サブカルチャー・雑学 - 講談社 - 講談社選書メチエ作品一覧

  • 鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学
    4.8
    おいしい野鳥が食べたい!――幕府の権力をもってしても、江戸のグルマンの食欲を抑え込むことはできなかった。失われた食文化の全体像を、初めて描き出す異色作! 江戸時代の人々は、多くの「野鳥」を多彩な調理法で食していた。鶴、白鳥、鴨、雁、雉子、雲雀、鷺、雀、鳩・・・それらは、食のみならず政治や経済、儀礼などをめぐって、魚やほかの動物たちには見られない、複雑で高度な文化の複合体を形作っていた。鳥は、日本文化そのものを理解するうえで欠かせない重要な動物だったのである。 歴代の徳川将軍は、鷹狩で野鳥を狩り、鶴を天皇に献上し、また大名や家臣に獲物を分け与えた。中・下級の武士たちは雁鍋や鴨鍋を楽しみ、裕福な町人は料亭で野鳥料理に舌鼓をうち、庶民は鴨南蛮や雀焼といった素朴なファストフードを頬ばった。幕府によって野鳥流通が厳しく統制され、日本橋の水鳥市場は活況を呈し、その大きな利権を狙ってアウトローたちがうごめいていた。しかし、江戸時代に隆盛を極めたこの食文化は、明治以降、衰退してしまう。そして今、数千年の歴史をもつ野鳥を食べる伝統文化が、日本から消滅しようとしている。 さまざまな野鳥料理のレシピ、江戸に鳥を送っていた村のフィールドワークなどから、語られざる食文化を総合的にとらえたガストロノミー(美食学)の誕生。 目次 序章 鳥の味にとりつかれた美食家たち 第一章 鳥料理の源流――京料理から江戸の料理へ 1 日本人はいつから鳥を食べていたのか? 2 中世の鳥料理 第二章 江戸時代の鳥料理と庖丁人――鶴の味噌汁、白鳥のゆで鳥、鷺の串焼き 1 江戸の町から出てきた大量の鳥の骨 2 『料理物語』のレシピ 3 庖丁人――一流シェフの伝統と技術 第三章 大衆化する江戸の鳥料理――富商、貧乏武士、町人の味覚 1 鶏鍋、雁鍋、鴨鍋――中級・下級武士の食卓 2 料亭・名店の味――富裕層、文人墨客の贅沢 3 鴨南蛮と雀焼――庶民の素朴なファストフード 第四章 闇の鳥商売と取り締まり――せめぎあう幕府と密売人 1 「生類憐れみの令」による危機 2 アウトローたちの鳥商売の手口 3 鳥商売と大岡裁き 第五章 侠客の鳥商人 ――東国屋伊兵衛の武勇伝 1 日本橋・水鳥市場の男伊達 2 幕臣と侠客との親密な関係 第六章 将軍様の贈り物――王権の威光を支える鳥たち 1 鷹狩と贈答による秩序維持 2 「美物」の使い回し――中世の主従関係 3 「饗応料理」の鳥の意味 第七章 江戸に鳥を送る村――ある野鳥供給地の盛衰 1 手賀沼の水鳥猟 2 西洋的狩猟の浸食 3 カモが米に負けた 終章 野鳥の味を忘れた日本人
  • アトランティス=ムーの系譜学 〈失われた大陸〉が映す近代日本
    4.0
    はるか昔、栄耀栄華を極めながら、一夜にして海中に沈んだ大陸があった――こんな伝説とともに語られるアトランティス大陸やムー大陸。誰しも子供の頃に、その謎に夢中になった記憶があるのではないだろうか。とりわけ日本は、ムー大陸に日本人の起源を見出そうとした戦前の軍高官から戦後のポップカルチャーに至るまで、言わばこの伝説に長く深く取り憑かれてきた。なぜ、我々は失われた大陸に惹かれてやまないのか。伝説の起点ともいえるプラトンから繙き、その複雑にして数奇な伝説受容を辿る野心作! プラトンが紀元前四世紀に、著作のなかでアトランティス大陸について記して以来、ムー大陸やレムリア大陸を含む、いわゆる「失われた大陸(Lost Continent)」は2000年以上にもわたって、私たちを魅了し続けてきた。そこには、金髪碧眼のアーリア=ゲルマン人こそが、始原の文明を生み出したと説き、その始まりの地がアトランティスだと主張したナチス・ドイツや、同様の主張を日本人とムー大陸について行った大日本帝国の軍高官らも含まれる。