「若い頃とは違う」ということを意識して考え方を変えないといけないことを認識しましたが、やはりそれは少し悲しいことです。

    0
    2025年05月17日
  • 人は星、人生は夜空 2019年版

    Posted by ブクログ

    25歳の時に読みました。未婚(女)です。
    自分の将来に対する不安や過去の後悔で悩んでいた時に読みました。
    結婚生活や人生、人間とはどういったものなのか物語の話の1部を切り取って載せて頂いているので感情移入しやすかったです。
    自分や他人に対する考え方を改める良いきっかけになったと思いました。

    0
    2025年02月14日
  • 新装版 幸福の王子

    Posted by ブクログ

    (小6男子)久しぶりに絵本も読んでみようと思い、父におすすめを聞いたところ「幸福の王子」を渡してくれたのがきっかけです。人の役に立ったり、心優しく受け止めたりするとその代わりに何かを失ってしまいます。しかし、その良い行いは誰かが見てくれており、いずれ尊い存在にもなれるということをこの絵本は教えてくれました。周りのために一生懸命尽くしている人におすすめです。なぜなら、今は良いことをしていたことを周りの人に気づかれていなくても、誰か一人でも見ているはずだから、後から気づかれるようになり、尊い存在になれるからです。

    0
    2025年02月06日
  • 私の後始末

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    私の後始末
    著:曽野 綾子
    ポプラ新書 164

    いい人にならず、本音で老いを愉しむ269の極意とあり

    世間体を気にして、生きるのではなく、自分に正直に生きる

    「今日一日をせいいっぱい生きる」というのがいい

    信じる宗教は違えど、兼好法師や親鸞らと同様、彼女も日本の伝統的精神の時の流れの中にいると感じました

    また、「いい加減でもいい」、というのもいい

    手抜き歓迎、生きぬくためであれば、悪もまたしかり、言葉だけの正義ではなく、人として生きる

    気になったのは以下です

    ■本音こそ人生の歓び

    ・あとは野となれ、山となれ

    ・日本人の多くは、性善説である。そのほうがうるわしいことは分かり切っているのだが、私は自分の心を眺めて、昔から性悪説を取ることにしたのである

    ・どんなに親しくても、しょせんは別の人間です。性格も、考え方も、感性も違うのですから、人を完全に理解できるはずはない。だから、自分のことも、ほんとうに理解してもらえるなどということは不可能だと思い、あきらめています。

    ・「人は皆平等」などというのはウソっぱちです
     「実際に平等である」ということでも、「人は平等になれる」という保証でもありません

    ・まわりに合わせたがるというのは、一番卑屈な精神のように思えます
     付和雷同するという勇気のなさを示していてもっとも魅力がないものに映ります

    ・人間は一人で生まれて来て、一人で死ぬ

    ・要するに、どんな死に方でもいいのだ。一生懸命死ぬことである

    ・驚くべきことに、青春さえも本当に理解できるのは、晩年になってからだということが、私はこの年になって知ったのである

    ・現世はろくな場所ではない、と思ったおかげで、私はその後、それよりはるかにましな世界を見た。
     すべてのものは比較の問題なのだ

    ・人がするからいい、のではないのである
     人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり品位である

    ■ままならぬ状況を生きる

    ・人生は、何が勝ちで何が負けなのか、その時々にわからないことだらけです

    ・光を描くには、影を描くより仕方ないんです
     光そのものは描けないから

    ・すべて人生のことは「させられる」と思うから辛かったり惨めになるので、「してみよう」と思うと何でも道楽になる

    ・人して生きていく以上、自分には、裏表がある、という自覚が必要です

    ・これだけ、おもしろい人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい

    ・人間は死ぬまでに、いくら年を取っていても、死の前日でも、いつでも生き直すことができる

    ・手抜きだから続くこともあり、ずるいから追いつめられもせず、怠けの精神が強いからこそ、新しい機械やシステムの開発につながる

    ■「いい人」を今すぐやめなさい

    ・世間からどう思われていい
     人間は、確実に他人を正しく評価などできないだから

    ・何でもいいから大勢とはとにかく反対の方角で、しかも少し自分が好きなことができたら、確実に生きられるだろう、と思いますね

    ・私たちは自分の目に入るすべてのことを、すべて一度は疑うべきです
     人を疑う能力がなければ、ほんとうには人を信じることもできません

    ・人は大体誰もが平凡で、「ろくでなし」で「能なし」である
     今までうまくやってきたとすれば、運がよかったか、他人が図らずもかばってくれていたからに過ぎない

