池上俊一のレビュー一覧
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講談社学術文庫が送る「西洋中世奇譚集成」シリーズの第2巻であり、中世ヨーロッパにおける「東方幻想」にまつわる作品を紹介する書。7世紀頃に成立の『アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙(Epistola Alexandri ad Aristotelem)』、及び『司祭ヨハネの手紙』のラテン語版(1150~60年頃)・古フランス語版(1240~50年頃)の3作品の邦訳を収録している。
本書は、中世ヨーロッパにおいて流布した「東方」にまつわる3作品を日本語訳したものである。「東方幻想」、つまり伝説・空想上の「インド」を描くこれらの作品は、ヨーロッパ世界の外にある「善悪双方を山盛り生み出す驚異的な土地」、不思議に満ちた東方世界を描いたものである。そこで示されるのは異形と富、混沌と秩序に満ち満ちた異世界であり、ある意味ではヨーロッパの写し鏡とも言えるものであった。
『アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙』はかのアレクサンドロス大王のインド遠征を伝説的に描いたものであり、彼が軍を率いて旅した「インド」の姿を手紙の形で紹介している。そこで描かれる「インド」は恐るべき怪物や災い、そして富に満ちた世界であり、大王一行は艱難辛苦と共にそれらの驚異を目の当たりにすることになる。一方『司祭ヨハネの手紙』は有名なプレスター・ジョン(司祭ヨハネ)伝説、即ち東方の彼方にあるキリスト教王国を描くものである。「キリスト教徒の王の内の王」たる司祭ヨハネの王国は、異形と富、不思議と繁栄に満ちた比類なき国であり、その姿は当時のヨーロッパ人の空想と願望を掻き立てた。双方で語られる「インド(東方)」の姿はあくまで空想的・伝説的なもので、元より現実のそれを映し出すものではないが、それ故それらの語る「インド」の姿はファンタジーの冒険譚のような面白さを持っている。世界の果て、予言する樹木、砂の海、異形の怪物や人間たち――。前著である『皇帝の閑暇』同様中世人の空想世界を映し出すこれらの作品は、奥深い伝説の世界と共に当時の人々の価値観を如実に示してくれるだろう。 -
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12~13世紀の聖職者・ティルベリのゲルウァシウスが著した"Otia Imperialia"(1209-1214)の第三部を全訳した書。アルル王国を中心とする世界各地の「驚異」譚、全129篇を収録する。
本書は、ティルベリのゲルウァシウスが主君たる神聖ローマ皇帝オットー4世の為に物した奇譚集(の第三部)を邦訳したものである。激務に勤しむ皇帝の気晴らしの為ゲルウァシウスが本書で紹介するのは「自然のものでありながら、わたしどもの理解を越えた物事」たる《驚異 mirabilia》、即ち世界各地の奇譚・伝説どもである。古代ローマの詩人にして「魔術師」たるウェルギリウスの伝説、煉獄より出でて生者に死後の世界の秘密を教える幽霊、異形の人種や豪華絢爛な宮殿のある「インド」の情報――。ゲルウァシウスが長きに渡り暮らしたアルル王国を始め、イタリア、ブリテンなど世界各地の奇譚が、時には他の文献を基に、時にはゲルウァシウス自身の見聞を基に多数紹介されている。語られる《驚異》の数々はどれも興味深く面白いものであり、また史料的にも貴重なものばかりである。それらの記述を通してゲルウァシウスたちが生きた時代の社会や価値観も透けて見える本書は、中世ヨーロッパの豊潤な伝承世界に触れる最適の書と言えるだろう。 -
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パスタの豊富な種類の情報を得ながらイタリア史を学ぶという非常な美味しさ!なぜ、いつからパスタが国民食になったのか。古代ローマの歴史から1861年のイタリア半島統一、イタリアからの南北米への大量移民の発生、そして第2次大戦後の米国への憧れまで。古くて新しい!そして、切り離せない関係にあると思われたトマト、唐辛子などが大航海時代の導入であることから、むしろ地域性がなく半島全体に及んだ!イタリアの南北問題、宗教、そして国民性などを理解できる楽しい好著。ジュニア向けであるが十分大人に堪えられる。なお、日本でパスタ輸入自由化元年が1971年で390トン。1998年には8万トンを超え208倍。今や日本人の国民食に近づいているというのも大仰ではない。今昼はどうしてもスパゲッティを食べたくなってしまった。
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「いや、これジュニア向け?」
一番最初に出た感想は、とにもかくにもコレだった。
言葉遣いは中高生向けに平易になっている感はるが、なにしろ内容が濃い。
