石原千秋のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
高校生までの感想文と、大学生になってからの論文はどのように違うのか、
また大学生たる者はどのような論文・レポートを書くべきかが記されている本。
大学生のレポート・論文は主に指導教官、担当教官を読者に想定し
証拠を挙げながら文を展開していくことが望まれる。
また論文を読む際は、二項対立(文章によっては複数の二項対立)を意識し、
最終的には自分で二項対立を文章に織り交ぜながら論文を執筆できるようにならなければならない。
著者は新書を多く読み、自分の専門のみでは偏りがちな知識を
広く持つことを推薦している。
その他にも、具体的な改行の仕方や、スペースの取り方、
引用の仕方や、句読点の使い方、漢字・平仮名の使い方まで説明されている。
当然のことながら、口語をそのまま文章にすることは注意しているが、
著者の若干口語調の文調が読みやすく、一気に読めてしまう。 -
Posted by ブクログ
文系の大学生や大学院生を対象にした本と謳っているだけに、書き口がぼくたち大人からみると抵抗を感じるところも少なくないが、大人向きに書いているのでないからしかたあるまい。本書の前半は石原さんの体験的論文執筆法。これは学生の作文を指導する教師が読むと参考になるし、ふだん自分たちが学生に言っていることが書いてあって、思いは同じかとうれしくなる。たとえば、話し言葉を文章に混ぜるなとか、「わたしは…と思う」は高校生の文章だとかは日頃学生に言っていることだ。後半は、石原さんからみた模範となるような文章をあげ批評する。ここであがっているのは、世間常識を覆すような論であり、二項対立をたてて論じる文章である。石原さんはそれを「線を引く」と形容する。
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Posted by ブクログ
あぁ、来年は教育実習に行くんだ、と思いながら読み進めました。
そのなかで気になる箇所があったので、ここに残しておこうと思います。
…では、日本の国語教育はどうすればいいのか。ここで、一つの提案をしておこう。それは、現在の日本の国語教育はあまりにも「教訓」を読み取る方向に傾きすぎているので、それを是正するために、現在の国語を二つの科目に再編することである。
一つは、まず文章や図や表から、できる限りニュートラルな「情報」だけを読み取り、それをできる限りニュートラルに記述する能力を育て、さらにその「情報」の意味について考え、そのことに関して意見表明できる力をも育てる「リテラシー」という科目を立ち上げることである。この科目においては、「正解」と「まちがい」の違いがある程度はっきり出る。したがって、採点可能な科目である。もちろん、採点の基準は「道徳的な正しさ」では決してない。「正確さ」だけが唯一の採点基準である。(p58-59)
もう一つは、文学的文章をできる限り「批評」的に読み、自分の「読み」をきちんと記述できるような能力を育てる「文学」という科目を立ち上げることである。なぜ「文学」かといえば、「文学は作者の意図通りに読むべきである」というよほど保守的で頭の固い一部の近代文学研究者でない限り、現代社会においては「文学」は個人の好みでさまざまに読んでよいという共通認識が成り立っているからである。その意味で、書かれたものの中では、文学は誰も傷つけることなく自由に自分の意見を言うことのできる、数少ないジャンルなのである。(中略)
この場合の「批評」とは、テクストから根拠を引き出すことのできる「読み」や、自分の用いた枠組について言及できるような「読み」のことであって、根拠のない意見や感想のことではない。根拠のない意見や感想は、言いっぱなしになるだけであって、知的なコミュニケーションを生まない。
しかし、実は根気よくコミュニケーションを行っていけば、一見すると根拠のないように思える意見や感想でも、ある一定の枠組から読んだものだということがわかってくるはずなのだ。その結果、児童や生徒は自分の立っている場所が見えてくる。つまり、自分がそうと意識せずに寄りかかっていた枠組が見えてくる。「文学」という教科は、そのことを炙り出しにするまで、いかに根気よく児童や生徒と対話ができるかにかかっている。(中略)
したがってこの場合には、教室において複数の「正解」を認めなければならない。つまり、「文学」は採点が不可能な科目である。学校空間のなかに採点をしない科目を作るのである。これはドラスティックな提案かもしれないが、こうでもしないと日本の風土では「自由」な意見は出にくいのでないだろうか。なにしろ、「大人」の世界でも「自由」に意見を言えば、表だって、あるいはやんわりとたしなめるのが、日本のお国柄なのだから(p60-62)。
「リテラシー」の必要性は、普段SSGで議論している通りだと思う。
しかし、本当に問われているのは「批評」することではないだろうか、なんてちょっと思ってしまった。
改めて「国語」の持つ可能性を感じた一冊でした。
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Posted by ブクログ
「はじめに」の部分の「いまなぜ漱石について語ろうとするのか、その理由を書いておきたい。」のくだりで軽いめまいを感じてしまいました。/漱石を読み解くことに理由の説明が必要になってしまったのか……。
/まあそれはともかく、ぜんたいに親切設計なつくりで良書だと思います。。/難を云えばアカデミズムでの「文学研究」の場での漱石論を基準にしすぎるあまり、いわゆる「批評」の世界での扱いがほとんどと云って良いほど黙殺されていること。たとえば冒頭に触れた「はじめに」のなかに「実は、十年ほど前までなら、漱石という名はたぶん無条件で通用しただろう。なぜ漱石について語るのかという理由など説明する必要もなかったということだ。」とあるのですが、当時の漱石論は「文芸誌」を舞台とした批評的言説−−とりわけ柄谷行人・蓮實重彦らによるもの−−によってその存在が当然視されていたという性格が強いものだった思うのですが、そうでありながらそれらの固有名詞に触れずにすまそうとするのであれば、その理由についても語っていただきたかったものです。