長谷川圭のレビュー一覧
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僕と同い年のアンゲラ・メルケルの首相になって退任するまでの16年を下巻で 回顧している。金融危機、ギリシア危機、難民の受け入れ、テロとの戦い、ロシアのウクライナ侵攻、クリミア併合、ボスニア・ヘルツェゴビナへの軍事侵攻、パンデミック、多くの危機に直面して真正面から対峙し時にはしたたかに、当事者に寄り添い、ギリシアには毅然と対応した話は政治家だなと思わされた。難民受け入れには今に続くドイツの混迷、2015年9月5日の決断で難民受け入れに舵を切るが重い決断であったことがかかれている。バラク・オバマとは親近感を抱きジョージ・ブッシュともテキサスの牧場に招待されてその後のサミットでもいい印象を抱いているが、プーチンとは意地悪もされて嫌悪感を抱いているのは如実にこの本は著している。
東ドイツで移動の自由、信仰の自由もないところで民主主義もなく不正の横行した社会で35歳まで過ごした経験からパンデミックの時の移動の自由を制限した時のメルケルの演記憶に残るしかたりつがれるだろう。
この人には毀誉褒貶はない。実行した政策には受け入れられないことは、特に難民・移民政策では今の右傾化に続くが、あの時代、せかいの民主主義を実践するにはあれしかなかったのだろう。
フランスでのイスラムテロに対して一番に抗議のデモに立ち、多くの国の指導者があとに続いたことは敬服することだ。
イスラエル・ガザについても言及しているけどイスラエルのパレスチナでの存続はドイツの国是と言及してガザの市民にも寄り添う姿勢は示してはいる。ドイツ基本法(憲法)にもイスラエルの存続権をホローコーストをした責任から明記しようとの国内論議があるらしい。ユダヤ人600万人をガス室に送った事実はあるが、イスラエルにはものは言えないのだろうか?言っても反ユダヤ主義にはつながらないのではないか?
世界大戦の当事者として戦後のまた今の世界との向き合い方は微妙に日本とは違うような気がする。地政学的にも朝鮮戦争を身近にして天皇制を維持しと戦争放棄を空文化して経済大国の道を歩んだ日本と東西の分断に直面して統一を果たしたドイツ、考えさせられる。
この女性は世界史に残るひとだろう。サッチャーと比較されるだろうが 同じ科学者だが片方はリベラル一方は新自由主義者どちらに軍配を上げるかではなく歴史はどう評価するだろう。
上下巻1000ページ読みでのある本だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ久々にスリリングな内容。こういう本に出合えるのが読書の醍醐味、という感じ。訳のせいもあるのかわかりにくい部分が多いが、時間をかけて読む価値がある本だった。
最初の数章では、生物学や社会学を駆使して、先史時代から初期の社会におけるモラルは主に淘汰の文脈で形作られていったとする。個人的には、最も読みごたえがある部分。
ドーキンスの利己的な遺伝子で語られるとおり、生物を遺伝子が複製を行うためのキャリアであると見なすと、本来は利他的行動は遺伝子を残すうえでは不利になるが、遺伝子プールの一部を共有する親戚も含めて考えた場合は利他的行動がプラスになりうる。よって、近しい親戚を中心とするバンド内においては他グループとの競争に勝つために利他的行動が合理的になりうる。
さらに、社会の構成人員が増えてきた場合、ここでもグループ内での生き残り(例えば、大規模な灌漑工事で生存率を上げる)、グループ間の生き残り(例えば、他グループとの戦争)において利他的な行動をとった方が遺伝子を残せる可能性が高くなりえる。そうすると、文化的群淘汰の概念からして、利他的な傾向を持つ遺伝子の出現確率が高いグループのほうが長期的に生き残りやすくなる、ということがあり得る。
つまり、初期社会における”我々”と”彼ら”の分別をしたがる傾向は、かなりの部分、生物的/社会的淘汰によって自己フィードバックをかけられた生得的なものであることになる。
すると、社会を維持するための善悪、タブーの存在も、それ自身の論理的/倫理的なものとは何の関係もなく、ただ単に我々がそういう、自グループを維持するのが好きな遺伝子を持つように篩い分けられてきたから、ということになる。
