加藤諦三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
心から人に優しくできる人になるには時間がかかる。それは今まで生きてきた短い人生からも理解できる。
何故、人に優しくなれないのだろうと思うときには大抵周囲に嫉妬しているか、羨ましく感じている。そのことを跳ね除け感じさせないほどに心が満たされている人にはまずこの感情は起こらない。
本書でもそのことが触れられていた。心に入り込む余裕があるから、人を悪く思うのだと。自分に嘘をつかず、素直な気持ちでただまっすぐと思う方に心が向いている人にはまずその感情は起こらない。
私は人に優しくなるために、一番必要なことは自分が幸せになることだと思っている。方法は何だって良いのだろう。音楽を聞いたり、旅行をしたり、本を買ったり。
自分よりも他者に目がゆくのは、自分にはない何かがあるとか、より良い状況にあるように感じるからだろう。自分が幸せになっていない明確な証拠である。
幸せで満足していると感じなければ、不満を持ち他人に優しくなれないのは当然だろう。他者に優しくしたいなら、まず自分が幸せにならなければならない。他者に優しい人は自分が幸せになることを叶える、自分に優しい人である。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ言いたいことは我慢しない
自分の感情を相手にぶつけることで、
心が触れ合っていく
決して言い合わない夫婦は最後には
相手が訳もなく不愉快な存在になる
本当の自分が許されていないと怖い。
→自分を隠しつつ相手を迎合する
→相手に依存的で、心理的に相手にしがみつく
→相手を信じていない、自分が不安
男と女の間でセックスが大切だということは
心理的に打ち解けあっていなければ
セックスがうまくいかないからである。
セックスそのものが重要というよりも
それでお互いの心理的近さが分かるから。
自分の本音を出せば対立するが
自信もつくし、本当に親密にもなれる
傷つけることで嫌われることを恐れている人は
優しいが同時に相手に対する依存性が高い。
相手に嫌われることが怖いから、
不本意ながらも相手の言いなりに動いてしまう
自分が自分を信頼していれば
対立を恐れたり、相手から嫌われることを恐れて
気の進まないまま相手の言いなりになってしまう
ということはない。
人生における未解決な問題を解決するとは
迎合その他の逃避のメカニズムを選択するのではなく
孤独を恐れずに自分を選択していくこと
離婚を恐れていては、結婚生活で次々に
未解決な問題を残すことになる
自分のカードを隠して
相手をやっつけようとしてはいけない
ケンカをするから相手を理解できる
相手の心の動きを知ることが大切。
理想の夫(妻)など存在しない
やるだけの努力をすれば、
別れた後で後悔することもない
真面目過ぎる人はありのままの自分に対する
肯定的感情を失ってしまっている
他人が受け入れてくれる自分を演じることが重要で
自分自身であろうとすることはしない
真面目人間の最大の欠点は問題解決能力が無いこと。
いわれるがままに行動しているときはよい、
順調に行っているときはよいが
問題が起きた時、解決できない
犠牲的役割を演じることによって
相手に同情や愛情を求めている
自分の存在証明を得ている
お互いに私は辛い、と言い合っているときは
お互いに相手からむさぼり取ろうとしている
お互いに相手に与えることには一切関心がない
言葉を聞くよりも相手の態度を見る
なぜそのようなことを言ったのかという
動機を常に考える
相手の欠点を受け入れる
相手の感情を吐き出させる
完全な夫を演じることで
裏では相手に愛情を強く求めている -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書ではストレスに弱い人の傾向と、ストレスに強い人の傾向を対比しながら、ストレスに強くなるためにはどうすればよいかを具体的に示してくれている。
人間関係ではみんなから好かれようとはせず、少数の人と強い絆を持つことである。多くの友人は必要ない。
どんな出来事に対しても自分なりに意味を見出し、興味を持って取り組む。そうすると、他人の評価を気にしなくなる。
責任転嫁をし始めたら、限界が近づいている証拠なので、そのまま頑張らずに、環境を変える必要がある。
うつ病になった人は、元々能力があったので小さいころに威嚇されたことが原因となる。その事実を見つめなおして、威嚇者たちを憎むことで過去を清算できる。
・本書ではストレスに弱い人とは、どういう人かを考え、どうすればストレスに強い人になれるかを考えた。