    ・人間関係の普遍的な基本形は、ぎくしゃくしたものなのである

    ・品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう
     自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところ、拒否すべき点を明確に見極め、その中にあって、決して流されてないことである
     その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければならない

    ■あきらめる生き方

    ・諦めることは成熟に通じる

    ・求めるより与えることで満たされる

    ・どのような境遇の中でも、心を開ければ必ず何かしら感動することはある
     それを丹念に拾い上げ、味わい、そして多くを望まなければ、これを味わっただけでまあ、生まれないよりはましだった、と思えるものである

    ・私は何でもすぐ「そんなことでは、人は死なない」と言うのが癖になった
      「少しぐらいゴミがあっても死なない」
      「少しぐらい食べなくても死なない」
      「少しぐらい汚くて死なない」

    ・不運は簡単にやって来るが、幸運は当てにならない

    ■自由になるための究極の選択

    ・最終的な幸せは「考えて行動する」ことにかかっている

    ・報われなくてもやろう、と思う時に悲惨な現実を超える

    ・誰かに理解されなかろうと、どんなふうに思われようと、庶民にとっては大したことないんです
     自分がいいと信じることを、最終的には静かに命の尽きる時までやる

    ・片隅に生きるということはほんとうにすばらしいことなのだ
     悪の影響は薄まり、思い上がるということなく済み、かつ、基本的な自由を謳歌できる

    ・したいことをするのが自由ではない
     人間としてすべきことをするのが自由なのです
     しかもすべきことを、気張ってやるのではなく、普通にさりげなくする

    ■あるがままのどこが悪い

    ・神は与えられた以上の能力を要求しない
     できる時に励み、できなくなったら祝福に包まれて休めばいい

    ・たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたまそこに居合わせた場所で、最善と尽くして生きればいいだけなのである

    ・どこでも死んでも同じである
     故郷で死ねば何かいいことがあるというわけではない

    ・人生の理解という事を、おそらく、七、八十年かけてもなしえないままに人間は死ぬのである
     東大に入るための勉強などというのは、学問でも教養でもない
     それは恐らく勉強という名の職人芸なのである

    目次
    前書き
    第1章 本音こそ人生の歓び
    第2章 ままならぬ状況を生きる
    第3章 「いい人」を今すぐやめなさい
    第4章 あきらめる生き方
    第5章 自由になるための究極の選択
    第6章 あるがままのどこが悪い
    出典著作一覧

    ISBN:9784591162064
    出版社:ポプラ社
    判型:新書
    ページ数:223ページ
    定価:800円(本体)
    2019年01月22日第1刷発行

    0
    2024年06月22日
  • 結局、人生の最後にほしいもの

    Posted by ブクログ

    1188

    曽野綾子さんの本読むたびにほんと大好きでファンになる。ほんと会いたいからファンイベやらないかな。書籍サイン会とか。

    曽野綾子
    東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。

    だから私は昔から、フェミニズムというものにほとんど関心がなかった。もともと違うのだから、補い合えばいいのだ。競い合い同等になる、という発想の方がおかしい。フェミニズムという言葉は女性解放、男女同権主義などと訳されている。しかし、すべての女性が、解放されなければならなかった存在だとは私は思わない。いわゆる形ばかりの解放など全く望んでいなかった人もいるし、封建的家族の中で暮らしていても、男性より偉かった女性の存在は昔からあったのだ。 確かに、農業や漁業に携わる人々の社会では、夫婦に子供が生まれると、男の子は高校にやらないでもないが、女の子にはその必要がないという空気がなくもなかった時代がある。私の父は、東京の下町に生まれたが、次男であった。家業は長男が継ぎ、次男の父が家を出ていく決まりになっていた。それで面白いことに、長男は旧制の中学を出ただけで充分とされたが、次男である父は大学にやってもらえたのである。しかし、兄弟平等などという思想は全くなかったらしく、私から見ると本家の伯父にあたる人はいつもおっとりと床の間の前に座っていたが、次男だった父は、中学生の時から毎日家中のランプのホヤの掃除をするという任務があったという。私は後年、アフリカの田舎の修道院でランプの生活をさせられた時、性懲りもなく、触れてはいけないランプの熱いホヤの部分に手を触れて火傷が絶えなかった。その時、父のこのランプ掃除の話を思い出したものである。

