石原千秋のレビュー一覧

  • 国語教科書の中の「日本」

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    国語教育の持つ道徳教育の側面について論じた本。切れ味がするどく考えさせられる内容が多くあった。思考停止していた分野(人はパラダイムの中で判断している。そしてそのパラダイムを宗教のように信じていること)に関して再考するいい機会になった。

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    2011年04月17日
  • 国語教科書の思想

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    本来の意味でのシュールさと鋭さ。
    まさに今おかれている状態をわかりやすく、明解に説明された
    人におすすめしたい一冊。

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    2010年04月26日
  • 国語教科書の思想

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    とりあえずレポート用に。
    国語教科書の問題点を、具体的にその教材の内容に言及して、述べているところ、道徳教育化している国語教育の問題点やら、いろいろと。とりあえず、5時間も普通の読書でいってしまったわけなのですが、内容も頭に入ってなかったり、色々と終わっています。うーん困った。とりあえず、批判的にレポートを書かねば…。

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    2009年10月07日
  • 国語教科書の思想

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    小・中の教科書の作品・構成の検討を通して
    国語教科書に秘められた「思想」を解き明かす書。

    この書で述べられていることは、
    ・現在の国語教育で道徳教育が行われている。
    ということ。
    本文を読んでいくと、
    作品がある特定の道徳観で選ばれていることがよく分かる。


    レビュアー個人としては
    国語の大半が文学作品の解説で占めているところに
    危機意識を感じていたのだが、
    この本の著者の主張は概ね合致するものであった。


    もっともこの本は教科書分析から
    論を展開しているので
    本当にこの国語教科書の思想を
    児童生徒が植え付けられているのか疑問の余地がある。
    けれども、教科書の採択状況の偏りについても述べられているため、
    この思想が国語の授業を通して
    植えつけられている可能性は高いと思われる。



    この書の直接のテーマは国語教育ではあるが、
    個人的には、道徳教育を考える上でも有益な一冊だと考える。

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    2009年10月04日
  • ケータイ小説は文学か

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    いろんなケータイ小説本が出ましたが、やっと大人が読んで納得できる本が現れました。
    テクストとして、つまり文学作品として、ケータイ小説を読むと、こうなる、ということです。
    今後、ケータイ小説について語る際には、この本を読んでいることが大前提となります。
    もう、不毛な議論は、今後はないでしょう

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    2009年10月07日
  • ケータイ小説は文学か

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    「誤配」「ホモソーシャル」「二項対立」などなど。石原先生お馴染みの用語で、ケータイ小説を構造分析していく。
    ケータイ小説を「ポストモダン小説」と位置づける理由は、「性的な言説が真実の言説である」近代社会の前提を、「性的な言説」を過剰にもちいることで乗り越えようとしている(かに見える)点にある。

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    2009年10月04日
  • 謎とき 村上春樹

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    テクスト論者による、村上春樹解読。実際の講義を早稲田大学でうけていたときは、毎時間鳥肌が立っていた。その知的興奮は、いまだに忘れられない。

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    2009年10月04日
  • 謎とき 村上春樹

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    村上春樹も石原千秋も好きではなかったが、この2つが合わさると天才が生まれることがわかった。
    “作者は一番書きたいことを隠して作品にする”。謎が多い春樹の作品を見事にテクスト論を用いて解いている。
    春樹の作品を読んだ後にこの本を読めば、“目から鱗”になること間違いないっ!!

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    2009年10月04日
  • 謎とき 村上春樹

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    村上春樹の解釈本。村上春樹という作家はあとがきや解説を全く書かない人なので解釈の仕方は個々に任されている感が強い。解釈の一部としてとてもおもしろい。長編小説ほとんど読んでいる人でないと楽しめない本。

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    2009年10月04日
  • 謎とき 村上春樹

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    面白かった。さすが、石原千秋。自分がいかに小説読めてなかったかに気付かされた…。そして、彼の漱石論が読みたくなった。

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    2009年10月04日
  • 大学生の論文執筆法

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    斎藤孝さんの本くらいに個人的にはヒット。大学って待っても何もやってくれないから自分でやりたいことを見つけ出さきゃいけない。大学生活のHOW TO本でもあって大学1年の時読めたらもっと良かったかもしれない。とにかく、本をもっと読もう!