・自分が依存している対象から、自分の能力以上のことを期待された人と、仮面をかぶって生きている人は同じ人であることが多く、これが最もストレスを感じる状態である。
・困難な状況を乗り切って自信がつく人と、相変わらず不安な人とがいる。困難な状況を自分の力以外で何度乗り切っても自信はつかない。自信は、困難な状況に自分がかかわって解決したときに生まれる。能動的な人は、ストレスに強い。ストレスを乗り切って自信を持つ。受動的な人はストレスに弱い。受動的な人は、何度困難を乗り切っても自信が持てない。というよりも、乗り切る前にストレスで自滅していく。
・SOC(Sense of Coherence)とは、「心の絆感覚」であり、自我の強さ、文化的安定、社会的支持がストレスの緩和装置となっている。
・家族との生活やコミュニティーでの生活に満足している人はストレスに耐える力がある。SOCが高い人は、皆に好かれようとしないと私は思っている。自分の生き方が、社会的評価ではなく自分の信念に基づいている。全員に好かれようとすると一貫性がなくなる。要するに「皆に好かれよう」とする人は、受動的な人なのである。ここが決定的な弱点である。
・レジリエンスのある人は、トラブルというような嫌な体験でも、そこに意味を見つけ出す能力を持っている。その困難な状況を乗り切ることに意味を感じられるかどうかである。そのことに意味を感じている人のほうが、ストレスを感じない。そういう意味があるものであるという認識があるほどSOCは高い。つまりストレスはない。ストレスに強い。
・人によく思われるかどうかは結果である。それを目的にしてはいけない。人によく思われるかどうかは手のひらの上の鳥である。よく思われようとすると逃げていく。神経症者は結果として得られるものを目的にして生きているという重大な過ちをおかしている。つまり、成長動機ではなく、欠乏動機で動いているということである。欠乏動機で動いているということは、基本的欲求が満たされていないので、欲求不満から動いているということである。成長動機で動いている人は、人の評価が気にならない。伸び伸びと生きている。伸び伸びとするのは人の評価が気にならないときである。
・人の批判で心の動揺があったときには「自分にはまだ本当の自信がない」と理解する。つまり心が動揺したということは、自分を理解するための情報なのである。マイナスの感情は自分を理解するための情報と受け取ることが大切である。
・嫌われることを怖がる人がいる。しかし嫌われて落ち込む前に、「なぜ自分は嫌われるのが怖いか? なぜ自分は嫌われるのか?」を考えてみればよい。嫌われる人、拒絶される人は、たいてい相手の立場や相手の気持ちを考えていたい。
・感情はフィードバックする情報の一つであり、この情報を正しく受け取ると、ストレスにうまく対処できる。これを「ACEの癒しの力」という。ACEとは、Attend,Connect,Express(注意を向け、繋がりを持ち、表現する)ということである。それの逆が抑圧的対処である。ストレスを感じてもそれを常に抑圧していると、やがてストレスを感じなくなり正しいサインが出なくなる。問題は、こうした抑圧的対処者は次第に自分の本当の感情を意識する能力を失ってくるということである。また、ACE性格を欠いた抑圧的対処者は、ストレスに際してストレス・ホルモンが血液中に多量放出されているという証拠になる生理現象がすぐに現れる。つまり心拍数や血圧や筋肉の緊張等である。ストレス・ホルモンであるコルチゾールやカテコールアミンは免疫力を落とす。これは心臓病ばかりに言又ることではない。端息やアレルギーについてもいえることである。
・責任転嫁をする人はー実はギリギリの限界のところで生きている。心理的に余裕があれば人は責任転嫁をしない。まだ責任を背負えれば人は責任転嫁をしない。責任転嫁をするということは、もう「ここが私の限界です」ということである。
だから責任転嫁をする気持ちが自分のなかで支配的になってきたときには、「今の生活は質量共に自分の限界を超又ているな」と考えることである。そして生活の規模を自分の能力の適正規模にする努力をすることが先決である。それが対処するということである。いつもイライラして責任転嫁ばかりしているのに、自分の生活を質量共に適正規模に修正しないで、そのままただ頑張れば途中で心が折れる。燃又尽き症候群の人が、その典型的な例である。
・ストレスの多い人生を元気に生き抜くためには、次の3つの作業をしっかりすることである。自分が今直面している困難はなんなのか?まず解決しなければならない困難な問題を明確にすることである。次にそれを乗り越えるために自分は今何そしたらよいのか?そして自分の持っている資源を点検して、事態を乗り切るために、それを総動員することである。