アトランティス大陸の所在に限っても、スウェーデン説やアメリカ説、クレタ島説、サントリーニ島説など多種多様な説があり、21世紀に入ってからも新説が生まれ続けている。 日本では戦前にプラトン全集を翻訳し、日本のプラトン受容において重要な役割を果たした木村鷹太郎(1870-1931年)を皮切りに、アトランティス、そしてムー大陸をめぐって、『竹内文書』をはじめとする偽史、さらに皇国史観ともかかわりをもちながら、さまざまな言説が生まれた。その関心は、戦後になってもなお衰えることなく、オカルト・ブームを経て、小松左京『日本沈没』のようなSF小説はもちろん、『ウルトラマン』や『黄金バット』などの特撮物、手塚治虫の『海のトリトン』などのアニメや映画、さらにはゲームの世界にも浸透しながらますます賑やかに盛り上がっていく。 なぜ、人類は、とりわけ日本人は、これほどまでに失われた大陸に惹かれてやまないのか。本書は起点となるプラトンにさかのぼり、迷路のように入り組んだ日本での受容の歴史を丹念に跡づけ、その心性に迫る! 【本書の内容】 はじめに 序 章 「失われた大陸」について問う理由 第 I 章 アトランティスの由来と継承 第 II 章 アトランティスからレムリア、ムー大陸へ 第 III 章 失われた大陸、日本へ――一九三〇年代 第 IV 章 戦時のムー大陸言説――一九四〇年代 第 V 章 戦後の継承――一九五〇―六〇年代 第 VI 章 神話希求と大災害―一九七〇―八〇年代 第 VII 章 浮上し続ける神話――一九九〇年代以降 最終章 なぜ語られ続けるのか 註 あとがき
  • 異国の夢二
    -
    竹久夢二(1884-1934年)は、「夢二式美人」と呼ばれる美人画で今日も人気が高い。『夢二画集 春の巻』(1909年)がベストセラーとなって一躍その名を知られ、「大正ロマン」を象徴する存在となった夢二は、その他にも児童向け雑誌や詩文の挿絵を描き、書籍の装丁、広告をはじめとするグラフィックデザイン、雑貨や服飾のデザインを手がけ、「民衆芸術」と「産業美術」に数々の功績を残した。さらには詩や童話といった文筆活動も積極的に行い、詩「宵待草」(1918年)は曲を付されて大衆歌として日本全国に及ぶヒットとなる。 その夢二が晩年になって「外遊」を行ったことは、あまり知られていない。1931年5月に出国し、アメリカ西海岸に到着した夢二は、慣れない異国に戸惑いながらも翌1932年9月にはヨーロッパに渡り、ドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスといった国をまわった。折しも、ナチスが政権を獲得した翌1933年のベルリンを体験した夢二は、同年9月に帰国したあと、10月には台湾に向かう。翌月帰国するが体調をくずし、長野県の八ケ岳山麓にある富士見高原療養所で療養したものの、翌1934年9月1日に死去する。 みずからの死期を知っていたかのように最晩年になって集中的に敢行された外遊に、夢二は何を求め、実際に何を見たのか? そして、49歳の早すぎる死を迎えなかったとしたら、外遊から得たものをいかなる形で日本に活かそうとしたのか?――今も愛される画家が生涯最後に残した謎は、稀代の思想史家である著者のライフワークとなった。病魔に冒され、苦しい日々を送る中で全精力を費やした原稿は、完成稿に近い姿でわれわれのもとに残された。この遺稿を著者の二人の高弟による精緻な調査・編集を経て、ようやく1冊の書物としてお届けする。多数の図版とともに甦る、晩年の夢二が描いた軌跡。 [本書の内容] はじめに 第一章 外遊に至る道  1 誕生から上京まで  2 キリスト教と社会主義  3 『夢二画集』の成功  4 関東大震災 第二章 アメリカ合衆国の世界  1 多様なハワイ  2 地震と恐慌のサンフランシスコ  3 別荘地帯ポイント・ロボス  4 恐慌下のロスアンゼルス  5 アメリカ滞在をめぐって 第三章 あこがれのヨーロッパ  1 ヨーロッパ上陸  2 芸術の都パリ  3 織物と戦争のジュネーヴ  4 ベルリンとヒトラー 第四章 最後の旅・台湾  1 日本最初の植民地  2 昇る武二と沈む夢二  3 帰国、そして夢二の死 夢二の「異国」──まとめにかえて 文献一覧 エッセイ(廣田真智子) 解 題(高木博志・長志珠絵)