こうなると、古典で語られる善悪とは何だったのか、という気分になる。アリストテレスが人間はポリスの中でのみ真に善なる人生を送れる、としたのも、諸子が語る礼と義も、すべては順序が逆になる。それが善だから守るべきなのではなく、我々が守るべきと感じるものを善と呼び変えただけということになる。
このあたり、倫理学の観点からはかなりラディカルな含みがあると思うが、著者は淡々と事実を基に論を進めており、個人的には納得せざるを得ない。
本書の内容からは外れるが、いわゆる公正世界仮説がなぜ、これほど広い文化圏で共通するか、ということを以前に考えたことがある。その時は、公正世界仮説を信じる人だけが(良いことをすれば報酬があるはずなので)、結果的に将来に希望を持ち生き残りやすかったのでは、と考えた。
本書の論旨も、ある程度似ているところがあるように思う。先に善があるのではなく、我々が自分たちに都合がよいように善を決めているだけなのだ。本書の原題である”善悪の発明”とは言いえて妙である。
ここまで来て、従来語られていた倫理学の境界を崩し、再構成するような議論になるのかと思ったら、ここから少し様相を変える。
1万年以上をかけて”我々”と”彼ら”の分別をしたがる傾向を定着させてきた人類だが、中世に入り、少しずつ変化が始まる。
そのトリガーが、意外なことにキリスト教、特にカソリック。宗教こそ、人間を恣意的にグループ分けする筆頭のように思うが、著者によれば、キリスト教の家族計画は、それまで血縁を中心として成立していたグループを解体し、教義を中心としたものに再構成した、という。したがって、キリスト教が説く連帯は、皮肉にもそれまで人類が持っていたグループの絆を打ち壊すきっかけを作ったことになる。
更に近代社会に入り、神が隙間に追いやられることで、文化や思想によるグループの結びつきがそれらにとって代わるようになる。その極端なバージョンとして、いわゆるWEIRDな人たち、が発生してくる。
WEIRDは、社会科学の分野でどちらかというとバイアスを生じさせる存在として語られがちだが、著者は、WEIRDな人々が血縁/地理/文化を越えて他社に共感する傾向が強いことに着目する。彼らは、自分に直接関係のない人々にまで共感し、その不幸を不快と感じる傾向を持つ。ある意味で、WEIRDな人々は人類全体に対して”我々”の概念を持つ存在に近い、人類史上初めて生まれたまさしく奇妙な存在である、と言いえる。
とは言え、長い年月をかけて作られてきた”我々”と”彼ら”を分けるのが好きな傾向は高々数十年でそう簡単に変わるものではなく、相変わらず、人類は互いを区分けするのに忙しい。ネット上でお互いを罵り合うのが日常茶飯事となり、大国が”彼ら”を好き勝手に蹂躙する光景も見慣れたものになってしまっている。結局、人類は敵対しあうのをやめられないような進化の袋小路に入ってしまったのかもしれない。
本文中で、”悪だけでなく善も陳腐”という言葉がある。人間には根っからの善人も悪人もおらず、基本的には、全員が陳腐な凡人にすぎない。ただ、偶然に置かれた環境、属したグループによって、善悪を行い分けるに過ぎない。かつ、その善悪も、事後に、他のグループからラベリングされるものでしかない。
ではどうするか。前半の明快さに対し、著者は明確な思想を提示しているようには読めなかったが、一つにはこれが現在進行形の現象であるからだろう。また後半部分は、BLMやキャンセルカルチャー等最近のトピックが随所に挿入されるようになり、論旨の方向を分かりにくくしている。
ただ、全体としては著者は明るい方向を考えている。キリスト教が血縁によるグループ分けを駆逐したように、いずれは、全世界を一つとして考える思想が、エコーチェンバーに閉じこもる人々を淘汰できると考えているようだ。
そのためには、問題を発信し、受け取り、対話し、考え続けること。最近、ネガティブに語られがちなWokeも、本来は社会の諸問題に”目を閉ざさずにいる”という意味であった。不快な理論をプラットフォームから駆逐するのでなく、オープンな議論にさらし、より優れた議論との競争にさらして淘汰していくこと。迂遠なようだが、そのプロセスこそが人類を生き残らせる方法である、と論じたいのだと思われる。