・対処能力がないということは、自分は今絶望しているということである。まり過去のどこかで自分には状況に対処する能力がないと学習してしまつたのである。実際にはその能力はある。対処に自信がないのは、今までの人生で直面する状況で自分自身が対処してこなかったからである。だからこれからその練習をすればよい。練習だから失敗もある。とにかく対処を試みる。そうしているうちに対処という意味が分かつてくる。
・「こと」が起きたときには、「この本質は何か?」と考える。起きたことは本質ではなーそれは現象である。現象と本質は違う。だからトラブルが起きたときに「このトラブルの本質は何か?」と考又ることが大切なのである。どのようなトラブルであっても「この間題の核心は何か?」ということをつかまなければならない。
・とにかく「こと」が起きたときには、まず「これはこれで良かった」と認めることである。そして「私の武器は素直さだ。素直さがあれば必ず乗り切れる」というように思えれば、解決への道は開ける。逆にSOCの低い人は、「何で私だけがこんな苦しみを味わなければならないのだ」と恨みを訴える。そして恨んでいるだけで困難な状況に対処しようとしない。こういう人は問題を解決しようとする意志かない。嘆くことで今の気持ちを楽にしようとしている。困難な状況に陥った当初はそれでしょうがないであろう。楽天的な人といえども困難な状況に陥った当初は落ち込む。しかしどこかの時点で「解決しよう」とする意志が生まれる。この意志が能動性の核心的要素である。意志が生まれないと健康でストレスを乗り越えることはできない。対処するとは、自分の技術、自分の力を有効に活かすことである。
・成長動機で動いている人は、「他人に頼ることが少いので、両向的になることは稀で、不安や敵意も、賞賛や愛情を求めることも、少いのである」。他人に頼れば、他人は自分の望むようには動いてくれないことが多いので、不満になる。他人に依存すればするほど、同時に他人に不満になる。つまりアンビバレントにならざるをえない。
欠乏動機で動いている人は、「私はこうしたい」という自立した願望かない。自発性、能動性がない。つまりProaciveではない。成長動機で動いている人は「あの人にこうしてもらいたい」という依存的願望は少ない。Reactiveではない。「あの人にこうしてあげたい」という自立的願望で動いている。
・「欠乏動機の人間は、(中略)「利害関心」、必要性、執着、願望が一段と強い」。それを抑えて「いい人」を演じるから疲れる。いい人を演じているが、心に無理がある。必要性が一段と強いということは自発性がないということである。執着が一段と強いということは能動性かないということである。
・欠乏動機で生きている人は一目惚れをする。しかしすぐに絶望する。相手を「自分にとって役に立つか立たないかという視点」からしか見ていないからである。熱しやすくて冷めやすい。これは心に問題を抱えている人の特徴である。従って長い人生で人間関係が段々と積み上がっていかないから人生はストレスになる。
・成長動機で生きている人は、多面的に人を見るので、一目惚れはしない。熱しやすくて冷めやすいこともない。従って長い人生で人間関係が段々と積み上がっていく。長年のつきあいというのが出てくる。「この人でなければならない」という代替不可能な人が出てくる。
・欠乏動機で動いている人は、とにかく人に認められたい。人から認められたくて頑張っている人には、大変難しいことであるが、一度人の眼に見えないところで頑張ってみる。それともう一つ、人知れず「満足をした」という体験をすることである。すると自分のなかで「何かが変わった」と感じるかもしれない。SOCのある人とか、レジリエンスのある人は皆人知れず頑張っている。人知れず満足を体験している。そして「人知れず」が自信につながっている。
・自分を「実際の自分」以上に見せたいと思又ば思うほどストレスは高くなる。劣等感の深刻な人は、「実際の自分」以上に人から評価されれば、嬉しい。しかし結果として毎日は、よりすごいストレスに晒される。では逆に「実際の自分」以下に人から評価されれば、どうなるか。そこでストレスが低くなるというなら良いが、低く評価されても悔しくてストレスは高くなる。どちらにしてもストレスは高くなる。
・ストレスの凄さに苦しんで、生きるのがつらくて壊れそうな人は、より強く、より高くという生き方から、「人知れず」という生き方に変えることである。
・今ストレスを強く感じていることを過去の「つけ」だと思うことは、今の苦しみを「これは仕方のないこと」と納得したということである。今の苦労を納得できれば、苦しみは半分になる。納得すると苦しみは和らぐ。納得できないと苦労は倍に感じられる。納得するということは、状況に対する立派な対処である。