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    2009年10月07日
  • 大学生の論文執筆法

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    論文練習の授業で紹介された一冊。前期レポートで点数を取るために読み始めたはずのにいつの間にかのめりこみ。面白いですこれ。石原さんの本は漱石関連で読みまくっていたのでなおさら。本好きでいいんだなとちょっと安心した
    ちょっとずれるけれど、大学の授業がつまらないという意見に、「週に10コマ以上の授業がみんな興奮するほど面白かったら、君たちだって身が持たないだろう。」……確かに……!もう文句言わない(笑)

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    2009年10月04日
  • 大学生の論文執筆法

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    単なるハウツー本ではない。文科系の学生に「大学の勉強で満足するな!学外で本を読まない奴は大学生ではない!」と喝を入れています。確かに、知的レベルが高校生程度のまま4年生になり、論文を書く羽目になる人はたくさんいそう…(自分も含めて)。「大学の偏差値は大学や社会での実力を保証するものではなく、可能性を示すものにすぎない。必死に勉強しない限り、可能性は開花しない。つまり、まともな学生にはなれない。」刺激になりますね。

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    2009年10月04日
  • 謎とき 村上春樹

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    石原千秋さんの読み方が必ずしも正解だとは思いませんが、小説を丁寧に読めばここまで解釈できるのか!という驚きを与えてくれました。

    如何に自分がこれまで適当に何も考えずに読んでいたか思い知らされたという点でとても有意義な本でした。

    批評書に興味を持たせてくれた一冊になりました。

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    2026年02月12日
  • 読者はどこにいるのか 読者論入門

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    本著の「はじめに」で述べている「内面の共同体」がどういったものなのか、よくわからなかった。しかし、この本を読んで、断片的に得られたものは多かったように思う。

    本文引用
    p33「テクスト論は作者にだけは分析のベクトルを閉じておくが、それ以外のいかなる要因にも開かれている。つまり、テクスト論は立場であって、固有の方法は持たないのである。テクスト論の立場に立つ研究者はたとえてみればテストパイロットのようなもので、たとえばそのテクストについては一般の読者が採用しないような枠組から読んで、テクストの可能性を限界まで引き出すのが仕事なのだ。」

    p40「ワインのボトルにワインが半分入っている状態があるとしよう。これが『事実』(=物語内容)だ。この『事実』をどう語るのか(=物語言説)を研究の対象にするのがナラトロジーなのである。」

    p56「私たち大衆が読者になったのはそんなに昔のことではない。」
    「第一は、印刷技術による書物の大量生産が可能になること。第二は、多くの人々が読み書きの能力。持つこと。第三は、学校教育によって知的な能力が平準化されること。第四は、特に国語教育と、隠れたカリキュラムと呼ばれる児童や生徒や学生の自主的な学習によって、感性が平準化されること。第五は、黙読ができる能力と空間(個室)を持つこと。第六は、これらの条件を備えた階層が大衆として成立すること。第七は、マスメディアの影響も受けて、特にその階層内では共同体意識が持てること。第八は、それでいて自分が独立した個人であるという意識を持てることである。少なくともこれら八つの条件があってはじめて私たちは近代的な読者となったのだ。」
    p58「先の八つの条件は中産階級。成立させる条件そのものだと言える。」

    p87「私たちは本を読むとき、さまざまなことを期待している。なぜ期待するのかと言えば、事前に多くの知識があるからだ。作者名、タイトル、本の装幀、本の判型、帯の惹句、広告の惹句、書評などなど、本をめぐるさまざまな知識を、文学理論では『パラテクスト』と呼ぶ。」