    地方の家庭には、そういうわけで高等教育を受けなかった女性がたくさんいた。確かにその人々の一部は、結婚した後も男性と同等の生活をしていたとは思われない。お父ちゃん達は農閑期にバスを連ねて熱海の温泉へ行くが、お母ちゃん達は置いてけぼりだったという時代が長くあったという事を私は知っている。 しかし、そのような不平等を彼女達は賢く楽しんでいた。つまり、煩わしいお父ちゃん達のご飯の支度をしなくていい数日の留守の間は、お母ちゃん達にとってけっこうな休日だったのである。

    もっともこの当時聞いた話で私が許せなかったのは、お父ちゃん達は少し体が悪いとすぐに医者に行くくせに、お母ちゃん達が歯が痛いと言っても歯医者にかからせてもらえないというものだった。そんな風にして大切な家族を冷遇して、どういう良い事があるのだろうと私は腹を立てたのである。

    一方女性の場合、何が力かというと、育むということだと私は思っている。直接子供を産むという行為もあるが、自分の子供だけでなく、あらゆる生命に対して慈母のような行動を取れることを私は女性の力だと感じている。 何度か書いた事があるのだが、或る時私は、南米のボリビアという国の田舎町で、日本人の神父が手助けしている結核患者の収容施設に行ったことがある。患者達の九割は、本来はアンデスの山地で暮らしていたのだが、働く場所のない山にいてはどうにもならないので、お金欲しさに町へ下りて来た人達である。ところがそこにも、半端な仕事しかなく、それも恒久的に働いて収入があるというものでもない。やがて彼らは安い酒を飲んで、荒れた生活をするようになる。酒を買うので、食べものもまともに買えない。怪し気な街の女と深い関係になり、国元に残してきた家族とは連絡も取れない。もしかしたら字も書けない人たちなのである。無論、ケータイなどというものを持てるはずもない。

    五十歳を過ぎてから、私は度々アフリカへ行くようになったが、気楽に知人を誘うこともあった。私は、六十四歳から七十三歳まで会長を務めていた日本財団(当時の日本船舶振興会)の企画で、そうした途上国に行くことも多かったが、外部から自費で参加したいという人を同行させることは拒否しなかった。新聞社やテレビ局だけでなく、私の知人の出版社の編集者を誘うこともあった。 すると主に女性からだが、質問を受けることもあった。「怖くないですか?」「危険はありませんか?」「暑くないですか?」「マラリアはないんですか?」「テロはないんでしょうね?」 答えはほぼ同じようなものであった。「まあ、怖くはないでしょうね」「危険はありますよ」「暑いですよ」「絶対にないとは言えませんね」「テロはねぇ……まあね……」 それらの災害にあまり遭うことはないと思うから、私はこういう旅の企画を立てていたのだ。しかし、全くないとは誰も保証できない。それらの僅かな危険を覚悟し、それに備えるような必要性のある旅だからこそ、私にとっては学ぶことが多かったのである。マスコミ風に言えば、それだからこそ、彼らも他社の記者には書けない記事が書けるはずである。 しかし私の誘った女性たちの多くは、危険を冒すことを嫌がった。

    男性でもほとんどのイスラム圏の国ではお酒が飲めない、ということだけで断った人もいた。いや、本音は私と行くのが嫌だったのかもしれないが……。 しかし多くの男性たちは、仕事のためには仕方なく、暑さも食事のまずさも、生活上の不便も耐えしのぶ。それらの代償を払わなければ、何一つ手に入らないことを知っているのである。 私は根っからの男女同権好きである。だから女性にも、この原則を覚悟してほしいのである。

