永田千奈のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
恋は時間が過ぎれば冷めるもの、まして不倫の恋愛は害あって益なしと知ってる女性の、わかっているのにも求めてしまう恋の苦しさを、これでもかこれでもかと描いています。
はじめは少々イライラもさせられるほどで、両思いなのに結ばれない、結ばれようとしない自制心の苦しみ、そんなに苦しむなんて無駄…とか、ヒロインの拒絶行動が、恋愛をいやがうえにも盛り上げているのじゃないか、とうがった見方までしてしまう。
今や女性自身で考える自律が普通のことですけど、17世紀の女性の作家が16世紀のフランス宮廷を背景にしての状況ですから、先駆的でもあったのですね。なるほど、不倫の恋愛の苦しみ、究極の恋愛を描いたフランス心理小説の古典、なのだと。
むかしむかし高校の教科書に堀辰雄『美しい村』の序曲が題材として載っており、その文中に『クレーヴの奥方』と、ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』が引いてあり、なぜか興味を覚えやみくもに読んで、わかったのかわからなかったのか、それから幾十年。
今回読んでみてヒロイン(クレーヴの奥方)が熟女のように思っておりましたのに、16歳の設定でびっくり、高校生年代ではありませんか。だから高校生の頃ってそんな姿を、若さゆえの老成を、理解しようとしたのかもしれません。 -
Posted by ブクログ
京都〜山形への新幹線で一気に読んだ。超おもしろかった。
「アンナ・カレーニナ」のアンナも、この「女の一生」のジャンヌも(あと他にもいた気するけど)、テンション上がり下がり激しくて情緒不安定気味で美しくて無垢で無邪気で無知でなんか不幸。ヨーロッパの貴族って皆こういう感じなの?そんな彼女たちに共感して心寄り添わせることなんて普通に考えてできないんだが、何故か、できるんです。モーパッサンすごい。
最初ジャンヌが恋に恋して、恋の歓びにおののく場面、素晴らしかった。読んでるだけで光が差してきそうだった。でも美しい場面だからこそ、だいたいのあらすじ分かってるからか、のちの不幸な人生との対比が際立ってしまって読んでて辛くなった。それにしてもジュリアンて嫌な男。こういう男だけは好きにならんようにしよう!と、気を引き締める! -
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厳格なカトリック主義に沿う生き方と、奔放で世俗的な生き方の絡み合いと対比。
自然主義・多神教的な考えを持つお父さんが何故一人娘を厳格な教会付属の寄宿学校に入れてわざわざ貞淑な世間知らずに育てようとしたのか、そこが不可解でしたが、娘だからそうしたのであって、もしも一人息子を持っていたら別の育て方を選んだのでしょうか。
性的に奔放な社会に強い嫌悪感を感じる世間知らずで純粋な主人公。素敵な男性と出会ってすぐに結婚しますが、ハネムーンから戻ると夫は本性を表します。結婚はどんどん悪い方向に転がっていき、最後には主人公は何も悪いことをしていないにも関わらず一人ぼっちになってしまいます。弱り切った主人公を救ってくれるのは、自分の夫とかつて不倫関係になってしまった女性と、無職のダメ息子が結婚もせずに(その後籍は入れさせるが)作った孫娘。
箱入り娘として育てられ、遺産をやりくりする知恵もなく、唯一の心の救いだった子供も甘やかしてダメダメにしてしまい、それでも老後の自分の幸せをダメ息子に何とか見出そうとする主人公には切なくなります。 -
Posted by ブクログ
読んでいる最中はジャンヌに感情移入して、不幸の人生を生きているかのように錯覚するが、読み終わってふと振り返ると彼女の人生はありきたりな人生である。
ジャンヌが夫に浮気されたとき、激昂した彼女の父をなだめて牧師は言った「ねえ、皆同じようなことをやっているんですよ。だからといって、あなたの奥様が不幸だったとか、奥様への愛が減ったとか、そういう話じゃないわけでしょう」と。
そのとおりなのだ、みんな間違えることはあるし苦労している。苦しくて苦しくて死にたくなるほどつらい出来事があったとしても、あとから思い出すとなんてことはない人生の一部である。
