雛倉さりえのレビュー一覧
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自分に身に覚えのないことでも、誰かを傷付けてしまうことがある。
身に覚えがないことだからこそ、自分の罪の重さから逃れられない。
とても辛いお話でした。
あることがきっかけでバラバラになってしまった家族。傷付いた方も自分の傷にいっぱいいっぱいで、相手を思いやる余裕が少しもなくて、これは一緒にいるのは辛い。
自分をとことん責めている主人公の柑(かん)が旅先で出会った人から言われた言葉、「わたしたちの立場が、真逆だったとしたら、わたしにどんな言葉をかけますか」‥‥そんな風に自分を赦してあげるのも大切ではないかなと思いました。
最後に姉と一歩ずつ歩み寄れたのは良かったと思います。
全体的にとても丁寧な美しい描写で、孤独がより際立つような気がしました。静かに本を閉じる‥‥そんな一冊でした。 -
Posted by ブクログ
装丁に惹かれて本屋で衝動買いした。
自我が芽生える前の出来事によって、罪の意識とともに生きてきた主人公。
幼き日の自身は自分であり、他人でもある。記憶がないからこそ向き合いきれなかった過去から、前に進むために旅をする話だ。
旅の中で出会う人々は、そんな彼を導くガイドのような役割を果たす。共に歩く甥っ子伊吹は年齢に似合わずどこか達観している。まるで主人公とは真逆だ。気丈に振る舞う伊吹にも彼なりの痛みがあり、「こうしたいではなく、どうしたら良いのか」を基準に判断する姿勢においては2人に共通していると感じた。
誰ひとりとして、望んでここにいる者はいない。
生はまさに、拒むことの出来ない不条理な譲与である。
淡々と進んでいくストーリーだからこそ、穏やかに、静かに読者に問いかける物語だと思う。
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【日常の中にいる、クララとドロッセルマイヤー】
ミュージカル、2.5次元、バレエ、ストレート・プレイ……様々な舞台を題材に描かれた5編が収録された短編集である。
ただ、「華やかで遠く感じる『舞台』というその空間は、自分という役を生き、誰かの人生に思いを馳せる私たちにとって、意外に身近な場所なのかもしれません。」という扉に書いてある触れ込みって、読んでみたら結局、3編目の白尾悠「おかえり牛魔王」だけの話なんとちゃうのん?と感じた。
毎日定時で退社する、社内の人付き合いも忖度もへったくれもない後輩の派遣社員、桐ヶ谷を探るうちにその演劇の指導者しての並々ならぬ実力に触れ、自らも演劇に助けられた過去を思い起こす岩間。ガチの会社世界とガチの稽古場面がサンドウィッチで描かれた作品にこそ、「意外に身近な場所云々」という表現が似合う。この作品では、僕自身が数年前にバレエで演ったことがある「くるみ割り人形」が演劇として扱われているので、ちょっと気持ちが入ったし。
全体的には、「稽古」も「舞台」も華やかでも遠くもなく、日常の中にある(意外に、かどうかは知らんが)僕にとって、興味深い一冊だった。 -
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舞台をテーマにした5作の短編。
舞台を見る人なら、いろいろとわかる!と思うことあって楽しく読めると思う。
『ここにいるぼくら』
2.5次元舞台に出演することになった主人公。しかし、その役はシリーズもので、彼はいわゆるキャス変だった。
いやー、2.5のキャス変は私も経験あるからわかるなー。(見る側だよ、もちろん)演者側からの立場として読んでて面白かった。
『宝石さがし』
バレリーナと衣装デザイナーの話。
舞台の衣装って、いろいろなことを考えて作られているのと同時に、演者にとってはその役になるために、舞台に立つ上ですごく大切なんだなって感じた。2人の関係性がとても素敵だった。
『おかえり牛魔王』
本音を我慢している派遣社員の主人公と新しくやってきた空気を読まない派遣社員。新しく来た派遣社員はアマチュア劇団で指導をしていた。
その劇団にいる女の子がよかったなー。普段は大人しいけど舞台ではガラッと変わる感じ。演劇を通して本音で生きることの大切さを感じた。
『ダンス・デッサン』
役者の主人公はいつもアンサンブルで出演していた。ある日名のある役に抜擢されるが、自分でいいのかと葛藤する。
舞台は非日常。私も舞台を見て明日からも頑張ろうっていつも思う。
『モコさんというひと』
舞台を見る人なら一度は経験あるんじゃないかと思う、チケット譲渡。このお話はチケット譲渡で出会ったモコさんが最近SNSで推しについて投稿しないのを不思議に思っていた主人公が、再びモコさんからチケット譲渡してもらうことになった。
チケット譲渡って、基本はその一度きりの関係のことが多い。そんななかでモコさんのような人と出会えるって素敵だなと思った。 -
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久々に文学を味わった気分。
臨時校舎──少女たちは戦火を逃れるため、疎開のようなかたちでそこに集められている。生活に不自由はないが、外の世界からは隔絶され、恋人とも会えない。
「あなたたちは幸せで、恵まれているのだと、まずは自覚してください」
「この状況下にもかかわらず、静かな安全地帯で、何不自由なく学びに打ち込むことができるなんて、通常なら考えられないことです」
やがて、生徒たちのあいだに「森をひらく」という遊びが流行り始める。むせ返るような、青々とした森。文字通りの森。自分だけの空間に、彼女たちは思い思いの森をひらく。森は大人たちには認識できない。
現実の私たちは、戦禍に見舞われてはいない。でも、国家や会社、学校や大小のグループといった、制度や支配の中を生きている。私たちは安全や安心の代償として、みずからの自由を差し出す。不自由を呪いながらも、そこそこに快適な日常を維持するために、支配に甘んじて日々を送っている。
支配といっても、自由がないわけではない。デスクトップを飾る推しの写真。仕事帰りの電車でプレイするスマホゲーム。週末限定のネイル。学校の外に出てから短くするスカート。ままならない現実の中で、そこだけは自由に遊ぶことのできる庭。それを作者は物理的な森として描いている。
ネット上のレビューを読んでいて、「結婚(マリアージュ)が何なのかわからない」という意見を多く見た。でもこれは文学なので、自由に想像すればいいと思う。たとえば上に書いた推しの壁紙のデスクトップだったら、偶然それを見た同僚に「じつは私も好きなんです。今度一緒にライブ行きませんか?」と誘われたりとか。これはひとつの結婚と言っていいのではないだろうか。 -
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自分の好みにピタっときたおはなしでした!
森の解釈が自分の中で読み進めるごとに揺れていったのですが、揺の怒りが表面化したシーンで、自分の中でストンと落ちました。自分は怒っていいのだろうかっていう気持ちはすごく共感したし、怒りだけじゃなく感情ってすぐには身体に馴染まないというか、一種の防衛で自分を入れ物にして自分を眺めてるかんじ。でも自分の気持ちは自分で決めていいんだよね。わたしを私の中に落とし込んで、感情ジェットコースターになったりしつつ、森をつくりながら私は私の中にいたのね、って気づく。読みながらきっと私が森をつくるとしたら、ごちゃごちゃしてるだろうなあと思いました。ハウルの部屋みたいなかんじになりそう…