    二〇一七年二月、夫が亡くなった。一人暮らしを始めて、まだ一年半ほどしか経っていない。もっとも、私の場合、一人暮らしと言っても、昼は秘書が雑用をしに来てくれ、夕方からはお手伝いの女性とお喋りする時間もある。それから、並べて書くのはいけないのだが、今うちには「直助」と「雪」という牡と牝の猫がいる。私は時々「雪」を抱いて寝ている。「雪」が真夜中近く、私のベッドに勝手に飛び込んで来ると、そのまま眠っているからだ。

    私の生涯の道楽は、旅行だった。行った土地について首尾よく作品に書くことになれば「取材旅行」、行ってはみたけれどどうも……ということになれば、遊びだったと思えばいいし、事実私はこの二種類の言い訳を、けっこう上手に、狡く使い分けていた。 私が最も贅沢をしたのはサハラ砂漠の縦断だった。来る日も来る日も何一つ景色に変化がない。そして人家一軒見当たらない。全く水がないから、住んでいる人は一人もいないのだ。そうした文字通りの砂漠を含む三千キロあまりを、四輪駆動の機能を持った車二台で走ったのである。ガソリンスタンドもないから燃料はすべて自分で持っている。燃料が切れれば、最悪の場合、死ぬ他はない。 その話をすると多くの人が、「そんな退屈で危険なドライブをするくらいなら、ヨーロッパ一周をした方がいいじゃない」と言うのである。全くその通りだし、砂漠の縦断は、車輛まで特殊仕様にしなければならなかったから、レンタカーでかなり贅沢にヨーロッパ一周をするより、お金がかかった。 しかし、数百キロの彼方まで、一人として人の住まない空間というものを、我々はなかなか体験できない。人のいない空間の主は、当然人間ではなくなり、昼は風と砂の、夜は星と暗い砂丘の支配する世界になる。これは、それまで私が見たこともないような夢幻的な空間であった。満月の夜、あまりの月の眩しさに、野営をしている私は、航空会社がくれたアイマスクをしなければ眠れなかった。そしてこういう月光を受けて眠る夜を過ごしただけで、私は「生きるに値した人生を生きた」と言えるし、納得して死ねるだろう、と思ったのである。 現世の物質的な贅沢が好きな人は、こんなもののために私が、当時なけなしの貯金をはたいたということが信じられないだろう。 しかし私は、砂漠の夜の途方もない空漠なる地表と、あまりにも壮麗な夜空を見られたことを、この上ない贅沢だと感じたのだ。その手つかずの地球の素顔のために、私は自分の時間と、いささかの危険とお金を捧げても悔いない、と思ったのだ。

    私は、大手の種苗屋さんが集めたガーデニング愛好家グループの会員になっているので、年に数回カタログも送られて来るのだが、そこには今年の「新製品」のような頁もある。「今年の新しい種と苗」である。新製品の創出の仕方を私は知らないが、望ましい特性を持った果物や野菜の種をかけ合わせて、新果物や新野菜を創るのだろう。小説を書くのもいいが、新しい野菜を創るのも楽しかっただろうなあ、と私は最近心が揺れている。 

    つまり大学で英文学などは学ばずに、農学部に行けばよかった、と少し後悔しているのである。学問は、実生活で役に立たないものほどいい、という人もいる。だから小説家になると決めていた私は逆に文学とは関係ないはずの法科に行ってもよかったのだ。小説を書くのにすぐ役に立つと思われる文学部ほど、実は小説の役に立たないものはなかった。皮肉なことに法学部出身者くらいしか読む必要のない特殊な月刊誌には、必ず短篇の種が二つや三つは判例として掲載されているのだ。それで私はその雑誌を取るのをやめた。その雑誌に頼っていると、あまりにも安易に小説を書けそうに思えたからだ。

    「犬と飼い主は似ますね。うちの犬は水をひっくり返す。妻もよくバケツをひっくり返すんです。防火用のバケツは一年中同じ所に置いてあるんですけどね」 会ったばかりの人に、こういう他愛のない妻の悪口を言う人ほど、多くの場合、夫婦仲は円満だ。

