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Posted by ブクログ
感想。
ケータイ小説を文学とは、あんまり認めたくない。磨かれていない、良くも悪くも『少女的』文章と、悲劇のバーゲンセール的なストーリー展開は個人的に大嫌い。でも、そう言うものを一度忘れたうえでケータイ小説について考えてみると、この本と同じ考えに行きつくと思う。
ホモソーシャルについてのくだりが面白かった。
つまりオタク向け作品と一緒で、ごく限られたくくりの人が、同じくくりにいる人に向けて書いたもので、そのくくりに属さない人のことははなから無視されている。私を含め、ケータイ小説を面白くないと思う人は、無視されたくくりの中にいるから、ケータイ小説の作者や読者には関係がない。閉じた内輪の世界。そう言うことだと思う。
Posted by ブクログ
910
ケータイ小説は読んだことはなかったけど、この機会に書籍化されたケータイ小説を読んで論じてみました、という本。
ケータイ小説は文学でない、という言われ方をするし、文壇からは無視される存在だけど、こういう形をとっているから、もうこれは文学だという立場でスタート。
さらに、ケータイはケータイで読まなくてはならないという田中久美子説も否定。
有名どころのケータイ小説『恋空』『DeepLove』『赤い糸』をストーリーを追って、その分析をしてくれてますが・・・
私の感想としては、そもそも基本の部分で違うような気がしてしまう。ケータイで読んでこそケータイ小説、というのは、読み方としてもそうだけど、書く方の目論見もケータイならではの下心がはいる。つまり、検索してもらいやすいように、女子高生が気になるワードを放り込んでくる必要がある。それがつまり、いじめ、エンコー、レイプ、妊娠、純愛・・・
話のパターンも王道に、純愛とかをテーマに、ちょい真実味プラスするといいのもケータイ小説という形態を生かしたやり方だし、
第一、
ケータイでUPされた時にはもっと、ドギツイ場合も、書籍化するにあたって、マイルドにしている・・・らしいので、
やはりケータイ小説はケータイで楽しむものなのだと思う。
なぜ書籍化するのかって?ケータイ買ってもらえない子のためにか、学校の朝の読書で本を読まなきゃならない子たちを救済するために、または出版社が「売れそうなモンは全部ためしてみる」姿勢だから。
ではないだろうか。
出だしの頃ほどのミリオンセラーはでないにしても、ケータイ小説みたいなのしか読めない、と言う生徒もいる。
ハーレクインしか読まないとかいうのと、同じじゃね?
あと、『本屋さんのダイアナ』で、文学書とかは読むけどケータイ小説とかは全く読まなかったような彩子は、世間知らずで育って大学でレイプされちゃうけど、
読んどきゃ良かったんじゃないの、ケータイ小説!
聖も俗もない、上等も下等もない。いろいろ読んでいいんじゃないかな〜
問題は、これしか読まないって態度、だとおもいますね。
Posted by ブクログ
漱石研究の第一人者が、文学テクスト論を駆使して、ケータイ小説の構造を読み解いた本です。取り上げられている作品は、Yoshi『Deep Love』、Chaco『天使がくれたもの』、美嘉『恋空』、メイ『赤い糸』の4作品です。
デリダの「誤配」や「ホモソーシャル」の問題といった分析装置が駆使されており、ロラン・バルトによって「作者の死」が宣告された文学シーンの中で、ケータイ小説の「テクスト」が占める位置価を測ろうとした試みとして読みました。
著者は、ケータイ小説が記号化されたアイテムを並べているにすぎず、「リアリティ」が希薄であることを指摘するとともに、それがいかに荒唐無稽に見えようとも実話に基づいているという断り書きが付されており、「リアル」に接続することを志向していることにも触れています。ここには、内面を持った「作者」と作者の内面を表現している「作品」によって構築される近代文学的な枠組みはありません。著者は『天使がくれたもの』を例にとって、ケータイ小説というテクストが、「少女が書く」ということと「少女に届く」との間で小さなループを形成していることを指摘し、その意味で『天使がくれたもの』はケータイ小説の成立過程そのものを小説化した「メタ・ケータイ小説」の意義を持っていると論じています。
ただし、そうした意義が認められるのは、ケータイ小説という「テクスト」を読み解く著者であって、ケータイ小説の書き手やケータイ小説を受け入れた読者ではないという気がします。ケータイ小説の書き手と読者は、「少女が書く」ということと「少女に届く」との間で形成された小さなループを、現代的な「コミュニケーション」の形態として「ベタ」に生きているにすぎず、そうしたループを「メタ」な視点から捉えているわけではないように思えます。
ケータイ小説の「テクスト」を分析するよりも、ケータイ小説現象の社会学的考察の方がおもしろいように感じます。
Posted by ブクログ
テクスト論の大御所、漱石研究なんかで有名な石原千秋の新書。日文の基礎演習で読む『大学生の論文執筆法』(ちくま新書)の著者と紹介した方が分かりやすいという人もいるかもしれん。
さてさて、非常に刺激的なタイトル。もはや完全に一時期の勢いはなくしたものの、なんだかんだで息の続いているケータイ小説。プロの手によるラノベですら文学の範疇に入るのかと議論されている昨今、素人の手によって支えられてきたケータイ小説が、文学研究者の中でどのように評価されているのか。
面白かった。
まずタイトルを見て思ったのは、「おいおい、そんなこと言っちゃったら文学の定義から入らなきゃなんないよ? そんなの、こんな薄い新書で書けるのかい、石原さん」ということだったのだが、それは冒頭で即座に否定された。「文学を定義することなど出来るわけがない」。その上で、文字で表現され出版されて読まれている以上ケータイ小説も文学であると言い切っている。さすが石原千秋らしいはっきりとした物言いだ。
ケータイ小説を文学として認めた上で、テクスト論の手法で構造を分析していく。この本の本編である。
結論から言うと、ケータイ小説は、普遍的な、古典的な小説の構造を持っているという。その中でのケータイ小説独自の特異さは、作者と物語がリンク、あるいは関連してループ性を持つこと。それを可能にしている、リアル(リアリティーではない)を描くという大前提にある。
とまぁ、そんな感じの。ちょっと最後の方は結論を急ぎすぎた感があるけど、読み応えありました。
しかしJK妊娠しすぎワロタwww
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