青山文平のレビュー一覧
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ネタバレ2013年『流水浮木 最後の太刀』の改題文庫化
家康の危地脱出に手を貸し公儀隠密となった伊賀者は、吉宗が既存の隠密を信用しなかったため、30俵の扶持で江戸城の門番となっており、百人町の大久保組の者は内職でサツキを育てていた。
剣の使い手だが山歩きをしてサツキの株を探して栽培することに心血を注いで老境に到った山岡晋平にとって「伊賀者」であることはほとんど意味をなしていなかった。幼い頃から一緒だった3人が「伊賀者」であろうとアイデンティティを求めることで次々と命を落とす。
晋平は最初の一人の死から、私的な隠密稼ぎが横行している事を知り、残る二人も頼まれ仕事から放火事件を未遂に終わらせたもののそのために命を落としてしまい、事件の真相を探り始める。娘婿が実は本当の公儀隠密の家柄で、探ろうとしてくる者立ちの目くらましの役を負っていて、協力を受ける。(ちょっと都合が良すぎ。私は一番怪しくないのが犯人かと最初娘婿を疑った。)
時流に逆らってひたすら伊賀者であろうと私的に訓練していた親に育てられた子が成人し、軽業師に身をやつして晋平に伊賀者の再興を求めてくるという時代錯誤は、全然話の本筋ではなく肩透かし。
解説を葉室麟が書いていて、久しぶりに文章に触れて嬉しかった。 -
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遅咲きの直木賞作家の作品。
直木賞は2016年「つまをめとらば」で。
徳川幕府が始まって150年のころ。
農業も改良や開墾などで収穫高が高くなり米の値段は下がる。
かたや武士は未だ禄高で収入を得ていて、ジリ貧の勝手事情。
徳川が日本を統一するころ、武士を捨て領土に土着する武士集団がいたが、150年も経つと、その立場もずいぶん変わっていった。
豪農の次女として生きた智恵(ともえ)は、養母、喜代が亡くなって以来家の中に息苦しさを感じていた。
子を成さぬということで家に帰される出戻りでもある。
姉の多喜(たき)は、美しく明るく2度も結婚しながら戻ってきたが天真爛漫に振る舞っている。
そんな中、百姓から、代官所に務め、その才能を買われてどんどん出世する「笹森信郎(のぶお)」から求婚される。
名主に対して名子という言葉の説明などを始め、当時の農村の生活や経済の仕組みなど、会社組織のような武家の役人のピラミッド。
信郎のいまは、契約社員と言ったところか。
その出自や来し方が彼の生き方を作り、智恵の生き方も作る。徐々に解き明かされる家族の真相。
揺らぎのないほどの史実を盛り込んだ設定の中で、登場人物は生き生きと悩み喜び涙する。
登場人物の言葉にも自然、重みがあり、脇役であっても人となりが見えてくる。読み応えのある1冊でした。 -
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主人公の青年、徒目付の片岡直人、上役の内藤雅之をはじめとする登場人物設定、描写が素晴らしい。
科人すら「真の動機」が明らかにあると、「仕方なかったのか? 気の毒な、、」と思わせる。ある意味、潔さまで伝わるかと感じました。
一話完結の謎解きと思い、途中で読み止めてはいけません(^^) 6話で一冊、徒目付の片岡直人デビューの一冊になっているのかもしれません。続編出たら読みたいです。
テレビドラマにしたら、主人公青年より人気が出そうな渋い上役の内藤雅之で江戸のグルメ紹介を差し込み、街で家系図売りをしていた沢田源内のニヒル役が気になるでしょう。科人役もあじのある俳優が喜んで引き受けそう。青山文平さん、アッパレ!であります。
星が4つに留まったのは、他の方々が難しいと感想しているように、各話で繰り返し説明してくれている御家人の階級、組織、周辺の江戸言葉、欲張って投げ込み過ぎたかな? 私も歴史好きながら、何度か行を遡って確認する事があったので、辛い点にしました。 -
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10代の頃、大人になるということは、思い悩むことが減っていくことだと信じていて、いわゆる「中年」と呼ばれる年齢に差し掛かってきたここ数年、よくそのことを思い出し、考えてしまうことがあります。
いくつになっても、あるいはどれほどキャリアや大きな功を成しているとされるような第一線の人たちであっても、こんなにも一度刻まれた心の傷や呪縛から逃れることは困難で、人と人とはこんなにも容易く修復できない関係になり得てしまうものなのか、などとぐるぐると思考してしまうこともしばしばです。
そして、そんなふうに途方に暮れる気持ちになる時にふと、いつも脳裏に浮かぶ小説があって、それがこの『半席(はんせき)』です(ちなみに、今年になってその続編『泳ぐ者』も刊行されていることを、最近遅ればせながら知りました……)。
