高野文子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ高野文子さんの漫画は『るきさん』が好きで、何度も読み返している。今回は目に止まって『棒がいっぽん』を何度目かのリピート。6つの短編漫画が入っていて、特に好きなのは「美しき町」と「東京コロボックル」。次に好きなのは「バスで四時に」「私の知ってるあの子のこと」かな。
「美しき町」は、私の好きな戦後の小津映画の趣き。働いている工場の借り上げアパートかな?に住む静かな若夫婦。同じアパートの先輩にちょっといじわるなことをお願いされても、何も声をあげず黙々と二人でやり遂げる。徹夜で大変だったけど、明け方のまだ暗い街の風景の美しさ、達成感、小腹を満たすクラッカーと温かい牛乳。どれをとっても美しい。夫婦が老いてその時裕福な暮らしをしていたとしても、この時を満たされた時間だったと振り返るんだろうという余韻までこちらに伝わってくる。
「東京コロボックル」は、佐藤さとるさんのコロボックルのお話のオマージュかな。参考にしていますって書いてある。小人さんのお話だからコマ割りも小さくて、見開きで1回分の漫画で7回分のお話がみっちり描いてある。居候している人間夫婦の家庭の事情もあって小人さんたちも東京から田舎に引っ越して、田舎のいろいろに馴染んでいく様子まで。本当に面白くて、もっともっと読みたい。すごくワクワクして楽しくて最高。
「バスで四時に」は、まだお見合いが主流で、結婚したら寿退社が絶対だったころのお話だと思う。マチコさんは結婚予定のお相手のお家にお邪魔するのかな。きちんとしたツーピースのお洋服、きちんとしたお出かけ用のかばん、きちんとした靴、手には手土産を抱えて、淡々としているけど実は緊張していて、バスを降り間違えちゃったり。でも爽やかなお相手の青年が思いがけないところから颯爽と現れて、これからの洋々たる結婚生活が想像できる清々しい終わり方。
「私の知ってるあの子のこと」は、ちょうどこの前読んだリュドミラ・ウリツカヤの『子供時代』みたい。いい子ちゃんのピアーヌが、嫌われ者のジャーヌにあこがれる話。ピアーヌの気持ち、わからなくない。すごく共感する。でも、悪くなりきれないのもわかる。この複雑な子ども時代の感情を、よくこんなに丁寧に漫画にしたなぁって。すごく感動する。
この中では「奥村さんのお茄子」がとても有名。でも考察したり細かいところを考えて読んでしまうので、あまり好みではない。この発想は全然思いつかないしとてもすごいと思うのだけど。
何度でも何度でも読める漫画ってすごいよなぁ。また新しいの出ないかな。 -
Posted by ブクログ
今から30年前、バブルの終焉を迎えようとしていた時代の30代の独身のるきさんとその親友えっちゃんの日常の漫画
多分あの時代では珍しい在宅ワーク、ミニマリストのるきさんとあの頃の代表のようなキャリアウーマンでマキシマリストなえっちゃん
2人の対比でなにか特別な事が起こるわけではないありきたりの日常
お金が好きだから貯めとくるきさん、お金が嫌いだから物に変えるえっちゃん
互いの誕生日に家事を請け負うプレゼントを送ったり、病気になったら互いの家にいったり、執着せずただ流れる時間を共有する2人の関係が素敵だなぁと……
と、思ってたらまさかのラスト!これは続きが読みたい……でも自分で想像もしたくなる
独身女性の日常を描いた漫画として宮田ナノさんや益田ミリさん以来のぶっ刺さりでした
-
Posted by ブクログ
何気なく借りた本だったが、出だしの球面世界から惹き込まれる。赤ちゃんの視野やともこさんの視線を追って読むと自分が覗かれているような
不思議な感覚に導く。この不思議な感覚
や疑問が、朝永振一郎さんの言葉
(不思議だと思うこと、これが科学の芽です。
よく観察して確かめ、そして考えること、
これが科学の茎です。そうして最後になぞが
とけるこれが科学です。)に繋がっていく。
ともこさんが営む学生寮ドミトリーに下宿している4人の若き科学者 朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹。
中でも『マキノ君 蝶々です』が好き。
袴姿のマキノ君がイケメンっていうのもあるが、
蝶が花の受粉の役割を担うのを人間の婚礼に