    会話力は、その人が過去どれだけ本を読んだか、いい友人を持っているか、普段の何気ない時でもしっかりと眼を開けて周囲を見ているか、というような姿勢にかかってくる。会話力は、全人生の結果なのだ。だから「付け焼き刃」ではできない。入試と違うのだから、別にそのための努力などしなくていいのだが、普段の生き方は大きく物を言う。 会話力を持つ人は、それだけで自分の他の特徴を消してしまう。その人が善人かどうかも、親戚に実力者がいるかどうかも、問題でなくなる。荒野で堂々と咲くアザミの花がみごとなようなものである。 荒野には風も吹き抜ける。家の中や温室とは違う。足許を野獣や野猫が踏んで通る。冬には雪も積もる土地である。しかしその中でアザミはのびのびと咲くのである。 会話力は、耐える力であり、観察力のたまものでもあろう。その二つの力さえ持っていれば、そしてさらに三つ目のものとして慎ましい気持ちを持って、絶えず周囲から学ぼうとする姿勢を崩さなければ、誰にでも必ず備わる才能のようにも思う。そしてその人の魅力を示す指数は、九割方、会話力にかかっているのである。

    私はもう年をとっているし、世間でいう社交のような付き合いをする必要がなくなっているのだが、若い時からかなり人付き合いが悪い人間だった。ほうれん草が嫌いという人がいるように、大した理由もなく、社交というものが好きではなかったのである。

    ところで、私の友達は幼稚園時代からの知り合いばかりである。私は幼稚園から大学まで一貫校に通った。受験してみても他所の学校には受からないのは明白だったので、そんな努力もしなかったのである。おかげで青春時代は受験地獄も知らずにのびのびと過ごした。幼稚園時代からの友達というのは、つまり、十七年を共に過ごした人達である。或る時知人の男性に、財界の某有名人の奥さんと私は十七年間同じ学校でしたと言ったら、煩悶したような表情を浮かべて、「とすると、お二人はどこかで留年なさったとか、大学受験に失敗なさったとかそういうことですか?」と言われた。私はその人の計算の素早さに感嘆した。私は単純な足し算でもこんなに早くはできないのである。私が「私達は幼稚園からの同級生なので十七年間です」と言ったら、その人はなるほどと納得してくれた。

    私がこの世でかなり嫌いなものの一つが、噂話である。それは九十パーセント以上の確率で、間違った話を伝えているからである。 私は作家になった後、度々インタビューを受けた。初めは有名雑誌の編集者や全国紙の新聞記者が来るのだから、話したことを正しく書いてくれるのだろうと思っていた。ところが、でき上がった記事は実に滅茶苦茶なのである。私は早々にその事実を知ったので「インタビューは、私が喋った部分だけは手を入れる事をご承認くださるならお受けいたします」と言うようになった。予め頼んでおけば、大体の新聞社や雑誌社は今ではこのルールを受け入れてくれる。頭から拒否しているのは日本経済新聞だけだから、私は日経のインタビューは受けない。

    私はだいぶ前からアラブ諸国へ出入りしていたので、その時に格言の本を買ってきていて、あまりに面白いので気に入ったところに赤線を引いてあった。改めて読み直さなくても、アラブの人達はつくづく賢いと思う言葉を既に選んであったのである。それを集めて一つ一つの言葉に私が解説を付け加え、感想を述べ、夜になると私がさっさと寝てしまった後で、編集者の女性達が東京の本社とメールでやりとりをして編集をしたのだ。 その格言集の中に、「賢い人は見た事を喋り、愚かな者は聞いた事を喋る」 というのがあって、別にアメリカがサダム・フセインをやっつけるために侵攻した事実とは何の関係もないのだけれど、私はこの格言が面白くてたまらなかった。

