雛倉さりえのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
優しさが人に与える影響を知れる小説。
3歳の時に芸術家の母が病で亡くなってしまう。
そして時が流れ、なぜ母が亡くなってしまったのか。その秘密を知ることに・・・
姉に息子の息吹の思考があまりにも優しく切ない気持ちが漏れる場面は、
個人的には共感し辛く感じました。
・人は相手には興味がなく、自分のことを多く語る。
・またちょっとした一言で人の人生を左右する恐れのある怖さ。
柑は自分が犯した罪との向き合い方に葛藤する姿は、自分自身でどのように向き合っていいのか本当にわかりませんでした。それでも現状に満足せずに変化を起こすための行動には尊敬を感じました。
この小説からは、人それぞれ感じる部分は色々あると感じるいい小説でした。
ありがとう。約束どおり、「感想に対する感想」として話すね。 -
Posted by ブクログ
湖永さん、こっとんさんのレビューを読み、とても気になっていた本書。
原罪をテーマに描かれていて、哲学的でありながら文章の美しさも素晴らしく、読み進めるうちに気持ちが凪ぐような小説。
装丁の美しさだけでなく、表紙、テキスト、フォント、空白など視覚的な印象すべてが物語の世界観にフィットしている。だから、心が落ち着いてくるのかもしれない。
記憶にない罪を贖うというとてつもなく難しいテーマはまさに原罪を抱えて生きること。
柑のように、家族から記憶のない罪を知らされた人だけでなく、原罪を抱えて生きている人は少なくないと思う。
苦しみの中にいても、インマヌエル―神は私たちとともに在りつづける―ということが救いとなるという概念が少しわかった気がする。
柑とエンマの会話は、不条理の罪を背負った人にとってわずかな救いとなるかもしれない。
そして、柑が姉との対話を持つことができたことは物語の救いだったし、私にとっても救いだった。
姉の粋夏の言葉
「もしわたしが、母さんと同じ事故にあったら―(中略) わたしは伊吹を怒ったり、責めたりなんかしない。ただ、心配する。わたしのいない世界をちゃんと生き延びて、大人になれるのかって。それで、できることなら近くにいたいと思う。あの子の目には見えなくても、何もできなくても、ただずっとそばに」
母を病で亡くして26年。
ずっと母の死の責任を感じながら生きているけれど、またこの本に母からの言葉をもらったような気がする。 -
Posted by ブクログ
読み始めた瞬間にこれは自分の好きな作品だと直感しました。心をさぁっとさらわれるってこういう事かと。
どこを読んでもこの表現好きだなと思いながら読み進め、気づけばずっと言葉を味わうように読んでいて、読み終わるのが本当に惜しく感じられました。
静かな物語ですが、その分一文一文の重みが強く残っていく作品だと思います。
この作品は、自我が生まれる前の罪への向き合い方が描かれています。きれいに割り切ることはできなくても、そのまま生きていく事への覚悟を感じました。
読み終えたあとも言葉が何度もよみがえり、これからも繰り返し思い出す大好きな作品となりました。 -
Posted by ブクログ
以下ネタバレ含みます。
天才的な画家だった母を、記憶にない事故とはいえ、自分が殺してしまったことを苛む柑。
慎ましく、求めない暮らしを続ける中で、彼は母の絵が飾られている与那国島の美術館を訪れようと決意する。
そこに付いてきたのが、甥の伊吹だった。
二人と一つの人形の旅を読んでいると、巡礼の旅という言葉を思い出した。
目的地は決まっているのだけれど、そこに辿り着くまでに、自分の手触りを何度も確認し続ける柑。
そして、そんな柑の側で、彼にガイダンスし続ける伊吹の存在が面白い。
きっと、ミミズクは伊吹だったんだろうな。
取り返しのつかない罪を、背負ってしまえば、誰かが下ろしてくれるわけではなくて。
ずっとずっと、自分の中に、それは蠢き続ける。
自分を暗く、照らし続ける。
まるで、『こころ』の先生のように。
伊吹は伊吹で、自分の言葉が他者に「影響」することが、唐突に怖くなってしまう。
それも、少し分かる。
そんな自分を、いつかの自分を、自分の中で切り離しながら、共にあり続けること。
時間があるから、昨日と今日は、分けることも可能であるということ。
そんな感覚的なものを、うまく言葉にしているなあとしみじみ感動して、星5をつけた。