御家人の片岡直人は、役職のない小普請(こぶしん)から、幕府の監察役である徒目付(かちめつけ)に就いて二年が経ち、一刻も早く御目見(おめみえ)以上の御役目に就かなければならないと考えていた。直人の父親はかつて旗本に昇進したものの、代替わりの前に小普請に戻されたため、当人のみならず子にも身分を相続させられる永々御目見(えいえいおめみえ)以上になるには、旗本職の二つ以上の御役目を、親子二代のうちに歴任する必要がある。いまはまだ片岡の家は、一代御目見(いちだいおめみえ)――すなわち、「半席」の家格に留まっているのだ。しかし、直人のそんな気持ちを知ってか知らずか、上役である徒目付組頭の内藤雅之は、直人に声をかけては頼まれ御用――不可解な人死や刃傷沙汰の、その裏側にひそむ「真の動機」を探ってほしいという、外から持ち込まれる調査依頼を振ってくるのだった。
――「年寄りってのは、青くて、硬くて、不器用な若ぇのが大好きなんだよ。おめえのことさ」
評定所や御番所、つまり裁判や奉行が行われる吟味の場では、罪を認める自白だけが求められ、「なぜ」という動機は問われないこの時代。その「なぜ」を探り当てる頼まれ御用を請けるということは、いきおい事件に関わった者たちの内面に分け入り洞察する、言わば“人臭さ”を伴う事案。であるがゆえに、目付の他の仕事よりも心惹かれるやりがいを感じるも、「半席、半席」と呟き唱えては、自身の目的を思い出して揺れ動く。そんな直人の成長物語を縦糸として、6つの奇妙な事件の「なぜ」を解き明かしていく、いわゆる「ホワイダニット」を中心に据えた連作時代ミステリにもなっています。
持ち込まれる事件の中心にいるのは、いずれも長年御用を務めてきた熟年、あるいは老年の武士たち。ある者は釣りの最中に突然、筏から堀に飛び込み水死してしまい、またある者は酒肴を共にしていた長年の友人にいきなり、刀を振ろ下ろした……。
罪は認めても「なぜ」には口を閉ざす科人(とがにん)の心に迫るため、その「なぜ」を射止める足がかりを、直人はつぶさに探り、仮説に結びつけていきます。そうして浮かび上がるのは、身分や組織のしがらみや凝りに縛られてきた老侍たちの、あまりに深い執念と葛藤、あるいは焦燥――そのやりきれない因果と真相が明らかになるごとに、これは全く今を生きるわれわれと他人事ではないという思いと、いつの時代も変わらない生きることの困難への強い共感を抱くとともに、少しずつ自らのあり方をも見つめ直していく直人の歩みと決断に、胸を打たれること間違いなしの、深く響き染みわたる一冊です。 -
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内容(「BOOK」データベースより)
いまならば斬れる! 人を斬ったことのない貧乏御家人が刀を抜く時、なにかが起きる――。
幕府開闢から180年余りが過ぎた天明の時代。江戸では、賄賂まみれだった田沼意次の時代から、清廉潔白な松平定信の時代に移り始めた頃。二本差しが大手を振って歩けたのも今は昔。貧乏御家人の村上登は、小普請組の幼馴染とともに、竹刀剣法花盛りのご時勢柄に反し、いまだに木刀を使う古風な道場に通っている。他道場の助っ人で小金を稼いだり、道場仲間と希望のない鬱屈した無為の日々を過ごしていた。ある日、江戸市中で辻斬りが発生。江戸城内で田沼意知を切った一振りの名刀を手にしたことから、3人の運命は大きく動き始める。
令和3年2月26日~3月2日 -
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表題作「つまをめとらば」ほど、等身大の人間が描かれた作品は無い。
等身大に描くというのは、何もかもを剥き出しにすればよいというものではない。それは、誰もが普遍的に胸に秘めた、しかし言語化することは難解で、上手く形容し難い《なにか》を、数多もの語彙を用い、緻密に構成した《物語》という媒体に落とし込むことでようやく表現することが可能となる。それはどう足掻いても不完全にしかなり得ないが、完全ではないという事実が、作品への印象を玉虫色に染め上げる。この作品を「赤」と思う方もいるし、「黒」と思う方もいるだろう。はたまた「赤っぽい黒」「青っぽい緑」「白とも赤とも青ともいえないような色」など、表現することが難しい印象を覚える方もいることだろう。それは、この作品がそれだけ様々な人間に纏わる物事を含有している証拠であり、言語化することを難しく思えるその《なにか》こそ、この作品が描いた等身大であり、それに打たれた僕は、最後の頁を捲った指を震わせた後、腹の底より息を吐きながら、最大限の賛辞と拍手を贈ることしかできなくなってしまうのだ。 -
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父は、御目見以上の役に就いて旗本になったが、その後役を解かれて御家人に戻った。一代御目見以上だった。片岡直人は、今の半席の状態からもう一度御目見以上になり、子も生まれた時から旗本である永々御目見以上になるのをを目指している。今の徒目付は、そのための腰掛のつもりであったのだが、次第に徒目付の表の仕事はもとより、徒目付組頭の内藤正之から押し付けられる幾つもの裏の仕事に魅力を感じていく。この裏の仕事とは、決着がついて刑が決まったしまった科人が、なぜそんな罪を犯したか明らかにするというものだ。謎を解くための着想を得る過程が、なかなかに面白い。その中で、片岡は成長していくのだ。片岡の心の動きを読んでいくのは、魅力的であった。終わり方も、さわやかでいい。