  • インフラグラム 映像文明の新世紀
    -
    映像は現代社会の生活基盤(インフラ)である。これを「インフラグラム」と呼ぼう。通信は5G時代に突入し、軍事からコミュニケーションまで、インフラグラムはますます、情報社会の根幹をなしている。すべてが可視化されているようなこの映像文明において、わたしたちは何を見て、何に見つめられ、何を見ていないのか――?5G時代の映像論を、眼差しの歴史として考える。*写真の誕生から180年。「光による描画」の技術は、スマートフォンから人工衛星、地図、医療、娯楽から政治、軍事、戦争まで、情報社会を動かすインフラとなった。視線は労働し、〈わたし〉はデータ上に増殖している。こうして映像は、監視社会を強化するいっぽうで、他者が生きた時間を再起させる記憶の装置でもある。わたしたちの現在を、生と死を、そして自由とは何かを考える、〈眼差しの歴史〉。〈目次〉01 神経エコノミーの誕生02 インフラグラムの時代03 軍事の映像人類学04 空の眼05 記憶の身体
  • SNS天皇論 ポップカルチャー=スピリチュアリティと現代日本
    4.0
    生前退位から令和改元フィーバーの陰で、この国では何が起こったのか? スマホの中の象徴天皇制を問い、「生前退位」から令和改元の言説空間を鋭く分析する、日本でもっともビビッドな表象文化論! SNSでは皇太子とのツーショット写真が投稿され、天皇は時に「かわいい」キャラクターとして愛でられる一方、スピリチュアリティへの欲望をかき立てている。 そうした時代に明仁天皇は、「おことば」の発信によって「弱者政治【マイノリティ・ポリティクス】」という言説戦略をとった。 誰もが表象の消費者であり、同時に表象の生成者ともなり得る「ポスト・グーテンベルク」時代に、わたしたちは天皇(制)とその表象をいかにして問うことが可能なのか。本書はその試みである。 [本書の内容] 序章 表象の集積体としての天皇(制)研究―その可能性と限界 第一章 「おことば」の政治学  1映像表現としての「おことば」を読み解く   2語りの戦略性―「弱者」としての自己表象と「寄り添い」のディスクール   3語り手の欲望―アリバイとしての宗教的超越性の語りと永続性への欲求  第二章 狂乱と共犯―令和改元におけるメディア表象をめぐって  1政府による「政治的利用」の成功  2皇室による異議申し立てとその欲望、実質的共犯   3政府と皇室の共犯関係  4マスメディアの狂乱と不安、SNSの充満とノイズ  第三章 ポップカルチャー天皇(制)論序説  1皇室によるポップカルチャー消費―ゆるキャラ・初音ミク・アイドル   2ポップカルチャーによる皇室消費―現代天皇小説・天皇マンガ考   3 monstrum としての『シン・ゴジラ』  第四章 「スピリチュアル」な天皇をめぐる想像力―瑞祥・古史古伝・天皇怪談  1令和「瑞祥」と規範逸脱の可能性  2雑誌『ムー』における「オカルト天皇」言説   3現代天皇怪談、その異端性と批評性  第五章 「慰霊」する「弱い」天皇の誕生―一九九四年小笠原諸島行幸啓の検討から  1慰霊の宛て先   2訪問意図の読み替え   3「弱い天皇」の誕生  終章 SNS時代の天皇(制)を問うこと ※第四章の一部は、青弓社刊『〈怪異〉とナショナリズム』(怪異怪談研究会監修、茂木謙之介ほか編著、2021年)を基とする。
  • オカルティズム 非理性のヨーロッパ
    -
    ヘルメス文書、グノーシス、カバラー、タロット、黒ミサ、フリーメーソンやイリュミニズムなどの秘密結社、そしてナチ・オカルティズムとユダヤ陰謀論……古代から現代まで、オカルトは人間の歴史と共にある。一方、「魔女狩り」の終焉とともに近代が始まり、その意味合いは大きく変貌する――。理性の時代を貫く非理性の系譜とは何か。世界観の変遷を闇の側からたどる、濃密なオカルティズム思想史!