ただし、オープンなプラットフォームで話し合えばわかる、という安易な態度に似て非なるものなので、近年のリベラルが”対話できないのは野蛮の証拠”とばかりに小難しい言葉で上から目線で議論する態度に成り下がる危険性もある。また、どうしても時間がかかる営みになるので、結局リベラルは口ばかりで何もしない、という状態に陥らないような自戒が必要であろう。
キリスト教と技術の進歩が生物学的な群を置き換え、徐々にWEIRDのような人類にとっての異常値を生み出してきたように、これからまた、人類は異常値をむしろ積極的に生み出していくことで生き延びていける、という結論はポジティブであった。
ただ個人的には、既存の倫理学を徹底的に突き崩すかのような前半部分のほうが好み。もう少し、著者の考える善とは何か、という思想を明快に語ってそれを軸にした議論を見たかったのが、唯一残念。 -
Posted by ブクログ
(下巻でも同じ事が言えるのだけど)噂されていた事も、この本であっさり言及されていたり、包み隠さず全て書いてあり、人柄に好感がもて、本当にチャーミングな人なんだなぁと思った。
皆さん、旧東ドイツや女性初の首相、というパワーワードが気になるかと思うけど、彼女はその呪縛からは常に自由で、時にはそれを利用 (活用?)して、本質を見失わす軸がブレない姿が印象的でした。
(後日)失言と言われるような状況があっても、その時々で彼女が選んできた道である事は仕方がないし、それも含めて進み続ける彼女の姿勢は凄いとしか言いようがない。また、だからこそ彼女を支え、長きにわたり首相として活躍してきたのだと思う。
日本の政治家にこんな重厚な本が出せるだろうか…。
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Posted by ブクログ
ドイツ初の女性首相であり、しかも東ドイツ出身者として異例の選任となったメルケル氏。今では民主主義国の良識を代表する名宰相として尊敬されていると言って良い。この人が西ドイツのハンブルクから東へ牧師として異動した両親の下で育ち、物理博士になるまでの成長ぶり。学生時代から民主的な考えで、卒業必修のマルクス主義の学びだけがぎりぎりの「可」合格で、後は首席だった。首尾一貫した姿勢がその後の彼女の人生を決定づけたと思う。
そして35歳でのドイツ統一。女性というよりも東ドイツ出身者への偏見が強い中で、数年後には女性閣僚に、そして統一10年後には首相になるまでの歩みは驚くばかり。CDU(キリスト教民主同盟、日本の自由民主党に似た立場)の党首に選ばれた際の彼女の演説がそれを象徴している。
私は、自分が思い描いたCDUの未来像を次のように述べた。
「私はグローバル化した世界において社会的市場経済の倫理をさらに発展させるCDUを望んでいる。この新たな条件下においても市場と人間性を融合させることができるCDUを望んでいる。キリスト教的人間理解にもとづき、人間の尊厳を尺度に、テクノロジーがもたらすリスクを評価するCDUを望んでいる。社会保障制度の発展において世代間の平等を実現するCDUを望んでいる。ヨーロッパのために、市民を代表するCDUを望んでいる。…私は寛容な国家として横柄な態度をとらず、また自らの能力を包み隠すこともないドイツのために活動するCDUを望んでいる。」
首相就任宣誓に際しての説明も素晴らしい。
宣誓の最後に、「神の助けのあらんことを」と言及するが、私は信仰があったからこそ、尊大になることも、逆に自分の力のなさに萎縮することもなく、国民と創造物に対する責任を負うという任務を全うできる。今も昔も、私の心にはいつも、預言者エレミヤの声が響いている。「その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」。と触れたとのこと。公の場で「神の助けのあらんことを」と話すこと、私は困難な決断でも神に守られていると感じることができたとの件が紹介されている。どこかの国の女性首相にも聞いてほしい言葉である。
最後に、首相になって後の、サミットでのプーチン大統領、ブッシュ(子)大統領、ブレア英首相、シラク及びサルコジ仏大統領たちとの裏話ともいうべき関係ぶりは実に愉しい記録である。
また、1982年に離婚を経験しており、「メルケル」の名称はそのまま引き継いでいるということを正直に明かしていることも好感できた。 -
Posted by ブクログ
樹木、森林、すごい!ありがたい!