良かった。 -
Posted by ブクログ
十代の、恋愛とも呼べないような性の熱。あの頃特有の渇き、脆さ。友達には話せない、ひっそりと心のうちに秘めた激情。大人になると忘れてしまう感覚を、鮮やかによみがえらせてくれる作品。
短編『ジェリー・フィッシュ』を読み終えたあとの、胸を掻きむしられるようなせつなさを、この『もう二度と食べることのない果実の味を』の読後感でも味わいました。まさに、もう二度と触れられないあの頃の感情の純度に、泣きたくなる。
主人公の女子中学生・冴は受験生。成績は学年2位、毎日決められたことをやり、正しい道を進もうと心がけている。
成績1位は同じクラスの土屋くんで、彼は何かにすがるように勉学に励んでいる。
理科準備室の掃除当番で二人きりになった冴と土屋。偶然の事故をきっかけに、二人は体をあわせるようになる。
妊娠の危険があるからと土屋くんがコンドームを買い求める場面から、これが伏線となるんだろうと読めたけど、そのわりにはページ数が薄めなのでどうなるのかなと思っていたら、あぁそうなるのか……ときれいなまとめ方に感心しました。エンタメを求めるなら、もっとストーリー展開があってもいいのかもしれないけど、この世界観にはこの展開がグッときました。
土屋くんの心のうちは直接表現されていなかったけど、彼視点から深めた物語も読んでみたいとも思えるような、余韻の残る終わり方。
雛倉さりえさんの作品を読むのは、『ジェリー・フィッシュ』『ジゼルの叫び』に続いて三作目ですが、わかりやすさや共感のしやすさでいえば本作が一番でした(だからこそコミック化もされたのでしょうが)。そういえば他の二作は連作短編集ですね。短編は複数視点から読める楽しみがあるけど、やっぱり中編や長編が良いですね。深く潜れるので。
体をテーマにしているだけあって、理科準備室の臓器模型の描写が美しかったです。 -
Posted by ブクログ
主人公の柑は32歳。東京郊外の大きな家で一人暮らしをし、古本屋でアルバイトをしながら、人付き合いを断って淡々と暮らしています。
心を閉ざす理由は幼い頃の事故で、天才画家だった母と、まだ胎内にいた妹を死なせてしまったという罪悪感でした。
母が柑を産んだ年齢になった柑は、母の故郷・与那国島を訪れる決心をします。母の絶筆を見て、自分が損なってしまったものと向き合うために。
ところが、小学6年生の甥・伊吹が旅に同行することになり、思わぬ二人旅が始まります。
物語は本当に淡々と進み、大きな事件は起きません。それでも、すーっと引き込まれてページをめくる手が止まりませんでした。
あれだけの覚悟で旅に出たのだから、柑はきっと変わるはず。そう思って読み進めましたが、柑は姉にこう言います。
「与那国まで行っても、なにも変わらなかった。でも、行ってよかったと思う。なにも変わらないことに気づけたから」。
ここまで引っ張って「変わらなかった」なのか、と一瞬、拍子抜けしました。
でも、すぐに思い直しました。人はそう簡単には変わらない。真剣に向き合ったつもりでも変わらないことはあるし、簡単に変われるのなら、それはやはり物語の世界の話です。
そして、変わらなくても、覚悟を決めて歩き出すことはできる。なかったことにしたい過去が消えなくても。
柑が得たのは、苦しみが消えなくても、ひとりで苦しみ続けなくてよいという気づきではないかと思います。
旅先で出会ったエンマは、キリスト教の「インマヌエル(神は私たちとともに在る)」という言葉を紹介します。それはまた、「同行する神」という意味でもある。
同行することは苦しみを取り除くわけではなく、その意味で神は無力です。それでも、傷を癒すのではなく傷のそばにいてくれる。それは確かに救いなのだ、と。
身に覚えのない罪をどう贖うのかという柑の問いに、この言葉が静かに響きます。
ひとりだと思っていたけれど、そうではなかった。だから柑は「3歳の私といっしょに生きていく」と言えたのだと思います。
自分を省みても、変わりたいのに同じところで何度もつまずき、分かっているのに変えられないもどかしさがあります。
それでも、何かを知ることで、すぐには変わらなくても、内側に育つものがあり、それが未来の自分につながっていく。
焦ることはない。変わることだけが、前に進むことではないのだから。
静かに背中を押してくれる一冊でした。