  • カイエ・ソバージュ[完全版] 人類最古の哲学 熊から王へ 愛と経済のロゴス 神の発明 対称性人類学
    -
    21世紀の「第三次形而上学革命」を迎えるにあたり、旧石器人類の思考、国家の誕生、貨幣の発生、神の創造と一神教の成立まで、「超越的なもの」について、人類が考え得た全領域を踏破することをめざした伝説の講義録が、愛蔵版として装いも新たに登場! ※『カイエ・ソバージュ(合本版)』と同一の内容です。 第一部では、「神話」とは、人類が最初の考え出した、最古の哲学です。今日の「哲学」は、神話が切り開いた領土で、自然児の大胆さを失った慎重な足取りで進められた後追いの試みでしかないのではないかと思われるほど、神話には根源的な問いに対する人類の果敢な試みが保存されています。 第二部では、「国家=野蛮なるもの」はいかに誕生したか? 熊をカミとする狩猟民たちの「対称性の思考」とは? 「哲学」と「権力」が共存する冬の祭りの秘密とは? 王を戴く国家が「無法の野蛮」と結びつく根源へと遡行して、国家というものが持つ、本質的な問題に迫ります。 第三部では、 本当の豊かさとは? 資本増殖の秘密とは?貨幣と魔術。愛と資本主義の不思議な関係を探る。全体性の運動としての経済と精神の構造は同一だろう。資本主義の彼方に出現する「未知の贈与論」を探究し、 モース、マルクス、ラカンを超えて、21世紀の贈与論へ! 第四部では、「宗教的思考」の3万年を語りつくします。内部視覚、瞑想、夢の時間(ドリーム・タイム)……「宗教的思考」の根源、そして精霊(スピリット)が超越を生む飛躍を探ります。さらに、高神から唯一神への道のりとは? <精神の考古学>が、神々の基本構造をあざやかに解き明かします。 【目次概要】 はじめに カイエ・ソバージュCahier Sauvage)について 第一部 人類最古の哲学 第二部 熊から王へ 第三部 愛と経済のロゴス 第四部 神の発明 第五部 対称性人類学 第五部では、神話、国家、経済、宗教を旅してきた私たちは、新たな知の営み「対称性人類学」へと向かいます。「圧倒的な非対称」が支配する世界の根源を問う冒険が、ここに堂々完結します。抑圧された無意識の「自然」は甦るのか?「対称性の論理」が切り開く新たな世界とは? 野生の思考としての仏教を媒介に、来たるべき形而上学革命への展望は私たちの未来をを示しています。
  • 快楽としての動物保護 『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ
    4.3
    ペットと家族同然に暮らしている人はもちろん、テレビやネットで目にする動物の映像を見てかわいらしく感じたり、絶滅が危惧される動物や虐待される動物がいることを知って胸を痛めたりする私たちは、動物を保護するのはよいことだと信じて疑いません。しかし、それはそんなに単純なことでしょうか――本書は、このシンプルな疑問から出発します。 子供の頃、挿絵が入った『シートン動物記』をワクワクしながらめくった記憶をもっている人でも、作者のアーネスト・T・シートン(1860-1946年)がどんな人なのかを知らない場合が多いでしょう。イギリスで生まれ、アメリカに移住してベストセラー作家となったシートンは、アメリカではやがて時代遅れとされ、「非科学的」という烙印を捺されることになります。そうして忘れられたシートンの著作は、しかし昭和10年代の日本で広く読まれるようになり、今日に至るまで多くの子供が手にする「良書」の地位を確立しました。その背景には、シートンを積極的に紹介した平岩米吉(1897-1986年)という存在があります。 こうして育まれた日本人の動物観は、20世紀も末を迎えた1996年、テレビの人気番組の取材で訪れていたロシアのカムチャツカ半島南部にあるクリル湖畔でヒグマに襲われて死去した星野道夫(1952-96年)を通して鮮明に浮かび上がります。この異端の写真家は、アラスカの狩猟先住民に魅了され、現地で暮らす中で、西洋的でも非西洋的でもない自然観や動物観を身につけました。それは日本人にも内在している「都市」の感性が動物観にも影を落としていることを明らかにします。 本書は、これらの考察を踏まえ、2009年に公開され、世界中で賛否両論を引き起こした映画『ザ・コーヴ』について考えます。和歌山県太地町で行われてきた伝統的なイルカ漁を告発するこのドキュメンタリーは、イルカを高度な知性をもつ生き物として特権視する運動と深く関わるものです。その源に立つ科学者ジョン・カニンガム・リリィ(1915-2001年)の変遷をたどるとき、この映画には異文化衝突だけでなく、近代の「動物保護」には進歩主義的な世界観や、さらには西洋的な人種階層のイデオロギーが反映されていることが明らかになります。 本書は、動物を大切にするというふるまいが、実は多くの事情や意図が絡まり合った歴史を背負っていることを具体的な例を通して示します。一度立ち止まって考えてみるとき、本当の意味で動物を大切にするとはどういうことかが見えてくるでしょう。 [本書の内容] はじめに 序 論――東西二元論を越えて 第I章 忘れられた作家シートン 第II章 ある写真家の死――写真家・星野道夫の軌跡 第III章 快楽としての動物保護――イルカをめぐる現代的神話 おわりに
  • 記憶術全史 ムネモシュネの饗宴
    3.5
    スマホをアップデートしたら、画面がガラッと変わって、お目当てのアプリや写真がどこにあるのか分からなくなった……そんな経験を思い出せば、「記憶」は「場所」と結びついていることが分かる。この特性を利用して膨大な記憶を整理・利用できるようにする技法が、かつてヨーロッパに存在した。古代ギリシアで生まれ、中世を経て、ルネサンスで隆盛を極めた記憶術の歴史を一望する書。最先端で活躍する気鋭の著者による決定版!