彼女はささいな幸せを認められなかったのだ。夫とうまくいかない人だってたくさんいる、年老いた親がなくなってしまうのも、成長した子供が親と疎遠になるのも当然である。なのに、彼女は自分が暗い運命の中にあると信じて疑わなかった。
夫に浮気される以前の、まだふたりが新婚で幸せであるはずの時期も、彼女は自分の生活に満足していなかった。修道院にいたとき、ひたすら希望に胸をふくらませていた「結婚」をしてしまって、今はなにもすることがなくこれからの日々がただ年老いていく単調な毎日だと失望する。彼女は不幸になったのではなく幸せになることができなかったのだ。
彼女は確かに夫に恵まれなかった、しかしそれ意外の不幸の原因は全て彼女自信が作り出している。息子を甘やかすのだって他の人は止めていた。ジャンヌは自分はとても不幸な運命にあるとだけ信じ、目の前の幸福も不幸にならないための術も知ろうとしなかった。
ジャンヌは物語の後半、年老いてからもどこか少女のようである。そう思わせるのは彼女のその受け身な部分であろう。与えられた環境で流されるだけで、それが不幸しかないと嘆く。最初に夫と浮気した女中のロザリはジャンヌと同じで、環境に流されるしかなかった。しかし彼女はその中で自分の幸せを見つけ、流されるだけでなく選択をしようとする意思があった。ここがジャンヌとロザリの大きな違いだろう。
「ねぇジャンヌ様、人生ってのは、皆が思うほどいいものでも、悪いものでもないんですね」と。ありふれた言葉だがジャンヌの人生をきれいにまとめた言葉である。
この小説は「女の一生」というタイトルだが、話はジャンヌが死ぬ時までは描かれていない。終わったのは彼女の絶望の人生だろう。これからもジャンヌは自分の人生が不幸だったと思い続けるだろうが、しっかり者のロザリが彼女を支えてくれるから今以上に不幸なことは起きない。あとはジャンヌの気の持ちようである。息子と孫が生きていて、貴族としては少なすぎるが、小さな屋敷と必要最低限の収入、そして自分を大切に世話してくれる女中がいる。
この小説はリアリズムの真髄とも言われている。みんなが表向きに隠している不実や黒い部分をジャンヌは許せずにそこだけを見つめていたが、それは普通の人生である。そしてその人間の一生にはどうしてもでてくる不実や黒い部分がある人生ををありのままに書いたこの小説はまさに「女の一生」なのである。 -
Posted by ブクログ
自ら人生を切り開いて自由に生きている人間なんて、本当にいるのでしょうか。ほとんどの(本当はすべてと言いたいところですが…それは断定できないので)人間は、周りの環境や他人の影響によって、常に影響され、流されながら生きているのではないでしょうか。
だからと言って、人生というものがなんてつまらないのだろう、とか、生きる意味なんてないのではないか、と言いたいのでありません。おそらくモーパッサンも、この長編小説を書きながら、彼自身はたいへんなペシミストではあると思いますが、人生の意味や、自分の中にある生きたいという気持ちの理由を見つけようとしていたのではないかと感じるのです。
僕はむしろ、人生のそういうかなしくて、つらくて、みにくい側面を知らずに生きている人の幸せは、本当に幸せなのか、そして、その人の抱く他人に対する善意や思慕や愛情は本物なのだろうかと思ってしまいます。これは、個人的な価値観を押し付けてしまうことになりかねないので、なんとも言いにくいことではあるのですが。少なくとも僕は、そういう良さしかもたない人間は、自分の悪に気がつくことができないでいるのだと思います。
感想というよりも、なんだか自分の人間観を綴ってしまう形になってしまいましたが、この「女の一生」というモーパッサンの長編小説を読むことによって、人間というものについて(というとなんだか哲学的で小難しい感じがしてしまいますが…そんなことはなく素朴に)考えることができるように思います。
この本はまた、「光文社古典新訳文庫」から2011年の3月に出された新訳で、とても読みやすいです。すこし分厚いかな…と読書が苦手な方は(僕もそうでしたが)思われるかもしれませんが、難しい内容でもないので、意外とするする読み進められます。ぜひご一読を。