見立てわかりやすく説明し、ヒラリと舞う
マキノ君の姿が魅力的で、漫画で、牧野富太郎
の世界観をこんな風に楽しく豊かに表現する
高野さんは凄いなと思った。
-
Posted by ブクログ
僕は「古本屋」がとても好きで、ちょっぴり苦手だ。やはり本好き(これは、「読書好き」とはまた異なる。どちらかというと、本という「物体」が好きである)であるから、こぢんまりした空間に無数の本が並べられているのにはものすごくわくわくする。古本屋に並べられたそれらは当然、「誰かが売ったもの」である。そして、それらはわざわざ「古本屋に売りにくる」ようなちょっと変わった人が所有していたものであったり、めぐりめぐって「古本屋にやってくる」ことになったような風変わりなものであったりするわけで、そう考えると古本屋に並べられた本たちというのはなんだか不憫で愛おしい。日陰者たちが集められた空間が、日陰者にとって居心地いいというのは真っ当だろう。しかも、(これは本書の古本屋の性質とは異なるが)古本屋というのは多くは「本好き」が集まる空間であり、当然そこにいる人間の大半は「本好き」である。だから、同じ時にお店にいるのは知らない人であるわけなのに、まるでどこかで一度会ったことのあるような親しみを感じやすい。別に言葉を交わすようなことはないが、そもそもその必要もないのだ。以上のことから、僕は古本屋が好きである。
では、そんな古本屋のどこがちょっぴり苦手かというと、これまた「古本屋」の性質に起因する。つまり、古本屋というのは店主の店主による店主のための「城」なのである。どこにどの本が置かれていて、どの本とどの本は隣合わせで、というかそもそもどのような本たちが集められていて。そのすべてが店主の理想にもとづいてた「理想郷」、それこそが「古本屋」なのである。しかも、多くはその本はその一冊限りしかない。すなわち、かけがえのないものであるわけだ。そう思うと、その本を棚から取り出し、レジまで持っていくというのは、なんだか店主とその友人の仲を引き裂いているような気さえしてしまって気後れしてしまう。最後のページに書かれた値段を見て、店主はどんな気持ちでこの値段をつけたのだろう、この本とはどのくらい一緒にいたのだろうなどと、「思い出」を邪推してしまう。そのせいか、自分の場合は、その本を取り出そうと本に指をかけるときに、「店主から睨まれているじゃないか」とびくびくしてしまう。そんなこんなで、少しだけ古本屋が苦手でもあるのだ。でも、宇多氏の本を読んで、すこしだけ心が軽くなったような気もする。古本屋で本を買ってこそ、その本の生涯を続かせうる。そんな気がした。もう必要のないところにとどまるのでなく、もっと必要としている人のところへ行く。特別なことではないけれど、そうした方が本がより長くいきいきとしていられることもあるよな、と感じた。し、あの完璧な布陣は「壊されないため」にあるのでなく、むしろ「壊されるため」=売れるためにあるのだということを考えれば、自分がその本を手に取ることは、店主にとっても喜ばしいことなのではないかとも思った。僕が、値段を消しさえしなければ、そこのお店で買ったのだと忘れなければ、別にそんなことさえしなくたって、古本たちと店主はいつまでも「友人」なのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
柴田聡子の曲、遊んで暮らして に「るきさん読んだって諦めつかない」という歌詞があり、「るきさん」ってなんぞ?と疑問を抱いたことがこの作品を知ったきっかけ。
るきさんもえっちゃんも、なんだか自由に暮らしていてすごくいいなあ。大きな展開があるわけじゃない、ただの日常を描いた作品だけど、そこから感じられる彼女たちの生活や関係性がとても好きだった。
自分は自分、他人は他人
なんていうような意識がるきさんにはあるんだろうな。誰かがずっと隣にいなくても、1人で自分のご機嫌を取れるし、楽しく暮らせる。すごく自立した人だ。
私もこうやって生きられたらいいなと思うけど、かなり難しいことだと思う。とても尊敬する。
良い作品に出会えてよかった。
絵もすごくおしゃれな感じでかわいかった。
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。