自然の神秘、”人間がまだまだ知らない・知ろうとしていないだけ”で、
そもそもすごい!ことに、実はもっと目を向けたほうがよいのだろう、
と思わされる。
人間は、長年(数千年?)過ごしてきていながら、
いまだに"お互いの奪い合い・傷つけ合い"に血道を上げている。
自然の、まだまだ解明されていない営みのほうが、よほど知性が高そうだ。
「なんて人間は愚かなんだろう」と、思わされてしまう。
(いちおう、脳というものを持っていて、自らがその脳や能力について
研究を積み重ねてきている地球上唯一の動物・笑。皮肉ですねえ~)
ありがとう、自然。 -
Posted by ブクログ
危機においての決断や行動から現代を代表する優れた政治家であることは論を待たないと思いますが、それだけでなく心を打ち共感を呼ぶ多くの発言から世界中からレスペクトされているメルケルの自伝。
一番関心があった彼女の東ドイツでの生い立ちが綴られている上巻が彼女がよってたつ生き様がいかに形成されたのかを露わにしていて大変面白かったのでそれだけで満足なのですが、リーマンショック、Brexit、難民問題、パンデミック、ウクライナ等々、首相として数々の問題にどのように取り組んだかを記した下巻が圧巻。
メルケルの場合、生い立ちが際立っている(東独出身、しかも政治家ではなく科学者だった)ためそこが一つのハイライトです。が、一般的に政治家の回顧録で一番読み応えがあるのは、①その時何をどう考えて決断に至ったのかについての本人の解説、と②他の外国要人の人物評。①については圧巻の内容で静かに痺れました(もちろん自己正当化が含まれていることは念頭に置きつつ)。国家観、政治そのものについての考え方、政治家としての言葉の大切さについてのスタンス、どの点も読ませます。複数政党による連立政権が常態化しているドイツでの彼女の考え方や取り組み方は、英米的二大政党制に挫折し、組み換えの常態化を伴う複数政党による連立政権に取り組む我々にとって非常に示唆的。ここは言ってもいい足りないことはないくらい。そして、当たり前の話ですが、政治とはおねだりではないということも(話は逸れますが、赤澤さん(と石破さん?)の今回の交渉と成果には敬意を表したい)。
この本に不満があるとすれば、②の部分。ご本人の誠実な人柄を反映して、他者に対する評価があまりにも抑制されていて(感謝と尊敬に満ちていて)彼女が外国首脳をどう評価しているのかの切れ味が弱いところ(プーチンとネタニヤフとトランプについてははっきりネガですが掘り下げはあえてしていない)。それも含めて彼女らしさ、なのでしょう。 -
Posted by ブクログ
東ドイツで育ったメルケルが、統一を経て首相を務めあげるまでの自叙伝。
東ドイツ時代の窮屈な生活があったからこそ、徹底的に自由を尊重しようとする姿勢が育まれたのだということが伝わってきた。統一後、さまざまな場面で、東ドイツ出身者であることが不利に評価され、それに憤慨する気持ちが書かれていて、女性であることを含めて多くの難題と闘ってきたことが分かる。もっとも、難民のために国境を開いた時、私自身は、彼女が東ドイツの「不自由」を知っていて、人権に敏感だったからこそできた決断だと積極的な意味でその出自を考えた。逆に言えば、西ドイツ出身の首相だったら、あの決断をしただろうか、という風に。
心に残ったのは、「政治家に死をもたらすのは、たとえそれがどれほど不都合な真実であっても、真実ではなく、真実の隠蔽だ」という言葉。日本人にとっても、これは重い言葉だ。