  • 金太郎の母を探ねて 母子をめぐる日本のカタリ
    -
    日本人なら誰でも知っている「金太郎」の母は誰だったのか? 奥山に住み、人を食らう恐しい鬼女「山姥」こそ金太郎の母だったことを出発点に、彼女の行方を求めて、古代から中世を旅していく。首を斬られ、肉体は朽ちているのに、わが乳飲み子のために乳房だけ残して乳を出す母の姿を御伽草子が描いているように、決して切っても切れない母と子の関係を探った果てに、「金太郎は日本人の祖である」という驚愕の事実と出会う。
  • 熊楠の星の時間
    4.5
    著者中沢新一氏は、長年にわたり南方熊楠についての考察を深め、多くの論考を発表してきました。1990年代に刊行された『森のバロック』(読売文学賞)、『南方熊楠コレクション』(全五巻)などが、その代表作です。また、「宗教学・人類学・民俗学を綜合して「対称性人類学」で新たな思想を展開しています。また独自のフィールドワークによる「アースダイバー」(『アースダイバー』、『大阪アースダイバー』、『週刊現代』連載中の「アースダイバー 神社編」)新しい知見と感性を切り開く可能性をもっています」(南方熊楠顕彰会の受賞理由の概略)。2016年、第26回南方熊楠賞が授与されました。21世紀に入ってから、著者はますます熊楠の重要性を認め、彼の思想の可能性を掘り起こし、発展させるために、2014年には「南方熊楠の新次元」と題する4回の講演・対談を主催しました(明治大学野生の科学研究所)。本書は、その時の講演「アクティビスト熊楠」「明恵と熊楠」(改題「熊楠の華厳」)に加えて、熊楠の心の構造を探った「熊楠のシントム」、海のエコロジーを探究する「海辺の森のバロック」、本書の全体像を提示する「熊楠の星の時間」を収録した、新熊楠論です。思想家・中沢新一が提示する、熊楠哲学の放つ強力な火花に驚愕し、目を開かれることになるでしょう。未来を切り開く一冊です。
  • 現代メディア哲学 複製技術論からヴァーチャルリアリティへ
    4.0
    新しいウイルスの蔓延によってテレワークが普及し、余暇の時間もデバイスで好みの動画を視聴する人が急激に増えています。もちろん、これまでも新聞やテレビを通じて世界を知り、電話や電子メールを使って他の人とコミュニケーションを交わす、ということは行われてきました。しかし、1日の大部分をインターネットに接続された機器に囲まれて生活するようになったのも、それらの機器がAIの搭載によって「道具」と呼べないほど自立した存在になってきたのも、ここ十数年の変化でしかありません――最初のiPhoneが発売されたのは2007年なのです。 これほどの変化が私たちの生活だけでなく、私たち自身に何の影響も及ぼさないとは考えられません。では、それはどんな影響なのか? 新聞やテレビ、電話や電子メールから、スマホで見る動画、さらにはVRまで、これらはすべて「メディア」です。しかし、そもそもメディアとは何なのでしょう? 本書は、ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940年)が残した複製技術論を梃子にして、メディアの本質は「複製(コピー)」であるという事実に基づいて、技術の進化とともにメディアが及ぼしてきた影響を考察するものです。メディアは「画像メディア」と「言語メディア」に分類されますが、両者は接合され統合されてきました。その過程でメディアが人間の身体と知覚に与えてきた影響、人間の集団編成のメカニズムにもたらしてきた変化、その結果もたらされた政治性の変容が確かめられます。そして、最終的にそれらの影響や変化はヴァーチャルリアリティに代表される最新のメディアにも見出されることが明らかになるのです。 本書には、日本を代表するベンヤミンの専門家である著者が精緻なテクスト読解と大胆な挑戦的思考を共存させながら結実させた稀有な思考が記録されています。これは、誰もが身を置く現在の状況について本質的な理解を与えてくれる大切な1冊です。 【本書の内容】 第I章 メディアの哲学のために 1 メディアとは何か 2 メディアの転換 3 現代のメディア状況と「複製」 第II章 技術性と魔術性 1 メディアにおける世俗化 2 技術と魔術の弁証法 3 画像メディアと言語メディアの接合 第III章 メディアと知覚の変容 1 技術と知覚 2 新しい技術メディアによる知覚の変容 3 モンタージュと「リアリティ」 4 視覚と触覚の思想史 第IV章 メディアの政治性 1 社会を規定する技術性 2 知識人とプロレタリアート 3 映画を受容する「集合的身体」 第V章 ハイパーテクストの彼方へ 1 「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の思考モデル 2 ハイパーテクストの思想とヴァーチャルリアリティ
  • 構造の奥 レヴィ=ストロース論
    NEW
    -
