【感想・ネタバレ】ローマ世界の終焉──ローマ人の物語[電子版]XVのレビュー

あらすじ

教科書によれば、紀元476年に西ローマ帝国は滅亡し、一方で東ローマ帝国は1453年まで続いたとされている。しかし、地中海世界全体に高度な文明をもたらした空前絶後の大帝国は、本当にそのような「瞬間」に滅びたのか? 古代ローマ1300年の興亡を描き切ったアジア発、前人未到の偉業がここに完結。「永遠の都」よ、さらば。 ※当電子版は単行本第XV巻(新潮文庫第41、42、43巻)と同じ内容です。

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最後のローマ人スティリコ

一部ご紹介します。
・「国家」が瓦解していく過程で人々の心をより強く支配するのは、「理」よりも「情」だ。
・三世紀に実施されたローマ市民権の既得権化と、四世紀に実施されたシビリアンとミリタリーの完全分離が、ローマの軍事力を衰えさせた二大要因だ。
・皇帝ホノリウス「コンスタンティノープルへ行って、幼い甥の統治を助けたい(皇帝は幼少だ。これを機に東ローマ帝国の帝位も自分のものにしたい)。」
スティリコ「この難しいローマ帝国の現状で要になる皇帝の不在は許されません(私の立場を公認できるのは、私に対する反対派が多い以上、皇帝であるあなたしかいません)。」
・互いに本音を出さずに建前だけで相対する人間関係は、問題は収拾できても、しこりを残さずには済まない。「最後のローマ人」スティリコの破滅は、皇帝ホノリウスを、本音を出さずに建前だけで諌めたことにある。人間とは、しばしば見たくないと思っている現実を突き付けてくる人を突き付けたというだけで憎むものだ。
・人間には、絶対に譲れない 一線というものがある。最後の瞬間でさえも見苦しさを避けるのは、自らの品格を保とうとする者には忘れてはならないことなのである。
・ある歴史家「28年という長きにわたったホノリウスの治世で、この皇帝が自分で決めた唯一のことが、スティリコの処刑であった。」
・スティリコの死と共に、彼が編成し、彼と共に闘った非正規軍は消滅した。彼らは、ある朝突然、渡り鳥が群れを成して発つかのように一人残らず去っていった。どこへ?自分たちを迎え入れてくれる人のところへ。それが西ゴート族のアラリックのところであった。彼らにとっての譲れない一線が、心酔していたスティリコを殺した側では自分たちは闘えない、であったのかもしれない。
・死刑に処されたスティリコの退場は、410年の西ゴート族によるローマ劫掠(ごうりゃく)を招いた。
・紀元454年の皇帝ヴァレンティニアヌスの手になったアエティウス(フン族のアッティラに勝った将軍)の死は、ヴァンダル族によるローマ劫掠を招いた。
・ローマという都市無しでのローマ帝国はあり得ない。その意味で、ローマ帝国は、紀元476年に滅亡した。
・歴史の理は、盛者必衰、諸行無常だ。

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2022年09月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ついに1000年を超えるローマ興亡史の終了です。476年の西ローマ帝国の滅亡が学校で学んだ歴史ですが、実は何時滅んだのか劇的な最期ではなかった!それをその622年前のカルタゴの滅亡の際にスキピオ・エミリアヌスが瓦礫の山と化した都市を前に「われわれは今、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という偉大な瞬間に立ち会っている。だが、この今私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマもこれと同じ時を迎えるであろうという哀感なのだ」と語った言葉を著者は引用している。しかし、ローマは劇的ではなく、徐々に傷だらけになっていったという別の哀しみを感じるのでした。西ローマの初期の将軍スティリコを始め、後期の将軍アエティウス、東ローマ・ユスティニアヌス大帝の将軍ベリサリウスなどこの時代の将軍たちの運命は寂しさを覚えます。西ローマ滅亡後、東ローマがイタリアを回復しますが、むしろそれがイタリアの荒廃を進め、ローマ元老院が546年に消滅するに至るということは知りませんでした。そして著者はそこで筆を置きます。ローマ共和制の始まりとともに生れた元老院の滅亡こそローマの最期に相応しいのでしょう。

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2013年08月18日

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