もう一つ、「国民の圧倒的な多数は、政治家が単なる計算で行動しているのか、いいように操られているだけなのか、真に問題を解決することを目指して行動しているのか、各日に感じ取れるだけの勘を備えている。この点でこそ、民主主義の正当の進化は図られるべきだ。」
こういう風に政治家がおそれる有権者に、自分自身がなれているだろうかと考えながら読んだ。
そして本筋ではないけれど、首相府キッチンについて書いた数行は、私が女性だからか、男性の政治家の本などにはあまり見ない記述だと思いながら楽しく読んだ。外国での仕事で時差ぼけになっている時、夜通しの会議を終えた後に、チキンスープやじゃが芋、レンズマメのスープを食べられるのが本当にありがたかった、ミックスサラダも忘れられない、「自宅でなら、野菜を切るのにどれだけの時間がかかっただろう。首相府では、自分では何もしなくてもそれが出てきた」と。
以前から好きな政治家の一人だったが、ますますファンになった。 -
Posted by ブクログ
表現や、もしかしたら翻訳を含めて読みやすい本ではなかったです。
まとめてしまえば新書一冊分に出来なくもなさそうな感じでしたが、そうはせずに様々な文献から例を挙げてしっかり説明してくれているので、読み終わるのに時間はかかりましたが、内容を深く考えることが出来ました。
人間は利己的か?利他的か?と言う反対語となる態度を考えた時に、人間はいつの時代も首尾一貫して協力的な生き物でしたが(利他的)、それはあくまでも自らの利益になるから(利己的)協力的な態度を取れると言う点は、改めて言われるとなるほどなと思いました。
「自己の利益のために他人と協力する」とか「利己的であるがゆえに利他的に振舞える」と言う事だと理解しました。
我々の生きている現代は懲罰や宗教で協力を強いられてきた過去の人類に比べてはるかにマシですが、自由と平等をうたわれているのにも拘らず、それぞれのイデオロギーで雁字搦めになった人々が、自己を声高に正当化し他者を攻撃すると言った態度は、利他的な部分がない利己的なふるまいと言う点に関して、確かにモラルは崩壊してしまっているのかもしれません。
筆者はそれに対する救いの可能性を肯定しながら具体的な方法は明言していませんが、私が思ったのは仏教の我利とその反対語にあたる自利利他と言う言葉です。
我利はまさに今の世の中の人々が陥っている状態、自利利他も、「利己的であるがゆえに利他的に振舞える」と同じように思えますが、「利他的な振る舞いが自分の幸せに繋がる」と言う考えと理解した時に、スタート地点が利己ではなく利他であり、今の分断を乗り越えるためにはこのような利己的ではない利他的な態度が必要なのかもしれないと思いました。 -
Posted by ブクログ
自分の森林についての知識の浅さに驚くくらい初めて知ることが沢山あった
木々が会話をしたり同種の木と助け合ったりしているなんて思いもしなかった。
また現在多くの国で行われている植林や街中の緑化運動は一見とても良いことに見えるけど実際は本物の原生林とは環境が違いすぎて、それらの木々は原生林の木々と比べて成長にかなりの差が出ることも驚いた。
人間は歴史の中で最も簡単に木々を伐採し農地や街を拡げてきたけど、それを元に戻すのは単に木を植えればいいだけでなくて、とてつもない時間がかかるものなんだなと実感……。