    「構造主義」は終わらない。「構造」が秘めた本当の「力」を解き明かし、その潜勢力を新展開させる決定版! 仏教と構造主義そして真のマルクス主義に通底する「二元論の超克」は、革命的な人文「科学」を生み出す思考となりうるはずだ。新しい「構造主義」の可能性を著者は丁寧に取り出す。 もう一つの人類学の可能性は、夭折した弟子のリュシアン・セバーグの中にもあった。師レヴィ=ストロースと若き研究者は、南米インディオの神話の構造分析に取り組んだ。マルクス主義をベースにした「構造主義」が創始された時に起こった師弟関係の美しくも悲しい物語。記号学的な枠組みを超えて、人間科学の「プロレタリア」としての人類学の使命を読み解いていく。 さて、「構造」をレヴィ=ストロースはこのように認識している。 「双分制の明白な諸形態を、その真の本性は、別のはるかに複雑な構造が表面的にゆがんであらわれたものとして扱ったほうがよいのではないかということであった」 人類の思考は実は複雑なものなのだ。二元論と三元論が、動的に組み合わされて、さまざまな神話や事象が生み出される過程を解読することで見えてくる人類学とは、いかなるものなのか? 「構造」の「奥(heart)」へと至る道を示す「人類学」の道標である。 【目次】 プロローグ 革命的科学 第一章 構造主義の仏教的起源  レヴィ=ストロースと仏教/仏教の中の構造主義/構造主義の中の仏教 第二章 リュシアン・セバーク小伝  高等研究院での出会い/新しい神話研究/変換の論理/神話の公式/『神話論理』の朝/プエブロ神話学へ/アチェ族の夢分析/『マルクス主義と構造主義』/悲劇的な死 第三章 構造の奥   双分制/レヴィ=ストロースの弁証法/互酬性の謎/重力論と贈与論/フランス啓蒙主義/人間科学のアインシュタイン/対称性のほうへ 第四章 仮面の道の彼方へ 1  地震多発地帯/ブリティッシュ・コロンビアのレヴィ=ストロース/カミナリ鳥・クジ・ナマズラ/スワイフエ仮面/ゾノクワ鬼女 2  剣とナマズ/ゾノクワと山姥/山の神の影/ポトラッチと市/仮面の道は続く エピローグ 注および引用・参考文献
  • 講談社選書メチエ 解説目録 2021年9月現在
    無料あり
    3.0
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 講談社選書メチエ解説目録電子版(2021年9月現在) ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。

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  • 今日のミトロジー
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    羽生結弦に阿修羅を見出し、BTSに花郎(ファラン)との共通性をあぶり出す。オタマジャクシ型の楽器に、人間と自然の中間領域にある音楽の本質を見出し、ビル・ゲイツの離婚と資本主義精神の根源的な関係を解き明かす。宝塚歌劇団の大階段と巨大古墳に潜む「死と再生」の儀式とは何か? 人間の無意識にあって太古以来不変の動きをする神話的思考を現代の森羅万象に探る。47のエッセイが、この世界と人間の脳の未知の構造に触れる試みです。 【目次】 プロローグ I スケートボードのポエジー ウルトラマンの正義 『野生の思考』を読むウルトラマン オタマトーンの武勲 宇宙犬ライカ ベイブvs.オリンピック 近代オリンピックの終焉 M氏の宇宙飛行 成長のミトロジー 惑星的マルクス II シティ・ポップの底力 氷上の阿修羅 神仙界の羽生結弦 音楽はどこからやってくるのか 花郎(ファラン)とBTS 古墳と宝塚歌劇団 聖なるポルノ アンビエント 非人間性について タトゥーの新時代 III ミニチュアの哲学 乗り鉄の哲学 abc予想 低山歩き復活 第九と日本人 ウクライナの戦争 戦闘女子 『マトリックス』と仏教 IV ポストヒューマンな天皇 フィリップ殿下 シャリヴァリの現在 家族の秘密 キラキラネームの孤独 愛のニルヴァーナ 「人食い(カンニバリズム)」の時代 『孤独のグルメ』の食べる瞑想 自利利他一元論 V サスペンスと言う勿れ 怪談の夏 渋谷のハロウィン 鬼との戦い 丑年を開く 大穴持(オオナモチ)神の復活 気象予報士の時代 エコロジーの神話(1) エコロジーの神話(2) 反抗的人間の現在 謝辞
  • サン=テグジュペリの世界 〈永遠の子ども〉の生涯と思想
