あらすじ
紀元前3世紀後半、イタリア半島統一をなしとげ、興隆の途についたローマ人が初めて大きな危機に直面した。北アフリカの強国カルタゴとの直接対決。象を伴ってアルプスを越えた規格外の名将ハンニバルと、ローマの全権を託された若き執政官スキピオ。地中海の覇権を賭けたポエニ戦争はいかなる結末を迎えたのか――。 ※当電子版は単行本第II巻(新潮文庫第3、4、5巻)と同じ内容です。
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ローマ対ハンニバル
一部ご紹介します。
・ハンニバル「あそこはもうイタリアだ。イタリアに入りさえすれば、ローマの城門の前に立ったと同じことになる。もうここからは下りだけだ。アルプスを超え終わったあとで、一つか二つの戦闘をやれば、われわれは全イタリアの主人になれる。」
・ファビウス「ローマは英雄を必要としない国家である。」
・フラミニヌス「ローマの伝統は、敗者さえも許容することにある。敗者の絶滅は、ローマ人のやり方ではない。」
・ローマ人は、肉を食べて体位向上をはかることはなかった。戦闘は体力で決まるものではないと思っていたからか。あるいは、海産物とチーズと穀物とオリーブ油に葡萄酒の、地中海世界の食事から離れられなかったからか。これで世界を征服してしまったのである。
・戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であって、コロンブスの卵ではない。誰も考えなかったやり方で問題を解決する点ではコロンブスの卵だが、そのやり方を踏襲すれば誰でも成功できるとは限らないという点ではコロンブスの卵ではない。
・主戦力を活かすには、非主戦力の存在が不可欠だ。
・優れたリーダーとは、率いられていく人々に、自分達がいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
・スキピオ・エミリアヌス「今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち合っている。だが、この今、私の胸を占めているのは、勝者の喜びではない。いつかは、わがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ。」
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カルタゴ国滅亡という結果に終るポエニ戦役。興隆の途にあるローマ人は、はじめて直面した大危機を“ハンニバル戦争”と呼び、畏れつつ耐えた。戦場で成熟したカルタゴ稀代の名将ハンニバルに対して、ローマ人は若き才能スキピオとローマ・システムを以て抗し、勝った―。歴史はプロセスにあり、という視点から余すところなく、しかし情緒を排して活写される敗者と勝者の命運。
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ローマとカルタゴの3期に亘る戦いと、ギリシャ、シリアでの戦い
執政官制度の堅持
ハンニバルとスキピオ
ギリシャ芸術文化の尊重とギリシャ人への蔑み
緩い帝国支配から厳しい帝国支配への変化
カルタゴの滅亡
Posted by ブクログ
北アフリカの強国カルタゴとローマの激戦が描かれる。シチリアの覇権をめぐる「第一次ポエニ戦役」、主戦場をイタリアとしたカルタゴの英雄ハンニバルによる侵略戦争である「第二次ポエニ戦役」がメインのテーマ。
第一次ポエニ戦役は地中海の制海権が重要となることから、当時は海軍を持っていなかったローマより沿岸国であるカルタゴが有利かと思いきや、そうならないのが面白いところ。「カラス」という回転する梯子のようなものを船に装着し、カルタゴの軍船に橋をかけローマの強みである重装歩兵を活用し戦闘を陸戦化するという発想の転換は学ぶ部分が多いなと感じた。
第一ポエニ戦役での敗戦の将となったハミルカルであるが、その長子であるハンニバルの活躍により、ローマは窮地に立たされる。ローマ人には考えも及ばなかったアルプス山脈を越えてのイタリアへの侵攻、トレビアの戦いを経て北イタリアに地盤を築いたハンニバルは更に南下し、トラシメヌス湖畔の戦いでの鮮やかな奇襲によりローマを追い詰める。ハンニバルは拠点を南イタリアに移し、ローマ同盟国の切り崩しを図るも思うように事を運べない。南イタリアでの大規模会戦カンネの会戦でハンニバルが勝利したことにより潮目が変わる。南イタリアのカプア、シチリアのシラクサがハンニバル陣営へと加わる。
「ローマの盾」であるファビウスの戦略のもと、「ローマの剣」であるマルケルスがハンニバルを追い詰める。離反したシラクサをマルケルスが攻略すると共に、奴隷軍団を率いるグラックスがハンニバル包囲網を築き、本国カルタゴからの補給を断つ(アルキメデスがシラクサでローマ軍に殺害されたのは有名な話である。アルキメデスの設計の特殊武器によりローマ軍は大いに苦戦したらしい)。
一方、ハンニバルの本領であるスペインには若き司令官であるスキピオが派遣され大活躍を遂げる。スキピオはハンニバルの弟であるハスドゥルバル・マゴーネが合流する隙を与えずこれを破りスペインを平定する。ハスドゥルバル、マゴーネはスペインを放棄し、イタリアのハンニバルの救援に向かうも、ハスドゥルバルは戦死、マゴーネも合流は叶わなかった。ローマに帰国したスキピオはカルタゴ本国の急襲を主張するも、元老院、ファビウス、大カトーの反対により、一旦シチリアへ派遣される。シチリアで軍を編成したスキピオは北アフリカに上陸し、ウティカの戦いでカルタゴ・ヌミディアの両軍を破ると、マシニッサをヌミディア王として擁立し屈強な騎兵を有する同盟国を得る。いよいよ、天才同士が激突するザマの会戦に突入するが、戦略の柱である騎兵で差をつけられたハンニバルは、自身の得意戦法である騎兵を活用した用兵をスキピオに実践され敗北。第二次ポエニ戦役はここに終結する。
ローマの同盟国(といっても勝手な戦争を行う事は禁止にされるなど、ほとんど従属の扱いだが)となったカルタゴであるが、間もなくして亡国の憂き目にあう。ヌミディアの侵略により苦しめられ、ローマへ解決を求めるも、ローマは対策を講じてくれず、カルタゴはついに軍団を編成。これが条約違反とみなされ、ローマはスキピオ・エミリアヌス(スキピオ・アフリカヌスの義理の甥)を派遣し、カルタゴを完全に滅ぼす。約500年の歴史を持つ経済国が更地にされたとのこと。諸行無常である。
カルタゴの滅亡により、ローマは名実共に地中海の覇権を築くことになるが、この覇権が、ローマを強国たらしめた共和制のシステムのバグを引き起こしていくことになるのである・・・