・SOCの要素の一つはミーニングフルネスであるか、自分のしていることに意味を感じることはストレス耐性としては極めて重要である。
・自分の講義を受講する学生が少なくても気にしない教授と、気にする教授といる。ストレスに苦しむ教授は後者のタイプである。それは自分が自分ンお講義をつまらないと思っているからである。もっと言えば講義の内容に自分が興味と関心がないからである。前者がなぜ気にしないかというと、あるいは気にしてもストレスにならないかというと講義の内容に自分が興味を持っているからである。自分が興味を持って講義そしているからである。別の表現をすれば、自分がすることに意味を感じているからである。講義は自分のエネルギーを投資するのに価すると思っている。
・うつ病になるような人は、もともとはものすごい才能と力を持っている。素晴らしい人間である。資質としては素晴らしい。決して弱くはない。だから小さい頃狙われた。そして「お前はダメな人間だ」と思わされて搾取された。何も持っていなければずるい人達に狙われることはなかった。勤勉、真面目な態度、優しさ等々素晴らしいものを持っているからずるい人達に狙われた。利用できるものを持っていたから狙われた。うつ病になるような人は小さい頃からいつも責められて生きてきた。だから、自分のやさしさを弱さと錯覚しただけである。元々はやさしくて強い人間である。
・いつも威嚇されておどおどしながら生きてきたことに気がつかなければいけない。その原因は周囲の人のずるさにあるが、同時に自分を裏切り続けた本人にも原因がある。悩んでいるときは、それを心のなかから取り払つときなのである。そのための言葉が「威嚇者たれ!」である。そしてそのために必要なことは、自分を蔑み、威嚇した人を憎むことなのである。うつ病になるような人は、だいたい「人を憎むことは悪いことです」と教えられてきた。それはずるい人にとって都合の良い倫理だからである。この倫理があれば、ずるい人は悪いことをし放題である。そのうえに憎まれない。小さい頃から自分を蔑み、自分をいいように利用したずるい人達を「敵」としっかり認識しないかぎり、レジリエンスのある人にはなれない。SOCの高い人にはなれない。
・結果重視の考え方が長らく続くと、その人の性格は変わっていくということである。もっと分かりやすく言えば注意力が散漫になる。ということはさらに柔軟性を欠き、応用力のない人間になるということである。結果重視の考え方はある短期間をとってみれば効率的に見える。しかし長い人生を考えると決して効率的な生き方ではない。長い人生ではいつか大きな挫折の原因になる。過程重視は能率が悪い生き方のようだが、長い人生では最後の勝利をもたらすものである。
・人に同調することで保護を求める態度を改めることであろう。まず人に守ってもらおうとするのではなく、まず自分で経験してみる。チャレンジの精神を持つ人は、成功からも失敗からも学べる。そして人生はストレスに満ちているということを受け入れろれる。ストレスを成長の機会にすることによってのみ、充実感は得られる。不安も困難もない生活を求める生き方の態度が、人生の無意味感を生み出す。そして友人や家族など少数の親しい人がいる。そういう人は困難な状況で、そうでない人に比べてストレスが少ない。 -
Posted by ブクログ
普段、けして手にとるジャンルではありませんが、最近の家族や職場の人間関係で潜在的に思うことがあるのかもしれません。
状況によっては、加害者や被害者も意識することがない、モラル・ハラスメントはたいへん恐ろしいものだということを、強く感じました。
自分も無意識のうちに加害者になっていないだろうか…。
ただ、自分にたとえ世間で通例といわれるレベルのモラルがあるとしても、人との関わりというものは、所詮は相対的なもの。
意識せずのモラル・ハラスメントが生じる可能性も否定できません。
コントロールの難しさを痛感します。
ちなみに、著者の加藤諦三さんには、学生時代 人間関係に深く悩んでいた時に、著作を読んで救われた想い出があります。また、ご支援いただきました。サンクス! -
Posted by ブクログ
やさしそうに見えるが、じつはやさしくないということがあまりにもたくさんある。
表面的にはやさしい。でも実は残虐性をもっている。
日頃はやさしい。しかし、問題が起きると逃げてしまう。
「愛している」と強調する。しかし、その言葉の奥にあるのは、自己中心的な要求である――。
本当のやさしさとは何か? 人がやさしくなれないのはどうしてなのか? やさしい人をどうやって見つければいいのか?
・必要でない物と人を捨てる。
・無理をしている自分に気づく。
・仮面をつけて生きてきた過去を消化する。
・見失った自分の本性を探す。
本当のやさしさと出会い、幸せに生きるための道しるべとなる一冊。