日常でよく使う木製のものといえば私の中では紙とか割り箸とかなんだけど、なるべく再生紙などのリサイクル品を使ったり、無駄遣いを無くそうと思えた。
日本はドイツとかなり紀行が異なるから森に足を踏み入れるハードルが高いけど、この本でよく出てきた木たちを実際に見に行ってみたくなった。 -
Posted by ブクログ
まず表紙が素敵。
内容にぴったりだ。
普段見掛けることの多い木々達の話なので想像しやすく、美しい緑色の葉や、力強い幹の茶色、シダーウッドのような香りを思い浮かべながら、気持ちよく読んだ。
想像の中ではミツバチも飛び、キノコや苔が生え、枝を揺らす風も吹いていた。
ノンフィクションではあるけれど、著者が見せてくれる世界に癒された。
なんて理に叶った生き方なんだろう。
ブナもナラも、その他の樹木も、みな長所短所を併せ持ち、工夫しながら、自然界の公平な間引きを受けて生きている。
人類も、少しは彼ら樹木の生き方を見倣ったら良いのに。。。
本書が世界的ベストセラーとなっているのが分かる。
全人類が本書を読むべきとさえ思う。
読み初めて直ぐに、"社会の真の価値は、そのなかのもっとも弱いメンバーをいかに守るかによって決まる"との職人たちの言葉に心打たれた。
生態系のルールは残酷で厳しいこともあるけれど、彼ら樹木同士の関係性は基本公平であり、成長もゆっくりだ。
地球上の生命の新参者である人類は、傍若無人で急ぎすぎているように思えた。
けれど木々たちは、ただゆったりのんびりなわけではない。
公平に助け合い、工夫をし、他の生き物を上手く使い、バランスよく、"過ぎないように"している。
そのルールを守れなかった木々、縄張り争いに破れた木々、それらは傷を負い朽ちてゆく。
それらはまるで、啓発本を読んでいるかのような印象だった。
著者の森への愛情が、木々を擬人化させ、読者である私にも伝わってきたのかもしれない。
森は生きている。
「『森は自分の居場所を自分で理想に近づける』。私たち林業専門家がよく口にする言葉だ。」
木々たちは根や菌糸を通じて情報を伝達し、水分や栄養までも補い合いながら生きている。
それも数百年の単位で。
木々は経験から学習もするのだという。
「これは子どもたちのためを思った教育なのだ。たとえとして"教育"と言っているのではない。林業を営むものは、昔からこの"教育"という言葉を使っている。」
時間をかけて繁殖し、数百年かけて育ち、ゆっくり朽ちてゆく。
私は大きな森に足を踏み入れたことが無い分、その時の刻みに、とてつもなく壮大なものを感じた。
そしてとても愛おしい。
「時間がかかるからといって、生き物として価値が低いということにはならないはずだ。植物と動物にたくさんの共通点があることが証明されれば、私たち人間の植物に対する態度がより思いやりのあるものになるのではないかと、私は期待している。」
読み終えたときに思ったのは、改めて、この地球上の生命体は種別ごとに独立して生きているわけではないということ。
人類だけが心地よく暮らせることばかりを優先していると、回り回って皺寄せが返ってくる。
そんなこと分かっていると思われるかもしれない。
でも手に取りやすい厚みの文庫に、こんなに驚きと共感が詰まっている。
少なくとも私には、知らないことばかりだった。
本書は森林浴をしているかのような心地よさも味合わせてくれた。
著者には森への愛と敬意が溢れていたし、長谷川圭さんの訳も読みやすい。
一冊を通して気持ちよく、森の声を聴くことが出来たように思う。