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    ☆それが〈目に見えないたいせつなこと〉だったのか。☆ 「星の王子さま」を生み出した思想とは? 波乱の生涯と作品世界をつなぐ決定的評伝。 サン=テグジュペリは、言わずと知れた『星の王子さま』の作者です。 この子ども向けの小さな物語は、いまもなお世界中の多くの人びとが読み続け愛し続けていますが、その魅力の秘密はどこにあるのでしょうか。 この作品でくりかえし語られる〈目に見えないたいせつなこと〉とはいったい何なのでしょうか。 サン=テグジュペリは、自分の子ども時代を忘れることができなかった、おとなになりきることができなかった人間と言えるでしょう。 彼は、おとなの世界にほかならないこの現実社会を、つねに居心地の悪さ、窮屈さを感じながら、いわばよそ者として、不器用に生きねばなりませんでした。 失敗と挫折、混乱や波瀾に満ちたサン=テグジュペリの生涯は、どこかドタバタ喜劇めいており、それ自体として見ても面白いものです。 ですが、彼自身はこうした人生を懸命に生きることを通して、おとなの世界である現実社会、近代という時代にたいする批判意識を研ぎ澄ましていました。 そして同時に、みずからの内面空間そのものとしての子ども時代の世界のヴィジョンを明確化していったのです。 本書は、こうしたまったくあたらしい視点から書かれた、『星の王子さま』『夜間飛行』をはじめとする作品群の世界をより深く味わえるようになる、サン=テグジュペリの評伝の決定版です。 [本書の内容] はじめに  第一章 子ども時代(一九〇〇―一九一二) 第二章 青春の惑い(一九〇九―一九二六) 第三章 飛行士にして作家(一九二六―一九三一) 第四章 波瀾の時代(一九三一―一九三九) 第五章 戦争(一九三九―一九四〇) 第六章 亡命(一九四〇―一九四三) 第七章 最後の任務(一九四三―一九四四) おわりに  サン=テグジュペリ略年譜
  • 昭和・平成精神史 「終わらない戦後」と「幸せな日本人」
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    敗戦から70年以上が過ぎ、元号も2度あらたまって、いよいよ昭和も遠くなりつつある。「もはや「戦後」ではない」という宣言から数えてもすでに60年以上が経った。しかし、私たちが生きているのは、今なお「戦後」なのではないだろうか。毎年、戦後何年になるかを数え、ことあらば「戦後初」をうたう。私たちが生きている時間は、つねに「戦後」を起点とし、「戦後」に規定されている。これはいったいなにを意味しているのだろうか。令和の時代を迎えても加速する一方の「息苦しさ」、「生きづらさ」は、実はこの「終わりなき戦後」の終わらなさにこそ原因があるのではないか――。 本書は、「戦後」という幸福な悪夢の外側に、どうにかして越え出るために、昭和・平成を貫く時代精神の真の姿を映し出す試みである。 太宰治の絶望、ゴジラに仮託された不安、力道山が体現した矛盾、さらにオウム真理教という破綻と癒えることのない東日本大震災の傷。戦後日本社会の精神史は、東京オリンピックや大阪万博、インターネットの普及など華やかな出来事や物質的豊かさの影で、それを支えるためにそこから排除されてきた人々の嘆きと悲しみの声に満ちている。その声に耳を傾け、「息苦しさ」と「生きづらさ」の根源から目を逸らさず、その姿を受けとめること。「戦後」を終わらせるため、声高になることなく、著者は静かに繰り返し私たちに語りかける。 うわべだけの「幸せな日本人」を脱ぎ捨て、敗戦から日本社会が抱えこんできた絶望を直視したときにはじめて、希望もまた輝きはじめる。「終わりなき戦後」から、かけがえのない一歩を踏み出すのための、時代に捧げる鎮魂歌。
  • 「女装と男装」の文化史
    3.4
    古今東西を問わず、演劇や文学、映画、アニメ、漫画に数限りなく登場してきた「女装する男」と「男装する女」。彼/彼女たちは、なぜ性の境界を超えようとしたのか?“変態”“異常”“倒錯”という言葉で片付けてしまうだけでは気がつかない、性と愛の現実がそこにある。「男と女」という単純な二項対立がsexとgenderの視点をからめると無限の性別へと変化していくさまをつぶさに論じ、人間の生の多様性に軽やかに迫る。(講談社選書メチエ)
  • 電鉄は聖地をめざす 都市と鉄道の日本近代史
    4.4
    小林一三神話を覆す! 私鉄黎明期の語られざる歴史「阪急や阪神、東急や西武といった"電鉄"が、衛生的で健全な"田園都市"を郊外につくりあげた」――よく知られたこの私鉄をめぐる物語の深層には、「寺社仏閣」を舞台とする語られざる歴史があった。初期の電鉄をめぐる世界では、神社仏閣とそれを取り巻く人々の、ある意味無軌道とも言える行動が郊外空間を作り出していったのである。それは、近代的な都市計画といった無機質なものでも、経済的な功利性のみだけでも説明のつくものではなかった。とくに、われわれが通常イメージするような鉄道が確立してくる以前の黎明期には、現在の視点からみると「怪しい」人々が蠢いていたのである。そうした人々を突き動かしていたのは、寺院や神社を興隆させたいという熱情であった。