    学歴もあり賢くて常識のある多くの人達が、この愚か者のやり方で暮らしているのである。「何とかだそうだ」というようなニュースの捉え方は、時間の無駄遣いそのものと言っていい。そしてまた、そのような会話しかしない人達を私達は陰で密かに「放送局」と呼び、用心してその人達には何一つ語らないようにしている。『アラブの格言』に出てくる賢い人達の多くは遊牧民で、大学に行ったわけでもないし、哲学を学んだわけでもないだろう。しかし、彼らは羊を追って、オアシスからオアシスへ荒れ野を移動するうちに、人生の真実というものはいかにして手に入れるべきかという事を知ったに違いない。

    私が運転免許を取ったのは、一九五五年(24歳の時)で、当時はもう女性で車を運転するのはごく当たり前になっていた、と私は思っているのだが、夫の美人の従妹などは、ポンティアックなどという大きな外車を運転し、多分嫌がらせだったのだろう、トラックの運転手さんに「おい、ねえちゃん」などと高い窓越しにからかわれて随分不愉快な思いをしたというような話をしていた。その程度に女性ドライバーというものが珍しい時代だったのである。

    いつの時代から、女性が結婚しても、子供ができても、世間の中で働く人が増えたということになったか考えてみると、恐らく、戦争が終わって十年ぐらい後のことであろう。

    少しキザな言い方になるが、私たちは仕事を通して人生を語り合ったのだ。もちろん大げさな話ではなく、現場に立つことの現実を話し合う時、その方の仕事と私の仕事との接点が、自然な形で結びついたのである。 私の実感ではそういう意味で、男女の差別も職業の貴賤もない。世の中になくていい仕事はないのである。総理大臣は、パン屋さんより通俗的・社会的地位や収入は上かもしれないが、パン屋さんやお米屋さん、さらにお米や小麦を作る人がいなかったら、総理大臣がいないより困る。

    私が相手について知りたいのは履歴であって肩書きではなかった。その人自身が、生涯を通して主に関わって来た仕事を通じて身につけた技術や、体験して来た「物語」であった。本職のかたわらお料理もするとか、ピアノを教えているとか、山登りの趣味がある、というような日常的なこともあれば、銀行の業務の実態、土木技術の苦労話、大学の先生の学生に対する見方、などというような人生の断片を、部外者の私にも聞かせてくれるのは、実にありがたいことだった。そういう生活を続けていると、私は自分の人生以外の分野の「物知り」になれた。もちろん本物の体験者ではない。私はたくさんのニュースの背後に関して、少しだけ多く知っていたので、本質を深く味わう事ができるようになっていた。

    マリー・アントワネットが権力の最盛期にあった時、小さな幸せを求めて、ヴェルサイユ宮殿の庭に「プチ・トリアノン」と呼ばれる離宮を好んだことは、その表れである。広い王宮は、権力欲に取りつかれた人たちの抗争の場で、温かくこぢんまりとした家族の幸福を支える場ではないのだろう。 スペインのマドリッドの王宮にも、最後に王室一家が立ち去っていく前に、別れを告げたという部屋があった。ガイドが教えてくれたのである。それは決して、大広間ではなかった。この広大な王宮の、どこにこんな小さな部屋が残されていたのかと思うくらいの、小部屋だった。そこで王家の人々は、何を語り合ったのだろう。

    世の中には、その人の特性と全く関係ない状態を示すものがいくつかあって、附属的な部分に興味を示す人も多い。相手が、独身か、子持ちか、家族持ちかはまだ興味の対象として許せるとしても、その人の配偶者がどこの学校の出であるか、どういう家庭に育ったかは、その人の資質とは全く関係がない。 それより私にとって興味深いのは、その人が茶の湯が好きか、登山の愛好者か、音楽好きか、というような事である。それらがむしろその人の本質だからである。「お宅は立派なうちにお住みですから」「お宅のお嬢様は秀才だから〇〇大学にいるんですよ」「お宅だからあんな外車に乗れるんですよ。うちは国産車を買うのがやっとのことです」 というような言葉は女性の表現だ。しかし、それほど空虚で嫌らしい言葉はないかもしれない。人を褒めるつもりなら、もっとその人の本質を評価する言葉を使わねばならない。