パスタという日本に根付いて久しい食文化を通してイタリア史を語る。
その目の付け所といい、切り口といい、クォリティも高くてジュニア向けにくくってしまうのは非常にもったいない。目を留めない大人も結構いるような気がする。
日本でパスタが置かれた状況から語り起こし、しだいにパスタがイタリアで国民食にもぼりつめていく過程を、その時々の世相と絡めてつづっていく手法はスリリングだ。
パスタが一時期、その時々の権力からは弾圧までされていた、ということも驚きだが、実にしぶとく歯ごたえ満点の弾力とモチモチ感で圧力を跳ね返して、またそれを踏み台にするように勢力を拡大していった様は、味、形状、地域性などのパスタを構成する数々の多彩さと重ね合わせることによって、この上もない楽しさとなにより美味しさを感じさせてくれる。
美術史家池上氏といえば、西洋美術史関係でよくお見かけするが、こんな知識と感性をお持ちだったのか。
とにかく名著ということで、大満足の一冊でした。 -
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個人的には傑作新書の一つ。
パスタというイタリアの国民食を通してイタリア史を語るという試みは面白いと思った。冒頭に、日本でのパスタの受け入れられかたが書かれているので、興味も持ちやすいし、なによりも最初の写真が美味しそうで良かった。
イタリアではパスタが昔から食べられていたわけではなく、最初はミネストローネを庶民は食べていて、パスタは王侯貴族の食べ物(小麦粉で作るから当たり前か)だったのが、都市経済の発展によってどんどん庶民の、母が作る家庭料理になっていく様子が書かれている。もちろん、技術の発展や、新大陸発見によるトマトの流入などが、パスタに進化と洗練をもたらした。
こういう質の高い新書が「ジュニア向け」というのは、ちょっとどうかと思うほどだった。誰が読んでも楽しくなるし、パスタを食べようという気にさせてくれる良書だと思う。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
シエナ、この世界にもまれな美しい都市はどのようにして誕生したのか。
中世のシエナは、北ヨーロッパとローマを結ぶ街道の要衝を占め、経済的繁栄を謳歌する。
蓄積された富は、白鳥のようなゴシック・カテドラルをはじめ、豪奢な建築や魅力あふれる広場・街路に姿を変えた。
トスカーナの自然と人間の叡智が出あい、美しく結晶した「聖母マリアの町」を、時空を自在に横断しながら案内する。
見どころやグルメのガイド付き。
[ 目次 ]
第1章 自然の力と人間の匠
第2章 都市の宇宙空間
第3章 コントラーダ―シエナ社会の細胞
第4章 芸術のリリシズムと誇大妄想
第5章 神秘か邪教か
第6章 悦楽のトポス
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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西洋史の研究者である著者が、アナール派の隆盛以降ますます多様性をひろげつつある歴史学の諸潮流を紹介しつつ、現在の歴史学の方法論について地に足の着いた議論を展開している本です。
マルク・ブロックとリュシアン・フェーブルを中心として成立したアナール派の新しい歴史学は、かつての政治史・外交史を中心とする歴史学を主流とする見かたを批判し、社会史という観点を打ち出して歴史学の裾野を大きく拡張しました。本書では、こうした潮流が心性史や感情史、あるいは身体史といったあらたなテーマを生み出していったことを、具体例にそくしてていねいに解説しています。他方で、ブルクハルトやホイジンガを主要な担い手としてきた文化史も、社会史的な視点を取り入れており、さらにアナール派によって批判された政治史の分野でも、従来の問題点を乗り越える試みが現われていることが解説されています。
本書は、歴史学を学びはじめたばかりの学生を主要な読者に想定しているようで、現代の歴史学の方法論についての入門書というべき内容になっています。歴史哲学の分野において、「言語論的転回」や「解釈学的転回」といったスローガンとともに、実証的な歴史学の方法論に対する批判が提出されたことがあったものの、それらの議論はやや抽象的な方法論上の問題を指摘することにとどまっていた印象があります。アナール派以降の歴史学は、きわめて具体的な事実をていねいに掘り起こしていくことで、われわれの歴史にかんする「知」のありかたに反省をせまるような成果をあげており、ちょうど先鋭化した社会的構成主義がブルーノ・ラトゥールに代表される科学人類学の成果に置き換えられたのと同様の役割をはたしたのではないかという印象をいだいています。 -
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☆☆☆ 2025年7月 ☆☆☆