    p90
    「内」、「境界領域」、「外」という三つの位置。そして、それらの領域間の移動によって、物語は四つに分類できる。
    ①浦島太郎型〈内→外→内〉
    ②かぐや姫型〈外→内→外〉
    ③成長型〈外→内〉
    ④退行型〈内→外〉

    p124「『異化』とは、物事を生き生きと表現し、生き生きと読まれるために、物事がふだんそう呼ばれている呼び方を用いず、過度の描写をするように書くことを言う。」
    「たとえば、『目の下の隈』と書けばすむところを、『大きな落ち込んだ彼女の眼の下を薄暗い半円形の暈が、怠そうな皮で物憂げに染めていた』と書くのだ。(夏目漱石『道草』)」

    p139「感情はその具体的な対象がなくなれば、解消する。」
    「しかし、気分はそうではない。具体的な対象を名指すことができないから、解消することはない。いつまでも人を捉えてはなさない。」

    p140「芥川龍之介に関する情報、憂鬱の伝染という文学的な気分の系列、横須賀という固有名詞がもつコノテーション(暗示的な意味)。これらのいずれによっても『蜜柑』を支配する気分を説明することができるのである。そのどれを選ぶかは、読者がどういう枠組で『蜜柑』を説明しようとするかによって決めればいい。私は二番目を、ベースとしながら、小品の言葉から引き出せる三番目の説明の仕方を最も重視したい。」

    p164小森陽一による「主人公」の定義
    →「意味論的場の境界線」を超える者

    p168「フェミニズム批評が主人公という制度と関わるとすれば、多くの場合、現実の性別を離れて女性として読むことで『意味論的場の境界線を超える主人公』を新たに『発見』することによってだろう。」

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    2023年08月26日
  • 読者はどこにいるのか 読者論入門

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    本だけあっても、読む人がいないと読書は成り立たない。そこまでは当然のことだと思うが、本を読むことにおいて、読者がどのような機能を果たしているかまで考えることなく読んでいた。一章が単体の書籍でもおかしくないような情報量が、一冊にぎゅっと凝縮されていて、私には一読で咀嚼するのが難しい。各章の内容はそれぞれ興味深いので、ほかの本の参考書として、必要に応じて読み直したい。

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    2022年07月02日
  • 読者はどこにいるのか 読者論入門

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    文章が読まれてるとき、そこでは何が起こっているのか。作者、主人公、語り手、読者、それぞれが独立していて、でもつながっている。読んでるときは自分じゃなくなってて、1人で読んでるようで1人じゃない。読み方を考えるって初めてで奥深い。

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    2021年12月29日
  • 読者はどこにいるのか 読者論入門

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    小説の主人公、語り手、読者、そして自分の関係を考察する。
    そうなんだ、物語を読んでいる時の読者と自分は違う存在なんだ。内面の共同体を構築することで読者になるし、だからこそ同じ作品を読むことで共感が分かち合えるわけだ。さすが石原先生だ。

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    2021年12月07日
  • 読者はどこにいるのか 読者論入門

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    『蒲団』や、芥川や漱石といった、有名どころを例にしているのでわかりやすい。裏返せば、そういった作品が未読な人にはイメージがしづらいかも。
    「確かにこういうことあるな」と、読み進めながらところどころ膝を打つ。
    決して「読書の仕方」ではない、あくまで「読者」、「読者はどこにいるのか」について書かれている。

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    2021年09月26日
  • 読者はどこにいるのか 読者論入門

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    「読書論」ではなく「読者論」である。小説の読み方は読者の自由であるが、全くの自由ではなくある決まった型があってはじめて成り立つと説く。そして、そのような抽象化された読者が成立したのは高々100〜200年前のことだそうである。漱石が多く取り上げられているのも、私にとっては面白かった。

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    2021年09月25日