    私には生涯を通して付き合った女性の友達が沢山いる。 学校が小中高大学の一貫校で、しかも一学年一クラスに五十人ぐらいで、満六歳から二十二歳まで同じ友達と学校に通ったのである。 カトリックの信仰をもとに、修道女たちによって作られた学校だったので、当時は「修身」と呼ばれていた道徳の時間とは別に、信仰を教える時間もきっちりと確立されていた。噓をついてはいけません、とか、自分のことは自分でしなさい、とか、いつも神さまの視線の中で生かされています、とかいう程度だったが、幼いうちから人間の自然な本性に対して理想とすべき形があるということを知らされたのはありがたいことだった。そうでなければ、私たちは、無限に「日々と時代に流される生活」をすることになったであろう。

    「日本は男女同権です」という日本語が、かなり前から、全く成り立たない社会ではなかったのだ。お父さんが絶対の権限を持っているように見えながら、実はお母さんが家政全体を取り仕切っていたりする例はいくらでもあった。ことに日本の家庭では、主婦が財布の実権を握っている例がほとんどだ。稼いで来るのはお父さんなのに、お父さんはお母さんの顔色を見ながら、小遣いをもらう。不満がないわけでもないだろうが、「致し方ない、まあそんなものか」と納得しているのである。

    フェミニズム運動の下に、女性が自分から差別しようとしていることも実に多かった。私は時々、シンポジウムとか講演会に呼び出されることもあったが、その場合にも「女性のための」とか「女性だけの」とかいう制約を自ら作っているグループがちょくちょくあった。そして、「聴衆も女性に限っています」などと思いつきのようなことを言う。その度に、私は頑固に、「そんな差別をするところの講演は引き受けません」と言い張った。今考えると幼稚な抵抗だが、私は当時は本気だった。

    最近は、SNSで使われる用語には通じていても、母国語に「達者」ではない人が多いという。手紙一本、日本語で書けない人もいるという。優れた言語の使い手になるには、まずはたくさんの本を読み、日本語でたくさん書くことしかない。

    第一は日本には、働くことが義務ではなく、趣味のように楽しいと思っている人が結構いるということである。 たとえば私はごく最近、ハワイにある米軍の中央鑑識所で、一片の骨からこれが誰のものかを科学的に割り出していく特殊な方法を開発された古江忠雄先生のラボラトリーにいたのだが、先生はアメリカ人の職員が帰ってしまったあとでも残って、遺骨を相手に調べものをしていられる。朝鮮戦争、ベトナム戦争だけでなく、また第二次大戦中の戦死者の遺骨もニューギニアなどから蒐集してきて、その骨が誰のものかはっきりと鑑別し、たとえそれがお骨一本でもきちんとお棺に納めて、陸海空三軍の栄誉礼をもって送り返す。死者にたいする愛がなければできない仕事である。 ところが或る日、二世の運転手さんが「残業」を済ませた先生を迎えにきた。「こんなにたくさん働くと、お金ようけもらえるでしょう」 と言う。「いくら働いても同じよ。僕はただ気になっている問題を、なんとかして解決してやろうというのが楽しくて、勝手に残業してるんですよ」 二世さんはどうしてもわからない様子であった。 もちろん、世の中には、決まりだけ働くという人もたくさんいる。教師たちの中にも「人の為に働くということは、つまり資本主義に貢献するだけだ」という考えがあった。 しかし仕事というものは、それがいやいやの任務である場合と、楽しくてやっている場合とでは、その当人の幸福の度合いが全く違う。 仕事は、一部の日本人にとって生きる目的であり、生の実感なのである。

    テニスや盆栽作りだけが趣味だなどと決めることはない。とにかく日本人の中には、仕事を楽しみに変え得る才能のある人が至るところにいる。これはよその国にあまり見られない特徴である。

    日本人には常に人の立場を思うという習慣が色濃くある。世界中を歩いてみてこの点がないことに、私はいつも新鮮な驚きを覚える。地球上のほとんどの人々は自分を主張するだけだ。自分のことしか考えない人間というのは、つまり幼児性を残している。勿論この手の人は日本にも学歴のあるなしにかかわらずいるが、ほかの国はもっともっとひどい。

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    2024年04月13日

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