もともと僕はヨーロッパで一番好きな国はスペインであった。しかし21-22シーズンから本格的にブンデスリーガの観戦をはじめたことで、僕の中でドイツのウェイトがとても高くなっている。そこで『森と山と川でたどるドイツ史』を手に取った。ドイツといえば森、これはとてもイメージしやすい。「シュヴァルツバルト(黒い森)」と呼ばれる地域があり、そこにはフライブルクという町、サッカークラブがある。
森というものの存在、神秘性がドイツ国民に与えてきた精神的、文化的影響は大きい。時には信仰の対象に、または恐怖を感じるものでもあった。実用面でも家畜の放牧地としての価値もあり、それが「ソーセージ」というドイツ名物を生んだともいえる。
また内陸国であるドイツにとって国内を流れるライン川、マイン川、ドナウ川を中心とする河川交通は非常に重要であった。フランクフルト、ケルン、ミュンヘンといった街の発展は河川交通抜きには語れない。物資の輸送、人々の移動にも欠かせないものであった。海に面している部分の少ないドイツでもこの水運を生かす形で商業が発展していった。
宗教改革~ハプスブルク帝国~国家としてのドイツ成立、ナチスまでの歴史をダイジェストのような形で紹介しており、そのあたりも面白く読めた。ナチがエコ政策に力を入れていたというは意外に感じた。 -
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現代の感覚からすると存在が考えられない魔女だが、中世ヨーロッパでは魔女狩りと称して多くの老齢の女性、男性(妖術師)も該当したようだが、処刑されている.悪魔を中心とする魔女集会をサバトを呼んで、それに参加したことが重要な証拠としてカウントされた由.ただ、参加者が現行犯逮捕されたことはないらしく、想像上のイベントだったようだ.魔女狩り自体がキリスト教の権威を補完する行為だったようで、様々な著書が存在している.当然ながら、批判的な論考も出版されており、そういう意味で言論の自由があったことは評価できると感じた.裁判の過程で拷問が合法化されていたのはやや異常と思うが、存在しない事象を裁くので自白が重大な証拠であったことは当然であろう.
現代でも魔女狩りに相当する事象があるとの指摘もあり、合理主義の裏には不合理がつねに隠れているという著者の述懐は重要だと感じた. -
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ネタバレ意味不明系の偉人の筆頭。百年戦争の最中、辺境から突然現れ、苦境に陥っていたフランスを勝利に導いた少女。世界史のバグのような存在だと思っていたが、本書を読んで、なぜジャンヌが世界史の表舞台に出てきたのかが納得できた。
前提として、まず百年戦争はイギリス対フランスという国同士の戦争ではなく、王族たちの壮大なお家騒動であった(登場人物の大半が親族同士で、同じ名前の人がたくさん出てくるので、誰が誰と戦っているのか大変わかりにくい。派閥の名前もわかりにくい。オルレアン公が中心の派閥なのにアルマニャック派とか。なぜ?)。だから、後世イメージ付けされたような、ジャンヌがフランスのナショナリズムを高揚させ、兵士の士気を高めたということではない。中世はキリスト教の全盛期。ナショナリズムではなく、キリスト教ストーリーの中で、いかに重要な意味を持っていると認識されるかが非常に重要だった。ジャンヌは中世のキリスト教ストーリーの中で重要とされる以下の4つの性質を兼ね備えていた。
①辺境出身:自然の中で暮らす=霊的な力。羊飼い。
②乙女(処女)性:聖女。女性の宗教的な力。
③預言者:フランスは伝統的に「女預言者」を受け入れてきた。旧約聖書時代から信じられてきた弱き者の力。百年戦争当時は在野の女預言者が数多くいた。
④騎士性:中世騎士道。ジャンヌは男装し、騎士の恰好をしていた。
皆が「こいつは本物かもしれない。」と信じるから結果が出る。結果が出るからさらに信じる。という好循環よって一気にライジングした。
そんな彼女も最後は魔女として処刑されてしまう。聖女から魔女へ。死後、復権裁判によって再び聖人に。大戦期にはナショナリズムの象徴にもなったりする。結局、人はその時々の文脈の中で好き勝手に意味づけをするのだ。 -
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魔女狩り、ざっくりとしたイメージしかなかったので読んでみた
読んでみると魔女狩り自体は数世紀に渡って行われており、時代ごとに標的となる階層の人が変わっていたりと興味深かった。イメージとして多いのは農村にとっての余所者や下層民が魔女の典型だったが、16世紀以降は社会的地位が高い裕福なエリート層、貴族なんかが標的となっていたと知り、それはかなり意外であった
また宗教改革の影響なども記されており、その方向性から魔女狩りを論じたものを読むのは初めてだったが大変におもしろかった。特に宗教改革で有名なルターは政治と社会おける家父長制的秩序への反逆者、社会的規律化と絡んでいた国家およびその統治モデルたる家の破壊者として、その秩序の外側にいた独り者の女を魔女として球団した