「わが門前に鉄道を」……そのすさまじいまでのパワーが、電鉄を、ひいては日本の都市を作り出していったのである。本書は、「電鉄」と社寺を取り巻く「怪しい人々」に光を当てることで、都市と鉄道という近代化の物語の陰に隠された歴史を明らかにしようというものである。近代の荒波を生き抜く希望を鉄道に見いだした寺社と、そこに成功栄達の機を嗅ぎつける怪しくも逞しき人々が織りなす、情熱と欲望、野望と蹉跌のドラマ。鉄道誘致と都市開発をめぐる、ダイナミックで滑稽で、そして儚い、無二の日本近代都市形成史。【本書の内容】序章 「電鉄」はいかにして生まれたか第一章 凄腕住職たちの群像――新勝寺と成田の鉄道第二章 寺門興隆と名所開発――川崎大師平間寺と京浜電鉄第三章 「桁外れの奇漢」がつくった東京――穴守稲荷神社と京浜電鉄第四章 金儲けは電車に限る――池上本門寺と池上電気鉄道第五章 葬式電車出発進行――寺院墓地問題と電鉄終章 日本近代大都市と電鉄のゆくえ
  • 日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか
    4.2
    【第16回 山本七平賞奨励賞受賞】 暗号解読など優れたインフォメーション解読能力を持ちながら、なぜ日本軍は情報戦に敗れたか。「作戦重視、情報軽視」「長期的視野の欠如」「セクショナリズム」。日本軍最大の弱点はインテリジェンス意識の欠如にあった。インテリジェンスをキーワードに日本的風土の宿痾に迫る。(講談社選書メチエ)
  • ヒト、犬に会う 言葉と論理の始原へ
    3.8
    人間は自分たちだけで文明への階梯を上がって来たのではない。一万五〇〇〇年前、東南アジアいずれかの川辺での犬との共生。ニッチを見出す途上にあったお互いの視線の重なりが、弱点を補完し合い、交流を促し、文明と心の誕生を準備した。オオカミは人間を振り返らないが、犬は振り返る。人間は幻想や感情で判断するが、犬は論理的に判断する。犬は人の言葉を理解し、人の心を読み、人の窮地を救う――人間と犬、運命共同体としての関係の特異性と起源を探る。
  • 民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造
    4.0
    植民地台湾における新渡戸稲造の「治者」の視線。それに触発されて新たな学問を構想した柳田國男だったが、国際連盟委員としてジュネーブでおおきな挫折を経験する。反転した視線は「常民」へと向かう……。近代化への応答としての日本民俗学誕生の過程を追う。(講談社選書メチエ)
  • 民俗と民藝
    4.0
    柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動──。異なる方法、言葉遣いで展開されたそれらを、成長させた土壌は同じひとつのものだ。それを本書で著者は、〈原理としての日本〉とよぶ。時期を同じくしながら、交わることの少なかった二人の仕事によりそい、二人の輪唱に誘う力作。(講談社選書メチエ)
  • メランコリーの文化史 古代ギリシアから現代精神医学へ
    -
    憂鬱(メランコリー)――この厄介なる気分を、人類はどのように捉え、対処し、表現してきたのか? 古代から現代に至る芸術・医学・哲学を渉猟し、時に死や恐怖と、時に創造的知性や天才と結びつけられ、また治療の対象ともなってきた「メランコリー」の系譜を明らかに。さまざまな災厄に見舞われる現代という時代――親しい人との別れ、死や病への恐怖、ストレスフルな仕事や人間関係、経済格差、パンデミック、気候変動……――を知的に捉え、生き抜くためのパースペクティブは、その「遺産」のなかからもたらされる。 泰斗による決定版文化史。 [本書の内容] 第1章 古代から中世へ 1 古代の苦悩 2 病理から気質へ――四体液説 3 天才の憂鬱――プラトンからアリストテレスへ 4 医学の中世 5 土星のメランコリー 第2章 ルネサンスと宗教改革 1 幾何学の憂鬱 2 宗教改革 3 遠近法の誕生 4 宗教的メランコリー 第3章 近代の始まり 1 モンテーニュ 2 デカルト 3 治療されるメランコリー 4 バロックの想像力 第4章 現代へ 1 精神医学と悪魔 2 精神分析の登場 3 喪とメランコリー 4 根源的な喪失
  • 倭国神話の謎 天津神・国津神の来歴
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    復元される神々の物語! 4世紀神話の原像とは? 4世紀に成立した皇室の王権が改変した「それまでの倭国の歴史」。その痕跡は、今も膨大な神話群として残されている。別説・異説として顧みられなかったそれら神話を「すべて」読み尽くすことにより、神々の系譜を解明。戦後神話研究に新局面が拓かれる。(講談社選書メチエ)

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